5章2節:二人の騎士の想い
馬車に揺られ、街道を進む。
私の膝の上に頭を乗せて横になっているネルは、時折痛そうに歯を食いしばってはいるが、比較的落ち着いている様子だった。
そんな彼女に少しでも楽をさせてやる為、普段は利用しない、上等なシートを積んだ高級馬車に乗っている。
ふと周りを見てみると、北西へ向かう馬車や人がいつもより多い気がした。
ライルの言っていた通り、トロイメライ様に関する噂を聞きつけてアレセイアまで巡礼しようと決心した人々が混じっているのだろう。
中には、呪血病によって片腕を黒化させた貧しい身なりの者も居る。
その者はたった一人で道を歩いていた。
あの様子では間違いなく途中で行き倒れてしまう。
助けてやりたかったけれど、そんなことをしていたらキリが無いのは、リア様ほど物事を割り切るのが上手くない私でもよく理解出来ている。
呪血病、経済格差――そういった問題は、何かを倒せば解決するというものでもない。私にはどうしようもないのだ。
馬車に乗ってから、私とライルは殆ど話さなかった。
彼はずっと物憂げに外を眺めていたし、私も私で同じようにぼーっとしたり俯いてネルの顔を見つめるばかりで、口を開こうとはしなかった。
そんな重い空気が漂う中、ライルが突然、頭を掻きむしって叫ぶ。
「あ~もう! 辛気臭すぎるぜ!」
「仕方ないでしょ……」
「つってもさぁ、俺らが暗くなってたらネルも安心できねえよな」
「でも明るく振る舞うのも何か……」
と言いかけたところでネルがこくこくと頷き、微かな声で呟く。
「前みたいな風が……良い……」
彼女の気持ちを聞いて、自分自身に呆れてしまった。
駄目だなあ。年下の女の子にこんなことを言わせるなんて。
私は不器用に作り笑いを浮かべた。リア様みたいに器用には嘘をつけないけれど、ネルを心配させまいと頑張った。
「……そうね。せっかく遠出するんだし楽しいことを考えましょ」
「それが良い。そういや俺、アレセイアへ行くのは初めてなんだよな。リーズは行ったことあるんだっけ?」
「大昔に一度だけ。聖団の総本山なだけあって美しい街だったわ。娯楽が全くないからライルは馴染めないかも知れないけど」
「そうなると観光目的では行けねえな。ま、場所柄を考えると仕方ないか」
「ええ。観光で行く人も一定数居るとは思うけれど、飽くまで巡礼地だもの」
「じゃあトロイメライ様を探し終えて、もし時間の余裕があれば礼拝でもさせてもらうか。一応は俺も天神信仰の信徒だからな」
「あなたが礼拝なんて珍しい。何か願い事でもあるの?」
「そんなもん無限にあるだろ。ネルの無事、リアやウォルグガング先生の無事、争いや格差がなくなってこの世が過ごしやすくなること、それと……」
ライルが真剣な表情で私をまじまじと見た。
「……何? 私の顔に何かついてる?」
「いやそうじゃなくて……うーん、こういうのは神頼みすることじゃないか。でもなぁ……」
「言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」
彼は気恥ずかしそうに頬を掻いた。
え? なに、その態度。
上手く表現出来ないけれど、なんだか少しだけ空気が変わった気がする。
そういった状態が少し続いた後、ライルはおもむろに口を開いた。
「その……実はさ、あんたに伝えたかったことがあって」
「ええ」
「でもリアに聞かれたらウザ絡みされそうだし、ウォルグガング先生も笑顔で茶化しそうだしでなかなか言い出せなくて」
「勿体ぶってないで早くしてよ。今は二人とも居ないんだから良いでしょう?」
「わ、分かったよ! はっきり言えば良いんだろ! 俺……ずっと前からリーズのことが気になってた」
「……へ?」
予想外の展開に、唖然としてしまった。
どういう意味? これってもしや「そういうこと」なのか?
