5章10節【5章完結】:いつかまた、どこかで
私は消耗し切った肉体を気力でもって無理やり動かし、ライルやネルを守りながら聖団領アレセイアを脱出した。
巡礼路から、未だ漆黒の空に覆われている街を振り返る。
後ろ髪を引かれる思いが消えてくれないのだ。
「どうしようもなかった」。そんなことはアレセイアを目指す前の時点で――否、ネルと出会った時点で分かり切っていた筈なのに。
泣き出しそうになるのを必死に堪えながら、ネルの顔を見た。
彼女は私と目を合わそうとしない。全身に走る激痛に耐えるので一杯一杯といった感じだ。
終わりが近いのは明白だった。そして呪血病患者は、死の間際に最大の苦痛を味わうこととなる。
ネルをこれ以上苦しませない意味でも、リア様に責任を負わせない意味でも、三人で一緒に王都に帰ることは許されないだろう。
だから、私が、この手で。
今までもウォルフガング団長やリア様が発症者に対してせめてもの救済を与える様を見てきたが、自分でやるのは初めてだ。
ずっと逃げていた。怖かった。ただ不運であっただけの弱者を斬る剣ほど重いものはない。
でも今回ばかりは逃げてもいられないのだ。
ネルを攻撃するかもしれない群衆から距離を取る為、私たちは巡礼路から少し離れたところを歩く。
他に誰も居ない草原で優しい風に吹かれながら、ゆっくりと覚悟を固めていく。
そんな中、その女性は私たちの目の前に現れた。
長い耳。美しい顔立ちと肉体。純白の衣。太陽のように眩しい金髪。
まさしく神話で語られし伝説のエルフと同じ容姿をしているし、何より醸し出す雰囲気がその人物の正体を告げていた。
「トロイメライ……様……」
私がぽつりと漏らした言葉に反応し、空を眺めていたそのエルフはこちらを見た。
「ええ」
ああ、ずっと求めていた存在が、今この場に立っている。
皆を振り回した存在が。災厄の遠因とも言える存在が。
だが、それを責めるつもりはない。
確かに、トロイメライ様がアレセイアに居ることが知れ渡ってしまった為に《崩壊の空》が起きたのかも知れない。
でも噂が広まったお陰で、私たちを含む「絶望の中にある人々」が希望を見出だせたのもまた事実なのだ。
ゆえに私のすべきことは、たった一つ。
跪き、手を組んで祈る。
「どうかこの子を……ネルを救って下さいませんか」
私の懇願に対し、トロイメライ様はどこか悲しげな顔をした。
彼女は、私の隣で同じように跪いているライルと、その腕に抱かれているネルを見て言う。
「私は、あなた方が想像している形の救済を与えることは出来ません」
「どういうことですか?」
「聖団は私の存在を神話や教義に勝手に利用し、偽りを言い伝えました……私に、死者を蘇らせる力などないのです」
「え……!?」
そんな。最後の最後でようやく救いに辿り着けたと思ったのに。
努力と祈りが届いたと思ったのに!
