1 彼女の消息
サブリナの定期報告が途絶えて一週間が経過した。
宮廷魔術師のクライド・ギルバートは白いローブを翻らせ、フレデリック国王の元へ急ぎ足で廊下を歩く。
絢爛豪華な装飾が施された廊下は毎日欠かさず大勢の使用人たちが床や装飾品を磨き上げている。
田舎育ちのクライドはこの廊下を通る度に宮廷魔術師としての誇りを思い出すが、今回ばかりはそうのんびり闊歩している暇はない。執務室までの長い長い廊下を歩き、大きな扉にぶつかりかける。
上がった息を整えてノックすると「入れ」という声がかかった。
「失礼いたします」
中へ入ると眩い金髪のフレデリック国王は執務机で書き物をしていた。
「どうした?」
うんざりといった様子で首をもたげるフレデリック国王は、ガラス玉のような碧眼の瞳を向ける。
クライドは一礼し、端的に告げた。
「サブリナの報告が途絶えました」
その瞬間、フレデリック国王の顔に力が入る。
「いつからだ?」
「一週間前からです。通常、三日の間隔で連絡がありましたが……」
クライドは焦りを表情に出さないよう務めた。
対し、フレデリック国王は落ち着き払った様子で指を組む。
「なるほど……どこの村が最後だったかな」
「ノーブリッジング村です。それ以降、音沙汰がなく……」
ここ、アルカ王国は賑やかな王都のすぐ隣にのどかな村がある。
ノーブリッジング村は麦畑が広がる地域だったが、前王の統治によって作物が育たない荒地となっていた。それを三年かけて復興し、かつての黄金麦畑を取り戻しつつあるが雨風にはまだ弱い。
つい先日、サブリナからそのような報告を受けたばかりだったが、彼女の尽力で畑の問題は解決に導かれたらしい。
「──クライド」
フレデリック国王が爽やかな声音で呼ぶ。やがて彼は顔を引きつらせて言った。
「どうしよう」
──あ、やっぱり、めちゃくちゃ取り乱してる……。
クライドは頭を抱えそうになったが堪えた。
一方、フレデリック国王の色白な肌がサッと青ざめていく。
「やはり彼女には荷が重すぎた……迷子になってたらどうしよう。もし大鷲にでも攫われてたら? 山賊や魔物もいるだろうし、一人で行かせるのはまずかったんじゃ……!」
「陛下、落ち着いてください」
クライドは慌てて執務机に身を乗り出して言った。
「彼女はあの魔術師アニエスの弟子です。確かに見た目は幼く、十六の娘には思えませんが、受け答えもしっかりしていましたし、何より役目を放棄するような者ではない……はずです」
そう答えつつ、クライドは内心不安を感じている。
しかし、この不安を口にしようものなら、今日一日、国王の情緒が不安定になってしまうことも見据えていた。国王が子供のように上目遣いに見てくる。
「本当に? 本当だろうな?」
「はい!」
宥めるように即答すると、フレデリック国王は背筋を伸ばして立ち上がった。大窓から穏やかな青空を眺める。
「そうか……そなたが言うなら大丈夫かな……すまない、少々取り乱した」
「いえ。それで、いかがいたしますか?」
「そうだな、まずは彼女の消息を探れ。そして様子を見に行くのだ」
「はい……え?」
クライドは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「様子を見に行くのだ」
フレデリック国王は一言一句変えずに背中で告げた。
「他の、使者を送るというのは……?」
「そんな予算がないのはそなたもわかっておろう。人手も足りん。それに、一般公募しても師団が集まらなかった。まったく、前王の悪評は三年経った今でも健在だ。頭が痛くなってくる」
前国王のこととなれば怒りを抑えきれなくなるらしく、フレデリック国王の口調は刺々しい。
クライドは渋い顔つきのまま「そうですね」と小さく言った。
ようやく成人し、戴冠式を済ませたばかりの若き国王には悩みが尽きない。
暴君グレゴール前国王の悪虐極まりない統治により国は滅亡寸前だった。それもこれも宮廷魔術師にして大魔術師であるアニエスが前国王と手を組み、長らく国を支配していたせいである。
クライドは王都よりかなり離れた最果て村の生まれだったので、比較的悪影響を受けず魔術の修行に励んでいた。
そして前国王がアニエスとともに死んだ後、本当に血縁なのかと疑うほど威厳のない若き国王に宮廷魔術師として取り立てられたのだが、その仕事がまさか少女の旅の監察だとは思いもしない。
「あの、つかぬことを伺いますが……陛下とサブリナはどういったご関係なのです?」
「そなたは皆が恐れて口にしないことも平気で口にする無礼者だな」
フレデリック国王はちらっと振り返り、眉根を寄せた。
対し、クライドは肩をすくめてみせる。
「恐れ多いこととは存じますが、私は田舎者の世間知らず。王都近辺の魔術師事情に詳しくないのです」
「そうだった。それを都合が良いと思ったから、そなたを取り立てたのだった」
フレデリック国王はようやく気を緩めたようにクスクス笑った。少年のような笑顔はやはり威厳がない。
そんな彼の姿を見る度、クライドは思う。
──情緒不安定だなぁ……。
もうすぐ三年の付き合いになるが、国王の性格や性質には未だに難があるとしみじみ感じる。
「前国王の統治で国や民は苦しみ、今もなおその爪痕が残る。村々の困りごとを解決するにはどうしたら良いか、その苦肉の策が救世巡礼だ」
フレデリック国王の静かな言葉に、クライドは当時の記憶を思い起こした。
最初は巡礼師団を募ったが、まったく集まらなかったのは王都近辺の魔術師や僧はすべて前国王に処刑されていたからだ。また、アニエスの弟子たちはアニエスの死後に自決した。
あの頃のことを語るフレデリック国王の瞳に憂いが浮かぶ。
「サブリナはアニエスの最後の弟子。しかし、彼女はアニエスが死ぬ前に破門されていた。その理由は知らぬが、彼女のことは私も知っている。昔馴染みというものだ」
「はぁ……」
「誰よりも芯が強く、健気で、人の心がわかる者……魔術師にしては優しすぎるゆえに破門されたのだろうな」
──なるほど。
クライドは嘆息した。
──要するに陛下は彼女を気に入っているわけだ。
つまり、大罪人の縁者であるサブリナを高官らの目に触れさせないためである。
元弟子のサブリナも何らかの処罰をと言い出す輩がいるはずだ。それを任務と称して遠ざけたい、あるいは任務そのものが処罰ということにしたいのだろう。
──昔馴染みを守りたい、みたいな?
