8章2節:進軍開始
集合時間が迫っていることを伝える笛の音が鳴り響いた。
「私たちもそろそろ行こっか」
詰所の一室で休んでいる仲間たちにそう言うと、ウォルフガングは軽く頷いてすぐに廊下に出た。
一方でリーズはどこか不安げな表情をしてベッドに座っている。よく見れば身体が微かに震えていた。
無理もないか。幾らこの子が強い意志を持ってここまで同行してきたとは言っても、いざ「その時」が来てしまえば怖いものだ。
「ほんっと、どうして私なんかに付き合っちゃうんだよ……」
誰にも聞こえないように独り言ちた。
やはり私としては、最後は静かに暮らして欲しかった。しかし、それはこの子の覚悟を否定する願いだ。
どうやって本音を隠しながら勇気付けるべきかと迷っていると、ライルがそっとリーズの手を握った。
「心配すんな……俺が付いてるからさ」
「……ありがとう。皆、ごめんなさい。すぐ支度するわ」
そのシンプルな言葉と手の温かさから勇気を得たのであろう、リーズが眩しい笑顔を見せた。ライルが照れくさそうに頬を掻く。
リーズは素早く準備を整えると、今度は自分から恋人の手を取って部屋を出た。
それはとても初々しくて愛おしい光景で、見ていると嬉しさと同時に切なさが湧き上がってくる。
ずっとこんな時間が続けばいいのに――なんてことを思ってしまう。
この素敵なぬるま湯に浸かっていたくなってしまう。
世界はどこまでもクソったれで、故に戦い続けねばならない筈なのに。
私は首を横に振って余計な感情を振り払った後、仲間たちと共に詰所の出口へと歩いていった。
しかしその途中で、またしても動揺せざるを得ない出来事が起きた。
私たちは《夜明けをもたらす光》と遭遇したのだ。
狭い廊下で向き合う形となった四人と四人。
《勇者》レインヴァール――もといユウキは、私の顔を見るや否や慌てて駆け寄ってくる。
後ろのアダム、アイナ、レイシャはそれぞれ冷淡な眼差し、呆れ顔、生暖かい笑みをユウキに向けており、思いは違えど彼に付き合わされているのは明白だった。
「ここに居たのかリア! 《ヴェンデッタ》が参加してるって聞いて探してたんだよ!」
北部平原の時と同じく、こいつは私の気も知らないで一人で勝手に嬉しそうにしている。
前世から何も変わっていない。そのことに喜びとも嫌悪感ともつかない気持ちを感じている自分が居る。
「……なんの用?」
「なんの用って、ただ会いたかっただけだよ」
しれっとそういうことを言うので、リーズとライルが「えっ」と驚いた。
そういえば私とこいつの間に接点があることをこの二人は知らなかったか。
「リア様、《勇者》殿とどういった関係なんです?」
「もしかして俺たちの知らないところで付き合ってたり……」
「無いからっ! 前にちょっと共闘しただけだからっ!」
私はこほんと咳払いをした後、ユウキの方に向き直る。
「もう、なんでわざわざ……私がどういう反応するかはきみでも分かってるでしょ」
「『私は会いたくなかった』、だろ。でも僕は会いたかった」
「うざいなぁ。っていうか、きみを求めてる人間なんていっぱい居るでしょ。私に構ってる暇ある?」
「だって、皆が求めてるのは《勇者》であって僕自身じゃ……」
ユウキの言葉を遮るようにアダムが割って入る。
「お前の言う通りだ、リアとやら。この男は《勇者》として人々を鼓舞すべき立場なのでな」
「じゃあ連れて行っちゃってよ……と、その前に一つだけ言わせて」
私は魔王ダスクと出会った時のことを思い出した。
倒すべき相手の正体がレイジだと知ったらこいつはきっと深く葛藤するだろう。それが嫌だった。
これは決して優しさなどではない――と思う。
こいつを苦悩させるのは私だけで良いというだけのこと。それが、ずっとウザったく絡まれてきた幼馴染の特権なのだ。
でも、ユウキがダスクと会って言葉や刃を交わせば勘づいてしまう可能性が高い――かつて私とレインヴァールが相対した時、お互いの正体に自然と気づいたように。
