「小しきぶ」1
おじいさんのありがた~い おはなし。
むかし、上東門院、藤原彰子に仕えた女官に、紫式部という賢い女性がいた。その姿は風に吹かれる柳のようにたおやかで、透き通った蝉の羽のような翡翠色のかんざしをさした、乱れた髪がかかって見える顔立ちの美しさは、薄雲から透けて見える美しい月のようで、その唇は芙蓉の花のようで、胸は玉のようであった。その姿はまるで夕日に照らされる花園、咲き誇る梅や桜のようであった。またその心も普段から趣深く、人並外れて優れていた。
琴や琵琶の腕前も並ぶものがなく、また和歌の道は、古代の衣通姫の再来、近代の伊勢、小野小町のようであり、それだけでなく仏教の経典にも明るく、藤原房前の母が法華経の力で成仏した伝説に習い、法華経を常に誦んでいた。このような女性であることを帝がお聞きになって、お召しになって、中宮にお仕えすることになり、紫式部という名で呼ばれるようになった。
小式部と母、和泉式部は「小しきぶ」を読み進めていた。
「ちょっと、美人の上に、心映え、学識、信仰心って完璧超人ですね?」
「ママ、紫さんって?」
「ああ、物語書いているときは何もしないわね。」
「三位ちゃんが、毎週掃除に行ってるって言ってたなぁ。」
「まあ、宮仕えしてから紫式部って呼ばれるようになったのは事実ね。」
こうして、紫式部は上東門院の第一の女官として仕えていた、ある夜、不思議な夢を見て、身ごもってしまった。数か月の後、宝石を伸ばしたような美しい姫を産んだ。その子は普通の赤ん坊には見えず、言葉にできないほどの気品があった。それから、すくすくと成長して六歳になり、言いようもないほどの気高い姫となっていた。母の紫式部はあまりにも娘が愛おしく、娘の髪を撫でながら「私のように、しっかりと和歌をよく詠んで、習いなさい。」というと、「どうやって和歌を習いましょうか。」と年に見合わないしっかりとした口調で訊ねたので、「古歌の素晴らしいものを読んで、それを手本にしなさい。小野小町が詠んだようなものをよくよく見て、夜も昼も、一心に好めば、和歌の腕は上がりますよ。」
というと、この娘は笑って
母や母 好めば歌の 詠まるるか 擂粉の鉢に 皿添えて賜べ
と、詠んだ。あまりに無邪気な歌であった。乳母も「まったくこんな歌を詠んだんですよ。」と笑いながら、この娘をかわいがっていた。
「え~、三位ちゃんはかわいいけど、気品ねぇ。」
「うちも、古い良歌をいっぱい教えたけど、声に出して歌ってたわね。」
「そうね。二人小町やったもんね。」
二人はまだ幼かったころの思い出を、思い出しながら紫式部親子の話を読んでいた。
その後、紫式部がいうには「わたしは長年思っていたことがあって、石山の観音様にお参りに行くわ。三七日は籠ってくるから、その間は継母の言うことをよく聞いて、嫌われないようにね。」というと娘は「三七日も待てないよ。早く帰って来てください。」というので「なら十日ぐらい待ちなさい。」といって出かけて行った。その間、娘は継母のところに預けられた。あまりに幼くかわいらしかったので、継母もかわいがってくれた。そんな時、ある人が伊勢参りのお土産として、土器のような小鍋を二つ継母の二人の子に一つずつ持ってきた。この娘の分はなかったので、あまりにもほしくて泣いていると、ちょうど家の軒の竹の中に鶯が鳴いているのをつくづくと聞いて、この娘
鶯よ などさは泣くぞ 乳欲しき 小鍋や欲しき 母や恋しき
と歌を詠んで、涙を流していると、継母もかわいそうに思って、わが子に渡されたものを一つもらって、この娘に渡したそうな。
「石山って、そういえば源氏物語の構想を練ったところね。」
「でも泣いて、歌詠んで欲しいものを奪い取ったんでしょ。さすが三位ちゃん策士ね。」
「涙は女の武器って昔から言うわね。」
