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「恋をしないニンゲンなんて嘘」やって、ヤマダは真顔で言うたんや

作者: XI

*****


 俺の趣味は――ことのほか根暗なことながら――素人でものっけることができる小説サイトへの、まさに物語の投稿なんやわ。阿保みたいな話でしかなくてやな、とはいえともかくうだつがあがらんリーマンやりながら、ある程度の暇が設けられたかろうじての時間はそないなことに費やしてる。無意味やなぁって、つくづく泣きたくなるってもんや。無様でしかないとも考える。だってやな、目標とする書籍化作家になんてそう簡単になれるわけがないんやさかい。上から目線で偉そうにのたまうとやな、俺が書くのは売れへんほうに偏ってるし、流行りの長いタイトルかて思いつかへんし……ってとこやな。こないなこと言うと、まるで大まかカテゴリーエラーが原因であかん言うてるようなもんやな。実態は違うんや。過疎ってるジャンルであっても、うまく書けてれば拾われるはずなんや――ってのは冗談や。冗談なんや。俺は何もかもうまく解釈できへんで、ゆえに――おぉっと、ゆえにってのは前向きすぎやな。とにかく俺が描く物語なんて屁でもなく、せやさかい読んでくださる方は稀有なわけで、せやけどそういう方々は大いに大切にしたいわけで。


 我ながら何言うてんのかさっぱりわからんなぁ。せやけど、最低限、言えることはある。俺は案外物を書くのが好きやさかい、貴重な休日を「ソレ」に割くんはイヤやないんや。どないや? 阿呆の所業、極地やろ? 非建設的な行いやろう?


 ちゅうかさ、独白形式のこの文言、俺は誰に何を問うて何を訴えたいんやろうな。



*****


 休日出勤を強いられたわけや。珍しいことやない。わが社のビルの一階にはスタバがある。サボるようにしてしばしばそこに入り浸るようにして時間潰した。仕事においては俺かて阿保やないさかい――まあ、後輩がヘマしたせいなんやけど、とにかく今日も今日とて出張ってるし、その後輩のことをべつに愚かとは思わへん。そのへん、まさに人生や。持たれ持たれつとはこのことやさかいな。


 俺はえっらい高かった白いノイキャンのイヤフォンを耳に装着すると、ノートパソコンに向かったわけや。「さぁて」と心の中で気合いを入れたわけや。何をやるにしてもヒューマンエラー的なミスはどうしたって起こるし、それって「ニンゲンっぽい」さかい、土曜日を食い尽くされることを良しとするんや、重ね重ね。俺の性格的に「ごめんなさい、ごめんなさいっ」としきりに頭を下げる後輩――まだ全然若い彼女のことを捨て置けるわけなんてないんやし、せやさかい、俺は「ええんやよ」とだけ応えて付き合うわけや。


「あとでコーヒー、奢らせてください」


 いや、コーヒーはもはやしつこいくらいに飲んでるんやわ。


「資料、あとで確認してくださいますか……?」


 不安げにほざくな、やったるってば。

 それをやるために俺は今日、ここにおるんやさかいな。


「あのさぁ、ヤマダ」

「あっ、はい、なんですか」

「他意なくあらためて言うけど、俺はここにいたいさかい、今日、ここにいるんや」


 すると一拍、二拍の後、ヤマダは小さな声で「ありがとうございます……」を言うた。


 そこにあるのは夢、なんかもしれへん、ああ、いきなりやけど、小説家の話ね。それ、どないしても割りきって諦められへんもんやから、ま、俺はひどくつらい思い、してる。休日出勤しながら、なんや、むなしさにも似た思いに駆られてる。ホンマ、常にそないなことを無意味に考えてるんや。――阿呆やろう?



*****


 ヤマダがネット図とそのネットワークに流れるであろうパケット等のファクターをペライチの資料にまとめて寄越してきたんや。俺は感心した。あれこれメチャクチャがんばってたくせにアウトプットはきちっとちっこく紙一枚。好感が持てる。冗長なだけの資料やったらもうそれだけで「阿保か、おまえ」と切り捨ててやるつもりやったんや。せやさかい、ホンマ、重ねてになるけど、ミニマムにまとめてくるあたり、大した奴やと思わされた。賢いんやなぁって唸らされもした。


 資料に目ぇ通したった。答えはじつはめっちゃ簡単なんや。それがわからへん阿呆が構築したシステムに不備が見つかって、それでその阿呆が先方の信用を失ってしもて、紆余曲折の挙句、ヤマダが後釜、担ってる。その不備、ミスを解決するすべを、俺は単純に知ってる。知ってるんやけど、とかくイージーな案件やさかい、ステップアップとして、ヤマダには今回の一件を乗り越えてほしい、がんばれ、ヤマダっちゅうわけや、気合い入れてもらいたい。


「センパイ」って呼びかけられた。「このネット構成ってヘンテコですよね」

「ヘンテコはヘンテコや。せやけど一旦それで握ったんやさかい、なんとかせなあかん」

「だから駆り出されているわけですけれど」

「問題点、わこてるんか?」

「はい。じつはL2です。スパニングツリーです。こういうケースも、あるんですね」

「珍しい例やな。現場に実際に触れてへんと、わからへんこっちゃ」


 STPや、STP。

 おっと、専門的な用語が出てきてしもた。

 せやけど、悪さこいてんのはSTP、やっぱSTPや。


「目の付け所がサイコーや。わこてるんなら問題あらへん。資料もようできてる。大丈夫や」

「ほんとうですか?」

「二回も言わせんな。大丈夫や」

「はい!」


 ハツラツとした態度に、俺は入社したばっかの当時の自分の姿を見た。



*****


 お酒を飲みたいです、飲みたいです飲みたいです飲みたいです!!

