7章1節:魔王の覚悟①
俺――レイジ、或いは魔王ダスク――は、帝城の豪奢なベッドの傍らに立ち、そこに居る人物の様子を見ていた。
「切断された腕をちゃんと回収していたお陰で、何とか元通りに出来たよ。ものが残っていないと私の技術でもどうにもならんからな」
そう語るのは緑髪の魔女、アルケー。魔王となった俺なんかにもう随分長いこと付き合ってくれている恩人だ。
《術式》の開発者でありマッドサイエンティストじみている部分もあるが、元々が医者なのでこうして人を診ている様子はとてもしっくり来る。
「そうか……翼のようにならなくて良かった」
俺はひとまず安堵した。
ベッドに入っているのは、アルケーと同じく付き合いの長い魔族の女、リゼッタだ。
彼女は村が襲撃された事件において片翼を喪っており、そちらは回復させることが出来なかった。
あの一件は深いトラウマになっている筈だ。
それでもベッドの上で泣きじゃくっているリゼッタは、自らが傷つけられたことではなく己の失策で《魔王軍》をより不利な状況に追いやったことについて嘆いている。
「ごめんね。あたし、ああするしか思いつかなくて……でもあたしのせいで《ドーンライト商会》が貶められちゃった。だからせめて邪魔者をぶっ潰したかったのに、その戦いでもみじめに負けて……」
「謝らなくていい。お前だって本当は怖いし嫌な筈なのに、最大限頑張ってくれた。それで十分だ」
「怒ってないの……?」
「怒るもんか。魔王は精一杯やった部下を罵るような男か?」
「ううん。ありがと、レイジ」
俺はリゼッタに対し、「エストハインの《ドーンライト商会》本部に潜入しろ」という指示を出していた。
武器や食料、術式書などをルミナス帝国、つまり俺たちの側に優先的に送らせる為だ。
初めはリゼッタの尽力のお陰で、そういった支援行為を完璧に隠せていた。
しかし商会とて一枚岩ではない。恐らくは、内部に存在する「純粋に利益追求だけを目指す派閥」に属する者が、商会に敵対的な連中、いわゆる復古派に情報提供を行ってしまったのだろう。
復古派はこれを受け、ボロを出させる為に商会に不利な規制を急速に増やしていった。
やがてリゼッタは強引な動きを取らざるを得なくなった。エストハインの雌狐はそこにつけ込む形でセナたちに探りを入れさせ、最終的にはあの戦いに至った――という具合か。
元はと言えば、俺が《ドーンライト商会》を利用しようとしたのが悪い。五十年の時を経て、あれはもはや《魔王軍》の前身とは言えないくらいに一つの別な組織として巨大化してしまったのだ。
リゼッタどころか俺が直接干渉していたとしても、上手く操ることは出来なかっただろう。
だから、こいつが謝るようなことは何もない。
むしろ俺の方こそ、こんな形でしかお前の才能を利用出来なくてごめんな。
「リゼッタ、明日の作戦会議には出られそうか?」
「うん、大丈夫。もうすぐ決戦なんだから、あたしだけ休んでられないよ」
「分かった。じゃあ、そろそろ行くよ」
そう言って寝室を出ると、ちょうどこちらに向かってとある人物が歩いてきていた。
猛々しさを感じさせる乱れた金髪に筋骨隆々とした肉体。潰れた片目を覆い隠す眼帯。そして角と尻尾。
いかにも凶暴な戦士のようであるその青年は、我が《魔王軍》の幹部、バルディッシュ。人々からは《黄金の魔人》なんていう風にも呼ばれ、恐怖されている。
かつては各地を旅しながら略奪によって生計を立てている蛮族の一人であり、激しい戦いを求めて俺に決闘を挑んできた。
そこで徹底的に叩きのめしてやったことでこちらの力に憧れを抱いたのか、「仲間に加わりたい」と言ってきた。
今でも戦いを愛する性根は変わっていない。とはいえ役に立つし、彼自身は蛮族の出といっても生粋の武人であるが故に弱者をいたぶるようなことは好まないので、俺も俺で気に入っている。