その後、紫式部は石山で源氏物語六十帖を作り、石山寺の大般若経の裏に書いた。自分の姿も絵師を呼んで似絵を書かせ、「庵室を造り、この絵を本尊として私の菩提を弔ってください。」と、公からもらっていた所領を寄進して帰っていった。今もその庵では法華経の声が絶えないといわれている。
さて石山から戻って来て、娘に留守中のことをたずねると、詳しく話し聞かせるので、ますます大人びてきたなと紫式部は思った。そのように年月が過ぎるうちに、ますますこの世の者とも思えない気品を持った美しい姫へと成長した。芙蓉の花のような眼、玉のような胸、その姿を例えると、楊貴妃、李夫人、小野小町、二条の后にも勝るとも劣らない美しさであった。娘が弾く琵琶の調べは美しく、中国の故事にある王昭君の馬上の曲もこのようであったと思わせるほどであった。高貴な伊勢斎宮が玉琴の音を鳴らして
琴の音に 峯の松風通ふらし いづれの緒より 調べ初めけん
と口ずさんだのもこうであったのかと思わせた。
「いや、そんな短期間で書いたわけじゃないわよ。」
「それより、三位ちゃん盛り過ぎ、楊貴妃とか、小野小町通り過ぎて、王昭君だよ。」
「あの、ヘタな似顔絵を書かれれて、琵琶を弾きながら、西域に送られた人だよね。」
「もう、美人なら誰でもいいんじゃないの。」
十三の春に成人してその春、娘は急に病気になって、今にも死にそうになり、陰陽師の頭を招き、占わせると、「かなりの邪気に侵されている。私が祈祷してもかなうとは思えない。」といって帰ってしまうほどであった。紫式部は気を落として、住吉神社にすがるしかなく、心の中で願いを立てて、「わが命に替えてください。」と祈った。
もはや臨終というときに、紫式部と娘は顔を見合わせ、どうしようもなく悲しんでいた。
ちょうど卯月のことで、外ではほととぎすの声がして屋敷の上を通り過ぎて行った。この娘はすこし話せるようになったところで、息も絶え絶えに
時鳥 死出の旅路の 導べせよ 親に先立つ 道を知らねば
と、かすかな声で詠みあげた。これを聞いた母や乳母の心の中はたとえようもなかった。
その時、天井からもの恐ろしい声がして、角が五本、顔が三つある赤鬼が、天井を壊し、白玉のような涙を流し、大声で「かわいそうだ。定まった寿命で、冥途の道に連れて行こうと待っていたが、今の歌を聞いてかわいそうで…。地獄の十王も神々も今回は許してくれたぞ。この秋には帝からお召があって、恵まれるであろう。それでは私は帰るぞ。」といって、破れた天井から出て行った。
「ちょっと待って、これ私の盗作じゃない。」
「住吉の話は、赤染衛門さんの話だわ。」
「私の時は時鳥じゃなくって。土蜘蛛だったけどさ。」
「今から四百年後にはこんな話になっているんだ。」
「大弐三位ちゃんって、その頃になると有名人なんだ。」
そうしている間に娘は病もおさまり、元のように健康になった。このことを帝がお聞きになって、紅と紫の美しい御衣と緋色の袴、掛け帯、玉鬘、胸の守り、綾の沓、錦の裳をいただくことになった。そして内裏に召され、その名を和泉式部と名乗ることになった。
宮廷にいた女性たちは、とても羨んだそうだ。また楊貴妃、李夫人、虞美人などが舞った霓裳羽衣の舞を許された。このように素晴らしい帝の御恵みもあって宮中並ぶものはなかったほどであった。
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「え~!!!!!! 私?」
「ママって、紫さんの子供なんだ。」
「楊貴妃とか虞美人とかやめてよ、ちょっと…。舞いなんて知らないし。」
「まあ、ママって絶世の美女だったんだね。400年後にはw」
ここまで、現実と食い違うと二人とも、もう大笑いするしかなかった。でも小式部は「小しきぶ」と題されたこの話に自分はどう書かれているのかが気になっていた。
【ごきょうくん】
おじいさんとのやくそくだよ。
室町時代にも似たような作者がいたんだねぇ。
小説中に現代語訳を行っています。