全身から力が抜けていく。トロイメライ様を見上げることも出来なくなって、私は項垂れた。
ライルも、トロイメライ様の御前であることを忘れたかのように嘆く。
「ここまで来たんだ……リーズ、めちゃくちゃ頑張ってたんだ……! それなのにこんな結末ってないだろ……!」
「『死の取り消し』など私どころか天の神々でさえも起こせぬことです。死とはそれだけ重く、絶対的であり、だからこそ生命は尊いのです」
「……ネルとはもう、お別れをするしかないのですか?」
私が恐る恐る聞くと、トロイメライ様は淡々と回答した。
「ええ……『少なくとも今は』」
「『今は』?」
「私は天の神の一柱、《循魂天》の加護を受けた存在です」
天神様の加護。すなわちトロイメライ様はリア様やルア、アルフォンスと同じく、特別な能力を持っているということだろう。
そして《循魂天》は、魂の循環を司る神である。そこから連想出来ることと言えば。
「……もしや、『魂を継承した別の存在として再誕させることが出来る』!?」
私はトロイメライ様を見つめた。
《権限》が天神の特性をどこまで継承しているかはっきりしない以上、単なる希望的観測でしかない答えだったが、彼女は頷いてくれた。
「まさにその通りです。私は神の代理として『強い希望を抱きながらも死んでいった者』を選定し、来世を与える力を持ちます。但し、転生先は地上ですが」
「地上……神々の住まう楽園……」
「はい。ですから、その子に願いを聞いてごらんなさい。その願いの内容と想いの強さを見て判断致しましょう」
言われた通り、ネルの顔を見つめて問いかける。
「……ネル。これからしたいこと、ある?」
彼女は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらも、おもむろに語った。
「もっと、みんなと居たかった……! ずっと苦しくて、やっと幸せになれたのに、すぐに終わっちゃったから……!」
「ネル……」
「もっとリーズお姉ちゃんやリアお姉ちゃん、ライルお兄ちゃんやウォルフガングせんせいと一緒に居たかったよぉ……!」
悲痛な叫びに胸が痛む。
その願いを叶えてやれないのが、本当に悔しい。
でも同時に、どこか喜びのようなものもあった。
短い間だったけれど、私たちはネルにこんな願いを抱かせるくらいには幸せを与えることが出来ていたのだ。
私が再びトロイメライ様の方を向くと、彼女はネルに優しく微笑みかけた。
「……であれば地上で生きて、信じ続けなさい。いつかまた、どこかで会える日が来ると。たとえ異なる世界でも、生きてさえいれば希望が潰えることはありません」
「トロイメライ様、ネルを救って頂けるのですか!?」
「彼女が救われるかどうかはあなた方次第です。あなた方が精一杯生きて、何があっても最期まで希望を忘れずに生き抜いたのであれば地上に送って差し上げましょう。そこでようやく、ネルの願いが叶うのです」
「……ええ、確かに仰る通りです」
トロイメライ様の言葉を聞いて、ようやく覚悟が出来た。
これから何があっても――私に残された命がそう長くなくとも、全力で生きていく。
絶望を乗り越えるのではなく、背負ったまま力に変えて駆け抜けていく。
だから。
いつかまた、どこかで会える日まで、ほんの少しだけお別れだ。
「なあ、リーズ。俺が……」
短剣を取り出そうとしたライルを制止する。
これは私がやらねばならない。私もまた、近いうちに他の誰かに自らの命を背負わせることになるから。
雷剣を抜く。ライルからゆっくりとネルを受け取り、柔らかな草の上に寝かせる。
「ごめんなさい……」
怯えつつも頷くネルの傍に両膝をつき、上から剣を首に突きつける。
彼女もまた覚悟を決め、ぎゅっと目を閉じた。
「……どうか、地上で幸福な来世を」
祈りの言葉を掛け、震える手を抑える。
奴隷狩りの拠点での出会い。
平和な日常。
ネルを明確に仲間に加えるきっかけとなった冒険者連続襲撃事件。
仲間として頑張ってくれた、王立アカデミーでの事件。
短くも濃密な日々が頭の中を駆け巡る。
私はそれらの思い出をそっと胸の奥にしまい込んで、刃を下ろした。
***
私たちは巡礼路の傍にネルを埋葬した後、行きよりも時間を掛けてラトリア王国に戻った。
私もライルもひどく憔悴していたというのはあるけれど、リア様と再会する前に心の整理をしておきたかったという事情もある。
馬車から王都の城壁が見えてくる。
なんだか久しぶりに戻ってきたような気がするな。
ここに三人で帰ってこられなかったことを実感して俯いていると、隣に座っているライルが私の手を握った。
「……また会えたら良いな」
「あの子や天神様、トロイメライ様に胸を張れるくらいに最後まで全力で生き抜けば、絶対に会える筈よ」
「ああ。ネルの為にも俺たち自身の為にも、頑張らねえと」
