5章7節:呪血病発症者の失踪
調査を始めてから一週間が経過したが、未だにトロイメライ様の行方は掴めていない。
ネルはますます弱ってきている。残っている片脚と片腕も黒く腐敗して崩れかけているし、可愛らしい猫の耳も片方だけになっている。
宿に見舞いに行けば、彼女はいつも激痛で泣き叫んでいた。だが手を握ってやることも出来ない。
こうなってしまえばもう、会話をすることすら殆ど出来なくなってしまう。
この子の魂が天上大陸に残っているうちに早く何とかしなければ。
そんな焦りが募る中、私とライルは街中である噂を聞きつけた。
「聖団領に来た呪血病患者が行方不明になっている」というのだ。
患者の家族や恋人、友人と思しき者たちがそう語っている。
最初は聖団関係の施設で保護されているだけかも知れないと考えたが、どうやらそういう訳でもないらしい。
自らの死期を悟り、呪血病特有の壮絶な最期を親しい人に見せない為にあえて行方をくらましたのか。
いや、もっと最悪な可能性もある。
以前に耳にした「呪血病の発症者が《崩壊の空》と呼ばれる災厄を引き起こす」というデタラメは、少しずつだが確実に聖団領内に広まりつつある。
これに差別意識を刺激された一部の人間が、患者をさらってどこかで暴力を振るったり殺害したりしているのではないか。
不安に駆られた私は、一時的に調査を中断してライルと共にネルのもとへ向かった。
行方不明の件は悲しいけれど、今の私たちにはもっと大事なこと――トロイメライ様の捜索がある。
だからネルの姿を見て安心したかったのだ。
でも、悪い予感ほど当たってしまうもので。
ベッドの上からネルが居なくなっていた。
今の彼女は自分で動けるような状態ではないので誰かが連れ出した筈なのだが、しばらく部屋に滞在していても一向にその誰かとネルが戻ってくる様子はない。
修道士に聞いてみても「いつの間にか居なくなっていた」と言うだけだ。
「……嘘よ」
俯いて、小さく呟いた。
どうしてこうも最悪なことばかり重なるのか。
心の奥底には悲しみを通り越して、理不尽な世界に対する憎悪が募ってくる。
ライルも同じ心境のようで、苛立たしげに壁を叩いた。
「くそっ……なんなんだよ……! なんであいつがこんな目に遭わなきゃならないんだよ……!」
「探さなきゃ……」
「探すったって、どこを……」
「分からないわよ! 分からなくても見つけるしかないの!」
「……そうだよな、愚問だった。まあ伝説上のエルフ様を見つけるよりは楽だろ」
ライルが下手くそな作り笑いをする。余裕がない私を少しでも安心させてくれようとしているように見えて、申し訳ない気持ちになった。
それから私たちは宿の内部や街を駆けずり回ったが、当然というべきか、ネルの行方など分かる筈もなかった。
他の街ならともかく、ここでは呪血病患者が誰かに連れられていることなど珍しくも何ともない。
特に「トロイメライ様が居る」という希望を感じさせるような噂が広まっている今は。
やはり、誰にも気付かれずにどこかに連れて行かれてしまったのだろうか。
いや、あまり深く考えないようにしていたが、もう一つの可能性がある。
私が黙っていると、代わりにライルが言葉にした。
「なあ。あの宿って聖団の施設と繋がってるんだろ?」
「……ええ」
「じゃあ、もしかすると外には出てないのかも知れないぜ? 聖団の連中が内部に連れて行ったんじゃないか」
「保護者である私たちに無断で? 目的が分からないわ」
「んなもん俺にも分かんねえよ。でも闇雲に街で探し回るよりは幾らかマシだろ」
「そうは言っても、宿の向こう側は関係者しか入れないわ」
「知ってるだろ、俺がそういうの得意だって」
この男、まさか《隠匿》を使って潜入するつもりか?
