断章:地上世界の真実、黎司の決意②
オークのような容姿をしたその男は、俺たちと距離を取ったまま話し続ける。
「俺は『ヴォルガス』ってんだ。この図書館で一人で暮らしてる……今は失われちまった旧時代の知識を求めてな」
その言葉を聞いて、アルケーはひそひそと声を掛けてきた。
「見た目こそ明らかに魔族だが、もしかすると私たちの求めていた『知識階級』ってやつなんじゃないか?」
「かもな。少なくとも悪意を持ってるようには見えない。コミュニケーションを取ってみても良さそうだ」
「ということで頼む。君の方がそういうのは向いてるだろう」
「おいおい、またかよ……仕方ねえな」
俺たちは警戒レベルを最小限まで落とし、男に近づいた。
「あ~。えっと、ヴォルガス。お前はもしかして学者の類か? 外があんなだったから、理性を感じる奴が居て正直驚いてるよ」
「学者、か……悪いがそんな大層なもんじゃねえ。まともに知識を持ってるようなのはこの世界には残ってねえよ」
リゼッタの言っていたように「どいつもこいつも一緒」という訳か。
少しは期待してしまったことを悔いるように溜息をつくと、ヴォルガスは豪快に笑った。
「何者か分からんがそう落ち込みなさんな。というか、俺だって学者さんに会えるもんなら会ってみてえよ。大半の本はズタボロになっちまってるし、学がねえから読める状態の本も殆ど読解出来やしねえ」
「さっき『旧時代の知識を求めてる』と言っていたな……何か理由が?」
問いに対し、ヴォルガスは真剣な表情で答える。
そんな顔を見た俺は、この男が知識を持たないと分かって失望した自分自身を恥じた。
「他の連中は生まれた時から全てに絶望してああなっちまってるが、俺は諦めちゃいない。今だけじゃなく未来を救う為、知識によってこの世界を変えたいんだ」
「世界を……変える……?」
「遠い昔の人間は機械とやらを使って環境を整え、作物や動物を育てることで充分な食料を確保していたんだってな。水だって清潔なものが飲めたらしい。でも今はそうじゃない。機械は全部壊れてるし、作物は育たないし、水は汚染されてるし、動物は凶暴な化物と化していて手に負えない。外で人が襲われてるとこを見ただろ?」
「ああ。酷い状態だったな」
「だからまあ要するに、昔の安全かつ飲み食いに困らねえ環境を蘇らせたいのさ」
そうか。やはり、かつての地上には先進的な文明が存在していたのか。
ヴォルガスの言っている「動物」とは恐らく、外に居たモンスターのことだろう。あれは確かに家畜として利用出来そうにないな。
にしても「知識によって世界を変える」か。この終わった世界にもそういった志を持つ奴が居たとは。
――と考えていたところで、彼の発言の違和感に気づいた。
「遠い昔の人間」? 「外で人が襲われてる」?
その言葉が意味することは、もしや。
アルケーもそれに気づいたようだが、動揺している俺に対し、彼女は何やら楽しそうだ。
「待ってくれ、ヴォルガス。いま『人間』って言ったよな!?」
「それがどうかしたか?」
「外に居た連中やお前は……その……人間なのか?」
「侮辱と受け取っていいのかそれは? 確かに旧時代の資料に描かれてる人類とは随分違う見た目になっちまってるが、俺たちは紛れもなく人間だ。過去に何が起きたのかは分からんがな」
「……そう、か」
一体、なにがどうなっているんだ?
異形の存在――「魔族」が人間ならば、天上大陸の民はなんなんだ?
なぜこの者達は地上という地獄に押し込められているんだ? 誰か――そう、たとえば天神ならば彼らを天上大陸に移住させて救うことが出来る筈なのに、なぜそうしないんだ?
