8章5節:レティシエルの寵愛
魔族の軍勢を突破した後、休憩を行うことになった私たち。
しかし、場の空気はおちおち休んでいられないほどに悪化していた。
原因はさっきまでそこに居た「死者に二度目の生を与える」伝説のエルフ、トロイメライだ。
彼女は数人の聖団騎士と共に、先の戦いで死んだ者を弔う為に中央部隊からやって来た。
その様子を見た一部の傭兵や冒険者が、トロイメライの前に跪いて口々に言ったのだ。
「どうか命を落とした仲間を蘇らせて頂けませんか」、と。
それに対し、トロイメライは悲しげに自らの足もとを見つめて彼らに現実を突きつけることしか出来なかった。
「私に出来るのは人を楽園にて再誕させることだけです。死者を再び立ち上がらせることなど不可能なのです」
私はアレセイアでの出来事の顛末をリーズから聞いていたから、この事も既に知っていた。
要は、人間社会が勝手にトロイメライに関する話に尾ひれを付けたというだけのことだ。
しかし人々からしたら急に期待を裏切るようなことを告げられて納得いく訳もなく、「そんな筈がない」としつこく食い下がっていた。
最終的に彼らは聖団騎士に追い払われ、いかにも不満そうな顔で隊列に戻ってくるのであった。
「みな苛立っていますね……」
踏み荒らされた草原の上で膝を崩しているリーズが言った。
彼女と向き合うように座っている私が返し、ライルが続ける。
「勝ったとは言っても怪我人も死人も出ちゃったからね。そんな状態で、縋っていたものが思ってたのと違ったって聞かされちゃったらね……」
「しかもこの戦いで得たものが何一つねえ。略奪目当てで参加した連中からしたら魔物なんて相手しても損しかないし、そりゃ苛立つだろうさ」
そこに、少し離れて周囲の様子を窺っていたウォルフガングが戻ってくる。
「そろそろ進軍を再開するそうだ」
彼の言葉を聞いた私たちはすぐに移動の準備を整えた。
しかし、いつまで経っても隊列が動かない。
私たちよりも更に前に居る者達が進もうとしないのである。
「も~、今度はなんだっていうの?」
そんなことを言いながら隊列を少し外れて前の方を見てみると、傭兵と思しき数人の男女が進軍を妨げるように広がり、他の者達に訴えかけていた。
「もう止めだ! 帝国まで行ければ略奪し放題っつっても、こんなんで到着まで持つかよ!」
「ねえ皆、連合軍から離脱してその辺の村を落とさない!? 侵攻ルートを外れれば焼かれてないところも見つかる筈!」
「そうだ、それが良い! どうせ中央の連中からしたら俺たちなんて使い捨てだし、トロイメライ様だって蘇らせちゃくれない。だったら命を懸けても仕方がないんじゃないか!?」
彼らの言葉に人々がざわつき始め、やがて同調する者が一人、二人と現れ始めた。
まずい、戦意を失った連中が盗賊になろうとしている。
そのような行為を見過ごせるものか。たとえ相手が魔族であっても、何の罪もない弱者から奪うのはあらゆる意味で愚行だ。
状況を確認する為に中央部隊から来た正規軍人たちもそう判断したようで、彼らを捕らえようと迫った。
だが、その間に予想外の人物が割り込んでくる。
「ごめんなさい、ここは私に任せて頂けませんか?」
レティシエルと《シュトラーフェ・ケルン》だ。
あのクソ姉が幾ら人気者とは言っても、まともな戦闘経験も能力もない筈の役立たずだ。実際、先の戦いであいつは何もせず眺めていただけだ。
お前如きに一体、何が出来る?
そう思いながら見ていると、奴は何も言わず、進軍を妨害している傭兵の一人――よく見れば全身を負傷しているし、酷く疲れた様子だ――に手をかざし始めた。
すると、傭兵の傷がたちまち治っていく。外傷だけではなく空腹やストレスなどによる疲労も和らいでいるように思えた。
傷が完治すると、レティシエルはいかにも「理想的な王女様」らしい柔らかい笑みを見せた。
「皆様のお気持ちは分かります。苦しいでしょう、不安でしょう。その苦しみも不安も私が癒やして差し上げますから、どうかこの戦いに最後まで同行して頂きたいのです」
王女の言葉に人々は最初こそ困惑した。
だが、やがて皆が「レティシエル様万歳!」などと調子の良い歓声を上げて隊列に戻っていくのであった。
「……はぁ?」
つい、そんな声を出してしまった。
だって何もかもおかしいだろう。あれほど急速に傷や疲労を回復する術など聞いたことがないし、そもそもレティシエルは何も詠唱しなかった。
無詠唱で回復系《術式》を使った? いや、あり得ない。それは相当な経験を積んでいないと出来ないことだ。リーズだって《加速》を無詠唱で発動させられるようになるまでにかなり時間を掛けた。
傭兵たちの方も変だ。元々レティシエルに対し敬愛を抱いていたとしても、あいつが目の前で奇跡じみたことをやってみせたとしても、気持ちの切り替わりが早すぎる。
まさか何らかの特異武装、或いは《権限》か?
そういった可能性を考えてしまうくらいに都合の良いことが起こったのだ。
それから少しの間、群がる負傷者たちにレティシエルが癒やしを与えたことにより混乱は収まった。
私はモヤモヤした気持ちを抱えたまま仲間のもとに戻り、「あいつが《権限》を持っているかも知れない」という推測はひとまず伏せて事実だけを報告した。
あのゲス女は私が女王を目指すにあたっていつか必ず排除せねばならない存在なのだ。それが多少、人を扱うのが上手いだけの悪女に過ぎないのならばともかく、正体不明の《権限》を持っているとしたら最悪である。
まあ、今はそのことに頭を悩ますべきではないか。
重要なのは《魔王軍》に勝てるかどうかだ。あいつがどんな力を持っていて何を考えているかはさておき、作戦に貢献している間は敵視すべきではないだろう。