確か隠密行動にかけてはライルの右に出る者はそうそう居ないと思っている。
だが技術の話はさておき、聖団の信徒としてそれはまずいだろう。
「見つかったら最悪、破門されるわよ?」
「宗教の信徒で居続けることより、大事な仲間の行方を確かめることの方が大事だろ。時間だってそう残されてないんだからヤバくても早く動かねえと」
「それはそうかも知れないけど……」
「別に『俺一人が興味本位でうっかり入っちゃった』ってことにしとけば、何かあっても俺が罰せられるだけで済む」
私は少しの間、沈黙した。神聖なる宗教施設に侵入するというのはどうしても抵抗があった。
だがライルの言うことも正しい。
そして、そう思うのならば彼一人に任せず、私も行くべきだ。
「……待って。行くなら私も同行させて」
「ん~……それは良いんだが、あんたが隠密出来るのかっていう問題もある訳で」
「そこはあなたが何とかしてよ。代わりに、あまり考えたくないけれど……もし戦闘が起きるようなことがあったら私が頑張るから」
「なるほどな……分かったよ、一緒に行こう。ネルは絶対に見つけるとして、トロイメライ様も見つかったら最高だな」
「ええ。施設内部にいらっしゃるかも知れないものね」
そんな都合の良いことがあるのか。或いはもしトロイメライ様にお会い出来たとして、無断で侵入した私たちの願いなど聞いて下さるのか。
悲観的な考えが際限なく湧き出てくる。けれど今はそれらを無視し、前を向いて歩みを進めるしかない。
***
さて。長い付き合いだから知っているのだが、ライルの《隠匿》は彼自身だけでなく彼に触れている他者の存在感も消すことが出来るのだ。
「……でも、これはねえだろ」
「こら、喋らないの。誰かに聞かれたらどうするの」
「だって背中に胸が……いや何でもないっす」
そういう訳で、私は先導するライルにぴったりくっついて移動している。
これが最も気配遮断の恩恵を受けられるので私から提案したのだけれど、彼は「恥ずかしい」と言って、かなり渋っていた。
私だって恥ずかしいけれど仕方ないだろう。
きらびやかな宗教施設の中を慎重に歩いていく。
聖団関係者とすれ違う度に冷や汗をかきつつもしばらく探索すると、鎧を着込んだ男が呪血病患者を抱えてどこかに運んでいるのが見えた。
男は恐らく、聖団直属の戦士「聖団騎士」の一人だろう。周りの修道士たちが恐縮し、頭を下げている。
患者の方はネルとは別人だ。症状は彼女と同等以上に進行しているようだが、激痛に苦しんでいる様子はない。
あれ程の状態になってしまうと普通、絶命して完全に黒い塵と化すまで安らぎが訪れることはないので、《術式》か何かで無理やり意識を奪われているのだろう。
私たちは適度に距離を保ち、警戒しながら騎士の跡をつけた。
彼が患者を連れて行ったのは施設内部から通じている地下だった。
薄暗く不気味な通路を歩いていった先に大きめの部屋がある。
そこに広がっている光景に、私は目を疑った。
思わず声を出しかけたところ、振り返ったライルに口を塞がれる。
床に並べられた呪血病患者たちの頭を、聖団騎士や修道士が斧で切り落としていたのだ。
誰もが悲痛な面持ちで首を断っている。患者はかなり深く眠らされているのか、誰もが一切悲鳴を上げることなく絶命している。
街で行方不明になった患者たちはここに連れてこられ、殺害されているのだ。
それも街の人々の様子から察するに、恐らくは親しい人の許しも本人の許しも得ずに。
騎士たちが望んでやっていることではないのは彼らの様子を見れば明らかだが、これはそういう問題ではない。
確かに症状が進行した患者を救う方法はこれしかないのかも知れない。
だからといって勝手に連れ去って勝手に死を迎えさせるというのは間違っている。
この行為に一体どれほどの正義があると思っているのか、聖団の者を問い詰めたい気持ちに駆られつつも、今は最優先事項である「ネルの捜索」だけを考える。
「どうか生きていて欲しい」――そんな祈りを天神様に捧げながら部屋を回る。
すると祈りが届いたのか、他の発症者と同じように床に横たわっているネルを発見することが出来た。
しかし、部屋には聖団騎士が居る。
ネルを連れ出せば確実に気づかれて騒ぎになるだろう。
きっと、この街でトロイメライ様を探すのは不可能になる。
いっそ保護者であることを明かしてネルの助命を懇願してみるか?