それに、こんなでも意外と仲間思いなところがあるのだ。
「ん、魔王さんか。リゼッタのやつは?」
「無事だ。明日には回復するだろう。もしかして見舞いに来てくれたのか?」
「あの女の子ぶったババアの泣き顔でも拝んでやろうと思っただけだ。無事ならいいや、つまんねえし」
「そう言うな。グリムグレイも含めてみんな顔を出したんだし、お前もちょっとくらいはな」
「あ~、分かった分かった。魔王さんの命令とあらば。さて、腕ぶった切られたことを煽り倒してやるとするか」
「相変わらず素直じゃないな……」
リゼッタが愛されているのが嬉しくて、思わず笑みがこぼれた。
《魔王軍》の幹部はその境遇も本懐もバラバラだが、もうここには居ないエメラインも含め、皆が絆で結ばれている。
皇女チャペルは人と魔族が平等に混じり合って暮らせる世界を求めている。
アルケーは相棒として、「自らの本当の望み」を一旦差し置いてでも俺に付き合ってくれている。
リゼッタは《魔王軍》というコミュニティそのものに安らぎを感じ、この居場所を守る為に戦ってくれている。
バルディッシュもまた「争いを求める」という在り方をそのまま受け止め、評価し、力を発揮する機会を与える《魔王軍》に居場所を見出している。
グリムグレイは、俺が天上大陸に魔族を移住させることになったきっかけを作った男、ヴォルガスの知人である。
あいつの思想に共鳴し、これから自分も天上大陸の村に移住する予定だったところで、あの事件が起きた。ゆえにヴォルガスを殺し、村を滅ぼした天上人に対する強い復讐心を抱いている。
そして俺は悪に堕ちてでも魔族の居場所を作り出す為――チャペルの願いを叶えてやる為に、魔王で在り続けているのだ。
***
翌日、体力をある程度回復させたリゼッタも交え、俺たちは会議を始めた。
円卓を囲むメンバーとして《魔王軍》幹部の六人の他にもう一人、痩せぎすな壮年の男性が居る。
彼はチャペルの父にして現ルミナス皇帝、アウグスト・ルミナスである。
人間族でありながら「人魔の共存の象徴」となるべく魔族の女性を娶った男だ。皇后は不幸にも、チャペルを出産した直後の産褥熱によって死亡してしまったが。
一般人ならともかく、一国の主としては相当に勇気の要る行為だったろう。
さて。俺は現状――すなわちラトリア勢力が徴募を開始し、ルミナス帝国侵攻の準備を整えていることを皆に伝えた上で問うた。
「……一応言っておく。お前たち、この戦いから降りても良いんだぞ?」
正直なところ、天暦1000年から続くこの魔王戦争が、俺たち《魔王軍》の敗北で終わる可能性は濃厚であった。
だから、皆を信じているとはいえ、最後にこれだけは確認しておきたかったのだ。
まず、間髪を入れずに返したのはバルディッシュだった。
「今更なに言ってんだ魔王さんよぉ。腰が引けたか? らしくもねえ」
「無論、負けるつもりはないさ。だが現実問題、楽観視も出来ないだろう」
アルケーが「だろうな」と続ける。
「ラトリア軍、冒険者、西方や東方の連中まで出張ってくるとなるととんでもない物量だ。加えてレイジのような《権限》持ちと思われる人間が、確認出来てるだけで八人も居る」
「ああ。序列一位のレインヴァール、レイシャ、アダム。七位のリア。聖団騎士アルフォンス、西方連合のクロード。女王レン。戦いに加わるかは怪しいがトロイメライもか。そしてここから更に《権限》を持つ者が増えないとも限らない」
「彼らはたった一人だけでも戦況を覆し得るんだ、はっきり言って絶望的だな」
一日経ってもリゼッタは自らの失態を悔やんでいるようであり、居心地が悪そうに俯いている。