 ヤマダにそないなふうに言われ、最寄りである新橋の駅前で安い居酒屋に入ったんや。


 連続でビールあおってご機嫌そうにしてたヤマダやけど、そのうち表情を曇らせてしもて一転、不安げな顔をした。俯いてしもたくらいで――。


「センパイはオッケーだとおっしゃってくださいましたけれど、付け焼刃かもしれないと思ってます。果たして、先方にわかっていただけるのでしょうか……」

「つくづく阿保やなぁ、ヤマダは、おまえは」

「阿保なのですか? しかもつくづく?」

「実機用いて、今までがんばって検証したんやろうが。資料かて一生懸命に作った。ホンマ、気楽に行ってこい。自分を信じることができたんやったらそこに間違いはないし、自信持って言えたら絶対にその旨、お客さんにも伝わんぞ」


 きょとんとしてから、ヤマダは照れくさそうにわろたんや。


「何かあれば……」

「何かあれば?」

「きっとそうだと思うんですけれど、明日、私が作業を失敗して困り果てるようなことがあれば、助けに来てもらえますか?」

「抜かせや、ヤマダ、そのくらいは約束したる。何度かて言うたるわ。せやさかい、ホンマ、安心してやってこい」


 ヤマダは「やったーっ」と言って両手を突き上げると、串を手にし、焼き鳥を一気に頬張った。にこにこ笑って、ハイボールをぐびぐび飲む。良くない飲み方やさかい、俺は注意したった。


「喉が渇いてるんです」

「阿保か、おまえは。アルコールで喉を潤すな」

「私、今夜は気分がいいんです」

「なんでや?」

「センパイに認めていただいたような気がしているからです」


 そこまで大げさなことを言うたつもりはないんやけどなぁ――と思う。

 それでも機嫌良くしてもらえたんやったら良かったなぁとは考える。


「センパイは、エイヒレばかりですね」

「ちびちびやりたいタイプのニンゲンやさかいな」


 いきなりヤマダは思いつめたような顔をして――。


「あの、センパイ……?」

「ん? なんや?」

「今晩、ウチに泊まっていきませんか?」


 ……は?


「えっと、突然何を言い出すんや、きみは」

「やっぱり不安なんです」

「せやさかい、説明資料はおろか、手順書にも不備はないって――」

「嫌、ですか……?」


 いじらしいまでの上目遣いのヤマダ。勢いよく顔を上げると、「来てください!」と積極的な物言いをした。


「せやけど、なぁんもせーへんぞ?」と言うた、俺。

「なぁんもって、なんのことですか?」今度はヤマダ、悪戯っぽくわろてみせた。


 なんというか、気まずさみたいなもんに苛まれて、俺はらしくもなく、無意味にごにょごにょ口を動かしたんや。


「だいじょうぶです。ベッドはお貸ししますから」


 初めて家に上げる男に寝床を貸し与えることについても、あまりよくないなぁとおもた次第。――が、なんとはなしについてったることにして、途中のコンビニでビールを買ってって、眠気を促進させようっておもた。何かあったらあかん。何もないに決まってるんやけど。



*****


 ヤマダのアパートの一室。慎ましやかな形態が愛らしいまあるいちゃぶ台を前にして、向かい合ってる。右手には缶ビール。つまみにしようとヤマダはピザをとってくれた。四種のチーズのクワトロピザ。どれを食べても酒は進んだ。


 明日は日曜日やさかい、特に作業が入ってへん俺からすれば休日なんやけど――しつこいようやけどヤマダは仕事なわけや。せやさかい、早いとこ寝てもらいたいんやけどな。そうやなくても、夜更かしは美容の敵やろうしな。


「ヤマダさんよ、もう寝ろや。簡単なオペでも二日酔いやとええわけあらへん」

「仕事よりも大切なことがあります。今日がそのチャンスだと考えました」

「なんやねん、やぶからぼうに」


 ヤマダは目ぇ細めて、それから口元も優しいかたちにして。


「好きです、センパイ。愛しています」


 ――めまいがした。



*****


 着信音で目が覚めた。枕元のスマホ取って「はい」と通話に応じた。まだまだ目ぇ醒めてはいーへんのやけど、それでも昨日帰宅して、シャワー浴びて、それからベッドに入ったことまでは覚えてる。きちっとしてるんや、ずぼらなくせに、俺は、意外と。


 電話の相手はヤマダやった。


 センパイ、作業、終わりましたよ!!

