7章9節:聖騎士の理想
中央大海を渡る船。過剰なまでに豪華絢爛な客室で、緑色の髪を少し伸ばした青年は、私――アルフォンスや私の隣に座っているトロイメライ様を見た。
トロイメライ様には容姿を隠す為のフード付きマントを着用させているが、この部屋には私たち三人しか居ないので、彼女は鬱陶しそうにフードを脱いでエルフ特有の長い耳を露出させた。
「神話に謳われるエルフ、加えて聖団騎士の長まで……いやぁ、お会いできて感激ですよ」
青年――エルグレン公爵クロードが目を細め、胡散臭く笑う。
一国の主にして、かの《ドーンライト商会》に次ぐ権力を持つ《ヴィント財団》の会長であるこの男のことが、私は少々苦手だ。
聖団の首長たる法王聖下の指示だから仕方なく船旅を共にしているが、正直息苦しくて仕方がない。
クロードは一代にして自身の領地を急成長させ、西方連合の代表と言える立場に成り上がった。更には財団を設立し、この世界の商業を牛耳るまでになった。
その手腕は見事なものだと思う。しかし、彼からは増大させた権力を平和の追求や格差の是正の為に使おうという意思が全く感じられないのだ。
ただ己の力と利益を高めることだけを考えているその商売人の典型のような在り方、どうも好きになれない。
「おや、どうかなさいましたかアルフォンス様」
「旅費を負担して頂いている以上、このようなことを言うべきではないのだろうが……どうも私とあなたは人として相性が悪いと思ってな」
思考を率直に述べた。
元より誤魔化しは得意ではないし、そもそも神から賜った能力――《公正の誓い》の代償により、私は嘘をつくことが出来ないのである。
クロードの機嫌を損ねてしまったかと少し不安になったが、彼は張り付いたような笑顔も声色も全く変えなかった。
「確かに清廉潔白な騎士様としてはボクのような人間を信用出来ないでしょうね。ただ、あなた方とお会いできて嬉しいというのは本心です。特にトロイメライ様。まさか現世にいらっしゃったとは!」
「一応言っておく。この御方がトロイメライ様であることを外では決して漏らさないでくれ。先日のような混乱を招きかねない」
「《崩壊の空》ですか。アレセイアから逃げてきたウチの部下が言っていましたね。事態の収拾、さぞかし大変だったことでしょう。もちろん配慮させて頂きますよ」
「感謝する」
軽く頭を下げた後、ちらっと横を向くと、無表情なトロイメライ様と目が合った。
「どうしたのですか、アルフォンス」
「何もあなたまでラトリアに行くこともなかろうに、と。出来ればアレセイアに居て頂きたいし、それが不可能であればせめて戦火の及ばない辺境で静かに旅をして頂きたいものです」
「私と一緒に居るのが嫌なのですか?」
「いえ、そんなことは。あなたに対する敬意は確かに抱いております。それはそれとして、あなたは自分がいかに影響力を持った存在であるかを少し考えるべきではありませんか?」
「しかし私も軍に同行させて頂く訳ですから、挨拶くらいはしておくべきでしょう」
「ですから、その『挨拶』だけでも大きな影響があると……いえ、済みません。どの道、聖団の一信徒である私にあなた様を止める権利などございません」
先日の一件があっても、彼女は自身の在り方を変えるつもりはないようだ。
羨ましくなるくらいに自由である。
――と、そういった感じで、胃を痛めながらもクロードやトロイメライ様の話し相手となる時間がしばらく続き、やがて東方大陸に到着するのであった。
さて。私たち三人の旅の目的は、ラトリア王家の方々に謁見することである。
これから始まる大規模な戦いにおいて、ラトリアは「反・《魔王軍》」を掲げる各勢力を束ねた連合軍のリーダーとなる。
そして連合軍には聖団騎士や修道術士といった聖団の戦力に加え、西方連合の者達も参加することになっている。
そこで私は法王聖下の使者として、クロードは西方連合の代表として今後の動きを話し合っておこうという訳である。
なおトロイメライ様に関しては言うまでもなく個人的な理由で動いていて、「死者の救済」を行う為、大勢が死ぬであろう此度の戦争に立ち会おうとしている。
きっと、この方は「今を生きる者」ではなく「これから死ぬ者」にしか関心がないのだろう。長く生きて人の命の儚さ、虚しさを実感してしまうと、誰でもこのように浮世離れしていくのかも知れないが。
***
翌日、私たちに加えてエストハイン王国から来ていた女王レンも交え、ラトリア王家の方々との会議が行われた。
予想通り、この会議において彼らが最も重要視したのは、議題そのものよりも「トロイメライ様がこの場に現れた」という事実だった。
彼らはこのことを民衆に広め、「《魔王軍》との決戦で死んでもトロイメライ様が二度目の生を与えて下さる」と喧伝するつもりらしい。
今は《魔王軍》に勝つことが何よりも優先される状況だから反対しなかったが、この誘惑により力が不足している者や倫理観に欠けている者まで戦争に参加し、結果的に敵味方問わず犠牲が増大する可能性もある。