やがて馬車が王都に到着し、私たちは宿に戻った。
リア様もウォルフガング団長も戦争から無事に帰還出来たようで、部屋で身体を休めていた。
「只今帰りました」
二人に告げる。どちらもネルが居ないことに気付き、眉尻を下げた。
「リア様、本当にごめんなさい。随分と遠出をしてしまって……それなのに、こんな……」
「……リーズちゃん」
「見る限り、そちらは特に変わりないようですね。本当に良かったです。旅先でもずっと心配していたんですよ」
「リーズちゃん!」
「は、はいっ! なんでしょう?」
「無理しなくていいんだよ」
「別に無理など……」
「自分の顔、触ってみたら? もう、ホントに嘘が下手なんだから」
リア様に言われた通りにしてみると、目から生温かい涙が溢れていた。
拭っても、拭っても途切れてくれない。
ああ、駄目だな。リア様にこんな情けない姿を見せてしまうなんて。
そう思っていると、彼女は優しく笑って両手を差し出すのだ。
「泣いていいんだよ、リーズちゃん」
その一言で、私は堪え切れなくなった。
リア様のもとへ駆け寄って、彼女に抱かれながら声を上げて泣いた。
「貴族の娘」。「王女を守る騎士」。
今だけはあらゆる誇りも立場も捨て去って、一人の気弱な少女としてひたすらに泣き続けるのであった――。
*****
これは、どこか遠くで、同時にすごく近い世界の物語。
ある少女は一般的な中流家庭に生まれ、平穏な人生を送っていた。
小学校の退屈でよく分からない授業や宿題に悩まされる一方、運動能力や手先の器用さには恵まれており愛嬌もある為か、クラスでは人気者だ。
いつでも友達に囲まれていて楽しい毎日を元気に過ごしている、典型的で理想的な小学生である。
だけど、そんな彼女の心の奥深くには、どこかぽっかりと穴が空いているような感覚があった。
物心ついた時から、ずっと。
まるで、元々そこにあった筈のものが失われているかのように。
大切な思い出を忘れてしまっているかのように。
正体不明の精神的欠落を抱えながらも、「今が楽しければそれでいい」と考えてあまり気にしないように生きていた彼女だったが、ある日、そんな状況を変化させる出来事が起きた。
放課後、少女はいつものように公園で遊んでいた。
その日は珍しく友人たちとの都合がつかなかったようであり、一人でつまらなそうにしている。
彼女はすぐに耐えかね、遊び相手を求めて公園内をうろつき始めた。
そうして出会ったのは、特に遊具も何もない端っこに座り込んでいた、黒髪の快活そうな男の子と茶髪の気怠げな女の子。
二人とも同じく小学生に見えるが、少女よりも上の学年だろう。
女の子は、わざわざ公園に来ているというのにスマートフォンでゲームアプリを弄っている。
男の子が遊びに付き合わせようと彼女の服をつまんだり腕を引っ張ったりしているが、意地でも動こうとしない。
何とも微笑ましい光景が繰り広げられる中、男の子は女の子に対してこんなことを言った。
「もう、せっかく公園に居るんだからセナちゃんもゲームばっかしてないで一緒に遊ぼうよ!」
それに心の底からうんざりしたように返す女の子。
「うざ……お母さんの顔見たくないから出てきただけなんだけど」
「またそんな捻くれたこと言って! お母さんが聞いたら悲しむよ!」
「どうせ私のことなんて興味ないし。もうどっか行ってよ。いま期間限定イベントやってて忙しいんだよ」
「はぁ……しょうがないなあ。じゃあ僕もそのゲーム入れるから一緒に遊ぼうよ。えっと……『アステリア』ってのがセナちゃんのプレイヤー名?」
「うざっ! 画面見んな。別に始めてもいいけどフレンド登録とかしてあげないからね?」
「してよ! それより『アステリア』ってどういう意味なの? なんでその名前にしたの?」
「……『星座』って意味だよ。なんか『星名』と似てて良いなって」
「意外と自分の名前、ちゃんと気に入ってるんだね」
「うっさい」
なんてことない会話なのだが、そこに含まれていた言葉――「アステリア」に、何故だか少女はとても心惹かれた。
それと似た響きの名前をどこかで聞いたことがある気がする。
いや、名前だけではなく、ゲーム内でそう名乗っているらしい茶髪の女の子そのものに親近感を覚えてしまう。
「アステリア」なんて全く聞き覚えのない名前だし、この「セナ」という女の子のことだって何も知らない。
それなのに、どうしてこんなにも懐かしい気がするのだろう?
どうして、心の穴が埋まっていくような感じがするのだろう?
分からないけれど今はそれでも良い。大事なのは、由来が分からずともここには確かに縁があるということだ。
そう考えた少女は、二人のもとへ駆け寄っていくのであった。
これにて第五章は完結です。次章「東方諸国動乱」編、お楽しみに。
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