4 無能の矜持
時は少し遡る。
フレデリック国王とクライドは各地からの支援要請や復興要請などに追われ、頭を悩ませていた。
そんな折、サブリナの消息が舞い込み、国王は彼女を宮廷に呼び寄せた。
サブリナはオドオドと落ち着きがなく、怯えていた。フレデリック国王が現れると恐れ多いとばかりに平伏する。
そんな彼女の様子に、クライドは不信を抱いていた。
──本当にこの娘がアニエスの弟子なのか?
噂に聞いていたアニエス──偉大なる魔術師にして大罪人。自ら編み出した魔術はすでに魔術師の間では一般的に使用されるほど知れ渡っているが、宮廷魔術師時代には前国王をそそのかし、闇の道に走らせたとされる。冷血で、一度怒らせると始末に負えないほどの癇癪持ちの傲慢な魔術師なのだと。そんな弟子もさぞ闇に満ちた魔術師に違いないと。
それなのに、ある意味期待を裏切られた気分だった。
『サブリナ、おもてを上げよ。そなたはアニエスを師とし、アニエスの魔術を修めた者である。他アニエス一門は存在するだけで我が国の賊とみなされる。そなたも例外ではないだろう』
フレデリック国王は玉座で厳かに言う。
『だが、私はそなたのことを昔から知っている。また、これ以上、不毛に命を摘み取りたくはない。とくにこの王都は魔術師が足りず、このクライド・ギルバートも遠い地より呼び寄せた者だ』
名を呼ばれ、クライドは一歩前へ進み出た。それでもサブリナは小さくうずくまったままだ。
『サブリナ、何か申すことはないのか』
国王は極めて優しげに語りかけたが、サブリナは一層肩をビクつかせるばかりで話にならない。クライドが口を開こうとしたが、国王が手で制し、サブリナの目の前まで行くとしゃがんだ。
『今日、そなたを呼び寄せたのは他でもない。アニエスの罪を償う機会を与えたいのだ』
すると、ようやくサブリナは静かに顔を上げた。潤んだ琥珀色の瞳が国王を捉える。
『アニエスが行ったことは許されることではない。その悪名はいつまでも国や諸外国に残るだろう。罪を被れとまでは言わぬ。もっとも、そなたが死ぬ時を迎えても師の罪は償いきれぬだろう』
サブリナは口をぽかんとあけた。何か言おうとするも声が出てこないらしく諦める。国王は構わず続けた。
『アニエスによる国の崩壊は食い止められたが、あくまで食い止めただけだ。現状、各地は今でも闇の残響に苦しんでいる。それを、そなたの力で救ってはくれぬだろうか』
すると、サブリナは『あ……』とやっとの思いで声を発した。
『わ、私は……無能です。しかし、それでも師匠の罪を少しでも償うことができるのなら、私は喜んでそのお役目をお受けいたします』
クライドはハッとした。彼女の瞳はそれまで震えていた仔鹿のようではなく、しっかりとした芯の強い光を放っていた。
魔竜の巣穴に大きな岩が落ち、漏れ出ていた瘴気が塞がれた。
その光景を上空から目にしたクライドは呆気に取られる。
──こんなこと、魔力もなしにどうやって……。
圧倒されていると、巣穴の近くで黄昏色のローブがランタンを持って歩いてくるのが見えた。
「まずい……サブリナが帰ってくる」
何事もなく無傷の様子で悠々と狩猟小屋まで向かおうとしている。
クライドはそのまま飛んでいき、小屋の近くで着地した。
やがて森の向こう側からランタンの明かりが近づいてくるのを見計らい、声をかける。
「サブリナ!」
「あ、ギルさん!? どうしたんですか? 眠っていたはずなのに」
「どうしたもこうしたもない! こんな真夜中に一人で出歩くなんて無茶を……そもそも、なんだあの大きな音は? 一体何をしたんだ?」
「ありゃ……起こしちゃいましたか。そうですか、ここまで音が響きましたか」
訝るサブリナにクライドは「近くで見ていたからな」と言いかけてやめた。
「かなり大きな音がしたからな。まったく、魔獣が活発になる時間に興奮させるようなことをするな。もし君に何かあったら──」
国王に殺されるかもしれない──そんなことも言えるはずがなく、口をつぐむ。
するとサブリナはクスクスと笑いだした。
「何がおかしい!?」
「いえ、お気遣いありがとうございます。そうですね、ギルさんには私が無能だってことバレてますし、心配させちゃいますよね。失敬」