そんな展開にならないことを祈るばかりである。
話し合いが一段落ついた頃にはすっかり日が落ちていた。
トロイメライ様と私、それにクロードとレンは王城のすぐ傍にある迎賓館の一室にて、改めて互いに挨拶を交わした。
一国の主である二人は気が合うのか、トロイメライ様と私そっちのけで話に花を咲かせている。
とはいえ、両者ともに楽しげに雑談するフリをしながらも内心では相手を警戒し、出方を窺っているのが明らかだった。
私は政治屋ではないが、他者の本心の洞察は人並み以上に出来るつもりだ。
「いやぁ、《ドーンライト商会》の一件、大変なことになってしまいましたねぇ。《魔王軍》と繋がっているどころか、まさか魔王自ら乗り込んでくるとは」
「随分と嬉しそうじゃな。ま、《ヴィント財団》を持つお主は商会の失墜によって何もせずに利益を得られる立場じゃからなぁ?」
「ええ。否定はしませんよ」
「東方諸国の混乱をひとまず収め、それからすぐにラトリアまで行かねばならなくなった超絶ハードスケジュールなわらわの心中を察してくれんかのう」
「お疲れ様です。しかし、そのような状況であれば無理して自ら決戦に出陣することもないのでは?」
「馬鹿を言うでない。東方諸国のリーダーとしてこの機会を逃す手があるものか。ここで『英雄』になっておかねば戦後社会で東方諸国が軽視されるのは目に見えておる。お主とてその辺は同じじゃろう?」
「仰る通りです。ではお互い、たまには政治ではなく武力で戦うとしますか。そして戦争に勝った暁には、手を取り合って世界を導いていきましょう」
「そうじゃな。無論、お主がわらわや東方諸国の利益を害しない範囲で、じゃが」
「ご心配なく。ボクはラトリアの方々のように世界を獲る気はありませんから。この社会を動かす『血液』たる経済を発展させ、人々により生産的な暮らしをして頂きたいだけです」
「で、自分にとって都合が悪い国や組織に対してはその血液が回らないようにするんじゃろ? それは世界を獲ろうとしておるのと変わらん……いや、もっとタチが悪い」
「そうならないよう、各国と相互に利益のある関係を結んでいきたいものですね」
隣で黙ってクロードとレンの話を聞いていたが、なんだか辟易してきたのでバルコニーに出ることにした。
トロイメライ様も後を追ってくる。
「……人類を救うために一丸となるべき時であってもなお、彼らは自分や自分の属する共同体のことしか頭にない。これで良いのだろうか」
私は誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。
このことは、クロードとレンに限った話ではない。
歴史上、今ほど世界が団結すべきタイミングは他に無かった。それなのに王族や貴族といった支配者層の多くは戦後社会における自らの利権に囚われている。
彼らの心には正義など、理想など存在していないのだ。
これでは《魔王軍》を滅ぼしたとて、また新たな戦争が起こるだけだ。
人類はいつまでこうして権謀術数を巡らせ合い、分断された社会構造を維持するのだろうか。
かつて政治というものの限界を感じた私は、宗教に価値を見出した。
国が世界を統一出来なくとも、神話は、信仰心は世界を一つに出来ると思った。分断と混沌に満ちたこの世界に秩序をもたらすと信じた。
だが結局のところ法王聖下も含め、宗教を動かす側もまた人間に過ぎないから、政治・経済の問題に振り回されることだってある。
たとえば今回、ラトリアまでの旅費をクロードが負担することになったのも、聖団に資金的な余裕が無く、彼の所有する《ヴィント財団》から支援を受けている為だ。
これでは信仰の象徴としてあまりに世俗的過ぎる。
この世界が一つになるには世俗の権力に囚われない、絶対的な象徴が必要なのだ。
――と考えて、私は一つの発想に至った。
簡単なことだ。今、ここにはトロイメライ様がいらっしゃるではないか。
どの道、この方はただ存在しているだけで良くも悪くも世界に影響を及ぼすのだ。
彼女が自身の重要性を理解し、人間社会を理解し、そしてリーダーシップを発揮出来るようになれば、その影響をより良い方向に傾けられる。
私が隣に立っているトロイメライ様の方を向くと、彼女はきょとんとした顔を見せた。
「あなたは以前、『生誕から死まで苦痛に満ちているこの世に初めから救いなどない』と仰った」
「ええ」
「私の立場としてあなたに何かを強要することは出来ません。しかし、いつか『そんな世界を変えてみたい』と思える時が来たならば。聖団の騎士……いえ、信仰の守り手として、あなたをどこまでも支援致します」
そう言うと、少しだけ間を置いた後、トロイメライ様が珍しく笑みをこぼした。
その意図は分からないまでも、私はこの方に可能性を見出した。
人類の為、聖団の為、神々の為、そしてあなたの為に、必ず《魔王軍》を打ち倒して英雄の一人になってみせよう。




