7章7節:女公の感情②
お父様の遺言に従い、私は正式にレヴィアス公領と爵位の相続を受けた。
それからは仕事に忙殺される日々が続き、気がつけば墓標荒野での戦闘の結果が出ていた。
世間的には「冒険者たちとラトリア王国正規軍が共に獅子奮迅の戦いぶりを見せたことで」大勝に終わった、と言われている。
実際には殆ど序列入りの力に依るところが大きいそうだが。特に、かの《勇者》とリアさんが敵将の《魔王軍》幹部を打ち倒したことで勝利が決したようだ。
更に、一連の戦いが終わった後すぐに東方諸国で動乱が発生し、その結果として「《魔王軍》を支援していた」などと噂されていた《ドーンライト商会》が力を落とすこととなった。
これらを受けて、王室は予想通り「《魔王軍》との決戦に備えよ」という指示を私たち貴族に下すと共に、各地で徴募を開始するのであった。
もうすぐ世界を変える決戦が始まる。この大きな流れの中で私はどうすべきなのか、未だ決めかねていた。
いや、現実的には私が取れる選択などたった一つしかないのだ。
この最終戦争に参加して手柄を立てる。不安定すぎる私の立場を確立させ、不利な状況にある我が領地を救うにはこれしかない。
私が弱腰で居ようものならレヴィアスは他の貴族共や王室から切り捨てられかねないのだ。
そして、問題は外患だけではない。
先日、領内に存在する魔族系コミュニティの一つがテロを起こし、多くの死傷者を出した。
民や部下は捕らえたテロリストを公開処刑することを望んだものの、「殺しを他者に命ずること」もまた《権限》の代償――すなわち不殺の縛りに違反する可能性があるので、ひとまず投獄に留めている。
こういったテロは近年、レヴィアスにおいて増加傾向にある。
ここに居る魔族や半魔の大半は他の種族と最低限の折り合いをつけて暮らしているが、中には《魔王軍》に共鳴している不届き者も居るという訳だ。
彼らを排除しなければ平穏は訪れない。そういう意味でも、私は戦争で活躍して「この地にお前たちの居場所はない」と知らしめねばならないのだ。
ただ――アカデミーでの一件を除けば――私には実戦経験がない上に、やはりお父様の意向に反することになるのが懸念事項であった。
やるべきことが分かり切っているのにあれこれ悩んでしまうのは私の悪い癖である。
だがある日、その決心をする最後のひと押しとなる出来事が起きた。
突然、屋敷の扉が開け放たれると、そこには派手な服を着た贅肉まみれの男と数人の従者と思しき女が居た。
その男――とある公爵家の当主は、ずかずかと屋敷に足を踏み入れてくる。
彼は領民から巻き上げた税金を浪費し、毎日毎日パーティを催して暴飲暴食に耽っている悪質な貴族である。
なまじ領地運営の才があるというのが問題で、反乱を起こされない程度に領民を縛って富を搾取しているようだ。そうして得た富を上流階級に還元しているので、外からこいつを咎めることは誰にも出来ない。
一般的に言って貴族とは誇り、或いは体面を気にする生き物だ。強い立場だからこそ相応の振る舞いをすべきなのである。
一方でこの男の貴族としての在り方は恥晒しもいいところ。従って、好きか嫌いかで言えば大嫌いだ。
さて。彼が来た理由はだいたい予想が付いている。
王立アカデミーであの事件が起きる前から、彼は度々お父様とお母様に働きかけて、私との縁談の場を作ろうとしていた。
無論、私としては「死んでもお断り」だ。このような堕落した男の、何人も居る妻の一人になるなんて最悪過ぎる。政略結婚にしたって、私がこいつの女になることは間違いなくレヴィアスに不利益をもたらすだろう。
その辺、お父様もよく理解していたから断ってくれていたが、もうこの世を去ってしまった。彼はこの隙を狙ってきたという訳である。
私はこの場に現れたお母様の前に駆け寄り、睨みつけた。
「……何故あれを呼んだのですか」
「ごめんなさい……『どうしてもルアと話がしたい』ということで、つい勢いに押し切られてしまって……」
お母様は気まずそうに自らの横髪――私とは全く異なる金髪である――を弄った。
この人は穏やかな気質でこんな私にも優しくしてくれるから、産みの親でなくとも決して嫌ってはいない。むしろお父様と同じくらい好いている。
だが、公爵夫人という立場を考えればあまりに気弱なのだ。
だから有力貴族の申し出をきっぱり断れなくて面倒なことになる。
「おやおや、この私をそっちのけにして親子喧嘩ですかな?」
男が下卑た笑い声を上げながら近づいてくる。
私は軽く咳払いをすると、笑顔を取り繕って彼の顔を見上げた。
縁談を受ける気がないとはいえ、事を荒立てて良いこともない。
「どのようなご用件でしょうか」
「分かっているでしょう、ルア様。どうか私と婚約して頂きたいのです」
「以前にも『そのつもりはない』とお伝えした筈です」
「今この場で決めることまでは求めておりませぬ。ただ、どうかお話だけでも聞いて下されば」