 はずむような色を持った、朗らかな声やった。


「うまくいってんな?」

「それはもう。パーフェクトワークですよ」ヤマダは明るく言う。「もとから、失敗しようがない作業ですもんね」


 昨日まで不安がってたくせに、よう言うわ。


「ところでセンパイ、これから出てきませんか?」

「ん?」

「今、桜木町にいるのですけれど、さびれまくった建物の地下に昼から飲める店を見つけたのです」


 何があってそないなところに行き着いたんや――とは言わない。

 ヤマダはホンマ、とことんのんべえやなぁって思う。

 とはいえ、のんべえは嫌いやないんや。

 気持ちのええ連中が多いさかいな。


 遠いわけでもないさかい、出向いてやることにした。

 奢ってやろうくらいには考えた。

 俺ってなんて優しいんやろう――わら。



*****


 立ち飲みの店やった。えっらい狭くて、せやけど寿司なんかも出してくれて、素人目にも新鮮やってわかったから、ご機嫌になった。たまたま見つけただけに違いないのに、ヤマダはラッキーやな、って。ヤマダにはそないなところがある。何やるにしてもどことなくツイてるんやな、俺は。


 ヤマダは今日もハイボールを飲みながら、それからチープなハムカツをもぐもぐ頬張って――。何かを食べるたびにニコニコ笑う点についてはつくづく可愛らしいなって思える。


「センパイ、聞いてください」

「おう。言うてみろや」

「昨日、一晩、考えたんです。やっぱりセンパイのことが好きだとの結論に至りました」

「なんでや?」

「好きになった理由ですか?」

「ああ。俺はええとこなんて一つもない男やさかいな」

「卑下される理由がわかりません」


 俺は阿保なんや。

 そんなふうに、俺は前置きしてやな――。


「阿保、ですか? 具体的にはどういう理由で、ですか?」

「一生を誓い合ったコに死なれた。って言うても、お互いにたかが六つ程度の時分のことやけどな」

「そうなんですか……」深刻そうな顔もできるらしい。「でも、年は関係ないと思いますよ?」

「じつは俺もそないなふうにおもてる」俺は笑った。「死なれたっていうのは――」

「ええ、どういうことなんですか?」

「交通事故や。俺は避けて間一髪。せやけどアイツは運動音痴やったさかいなぁ……」


 それ、センパイは何も悪いことないじゃないですか。

 そないなふうに、ヤマダは言うて――。


「まあそうなんやけど、それでも全身ぐちゃぐちゃになってしもたの見たら罪悪感、覚えずにはいられへんかったよ」


 一拍の間ののち、ヤマダは「つらいですね……」と小さな声で言った。


「ああ、はいはいはい、重い話はもうやめやめ」


 雰囲気を入れ替えるべく、俺は意識して明るい声を出したんや。


「あの、センパイ、申し訳ないですけれど、お伺いしたいです」

「ああ、なんや?」

「要するに、その女のコのことが忘れられないから、もう恋なんてできないってことですよね?」

「ちょい違うな。忘れらへんいうのはちょいちゃう。裏切られへんってことやよ」

「だったら、だったらセンパイは、もう一生、恋はしないってことですか?」

「うん、そのとおりや」

「それって悲しすぎます。恋をしないニンゲンなんて嘘です」


 真顔のヤマダに「そうかねぇ」とぽかんと言って、焼酎のお湯割りをすする。

 ホンマ、安っぽさがなんとも言えず、胸の奥にまで染み渡る。


「私は、嫌です」

「何が嫌なんや?」

「ですから、センパイがもう恋をしないなんて、嫌です。だってそんなふうだったら、私にはもう芽がないってことではありませんか」

「気持ちはありがたいんやけど、せやから、俺はもう、な」


 ヤマダは「残念です」と言い、俺は「かんにんな」と苦笑を浮かべた。

 そんなやりとりがあって――。


「ストリップでも観ていきましょうか。近所に老舗があるのですよ」

「なんやねんな、これまたいきなりやな」

「むしゃくしゃしています」

「俺のせいか?」

「そのとおりに決まってます」


 じっと見つめてくる、ヤマダ。

 せやけど俺は無反応、相変わらず、お湯割りはうまい。



*****


 その日、ヤマダは予定時間を過ぎても作業から帰社せーへんかった。ヤマダは課にあってもマスコットみたいなキャラクターやから、そのうち、みんなが心配しだした。チームワークがええんや、ウチっていう集まりは。


 同い年のヨシナガがノートPCのキーボードを叩きながら、「おいノムラ、ヤマダちゃんに連絡しろ。俺、いい加減、心配になってきた」と訴えてきた。「たった一時間過ぎてるだけやないか」と返した。「一時間も過ぎてるんだよ。なんだかんだ言ってもヤマダちゃん、作業は滞りなく終えるだろ」、「作業にイレギュラーはつきもんや」、「いいから電話しろ」、「おまえがすりゃええ」、「俺にそんな根性はない」――ったく、中途半端な男やなぁ。


「ホンマ、ヤマダはミスるような奴ちゃうぞ」

「実績がそうだってだけだろうが。そもそも、オペレーション自体は他部署の新人がやるんだろ?」

「そうやけど、手順書通りやるだけやぞ?」

「でも、ミスりかねないだろ? 何せペーペーなんだからよ」


 おっしゃることはごもっとも。新人なんてほとんどが役立たずや。きっとサーバールームにいるに違いない奴さんに通じるとは思えへんかったんやけど、電話した。コールは届いて、電話口に出たヤマダの奴の口振りは緊張感に満ちていた。近くに客がいるのかもしれない。きっとそうなんやろうな、って。


