5章5節:聖団領アレセイア
アレセイアは巡礼者でごった返していた。
過去に訪れた時と同じく厳粛な雰囲気であることに変わりはないが、人々の間にはどこか苛立ちも感じさせる。
貧困や負傷、病などで切羽詰まっている者が多いのか。
或いは魔族まで巡礼に来ているようだから、どこかで諍いが起きているのだろうか。
ライルが心底うんざりしたように溜息をつく。
「いや~、この混み具合は相当だぜ。ここに立ってるだけで疲れてくるな」
「仕方ないでしょ……皆そう思っている筈だわ」
「まあそうなんだけどさ。でも実際、ネルには結構な負担だろうから休ませてやりたいんだが」
「そうね。トロイメライ様がどこにいらっしゃるか調べる前に、宿に行きましょう」
「分かった。案内してくれ」
私は人混みをかき分けながら、記憶を頼りに先導した。
そうしてしばらく歩くと、白い石で造られた建物にたどり着いた。
これが巡礼者向けの宿であり、運営を行っている聖団の宗教施設と繋がっている。
外観についても同じ様式で造られているので、初めて来た人には宿に見えないかも知れない。
私たちは開かれた門を通り、たくさんの人がひしめき合っている室内に入った。
「うへえ……空き部屋取るの時間掛かりそうだなこれ」
「私たちはともかく、ネルの分はすぐに確保出来る筈よ」
「そうなのか?」
「この宿は昔から、巡礼に来た社会的弱者に対しては優先的に部屋を無償提供しているの。聖団関係者によって運営されてるから営利は度外視ということ」
「呪血病患者に対しても?」
「当然よ。呪血病患者を恐れるあまり差別する者は多いけれど、神と聖団の方々は彼らが救うべき存在であることをちゃんと理解してる」
「へぇ~、流石は聖団の総本山だ」
「勿論、健康と富に恵まれている人でも寄付をすれば無償で利用出来るけれどね」
「そりゃ無償って言わねーだろオイ!」
「蓄財が目的ではなく、飽くまで必要経費を求めているだけなのだから意味が違うわよ!」
「どうだか……まぁネルが休めるってんなら良いや」
ふと、修道服を着た二十歳ほどに見える女性職員と目が合う。
相当な激務で疲れている様子だが、彼女は精一杯、愛想を良くして声を掛けてきた。
「巡礼に来た方々ですね! あの……そちらの女の子はもしかして……」
「ええ。呪血病を発症しているの。もし部屋が空いていたら休ませてくれない?」
「今は一人用の部屋しか無いのですが、よろしいでしょうか……?」
「この子……ネルだけでも休ませてあげたいから、それで構わないわ」
「分かりました。部屋はこちらです」
そう言って、修道士の女性は私たちを案内した。
部屋はかなり狭いし物も無いが、船の客室に比べたら「楽園」と表現してもいいほどに快適だ。
「それではネルちゃんをお預かり致しますね。これ程の状態になってしまった方をただ寝かせておくというのも申し訳ないので、看病や食事提供を致します」
「そう。何から何までありがとう。ライル、その子を……」
ライルの方を見ると、彼は少し不安げに、ずっと背負っていたネルを職員に引き渡した。
「……大丈夫なのかよ、リーズ」
「え、何が?」
「ほら、俺たちは街の方で調査しなきゃいけないから離れ離れになる訳だろ? 誰かに襲われたりするかも……」
「他の場所ならともかく、アレセイアでそんなことするやつ居ないわよ。それに、何かあっても職員の方々が対処してくれる筈だし」
「うーん……信じるしかないか」
彼はそう呟くと、不安を無理やり笑顔で覆い隠し、ネルの小さな手を握った。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、どっか行っちゃうの?」
「心配すんな。あんたを治してやれるすっげ~人を見つけて、すぐに戻ってくるからさ」
「そうよ。聖団の修道士……って言ってもネルには伝わらないかも知れないけど、ここは優しい人達が集まっているから安心して待っていてちょうだい」
「……うん。分かった。また後でね」
ネルもまた心細そうで、今にも泣き出しそうになっている。
ほんの少しの辛抱だから、どうか持ち堪えていて。
そんなことを天神様に祈り、ライルと共に部屋の外に出た。
ネルをベッドに寝かせた職員も遅れてやってくる。
ああ、そうだ。この場を去る前に、せっかく聖団の者と接触出来たのだから確認しておかねば。
「ねえ、あなた」
「はい。なんでしょう?」
「トロイメライ様がこのアレセイアの中にいらっしゃる……という話を聞いたのだけれど、具体的にはどの辺りに?」
質問をまっすぐぶつけてみると、職員は残念そうに眉尻を下げた。
「あなた方も巡礼そのものが目的ではなく、トロイメライ様を求めて……?」