ああもう面倒くさいな。《術式》を使って強制退去させたい気分だ。
当然そんなことは出来ないから、とりあえず応接室に案内したが。
「さて、ルア様。御父上のことは残念でした。遺されたあなたはさぞや苦しみになっていることでしょう」
「いえ、何とかやっておりますのでご心配なく」
「そうでしょうか? 今が激動の時代であること、まだお若いこと、女性であること、そして種族や血統の問題……あなたほど難しい立場に立たされている人はそうおりませんよ」
「何が言いたいのですか?」
「『お考えを改める気はないものか』と。私の妻になった時には、あらゆる煩わしさからあなたを解放して差し上げましょう。この領地を必ず発展させ、皆を幸せにしてみせますのでどうかお任せ下さい」
まるで私や領民のことを思っているかのような言い方をするな。ただレヴィアスを乗っ取って利益拡大をしようとしているだけの癖に。
もっとも、領民にとって私とこいつのどちらが良いかは分からないが。
悪徳貴族とはいえ長年、領地を治めてきた経験があるこの男と、少し前まで学生をやっていた小娘に過ぎない私。
少なくとも「自分の方が上手くやれる」なんて大言壮語を吐くほどの度胸はない。
ただそれでも、この地は私がお父様から託されたもの。これを手放せば今までの生き方を否定することになる。
「申し訳ありません。獣人である私があなたのような方と結婚するなど……」
「負い目を感じることはありませぬ。私は平等主義者、獣の血が混じっていようがルア様のような美しい御方は深く愛する所存です。それに獣人は、子をなす能力にも恵まれておりますからな」
適当な断り文句を真に受けた男がいやらしい視線を向けてくる。
寒気が走った。私の肌に触れていいのはフレイナだけだし、そもそも私は男が苦手だ。こいつに限らず、異性と体を重ねることを考えると気分が悪くなってくる。
貴族令嬢としてどうなのかと自分でも思うが、そういう風に生まれたのだから仕方がない。
「……お話はそれだけでしょうか?」
「飽くまでも婚約を交わすつもりはないと?」
「はい」
そう断言すると、男の顔から笑みが消えた。明らかに苛立っている。
「失礼ですが、自らの状況をご理解なさっていないのでは? 私は『あなた様や御母上、領地と民の全てを守って差し上げよう』と言っているのです。これを断る理由がありましょうか」
「レヴィアス公爵は私です。自らの力で責任を持ってこの地を守ります」
「世間を知らぬお嬢様に何が出来ると? あなたがアカデミーの歴史の中でも指折りの学徒であることは存じております。しかし現実はそう甘くありませぬ」
「分かっています。だから、これから経験と実績を積んでいきます。まずは《魔王軍》との決戦で活躍し、王家や貴族の方々、民衆に私を信じて頂くところから始めるつもりです」
しつこく食い下がってくるこいつに帰ってもらう為には、ここまで言い切るしかないと思った。どの道、どこかで決心せねばならないことなのだ。
男は私の言葉を聞くと「ほう」と呟き、表向きは余裕を取り戻した。
「なるほど、そこまでの覚悟がお有りでしたか。でしたら今しばらくはあなた様の努力を見守ると致しましょう」
「ええ、そうして頂けると助かります」
「……ですが、いつか必ずどうしようもない困難に直面する筈です。その時は声を掛けて下されば、すぐにでもルア様の為に行動するつもりでおりますので」
「ありがとうございます」
「今日は短いながらもお話が出来て良かったですよ、ルア様。それではまた」
「二度と来るな」と内心思いつつ、私は下手な作り笑いをして、屋敷を出ていく彼を見送った。
なんだか疲れた。私もリアさんと同じくらい愛想が良くて器用だったら、色んなことがもっと上手く行ったのだろうな。
「……はぁ」と大きくため息をつくと、困惑した様子のお母様が私の顔を見つめる。
「ルア。あなた、『決戦で活躍する』というのは本気で言っているのですか?」
「これからレヴィアス公爵としてやっていくのであれば避けては通れないことです。私が戦争に行っている間、レヴィアスをお願いします」
「……必ず生きて帰ってくると信じて良いのですね?」
「私が『必ず』と言える性格じゃないのは理解している筈です」
「……ええ、確かにその通りですね。では、私は勝手に信じることにしましょう」
「そうして下さい、お母様」
これで退路は完全に断たれた。
正直、実戦に参加するというのは凄く怖い。でも、そういった感情を抑え込んで動き続けるというのは今までだって実践してきたことだ。
既にレヴィアス公爵になったことは公表しているものの、まだ民衆が私を心から受け入れているとは言えない。そんな彼らに覚悟を伝えるチャンスだと思えば頑張っていける。
それに個人的な事情として、フレイナも戦いに出るつもりであるようだから、あの子の傍に居られるのであればきっと勇気をもらえる筈。
かくして私は、レヴィアス公爵としての最初の大仕事を行うことになるのであった。