「なんや、アクシデントか?」と答えやすいことを問うた。

「はい」とだけ返ってきた。

「行ったほうがええか?」

「だいじょうぶです。これからミーティングですから、切りますね」

「わこた、がんばれや」


 その後も、課のメンバーはみんな帰ろうとはせーへんで、ヤマダの帰りを待った。ヤマダは帰ってこーへんかった。課長が先方に呼ばれた。夜も遅いってのにや。上長が召喚されたということは、なんや、ようないことが起きてしもたんやろう。こういうケースは珍しく、せやさかい、俺はらしくもなく、非常に悪い意味でドキドキドキドキしてしもた。嫌な予感しかせーへんかったんや。



*****


 作業をミスった若造が、その原因と改善策を報告する先方でのミーティングにおいて、居眠りまでかましたらしい――という情報はその日のうちに得られた。とちったことについて説明したのはやっぱヤマダや。その最中にうとうとしてしもたらしい。当然とまでは言わへんものの顧客はキレちらかして、灰皿まで投げつけたらしい。そんなこんなで「上を呼んでこい!!」ということになってしもたらしい。これは後日聞いた話やけど、課長は土下座までさせられて、しかも後頭部を足でもって踏みつけられたらしい。今の時代、カスハラもええとこや。せやけど実際の現場ではそないなことはままあって、金を払ってもろてるもんやから、どないなことがあったとしても、我慢して我慢して、円滑に案件を進められたほうがええってもんや。サラリーマンの辛いところやけど、今回はハナからケツまでウチが悪い。言い訳なんてできやせん。裁判沙汰にならんかっただけでも御の字や。



*****


 ヤマダは災難続きや。某大学のインフラ整備――機器のリプレイスがスケジュール通りに進んでへんことが、メチャクチャつらそうやった。ウチの本分やないのにプロマネまでやらざるを得ず、かなりキツそうに映った。俺はヤマダが相談してくるのを待った。「困ってます」と一つ泣き言を寄越してくれたらいくらでも手伝ってやるつもりやった。せやけど、なあんもなかった。ついには「一人で抱えるのはようないぞ」と申し出てやったんやが、返事はなかった。俺が嫌われたんやないやろう。とにかく余裕がなさそうに見えた。がんばりやさんなんはわかる。悔しいさかい助けを求めへんのも。ヤマダの意欲と我慢強さには最敬礼――ホンマ、偉いぞ、ヤマダ。せやからこそ、助けてやりたいんやけどな。



*****


 ある日、ヤマダが「話したいことがある」と俺のことを飲みに誘ってきたんや。社の近所のチェーン店の居酒屋に入って、ビールが焼酎に変わった段になると俯いて、弱々しい声で、「やめようと思うんです」なんて言うた。何を「辞めたい」のか、見当がついた。そうなんか、ヤマダ。おまえは根負けしてしもたんか。


「途中で放り出すのは本意ではないのですけれど、だけどもう、どうしようもなくなってしまって……」


 そない言いだすくらいやったら、一言、「助けろや、阿保」って述べればええ。あちこちに気ぃつこてかたくなにそれを嫌うから、思い詰めてまうんや。確かにウチの課はメチャクチャ忙しくて、みながみな、キャパオーバーくらいの仕事を請け負ってるし、背負ってる。暇がないのは事実や。始終、気が立っているメンバーもおるさかい、空気ばっか変に読める弱気な課長は「ヤマダさんのこと、フォローしてあげてくれる?」とも気軽に言えない。ヤマダにとっては二重苦、三重苦やっちゅうわけや。


「なあ、ヤマダ」

「なんですか?」

「そないなこと言われてまうと、俺は悲しいぞ。おまえがおらへんくなったら、俺は寂しいぞ」

「えっ」

「今、俺の中でプライオリティが変わった。おまえのこと最優先で面倒見たる。せやさかい、辞めるなんて言うな」

「で、でもっ、でも……」ヤマダは言いにくそうにすると、また顔を俯けて――。「悲しいとか寂しいとかおっしゃいますけれど、センパイは私のこと……」


 それとこれとは話が別や。

 俺はそう言い切った。


「とにかく俺は、しょうもない理由でおまえがおらんくなってまうんや嫌や。お断りや」


 顔を上げたヤマダである。

 アルコールが桃色に染めた頬を、涙が伝った。


「事情を話したら、父は帰ってこい、って。結婚もこっちですればいい、って……」

「ああ」

「でも、それをやっちゃったら、負けを認めるのと同じだな、って……」

「ああ」

「助けてください、ノムラセンパイ……っ」

「ああ。任せとけや。なぁんも心配すんな」


 俺は俺で社会人や。

 後輩一人救えへんでなんとする?