「いえ、そんなことはないわ。私たちも信徒だし。ただ、お会いしてネルを救って頂きたい……そう思ってるのは確かね」
「……ご期待に添えず申し訳ございません。こちらでもあの方のおわすところは把握しておりませんし、本当にこの世に降臨なさっているのかも存じ上げません」
「そう……」
「祈りましょう。祈りが届けば、たとえこの天上世界にいらっしゃらなくとも、トロイメライ様と天神様は皆をお救いになるでしょう」
「……ええ」
会話を終え、とりあえず宿を出る私とライル。
なんだか一気に現実に叩き落されたような感覚だ。
「はぁ~……聖団の人間も知らねえとなると……」
「ちょっとライル! 諦めないで!」
「諦めてねえよ! 『可能性が減ったな』と感じただけで、『ゼロになった』とまでは思ってねえ!」
「……探すわよ」
「アテはあんのか?」
「無いわ! 片っ端から話を聞いていく……それだけよ!」
「マジかよ……見た感じ、この街だって決して狭い訳じゃねえんだろ?」
「それでもやるしかないじゃない!」
「嘘だろ……あ~もう、分かった! 手伝うから落ち着け!」
「ライル……」
「あんたと一緒に居ると『悩んで立ち止まってる暇なんかないな』って思わされるぜ、全く……そういうとこが好きなんだけどさ……」
***
それから、私たちは必死にトロイメライ様に繋がる情報をかき集めた。
しかし当然と言うべきか、そんなものが簡単に見つかる筈もない。
これだけ人が居て誰も知らないというのはつまり、そういうことなのだろうか。
いや、違う。必ずどこかにいらっしゃる筈。
そう信じていないと、ネルに仮初の希望を与えてしまった罪悪感に押しつぶされそうになる。
弱った心を無理やり奮い立たせて聞き込みを続け、気づけば夜になっていた。
別れて行動していたライルと、美麗な建造物の陰で合流する。
「リーズ、今日はもうこの辺にしておこうぜ。正直疲れたし、あんただって同じだろ」
「……そうね。外を歩いてる人もだいぶ減ってきてるし」
「明日また頑張ればいいさ」
「ええ……でも宿を取っていないのだけれど、どうしたものかしら」
「そんなことだろうと思って、聞き込みの合間に空いてるタイミングを見計らって部屋を確保しといたよ。つっても一人部屋なんで俺は床で寝るけど」
「流石にそれは遠慮するわよ。あなたが部屋を取ったのだからあなたがベッドで休んで」
「好きな女の子を差し置いて自分だけベッドで休むのは気まずいっての。俺の気持ちも考えてくれ」
「……分かったわ。ありがとう。じゃあ行きましょう」
言葉にはしなかったけれど、一瞬だけ「二人で一緒にベッドを使う」なんてことを考えてしまった自分が嫌になった。
結婚どころか婚約もしていない男女が同衾するなど有り得ない。淫乱の発想だ。
私、やっぱり意識してしまっているのかな。
そう思いながら歩いていると、何やら人が群がっているところに通りかかった。
もしかしたらトロイメライ様について分かるかも知れない。
そう期待して近づいてみると、貧相な身なりの老人が大げさな身振り手振りを交え、人々に向かって話していた。
殆どは興味本位で見ているだけだが、中にはその語りに聞き入っている者も居る。
「《崩壊の空》が起ころうとしておる……! これは血の呪いを発現させた罪深き者共のせいだ! おお、神々よ……どうか穢れゆく天上大陸をお許し下され!」
――《崩壊の空》。
それは、神話で語られし世界の終わり。
この世が罪深き生命で溢れたとき、魔族とも魔物とも異なる「漆黒の獣」が天より現れ、全生命に裁きを下すという。
その後、正しく生きた聖団の信徒のみが転生し、浄化された平和な新世界で生きることが出来る――といったものだ。
いわゆる終末思想であるが、たぶん敬虔な信徒であっても、この話を日頃から大真面目に盲信している者は少ないだろう。
他の教えもそうだが、これも結局は、より善く生きることを人々に意識させる為の動機付けに過ぎないのである。
そんな《崩壊の空》が、今まさに起ころうとしているだと?
それも「血の呪いを発現させた者」――つまりは呪血病患者のせいで?
訳が分からない。飛躍した解釈であっても神話に則った主張ならまだ一定の理解を示せるけれど、実際のところ《崩壊の空》と呪血病の関連性は特に示されていない。
きっと、差別主義者が適当にホラを吹いているだけだろう。
「……行くわよ、ライル」
「ああ。なんか気分悪くなっちまった」
疲れているせいか、それとも私自身が呪血病の発症者になってしまった可能性が見えてきたからか、下らない妄言が頭から離れない。
早く休みを取ることにしよう。
いま考えるべきなのは自分のことでも世界のことでも神話のことでもない、ネルを絶望的な現実から救うことだけだ。