「おい、クライド。ニヤニヤするな」
フレデリック国王の鋭い一声に、クライドはすぐさま顔をしかめた。
おそらく自身のこの図太さが国王に気に入られているのかもしれないと、クライドは図太くもそう感じている。
それから冷たくあしらわれ、執務室を追い出されたが、あまり気にすることはなく、むしろ愉快に思うクライドだった。
自室に入り、さっそくサブリナの行方を探るべく国の地図を映した水盆に手をかざした。
光が放たれ、水盆にサブリナの様子が俯瞰的に映し出される。
マロンカラーのロングヘアをすっぽりと黄昏色のローブで覆った少女が森の中を歩いており、何かを探しているようだ。無傷なところを見るに国王の心配は杞憂である。
森には雫型の黄色い実が生っており、それが村の名産品であることが窺い知れた。
「ここは……あぁ、西のカゲバス村。なんだ、まだ近いところにいるじゃないか」
最初からこうすれば良かっただろうか。そう思ったが、やはり逐一報告せねばならない義務がある。速やかに報告して、国王の指示を受ければ効率よく事が運ぶだろう。
クライドはすぐさま旅支度をした。
その時、唐突に控えめなノックがした。
「──クライド」
「えっ、陛下!?」
扉の向こうからフレデリック国王のくぐもった声がし、クライドは慌てて扉へ向かった。しかし、どうもドアノブを抑えられており、扉が開かない。
「そのままでいい。もう一つ、頼まれてくれないか」
「はぁ、なんなりと」
「サブリナの元へ行く際はできるだけ、そなたの素性を明かさぬようにしてほしい」
「はい……え?」
クライドは思わず素っ頓狂な声を上げた。
「いいか、絶対だぞ! できるだけ忍ぶのだ。私の援助だと思われたくない!」
フレデリック国王の奇妙な言葉に、クライドは混乱した。
「いや、陛下……あの……?」
「とにかく頼んだぞ!」
その声とともにドアノブが軽くなり、慌てて扉を開ける。
真紅のマントが早足で執務室へ向かっていた。
***
サブリナの連絡手段は主に鳥である。
鳥の種類はまちまちだが、そのすべての足に短い文がくくりつけられているのだ。古い伝達手段である。
魔術師ならば、念を飛ばすことで自分の居場所を知らせることは可能だが、彼女はどうも古きを重んじるようなのだとクライドは分析していた。
「もしくは、伝達魔術がアニエス由来の術式だから、自主的に禁じているのか?」
今やアニエスが開発した魔術──伝達、解読、破壊などは地方の魔術師の間でも一般的な魔術法として知れ渡っている。
アニエスを忌避する者は頑なに使わないようだが、そのような偏屈な魔術師はごく稀。便利で快適、無駄を嫌う魔術師たちは効率を求めるゆえにアニエス由来の魔術が浸透していた。
クライドは国王の命令どおり、行商人に化けて宮廷の門から一歩外に出た。
そして、地面を叩いて瞬時に消えた。カゲバス村まで転移する。
転移魔術は強力な魔術師でさえも難しく扱いづらい複雑な魔術の一つだ。
カゲバス村の森をイメージし、誰もいない場所へ姿を現すとクライドは一息ついた。
「ふぅ……この辺りでいいだろう。さて、サブリナはどこだ……【魔力検知】」
白い杖を出し、周辺に光を放つ。サブリナの気配を探ろうとするも、なかなか引っかからない。
「……おかしいな」
しかし、何度やったところで同じこと。
「面倒だ」
クライドはげんなりとし、杖を消して森の中を歩いた。
同じような景色がしばらく続く。そこかしこの樹木に雫型の黄色い実、〝ウクジ〟が生っていた。
「へぇぇ、野生のものは初めて見るな」
形は若干悪いが、水分が豊富で喉の渇きを潤すには最適の果実。一つもぎ取って実を割ろうとしたその時。
「ダメぇぇぇぇーっ!」
背後から少女の甲高く鋭い声が背中にぶつかった。