*****


 当該案件、俺はとっとと片づけた。言ってしもたら悪いんやが、ヤマダは顧客の信用をすっかり失ってしもてたさかい、俺やなくても、別のニンゲンが関われば空気はいっぺんに変わったんや。ウチの課長の頭踏みつけてくれた先方の担当者もスケジュール通りにことを進めるだけでずいぶんと喜んでくれた。計画に則って計画通りに終えることは当たり前なんやけど、それが叶うと、誰もが喜んでみんながハッピーなんや。向こうさんの担当者には打上げと称して飲みに誘われた。じつのところぶん殴ってやりたいくらいの理不尽さも押しつけられてたさかい容赦なく、社会人らしくもなく断った。こっちがへた打ったんは事実やとしても、無理難題をふっかけてきた部分もあったんや。ヤマダのこともさんざんイジメてくれたことやろう。せやさかい、腹立ってた。俺はホンマに、腹が立ってた。



*****


 日課みたいにして、今夜も居酒屋でヤマダと向き合ってる。ヤマダはにこにこしてる。どうあれ壁を乗り越えたことが嬉しいんやろう。会社を辞めへんで済んだことが喜ばしいんやろう。それでええ。俺かて、ヤマダが機嫌ようしてくれてるのを見るんは楽しい。


「センパイ、助けてくださって、ほんとうにありがとうございました。これで、遠慮なく言えます。私、ますますセンパイのことを好きになっちゃいました」

「何度も言わすな。それとこれとは話が別や」俺はウイスキーの水割りをすすった。「おまけに、言うたやろ? 誰かを好きになるなんてことは、もうないんや、って」

「果たして、それは亡くなってしまった女のコが、ほんとうに望んでいることなのでしょうか?」

「あん?」

「私がその女のコなら、大好きなヒトには幸せになってほしいって、絶対に考えます」


 肩をすくめるくらい、ある意味呆れた俺。


「何かの折にはつらい思いするだけなんやさかい、もう恋なんて、したくない」

「そんなの嘘です、臆病者」

「おぉ、いきなり言うてくれるやんけ」


 俺はあまりうまくなさそうなマグロの赤身を口に運んだ。

 実際、あまりうまくなかった。


「恋の先には幸せが待っています。絶対です」

「せやさかい、もう恋はええ。飽き飽きなんや」

「飽き飽きだっていうほどしてないくせに、ですか?」


 もはや雑談にもなりそうにないさかい、万札置いて席立った。


「センパイ、私から逃げるのですか?」

「なんとでもほざけや」


 ――店を出て、ややあったところで、後ろから抱きつかれた。

 オフィスの近所や、誰が見ているともかぎらへんねんからやめてもらいたいんやけど。


「恋をしたくないヒトなんて、世の中にはいません」

「おるんやよ、ここに」


 俺はヤマダの拘束から逃れると、トレンチコートの襟を正した。


 ああ、そうや。

 春先やいうのに冷えるんや、今夜は――。



*****


 翌日の日中、仕事中に、課長が顔を真っ青にしてやってきた。


 なんでも、データセンターでの作業中、ヤマダの奴が倒れたのだという。


 それを耳にした課のみんなも、当然、青い顔になった。



*****


 品川の病院に駆けつけた。同僚に「おまえが行ってこい」と言われずとも真っ先に訪れるつもりやった。愛とか恋とか、そんなもんはどうやかてええ。俺はただひたすらに、ヤマダのことが心配やったちゅうだけや。


 通された病室のベッドで、ヤマダの奴はすやすや寝こけてた。べつに顔色が悪いってこともなくて、医者も「軽い貧血ですよ」と教えてくれたから、ほっと一安心。俺はヤマダの頭をがしがし撫でてやってから、パイプ椅子に腰掛けたんや。


 声を聞くまでいつまでも待つつもりやったんやけど、五分もせんうちにヤマダは現世に復帰した。


「あれれ? センパイではありませんか」

「ヤマダ、おまえ、倒れたらしいぞ。覚えてるか?」

「作業が長引いちゃったんです。それで、急に立ち上がっちゃったせいかなぁ……」

「まあ、なんともなさそうでサイコーや」あらためて、頭を撫でてやった。「ちゅうかさ、おまえ、最近、がんばりすぎちゃうか?」

「がんばらないと、先輩のみなさまに追いつけないではありませんか」

「追いつかへんでええ。ウチの連中は特殊なんや。妙に仕事ができすぎる。わかってるやろ?」


 ヤマダは口元までを掛布団で隠すと、悲しげに眉を寄せた。


「でも、憧れの部署です。憧れの諸先輩方なのです」

「そう思うのは、勝手やわな」


 俺は微笑んでやって、立ち上がった。「ほなな」とだけ告げ、立ち去ろうとした。「待ってください」と言われた。幾分、おっきな声やった。


「私も帰ります。準備しますから、待っててください」

「もうちょいゆっくりしていけや」

「だったら、一緒にいてください。それとも、誰かと約束があったりするのですか?」

「ああ、美人さんとな」

「えっ」

「冗談や」


 ヤマダは顎を引き、怒ったような顔を向けてきた。


「お酒が飲みたいのです」


 タフな女子やなぁ、ったく。



*****


 病み上がりの女に酒を飲ませるなんてとんでもない話で、せやから俺はヤマダのことをきっちり家まで送った。途中、ふらついてなんかみせるもんやから、おぶってやったりもした。ヤマダは俺の耳元で、「愛しています愛しています愛しています」と呪詛のように好意の旨を連呼した。それは錯覚やろうとの認識が、俺にはあった。ヤマダは勘違いしてるだけなんや。そうに決まってる。


