断章:地上世界の真実、黎司の決意①
俺――時崎黎司――と緑髪の「魔女」アルケーは、神や世界、呪血病に関する真実を求めて地上に足を踏み入れた。
晴天の中、遥か遠くにぽつんと島が浮かんでいる。
恐らくはあれが天上大陸だろう。どうやら、あちらで開いたゲートは真下に繋がった訳ではないらしい。
さて。転生者の身でこんな表現をするのも妙な話だが、俺たちの目に飛び込んできたのは異世界じみた光景だった。
砕けて草むしたアスファルトの道、朽ち果てた建造物。
遠くにはビル群のようなものが見えるが、どれも破壊されている。
いわゆる「中世風ファンタジー」のそれとは全く異なる街並みだ。
無論、俺が東方諸国で広めた和風文化とも、かつて生きていた現代日本とも違う。
過去には天上大陸の文明よりも遥かに発展していただろうと推測出来るが、まるで世界の終末でも訪れたかのように全てが滅び去っているのだ。
そして、辺りには様々な形状をした「モンスター」が無数に居た。
天上大陸でも極稀にモンスターを見ることが出来て、俺も一度だけだが戦った経験がある。
あれは、こいつらのうちの一部が偶発的な空間接続に巻き込まれ、迷い込んでしまったものだ。
天神信仰には「人を襲う悪しき存在」――「魔族」や「魔物」といった概念があるが、古代の人々がこれらのモンスターを見てそう名付けたに違いない。
よく見れば、動物型のモンスター――「魔物」と呼ぶことにする――は、人型のもの――こちらは「魔族」と呼ぼう――を追いかけ回して襲っている。
そして、魔族たちは言葉を発しながら逃げ惑っている。
そう、奴らは言葉が使えるのだ。
もしや、人間と同じように知性と人格を有しているのか?
そんなことを思っていると、俺と同じくこの地上世界の風景に圧倒されていたアルケーが、苦笑いをしながら口を開いた。
「こんなものが『楽園』……神の居場所なのか……」
「お前でも驚くんだな、アルケー」
「無論、地上がまともな場所じゃないというのは分かっていたさ。聖団は必死に隠し通しているが、上に居たモンスターはここから来ている訳だし。でも……」
「イメージとのギャップってやつか?」
「ああ。これじゃ楽園どころか地獄だ」
「だな……ともかく、探索してみよう。ヤバそうな魔物や魔族に見つからないようにな」
「『魔物』? 『魔族』? あ~……あの異形どもをそう呼ぶか。良いね、私もそれに倣おう」
表通りには魔物が徘徊しているので、廃屋の陰を歩いていく。
どこまで行っても死体や死にかけの浮浪者が常に視界に入るし、腐臭も漂ってくる。
天上の世界とてスラム街は存在しているが、これ程に過酷なのは見たことがない。
「楽園」の絶望的な現実を前に、早くも心が折れそうになる。
巨大な建物の狭間で壁にもたれ掛かって一息ついていると、向こう側から一人の女の子が現れた。
伸ばしっぱなしの桃色の髪。華奢な身体を包むのは汚れたワンピース一枚。
健康体ならば誰もが認める美少女であっただろうというのは想像に難くないが、かなりやつれている。
何より特徴的なのは、額に一対の角、背中からは小さな翼、尻からは黒くか細い尾が生えているということだ。
現代日本に存在したファンタジー作品における「サキュバス」のような容姿をしているのである。
全体的に見ればかなり人間に近いものの、この子もまた魔族なのだろう。
彼女は胸元を見せるように前かがみになり、ニコニコしながら俺を見上げた。
「ねえ、素敵なおにーさん。あたしと遊ばない?」
「遊ぶって?」
「え、ここがどこか分かって楽しみに来たんじゃないの?」
「もしかして、この路地裏では……」
なるほど、そうやって生きるしかない女性がここに集っているという訳か。
天上大陸のスラムにもそういう場所はあったが、なんとも痛ましいな。
俺はつい少女を哀れみの目で見てしまった。
それがしゃくに障ったのか、或いは単に彼女が望む答えを俺が出さないからなのかは分からないが、少女は露骨に苛立ち始める。
「……ねえ、あんたらって『上』から来たの? まともな見た目してるし何も知らなさそうだから、もしかしてと思ったけど」
「ああ」
「ふぅん、じゃあ良い暮らししてたんだろうね。生きてる天上人と会って話したことはないけど、上は楽園みたいな世界らしいね」
「ん、他に天上人が居るのか?」
「ここに迷い込んできて、上から来たことを話した奴が居た。それを聞いたらみんな怒っちゃって、そいつをボコボコにして服も物も肉も全部奪っていった。あんたら運が良かったね」
「お前はそうしないのか?」
「あたし、非力な女の子だから。代わりにあたしのことを哀れんで何かちょうだいよ。身体は使わせたげるから」
ふと横を見ると、アルケーと目が合った。
何やらニヤニヤしている。
「可愛がってやればいいんじゃないか? 私ほど抱き心地は良くないだろうが、スラムの娼婦にしては整った顔をしている」
「いや、そういう話がしたいんじゃなく……」
「私に配慮しなくても良いんだぞ? 君を束縛するつもりは一切ないからな」
「だから違うっつの。話が通じそうな子だから、知識階級が居そうな場所を聞いてみようかとな」
「あ~、そういうのは君に任せるよ。相手は女の子なのだからその方が上手く行くだろう」
「はぁ……分かったよ。え~っと、なんて呼べば良い?」
頬を掻きながら少女の目を見る。
「……リゼッタ」
「リゼッタ。どこかにちゃんとした街はないのか? スラムじゃなくて」