そう言いつつ肩を震わせて笑うばかりなので、クライドは怒る気力を無くした。
「怪我はないか? 瘴気の濃い場所へ行ったんだろう? 吸い込んでしまったら毒で体がやられるぞ」
そう言いながら彼女の腕を曲げ伸ばしたり、足の様子や頬をつかんで傷がないか確かめるも、とくに異常はない。
「ご心配には及びません! 私、生まれつきなぜか魔力を弾く体質みたいで効かないのです。怪我もしてませんから!」
頭皮をさすっているとサブリナが嫌そうに顔をしかめる。それでも信じられないので不審感たっぷりに目を細めた。
「魔力を弾く、ねぇ……そんな能力、聞いたことがないけど」
「本当ですってば! まったくもう、ギルさんはお母さんみたいで嫌ですね!」
「お、お母さんって……」
「あぁ、すみません。男性に向かってそのような言葉は失礼でしたね。でも、お母さんみたいですよ」
鬱陶しそうに言うサブリナだが、口が笑っているので冗談のつもりなのだろう。今度はクライドが顔をしかめた。
「ともかく、これにて一件落着です! 瘴気も塞がりましたし、あとは宮廷の予算がある時か魔術師が育った時にでも瘴気の除去をお願いしたいところですね。あの岩、五十年ほどしか保たないでしょうから」
「なるほど……今回は応急処置ということか」
「そういうことです。私は無能ですから、魔力で瘴気を除去することができません。けれど今、生きている方々を救うためなら私にもできることはあります」
サブリナは両手を大空に向けて伸びをした。
彼女が掲げる拳の向こうには、それまで分厚い雲に覆われていた満天の星が顔を出している。黄昏色のローブの下部には星座を模した刺繍が散りばめられており、星空に溶け込んでも遜色ない。
「──サブリナ、つかぬことを聞くが、どうやって瘴気を塞いだんだ?」
気になって訊くと、彼女は目を瞬かせながらクライドを見やった。
「あら、まだわからないんですか?」
「……悔しいことに、まったく」
渋々ながら敗北を認めると、サブリナは小さく微笑んだ。
「簡単です。山の頂にあった岩を転がして穴を塞いだんですよ」
「岩を転がしてって……嘘だな。そんなこと、君一人にできるもんか」
「できますよ! こんな細い腕の小娘一人でも、簡単に岩を転がす技があるのです」
自信たっぷりに言うサブリナだが、やはり信じられない。
「そんなのどうやって……」
「それは──」
サブリナの口が動く。しかし、彼女はキュッと唇を結び、悪戯っぽく笑った。
「ひみつです」
***
どれだけ頼んでも彼女は種明かしをしてくれない。当然、その晩は寝付くことができず、クライドは疲れた顔のまま朝を迎えることとなった。
一方サブリナは元気いっぱいでパンをふたつもたいらげ、スープも残さずしっかり腹におさめる。
「さて、私はもう次の村へ行かなくてはなりません。ギルさんは商売があるでしょうし、ここでお別れですね」
身支度をする彼女に、クライドは困った。
この村での彼女の任務は終わり。つまりクライドの偵察も一旦は終わりということになる。早急に宮廷へ戻り、カゲバス村の支援策を立てなくてはならない。
「そうだな……ここでお別れ、かもな」
願わくは、もう彼女の偵察をしなくていいように。とはいえ、昨夜の出来事が頭から離れずスッキリしない。
そんな心情を読み取ることはないサブリナは弾むように狩猟小屋を出た。
最後に村の人へ挨拶をして旅立つという。クライドもその後をついていき、彼女の仕事ぶりを最後まで見守った。
村の人々はサブリナに感謝し、握手を求める人で溢れる。
「それでは皆さん! お元気で!」
サブリナはたくさんの笑顔に見送られながらカゲバス村から出る。
「それじゃあ、ギルさんもお元気で……」
ウクジの森で顔を見合わせながらサブリナが言う。クライドも何か言おうと口を開きかけたがその時、頭上に大きな影がかかった。
「え?」
サブリナが顔を上げ、同時に大きな風が吹く。クライドは顔を覆って踏ん張った。
「なんだこの風……は」
次に顔を上げるとサブリナがいない。バサバサと大きな羽音がし、顔を上げるとサブリナが大きな怪鳥の足に捕まって宙に浮いていた。
「サブリナ!」
「あぁぁぁぁ〜〜〜〜!」
情けない悲鳴が空へ吸い込まれていった。