 自宅に着いてもヤマダはふーらふら。仕方なくパジャマに着替えるのを手伝ってやって、ベッドに横になってもろた。ヤマダはふぅふぅふぅと少し苦しそうにする。でこに触ってみると、今度は熱が出てきたみたいやった。せやけど、安心したみたいな顔してる。信頼できるニンゲンがそばにいる――やからやろうか。


「センパイ、私、やっぱり会社を辞めようと思います。一生懸命、センパイの奥様をやりたいからです」


 まったく、またまたなんやねんないきなり。


「ダメ、ですか……?」


 心配そうな目を向けてくるヤマダに、俺は「ダメや」と告げた。


「私のことを好きになれないからですか?」

「さあな。俺にもようわからへん。せやけど、おまえと一緒になるんは、なんや、違うよ」


 ヤマダが顔をくしゃくしゃにして、「うえぇ、うえぇ」と泣きだした。


「なあヤマダ、教えたるわ。俺な? 実家に帰んねん」

「えっ」


 俺はなるべく優しくわろた。


「いろんなアプライアンス扱ってる老舗っちゃ老舗や。俺は次期社長っちゅうわけや」

「実家というのは?」

「大阪や」

「いつ、移られるのですか?」

「来週の日曜日」


 驚いたように、ヤマダは目を大きくした。「そんな急に?」と問いかけてくるのも、まあ、無理はない。


「引継は……センパイのことですから、もうとっくに目処はついているのでしょうね」

「そういうこっちゃ」俺は帰路につくべく、「ほなな」と言って、身を翻した。

「ほんとうに、ダメなのですか……?」


 弱々しげな声を聞いて、つい振り返ってしもた。


「生涯、お一人でいらっしゃるのですか?」

「そうやって言うたやろ?」

「……ぶぅ」口を尖らせた、ヤマダ。


 東京暮らしは楽しかった。

 俺は微笑むと、「地元に帰って、しばらく経ったら、また恋しくなるんやろうな」と続けた。


「私も東京が好きです、大好きです。田舎から出てきたときは、この大都会に自分の住む場所ができたなんて信じられませんでした」

「俺もそうや。今でも思う。東京は特別やってな」

「でも、お別れなのですね……?」

「かんにんやで、ヤマダ」


 なんとなくやけど、謝ってしもた。

 そんなつもり、ミリ単位でもなかったのに。



*****


 いつ、どの新幹線を使うのか、それすら誰にも伝えてへんかったさかい、だぁれの見送りもない。それでよかった。今生の別れってわけやないし、なにより湿っぽくなんのはごめんや。崎陽軒のシウマイ弁当をこうた。向こうに帰ったら蓬莱あるし、たぶん、「こいつ」ともしばらくはお別れになるやろう。東京ばななもこうた。地元に戻ること自体が数年ぶりやさかい、土産なんてなんでもええんや。顔見せるだけで、特におかんは嬉しがるやろう。家業継ぐって言うた時点で、親父はもう喜んでる。


 流線型のフォルムが美しい列車がホームに滑り込んできた。バイバイ、東京。また会おうな。俺はおまえんこと大好きやさかい、俺は不義理なニンゲンやけど、俺んこと、忘れてくれんなよな。


「ノムラせんぱーいっ!!」


 元気いっぱいの、知った声が響き渡った。そちらを向きつつ、足を止める。ブルーのデニムパンツにクリーム色のパーカー。背がちっこくて丸顔が可愛らしい「アレ」は、間違いなくヤマダや。まったく、今日も愛想のないダサい恰好やなぁって思う。化粧もろくにしてへんみたいやし。ま、普段着のヤマダになんてほとんどお目にかかったことないんやけど。


 いかにも一生懸命といった勢いで、ヤマダは走ってきた。俺の目の前まで来ると両膝にそれぞれ手ぇついて、はぁはぁ息をしやる。


「なんで俺が乗る新幹線、わかったんや?」

「わかるはずないじゃないですか。もっと早く来るつもりでした。今日は始終、張っているつもりだったのですよ」

「なんや、あったんか?」

「カレシと別れ話です」

「は?」びっくりした。「おまえ、恋人おったんか?」


 言いませんでしたっけ?

 そんなふうに言うと、ヤマダは胸を張ってみせた。


「好色すぎる点が気に入らなかったのですけれど、いよいよお別れを言ってやるとえらくしつこくされました。それもこれも、ほら、私がナイスバディだからですよね」

「いや、おまえ、胸ないやんけ。尻も寂しいし」

「うっわ、セクハラですよ、それ」

「置き土産や」

「意味がわかりません。不可解ですし、不愉快です」


 なんやかんや言うても見送りに来てもろたんには間違いないさかい、ただで帰すのも悪いなぁっておもて、手に提げてたシウマイ弁当を渡すことにした。「そんな物、要らないです」とそんな物扱いされたシウマイ弁当の立場とは――?