「うぅ……みんな、ごめん。あたしがもっと上手くやって術式書や武具の流通を制限出来れば、少なくとも雑魚どもはもっと役立たずに出来たんだけど……」
「昨日も言った筈だ、お前が謝ることはないと。で、皆どうなんだ?」
黒い鎧に身を包んだ竜族の男グリムグレイ、そしてバルディッシュが返答する。
「私は最期まで魔王様の剣として戦い、一人でも多くの天上人に復讐するだけです。もはや私の人生に残っているものは怒りと忠誠だけなのです」
「オレも同じだ。何度も戦う機会をくれた魔王さんには感謝してるし、こんな最高に熱い戦いから逃げるなら死んだ方がマシだ。何より『あいつ』とまた殺し合えるかも知れねえしな」
「そうか……お前たち二人に対しては愚問だったな」
それに続くのは長い金髪の小柄な少女、チャペルだ。
「チャペルも勿論、絶対に逃げません。皇女として、魔王様の婚約者としてルミナスを守り抜く覚悟を持っています!」
「とはいえ、皇族に死んでもらっては困る。有事の際には強引にでも逃げてもらうことになるぞ。良いなアウグスト」
「……済まない。そなた一人に全てを押し付ける形になること、慚愧に堪えぬ」
アウグストが頷く一方、娘の方は納得いっていない様子である。
「やっぱりチャペルは嫌です……ずっと魔王様のお傍に居たいです」
「そう言うな。皇帝や皇女は俺なんかのことじゃなく、国や民のことを想うべきだ。彼らの為ならば、他の何を切り捨ててでも生き延びなければならない」
「分かってます。分かってるんです……だからこそ、こんなことならば皇女ではなく一人の女としてあなたと出会いたかったと思ってしまいます」
今にも泣き出しそうになっているチャペルの肩に、父が優しく触れた。
「……チャペル。既に覚悟を決めている男をあまり困らせるものではない」
「お父様は悲しくないのですか!?」
「無論、思うことはある。ダスクは我が生まれたその時から変わらず傍に居たからな。だがそれでも、我々には我々の果たすべき義務があるのだ」
「そういうことだ。そっちの二人は?」
俺がリゼッタとアルケーの方に話を振ると、まず前者が答えた。
「あたしはそっちの脳筋男どもと違って死ぬのなんて絶対にイヤ」
「なら……」
「でも、最初から全部諦めて大好きなあんたと離れるのはもっとイヤ。そんなことしたら、また居場所が無くなっちゃう……だから一緒に戦うよ、レイジ」
「ありがとう。アルケーは……」
「私も君のことは好きだ。でも『最期まで共に』とは言えないかな。状況がまずくなったら逃げるつもりだ。私は私でやりたいことがあるのでね」
その発言を聞いたチャペルが怒りを露わにして立ち上がった。
アルケーがどういう経緯でこの場に居るかは彼女も分かっている筈なのだが、感情が抑えられないのはやはりこの中で最も若いからか。
俺が仕草だけで「座れ」と命じると、チャペルは渋々それに従った。
「すまないな、皇女様。私は嘘をつくのが苦手なんだ」
「……知ってます」
「気に病むなチャペル。俺はこれで良いと思ってるし、むしろ、ずっと自分の目標とは無関係な俺のわがままに付き合ってくれてるアルケーには凄く感謝してるんだ」
「それも知ってます。アルケーさん、本当は呪血病を治す方法を探したいと思っているんですよね」
「ああ。はっきり言って、人と魔族の共存だの何だのに興味はない……でもまあ、レイジには世話になったからな」
アルケーと目が合った。
何だかんだ本当にお人好しな女だと思う。まさか五十年も傍に居てくれるなんて。
俺は彼女に深々と頭を下げた。
「ありがとう。結局、お前の望みを叶えてやれそうになくて悪いな……」
「構わないよ。惚れた弱みってやつだ」
さあ、皆の想いは確認出来た。それでは作戦の話をするとしよう。