俺が考え込んで黙っていると、アルケーが話に入ってきた。
「私たちも人間なんだが、何故こうも外見が異なるんだろうか?」
「さあな。お前さん達、見た目的に恐らく上からやってきたんだろ? 『かつて神様は選ばれし民を救済する為に天上の大陸を創った』なんて言われてるが、俺たちのご先祖様は見た目のせいで選ばれなかったのかもな……」
「出身については仰る通りだよ。で、天と地が分かたれたその時代のことが分かる資料は……きっと残っていないんだろうな」
「俺の知る限りではな。にしても、学者や資料なんぞ求めてどうするつもりだ? お前さん達に必要なのは天上大陸に戻る方法を探すことじゃないか?」
「あ~、それなんだが。私たちは偶然ここに迷い込んだ訳じゃなく、自分の意思で来たんだよ」
それを聞いたヴォルガスは分かりやすく驚きを見せた。
「へぇ~……上の人間は意図的に地上に繋がる方法を編み出したのか」
「私たちが初めて成功させたことだ。他の連中は出来ない……よな、レイジ?」
「ああ。とある目的の為、必要になったんでな」
「こんな何の価値もねえ地獄に好き好んで来る理由ってなんだ? まさか『夫婦で観光』とかじゃねえよな?」
冗談めかして笑いながら言うヴォルガス。
俺が首を横に振ると、アルケーはわざとらしく残念そうにした。
やれやれ。謎多き地上世界で驚くべき真実を知ることとなり混乱していたけれど、少しだけ緊張がほぐれて落ち着いてきたな。
まだほんのちょっと話しただけだが、この男は信用出来そうに思える。こちらの目的を教えても問題ないだろう。
「俺たちは『呪血病』という病を治す為の手掛かりを求めてここに来た。身体が徐々に黒く腐敗していき、やがて全身が塵になって死に至る不治の病だ」
「『存在崩壊』ってやつか。上では『呪血病』って呼ばれてたのか」
「呼び方こそ違えど地上にもちゃんとあるんだな。それについてどんなものかは分かるか? 治療方法なんかも……」
「分かったら苦労しねえって。こんな世界だから、みんな『発症したらそれまで』って諦めてやがるよ」
「じゃあ、神については何か分かるか? 上じゃこの世界のことは『神の住まう楽園』だって言われてるんだ」
「神様に『どうして生命をこんなにも不完全に創ったのか』とでも聞くつもりか? 俺もそうしてやりたいが、居場所どころか実在するかも分かんねえよ。『神の住まう』も『楽園』も両方嘘だろきっと」
「そうか……」
少なくとも天神の一柱である《救世天》が単なる神話上の概念ではなく実在することは知っているが、俺が神から異能を与えられていることまで説明すると要らぬ混乱を招きそうなので今は黙っておいた。
そもそもあれだって、精神世界において神の方から一方的に語りかけてきて理由も分からないまま力を授けられただけだから、大して説明出来ることもないのだが。
ふと、ヴォルガスは自らの額を押さえる仕草をして、考え事をし始めた。
やがて、何か思い当たったかのように書架の一つを指差した。
「あ! そういや、あの辺に存在崩壊に関連する本があったかもな。表現が難解で俺には理解出来なかったが、お前さん達なら何か掴めるかも知れねえ」
それを聞いた瞬間、アルケーが目を輝かせた。
「なんだと!? 案内してくれ、すぐにでも読みたい!」
「分かった分かった! 彼氏君も来るか?」
「レイジだ。そっちはアルケー。あと別に夫婦でも恋人でもないからな?」
「凄まじく美女なのに勿体ねえ男だな。で、どうするんだ?」
「俺はこの辺りの本を読んでおくよ。今は少しでも多くの情報を集めたい」
「分かった。んじゃ適当に過ごしててくれ。見てないところでアルケーに手出したりはしないから安心してくれよ」
「信用はしてるさ。それに万が一間違いが起こっても、そいつなら自力で撃退出来るしな」
「がはは! 見かけによらず逞しいお嬢さんということか! 『存在崩壊を治療する』なんて無茶を言うだけのことはあるぜ」
***
俺は一人、書架を物色していた。
ちゃんと管理されている訳ではないから当然だが、殆どは朽ちてしまっている。
辛うじて読めそうなものを二、三冊見つけて手に取ると同時、通路の奥からアルケーが歓喜する声が聞こえてきた。知識欲の塊みたいな女だから、あっちでも何か興味深い資料を見つけられたのだろう。
彼女はヴォルガスに任せ、テーブルがないので床に座り込んで一冊の本を開いた。
まともに残っているのが一部のページだけなので全容は分からないけれど、どうやらジャンルとしては物語であるらしい。
断片から推測するに、勇者的な存在の冒険譚であるようだが、書かれている内容自体は情報源として役に立たない。
ならばと思い、出版日が書いてあるであろう巻頭や巻末を慎重に見てみたら、後者に記載があった。
「20」と読み取れる数字があったが、それ以外はかき消えている。
20。「20日」なのか、或いは「20年」なのか「20XX年」なのか。
出版された年だと仮定すると「20年」が自然だろう。
現在は天暦990年。これは970年前の文明において書かれたものという訳だ。