「行かないでください、センパイ」


 またそれか――と思う。


「行っちゃダメです。そんなのイヤです」


 いよいよぽろぽろ泣きだしてしまった。


「私を一人にするおつもりですか?」


 どうやら恋人とはほんとうに切れたらしいと知る。


「大阪で会うようなことがあれば、うまいもん奢ったるわ」

「イヤです、そんなの要りません」

「駄々ぁこねるなや」


 頭を撫でてやると、「私じゃダメなんですか?」と訊いてきた。「まあ、ダメだって言われてもついていきますけれど!!」と大きな声で続けた。


「亡くなられてしまった永遠の恋人さんのこと、忘れてほしいなんて言いません」

「せやったら、おまえは何を伝えたいんや?」


 発車メロディが鳴る。


 たまりかねたように、勢いよく、タックルするみたいにして、ヤマダは抱きついてきた。


「逃がしません、センパイ、逃がしません。いてください。私のそばにいてください」

「イヤや。俺はあるべき立場に帰るんや」


 叱りつけるみたいに「離れろ」と言うと、聞いてもらえた。意外とあっさり拘束、解いてくれた。乗車したところで振り返る。不機嫌そうにぶぅとほっぺた膨らましたてたけど、あんまり悲しそうには見えへんかった。


 座席に座って早速口にしたシウマイ弁当は、残念、思ったよりうまくあらへんかった。俺の舌が狂ってるんかもしれへんけど、なんや罪深いなぁ、崎陽軒――。



*****


 大学まで大阪に住んでたこともあって、土地勘みたなもんはすぐに戻った。これまでは技術屋やったわけやけど、新天地では営業職に就いた。やってみたかったからや。エンジニア連れて商品の売り込みに奔走するんはそれなりに楽しかった。「アイツはボンボンなだけの無能や」なんて言われたくないさかい、結構がんばりもした。二週間も経てば上司に「口うるさい部下」やって認定された。飲み会で本人からそない聞かされた。名誉や。つまらんリーマンにだけはなりたくないさかいな。



*****


 大阪に戻ってから一か月くらいが経った。今日の予定はデスクワークを終わらせてから、二件、定例会に出る――。比較的、暇な日や。同僚でも誘って飲みに行こかぁって考えるんやけど、同年代の連中は揃って既婚者。後輩連れてっても気ぃ遣わせるだけやし、せやったら家帰って一人で晩酌やなぁ……。


 内線があった、受付の番号や。

 予定にない顧客の訪問もないことはない。


「どなたですか?」って訊いた。

『それが、会えばわかるとおっしゃって……』と返してきた。


 眉くらいは寄ったんや。


『あの、お断りしましょうか?』と受付のおねえさんは声を忍ばせた。

「いや、手ぇ空いてますさかい」

『わかりました。四階の第三会議室をおとりしますね』

「よろしくお願いします」



*****


 ちっこい背丈に丸顔。

 髪は少し短くなってて、線も少々細くなってて。

 地味なグレーのパンツスーツをまとった女性は、綺麗なお辞儀をしやった。

 身体を縦にすると、にこっと笑った。

 間違いなく、ヤマダやった。


 唖然となった。

 会社の名はおろか、電番すら教えてへん。

 心機一転とまでは言わへんまでも、とにかくケータイは換えたんや。


「なんでここがわかったんだという顔ですね」ヤマダは「うふふ」と悪戯っぽく笑って。「というか、センパイはひどいのです。男衆には教えたくせに、私には教えてくださらないなんて」


 連絡先のことについては、違いない。ヨシナガをはじめ、男どもには教えた。ヤマダに伝えなかったのは……そのへん、まあ、いろいろ思うところがあってやな。


 さまざま考えを巡らせるのが面倒になったもんやから、俺は「まあ、座れや」と伝えた。すると、「座りません」と返ってきた。ヤマダはすたすた歩くと俺の目の前に立って、見上げてきた。


「会社、辞めてきました。今日から大阪に住みます」

「はぁ?」

「引継を終わらせるのに一か月かかってしまいました。それは、私の不徳の致すところなのです」

「いや、一月(ひとつき)で終わらせたんやったら見事なもんや。せやけど、それとこれとは話が別やぞ」

「話が別、別、別、別。センパイはそればっかりですね」浮かべたのは苦笑に見えた。「キスしてください。そしたら大人しく東京に帰るかもしれません」

「そうは見えへんな」

「それで正解です。もう決めたんです。私は先輩のお嫁さんになる、って。これ、何度も言ってますよね?」


 俺はヤマダのでこに手をやって、彼女のことを押し返したった。ヤマダはめげへんかった。「ここで抱いてくださってもよいのですよ?」と笑う。


「あいにくと俺は童貞や。やり方なんてわからへん」

「そうです、そうなんです。センパイはチェリーなのですよ。だからこそ、嬉しいな、って」

「おまえはヴァージンちゃうんやろ?」

「それはまあ、そうですけれど」

「何回も言わせんな。俺の恋はガキん頃で終わったんや」


 いやいやをするように、ヤマダは首を横に振った。

 あらためて俺んこと、見上げてくる。


「センパイは誠実だから線引きをされるのだと思います。義理立てされるのだと思います。だけどそれって、恋をしちゃいけない理由にはならないと思います」


 思いますの三連発。

 積極的に考えを述べるのは結構なんやけど――。


 ――と、そのとき、ヤマダが後ろにふらりと倒れそうになった。慌てて背に左手を回して支えたった。「おぉ、なんだかいきなりクライマックスです」とヤマダはわろた。


「貧血は持病なんか?」

「はい。忌むべき病です。でも、こうやってセンパイに触れていただけたから――」


 ヤマダのことをしっかり立たせてから、俺は席についた。ヤマダは部屋の鍵をしめた、がちゃり。それからジャケットを脱ぎながら戻ってきた。俺の両膝を挟み込むようにしてまたがって、目の前で「えへへ」と笑った。