だから。
「魔王との対決は私に譲って」
率直に要求を突きつけると、ユウキは少しだけ眉を吊り上げた。
「譲るとか譲らないとかそういう話じゃない」
「私にとっては大事なことなの。きみだって戦わずに済むならそうしたいでしょ」
「僕は魔王がどれだけ強いのか知らないけれど、皆で協力して立ち向かうべき相手なのは間違いないだろ。負けて誰かが……きみが死ぬかも知れないって思ったら、戦わない選択肢なんかないよ」
「それは……」
この点に関しては完全にユウキの方が正論だった。
そもそも私は魔王と交戦し、その圧倒的な強さを実感している。
現実的に考えれば「ユウキ抜きでも勝てる」なんてことはとても言えないのだ。
言葉に窮していると、アダムが私たちに背を向けて歩き出した。
「もう行くぞ、時間だ」
「あ、ああ……お互い頑張ろう、《ヴェンデッタ》」
そう言いながら、ユウキは仲間たちを連れて名残惜しそうにその場を去っていった。
本当に厄介なことになってしまったと思い、深くため息をついた。
ダスクの正体など知らなければよかった。それなら物事はもっと分かりやすくなっていただろうから。
***
城壁の前にはかつてない規模の隊列が形成されていた。
私たちは人々の注目を浴びる《夜明けをもたらす光》から距離を取るように遅れて移動し始めた。
なお今の段階で王室の連中などに正体を勘付かれるのは好ましい展開ではないので、私も仲間も外套を着用して目立たないようにしている。
少し歩き、やがて冒険者と傭兵、民兵で構成された部隊に加わった。
人数が人数であるのに加えて彼らは個人主義的であることが多いから、その隊列はお世辞にも整っているとは言い難かった。
再び笛の音が広がってざわめきを鎮めると同時、城壁の上にその男がラトリア王妃および第一王子ライングリフと共に現れた。
――現ラトリア国王。私の最低最悪な「お父様」。
こいつのせいで私は生まれ、こいつのせいでお母様は死に、こいつのせいで泥水をすする羽目になった、魔王とは別の意味での元凶。
こうして姿をこの目で見たのは6年ぶり、つまりあの日以来。奴はあれから人々の前に殆ど姿を現さないようになったから、こういった機会がなかったのだ。
父の顔や体付きは6年前と比べて弱々しくなっていた。
この辺りは北部平原の一部であるとは言っても、それほどマナが枯渇している訳ではない。それなのにあの疲弊ぶり、かなり衰えが来ているのは間違いない。
恐らくは老いとストレスによるものだろう。
そんな状態であってもわざわざ北部平原を越えてここまで来るなんて。
私とお母様を捨てて逃げたこいつもまた、《魔王軍》に対する復讐を強く望む一人であったという訳か。
父は連合軍をゆっくりと見渡した後、拡声の《術式》の力を借りて演説を始めた。
「……46年だ。46年もの間、われわれ人類は薄汚い劣等種たる魔族に資源を、領土を、命を奪われてきた! そして愚かなルミナス帝国は奴らに魂を売り渡し、かつてこの地で行われたラトリア北方戦争のような無益な争いを幾度となく引き起こしてきた!」
父が声を震わせながら握りこぶしを作る。そこには人々を扇動する為の単なる演技ではない、生の怒りが込められているように思えた。
「恐らく、ここに居る大半の戦士は魔族が現れる前の世界を知らぬ若者だろう。いいか、諸君は今、46年続いた悪夢の中に居るのだ。生まれた時から囚われ続けているのだ! この戦いによって世界は本当の姿を取り戻す。とうとう諸君に悪夢を見せていた者共に鉄槌を下す時が来たのだ!」
彼は隊列の中に居るレインヴァールとトロイメライを一瞥した後、剣を掲げた。
「恐怖することはない、我々にはかの《勇者》殿、そしてトロイメライ様が付いている! さあ戦士たちよ、出陣せよ! その力と勇気をもって劣等どもをこの世から駆逐せよ!」
言葉が終わると共に城壁の巨大な門が開く。
進軍開始だ。