一瞬、「実は天上と地上の時間軸は連続しておらず、千年以上先の世界に来てしまったのではないか」なんて発想もしたが、幾らここがファンタジー世界であるとはいえ流石に突拍子がなさ過ぎるだろう。
崩壊した文明。
異形化した人類と動物。
地上でも変わらず存在する呪血病。
神話によればこちら側の世界に居るらしいが、全くそんな気配を感じさせない天神たち。
ここに来れば呪血病について分かるかも知れないと思ったのに、謎は深まるばかりだ。
どうしたものかと頭を抱えていると、突然、外に繋がる扉が開いた。
そこに居たのは、桃色の髪の少女、リゼッタ。
彼女は俺を見るや否や、笑顔で駆け寄ってくる。
「おにーさん! 自分から会いに来ちゃった♪」
「何の用だ? あ、そういや名乗ってなかったけど、俺の名前はレイジな」
「あたし、レイジに一目惚れしちゃってぇ……」
「正直に言え」
「……お腹、空いちゃった」
「はあ」
「でもレイジがカッコいいと思ったのはホントだからね!? 見た目もそうだけど、他の男と違ってあたしなんかに優しくしてくれて……むぐっ!?」
俺はリゼッタの口にパンを押し込んだ。
全く。一応持ってきた食事がどんどん消えていくぞ。
俺やアルケーは《術式》によって空気中から栄養を摂取出来るので食事をする必要はないのだが、それでも「口寂しさ」というものはあるのだ。
リゼッタは緩み切った表情でパンを頬張りながら俺の隣に座った。
外見こそ「人を篭絡する悪辣なサキュバス」のようであるものの、中身は人懐っこい普通の少女でしかないのかも知れない。
彼女はしばらく黙々とパンを貪っていたが、全て食べ終わると俺の方を見て満面の笑みを浮かべた。
「えへへ、ありがとー! ま、あたしみたいなタイプって『男の人が出すもの』も栄養に出来るから、あんたが抱いてくれればそれで良かったんだけどね」
「やめとくよ」
「え~。あたし、そんなに可愛くない!?」
「率直に言えば可愛い。だが、いきなり知らない女とそういう行為に及ぶもんじゃないだろ」
「可愛いんだ、てへへ……でも、あんたって変わってんね。ここじゃ男も女もそうやって苦しい日々を誤魔化すくらいしかやることがないのに。やっぱり好き好んで地上に来るくらいだから生活に余裕があったんだ?」
「それは否定しない……って、もしかして外で盗み聞きしてたのか?」
「うん。すぐに入ろうと思ったけど、あんたらがどんな事情を抱えてるのか気になって」
リゼッタはそう言った後、急に俺の手を握ってきた。
何かを懇願するかのように、どこまでも深刻そうな顔をして見つめてくる。
そして、こう続けるのだ。
「ねえお願い、あたしを天上に連れて行ってよ! いつか戻る時になったら、一緒に行かせて!」
「……はぁ!? 突然何を言って……」
「ちょっとでもこの世界のこと見てきたんだから分かるでしょ! こんなとこには居たくないの! 今よりずっと小さい頃に両親から捨てられて一人で頑張ってきたけど、もう限界なの!」
リゼッタがまくし立てるように語った。
演技には見えない。「自分が希望を掴めるとしたら今このタイミングしかない」――そんな思いを感じさせるような、本物の気迫がある。
そうだよな。一時の施し程度で「これからも生きていかねばならない」という絶望を晴らせる筈もないのだ。
もし本当に地上がどこも地獄であるならば、「ここでもう少し頑張ってみろ」なんてのは無責任過ぎる考えだ。
天上に連れて行き、住む場所と適切な仕事を与え、今後の生活をも保証せねば本当に救ったことにはならない。
そして、俺ならばきっとそれが出来る。
外見的にも文化的にも最初は順応に凄く苦労するだろうが、それなりの経済力と影響力を持っている俺ならば助けてやれる。
「一応聞くが、本気なんだな? お前ら地上人は上の人間にとって化物だ。周りの連中の認識を変えられるよう努力はしてみるが、上手くいかないかも知れないぞ」
「本気に決まってるよ。ここには端から敵しか居ないの。それが少しでも変わる可能性があるなら、そこに懸けてみたいよ」
「……分かった。ただ、盗み聞きしてたなら知ってると思うが、すぐに戻るつもりはないからな」
「病気を治す方法を探す為に来たんでしょ。手伝うよ」
「手伝うって……何が出来るんだ? 文字とか読めるのか?」
「いや読めないけど! うーん、男の人を良い気持ちにするのは得意だよ!」
「はぁ……まあこれから色々教えてやればいいか。じゃあ、一緒に来るか?」
「うんっ!」
勢いよく抱きついてくるリゼッタ。
つい流れで、とんでもない厄介事を引き受けてしまった。
とはいえ、思い返してみれば俺の人生ってずっとそうだったな。
いつでも人を助けたいと願って、勢い任せに動いてきた。
何度も助けてきた一方で助けられないこともあって、その度に自分の無力さを痛感してきたけれど、それでも立ち上がってきた。
本当に不器用で愚かな生き方だと思う。
でも、目の前の弱者を――たとえば、地獄のような世界で搾取に怯えながら生きる少女を見捨てるよりはずっといいさ。
ユウキ。お前もきっと「レイジ兄ちゃんならそうする」って言うだろう?