「ここまで積極的になれる自分について、私は驚いているのです」


 ヤマダのことが、とても眩しく感じられて――。


「俺は、もう恋なんてせーへんって――」

「センパイ、泣いてますよ?」

「えっ」


 ゆっくりと左の頬に手をやった。

 確かに、俺は今、涙、流してた。


「子どもだった折のことかもしれません。だけどセンパイは誠実で立派だから、それを忘れられないでいる……。そんなヒトのことを好きにならないなんてことも、また嘘なんです」

「女なんて要らへん。アイツ以外の女なんて」

「だったら、どうして泣くんですか?」

「そんなん、わかるか。わかってたまるか」

「抱き締めあったら、何かが変わるはずです」

「冗談言うな」

「私は本気です。私は今日からセンパイの家に住むんです」


 その気になったわけやない。せやけど、メッチャ悲しいいっぽうで、メチャクチャムラムラして。教えてもらいながら、試行錯誤しながら、身体を重ねた。白いプラスティック製のテーブルの上で、声が漏れへんように、ヤマダはずっと口を両手で塞いでた。



*****


 忙しない時間は忙しなく過ぎて、大阪での暮らしも五年目を迎えた。俺には今、ガキがおって、その母親は容赦なくヤマダや。「二人目が欲しいです。一姫二太郎なのです」とか、ヤマダは言う。最近、尻に敷かれっぱなしやさかい、ひょっとしたらまた子作りに励むんかもしれへん。それはそれでええと思う。なんやようわからんけど俺は今、幸せや。その幸せを教えてくれたんは何を隠そうヤマダや。ちっちゃくて丸顔でお世辞にも美人とは言えへんけれど、俺からすれば可愛い可愛い自慢の嫁や。そないなふうに思わせてくれるヤマダには感謝の念がたえへん。ガキの頃に恋した幼馴染のことは忘れられるはずもないし――それでも俺はまあ生きてる。今かて明らかにヤマダに恋してる。絵に描いたような綺麗すぎる関係性。せやけどそれが心地良くて、ヤマダもそないなふうにおもてくれてるらしいから、お人好しの俺はそれだけで満足してる。


「センパイ、センパイ」ヤマダはまだまだ俺のことをそないなふうに呼ぶ。


 朝食の場や。ダイニングテーブルを挟んで向き合ってて、ヤマダの左隣の椅子には四歳になったばかりの長女がおるんやわ。


「次の週末にはディズニーランドに行くのです。このコ、ミッキーにご執心なのです」


 面倒やなぁ。

 俺は率直にそう応えた。


「それよりや、ヤマダ」

「はい、なんでしょうか?」

「俺の初恋の相手の墓参りに行かへんか?」

「おぉ、ついに誘ってくださいましたね」

「イヤか?」

「いいえ。ご挨拶したいです」


 おおきにな――と、素直に礼を言った。

 鼻の奥がツンとなって、鼻ぁすすった。


「センパイ、すっかり涙もろくなっちゃいましたね」とヤマダは苦笑のような表情を浮かべる。

「パパは泣き虫泣き虫」と我が子は遠慮なく笑った。


 紙巻の煙草を吸いに、ベランダに出た。

 幼くして死んだ幼馴染の笑顔を視線の先――青空に思い描く。


 まだ長い煙草をカンカンの灰皿に押しつけて部屋に戻った。ヤマダの奴が娘に着替えさせてた。保育園に行くんや。ホンマ、ガキを授かった自分が、いまだに信じられへんでいる――いるんやけど、ガキありきの生活も、そない悪いもんやないなって思ってる。自分の血が混じった存在。愛しくないわけがない。


 ヤマダとガキの奴を挟んで、それぞれ手を繋いで登園、道中、歩いたる。


「センパイ、人生、楽しんでますかぁ?」


 以前なら罪悪感もあって、「それなりに、な」としか答えられへんかったかもしれへん。せやけど今は確かに幸せで、せやさかい、ヤマダにはメッチャ感謝してるって言える。俺のガキを生んでくれたことも、かなり嬉しく思ってる。ホンマ、嬉しく思ってる。


 ホンマ、恋って悪いもんやない。

 俺は死ぬまでヤマダと一緒にいるつもりや。

 幼馴染の「奴さん」には、まあ、天国で平謝りするしかないないんやけど。


 娘がねだってきたさかい、肩車したった。

 娘は「きゃはは」と笑い、ヤマダは「ずるーい」と口を尖らせた。


 平々凡々とした生活やからこそ、簡単に宝石を見つけらる。

 せやさかい平凡な毎日は、そうそう悪いもんやない。


 ――なんてな。


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(((((((((((っ・ω・)っ ブーン やまだと呼ばれてやって参りました。XIさんの安定のお仕事もの。確かな筆力と流れるような関西弁に、安心して読めます。 ヤマダが幸せになってよかった!
すごくすごく、心に沁みました。 喪った大切なひとのことは忘れられない、忘れられるはずがない。 それでも、その真摯な愛情で前を向かせてくれたヤマダちゃんの行動力……! 恋する女の子は無敵ですね。 ノムラ…
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