いや、こんな場所に患者を集めて殺害している辺り、保護者の頼みであっても受け入れる気がないのは明白だ。
つまり、あとほんの少しでもネルに時間を作ってやろうと思うのであれば、動くしかない。
私はライルの背後から小声で囁いた。
「……あの子を抱えて逃げて。追手は私が抑える」
「やれるのか? 相手は聖団騎士なんだぞ?」
「あなたはもっと無理でしょう?」
「……そうだな、情けないけど。分かったよ……それで行こう」
*****
アレセイア領内、宗教施設内の一室にて。
エルフの女性と人間族の青年が、机を挟んで椅子に腰掛けている。
前者は可愛らしさと妖艶さを兼ね備えた顔立ちをしている。肩に届かない程度の長さの金髪だが、横髪だけが腰の辺りまで伸ばされている。
すらっとした肉体を、露出こそあるが決して下品には見えない真っ白な衣服が覆っている。
対して青年の方もまた美形であり、少し伸ばした金髪に、清潔さを思わせる白と金の服装をしている。
細身ではあるものの決して軟弱さは感じさせない。
そんな、場の空気を支配しかねない程に整った容姿を持つ二人が、他に誰も居ない狭い小部屋で向き合っていた。
青年は真剣な表情でエルフの目を見て語りかける。
「こうなってしまったのはあなたのせいですよ……トロイメライ様」
「……ええ。そうなのでしょうね」
「我々にあなたを止める権利はないので飽くまで願うだけですが、今後、どうか聖団領に来訪するのはやめて頂きたい」
「ですが、ここにはいつだって絶望の淵に立たされている旅人が居ます。その中には救うべき者……強い未練と意志を宿した者も居ることでしょう」
「あなたのその行動が更なる悲劇を生むと言っているのですよ。あなたが動けばこうして世界中の人々が虚ろな希望に縋り、絶望に陥っていきます」
青年が丁寧な口調ながらも力強く言うと、エルフの女性――トロイメライは俯いて答えた。
「生誕から死まで苦痛に満ちているこの世に初めから救いなどありません。私の力とて、彼らを救うことは決して出来ない。神話のように『失われた命を蘇らせる』などということが出来たらまだ良かったのに」
「我々はあなたほど現世に失望していない。だからこそ、この手で呪血病患者の命を奪うというのは深い心の痛みを生じさせます……たとえそれが『善行』とみなされるとしても、唯一の救済であったとしても」
「あなたは本当にお優しい方なのですね、アルフォンス」
「表に出せぬ慈悲などに価値はありません。私は聖団騎士の長として果たすべき義務の為に弱者を切り捨てることを選んだ冷酷な人間です」
「……これからどうするのですか?」
「症状の重い発症者はみな殺すことになります。それでも『手遅れ』でしょうが、最小限の犠牲に留めることは出来る」
トロイメライと青年――聖団騎士の団長アルフォンスの間に重い空気が流れる。
そこに割って入ったのは、一人の聖団騎士だった。
「アルフォンス様! 侵入者です!」
「ふむ。何者だ?」
「そ、それが……あの容姿、恐らく《ヴェンデッタ》のメンバーかと! 仲間の発症者を連れ戻しに来たようです!」
「序列入り、しかも実力の上では第一位にも匹敵すると評価されることもある、あの連中か……私が行こう」