「『ちゃんとした街』って何よ」
「そりゃ、こう……建物が壊れてなくて人が普通に生活しているような……」
「寝ぼけてんの? そんなもんこの世界にある訳ないじゃん」
そう言って少女は、建造物の隙間から見える空の彼方に浮かぶ天上大陸を指した。
「まともな街があるとしたら、それこそあそこだけでしょ。地上なんてどこも掃き溜めだよ」
「……そうか。じゃあ、学者や医者がどこに居るかは知っているか? そういう連中に用事があってな」
「『学者』? 『医者』? なにそれ」
「あ~、えっと、『賢い人』って言ったら分かるか?」
「あたしのことバカだって言ってんの!?」
「そういう意味じゃなくてだな……いや、そう聞こえるか。悪かったよリゼッタ」
「良いよ、確かにバカだし。でも、どいつもこいつも一緒だよ。ここに居るのなんて抱いて抱かれて奪って殺して食ってその日その日を生きてる奴だけ」
「それだけ過酷な世界ってことか」
「うん。誰だって余裕がないとそういう生き方しか出来なくなるんだ。悪いのはあたしや他のクズ共じゃない……あたしらを救わない『恵まれた奴ら』と、神と、この世界そのものだよ」
「なるほど……よく分かったよ。ありがとう」
「で、あたしと遊んでくれるの!? 一日分のご飯くれれば一日中相手したげるから、ねえお願い!」
「悪いがそういうのは遠慮しておくよ。礼になるかは分からんが、こんなもので良ければ持っていってくれ」
俺は鞄からパンを取り出し、リゼッタに差し出した。
天上大陸ならば金を渡してやることも出来るのだが、ここで上の金は使えないだろうし、そもそも貨幣経済が成立しているかも怪しいから、与えて喜ばれるものは食い物くらいだろう。
実際、お気に召したのか、リゼッタは分かりやすく上機嫌になってその場でパンを貪り始めた。
「むしゃむしゃ……ありがとぉ、おにーさん! 三日も何も食べてなかったんだよね~」
「じゃあそろそろ行くよ」
「ん。また遊びに来てねぇ」
俺たちはリゼッタのもとを離れ、再びあてもなく荒廃した街を歩き始めた。
「やれやれ、先が思いやられるな。君が一緒で本当に良かったよ、レイジ」
「とはいえリゼッタの話した通りなら、ここには世界について知る手掛かりなど何もないことになるが……」
「まあまあ。ああいう手合は大抵、狭い世界でしか生きていないものだ。本人に罪はないけどね。《術式》で飲食を代替出来る私達には幾らでも時間があるんだし、じっくり探そうじゃないか」
「ああ、そうだな……」
気を紛らすようにアルケーと雑談をしながら進むも、見えてくる景色は一向に変わらない。
本当にこの地上世界そのものが掃き溜め――いや、地獄なのかも知れない。
死体の山があるならまだ良い方で、魔物と汚れきった白骨しか存在しない区画もあった。
力のある魔族は食事を得る為に魔物や自分より弱い同族を狩る一方、弱者は怯えながら物陰でひっそりと生きるのみだ。
街中にあった比較的清潔そうな水が流れる川は少数の屈強な魔族に占領され、他は汚泥と血でドス黒くなった水たまりに密集していた。
どうやらそこは見た目通り疫病に汚染されていたようで人がたくさん倒れているが、誰も気にしていない。嘔吐して苦しんでいる者がすぐ近くに居ても一瞥すらしない。
この世界において「死」とはどこまでも日常なのだ。他人の死など彼らにとってはどうでもいいことなのだ。
かつてこの地には文明が存在したのかも知れない。だが今あるのは暴力と死に支配された、弱肉強食の摂理だけである。
延々と続く光景に気が滅入ってきたがしかし、しばらく歩いた辺りで、俺はある建造物を見つけるのであった。
壁は他と同じくボロボロに朽ちているが、よく観察してみれば「図書館」と読み取れなくもない文字が刻まれている。
俺はアルケーの肩を軽く叩き、そちらを指差した。
「図書館かも知れない。もしかしたら何かあるんじゃないか?」
「ふむ。では入ってみようか」
「屋内は魔物や魔族の住処になってる可能性が高い。今のお前は《絆の誓い》で強化されているとはいえ、警戒を怠るなよ」
「分かってる」
慎重に気配を窺いながら入り口の前に立つ。
静かだ。少なくとも内部で魔物が暴れている感じはしない。
扉はどこか前世における自動ドアに形が似ているが、勝手に開いたりはしない。これだけ荒廃した世界なのだから、そんな文明の利器など存在しないだろうと分かってはいたが。
また、扉や窓にはまっていたであろうガラスは砕けて散乱しており、代わりに金属板で塞がれている。
誰かが簡易的な補修を施したのだろうか。かなり不自然で雑な仕事ではあるものの、壊れっぱなしになっている他の建物と比べればマシと言える。
少しだけ待機して内部の気配に変化がないことを確認した俺たちは、一気に扉を開放し突入した。
そこには期待通り、たくさんの書架が立ち並んでいた。
そして中央にはあぐらをかいて古びた本を読んでいる男が居る。
緑色の肌。筋骨隆々とした体つき。ファンタジーの中で蛮族として描かれることの多い「オーク」に似た、いかにも魔族らしい風貌だ。
彼は俺たちを見るや否や、本を床に置いて立ち上がった。
つい「攻撃されるか」と思い反射的に戦闘態勢を取るも、その男は戦意のなさを示すかのように両手を広げてみせた。
「待て待て、そう警戒なさんな! 俺はその辺に居る野蛮人どもとは違う! 取って食ったりしねえよ!」