その発想に辿り着いた瞬間、顔が熱くなってくる。
「あ……ち、違うんだ! 変な意味じゃなくて『仲間として』ってことだから! あんたは凄い騎士だよ、うん!」
ずっと一緒に居たのに気付かなかった。
或いは一緒に居たからこそだろうか。
ライルが何かまくし立てているが、幾ら鈍感な私といえど、これが照れ隠しであることは流石に分かる。
だからこそ、そのヘタレっぷりに怒りが湧いてきた。
私はきっと真っ赤になっているであろう顔を彼に向けて言った。
「ご、誤魔化さないで! 怒るわよ!」
「あ、はい……ごめんなさい。大好きです」
「そういう大事なことはちゃんと目を見て堂々と言って!」
「好きだ! 大好きだ! これで良いか!?」
「ぅ~~~!!」
苛立ちのあまり、つい勢いでライルの本音を引き出してしまったけれど、それを聞いた今、恥ずかしさで死にそうになっている。
私はなんて馬鹿なんだろう。
こんなもの有耶無耶にしておけば良かったのに、心のどこかで「期待」をしてしまっていたのだ。
これ以上、目を合わせているのが辛くなって下を向くと、ネルが少しだけニコニコしていた。
もしかしてライルの感情に気づいてなかったの、私だけ? 幼いネルですら察していたの?
「ね、ねえ。いつから?」
「近衛騎士団に居た頃から……」
「あなた、五年以上黙ってたってこと!? いえ、気付かなかった私も私だけど……」
「だって、あんたの気持ちが分かんなかったから……もし『実は嫌われてた』なんて話になったらパーティに居るのしんどくなっちまうって」
「そんな風に思ってないわよ。嫌なことははっきり『嫌』って言うもの」
「だよな。あんたの性格的に」
「えっと……私の何が良いの……? 正直、私たちって性格も境遇もまるで違うじゃない」
少し躊躇いつつ、どうしても気になったので聞いてしまった。
それに対し、ライルは即答してくれる。
「強さ。真っ直ぐさ。キツいけどたまに可愛いところ。不器用だけど面倒見が良いところ。あと見た目……いや、もう『全部』って言ったほうが早いな」
「なんか悪口混じってない!?」
「苦手な部分も含めて好きってことだよ! で、どう思ってんだ? リーズもはっきり言ってくれないと不安で死んじまう」
私の気持ち、か。
確かにそれを伝えないのはフェアではない。
とはいえ、こんな経験は初めてだから何をどう伝えるべきなのか全く分からないし、まず自分の感情すらも「少なくとも好意的ではある」以上のことはよく分からない。
いや、そういった「分からない」という気持ちを率直に伝えるべきなのか。
「私は……そういうことを考えた経験が全然無いの。家の方から何度か婚約話を持ちかけられたこともあるけれど、騎士として王家に仕えることを優先したかったから全部断ってたわ」
「それ、どう受け止めればいいんだよ……」
「でも、今初めて意識した。そして、もし異性とそういう関係になるなら、他に相手が思いつかないというか……でもその、まだどうすれば良いのか全然分からなくて……」
「は、はぁ」
「ただ、これだけははっきり言える。あなたに『好き』って言ってもらえて、嬉しかった」
「くっ……モジモジしながらそういうこと言うんじゃねえ!」
「なんで怒ってるのよ! あなたの想いに報いて私も素直に気持ちを伝えたじゃない!」
「怒ってねー! 可愛すぎてドキッとしただけだっつーの!」
「むぅ……ともかくそういう感じだから! 今すぐ関係を変えるっていうのは難しいけど、あなたの想いを受け止めてみても良いんじゃないかとは思ってる」
「……そっか。じゃあ気持ちが整うまで待ってるよ。俺は今までもこれからも、リーズが一番好きだからさ」
「……ええ」
そうして私とライルはお互いの気持ちを確認しあった上で、「ひとまず今まで通りの関係で居よう」という形に収まった。
ああ、私はライルのことを悪く言えないくらいにヘタレだ。
人生、決して長いものではない。未来とは恐ろしいものであり、いつ死ぬかわからないのだから、せめて今の想いを大切に。
私はずっと、それを信条としてきた。
だったら。「嬉しい」と感じたならばその感情に素直になって、よく分からないなりに恋仲とやらになってみれば良いのに。
主に頼るというのは何とも情けないけれど、もしリア様に相談したら、変化を恐れる私の背中を押してくれるだろうか。
***
喜びだとか不安だとか色んな感情で心がグチャグチャになりながらも、表向きは何事もなかったかのように旅は続いていった。
そして日が落ち切った頃、私たちはレヴィアス公領に到着した。
以前に訪れた時とは異なり、街は物々しい雰囲気を醸し出している。
心なしか、見回りをしている兵士が増えているような気がするのだ。
時間が時間だからか船が出ていないので、今日はひとまずこの街に泊まることになった。
そんな訳で宿を探していると、道端から男たちの怒鳴り声が聞こえてくる。
「魔族系のグループによる犯罪が増えています! 早急に兵士を増員して頂かねば!」
「世間を知らぬ身では想像出来ないでしょうが、様々な種族が入り混じっているこの街の秩序は微妙なバランスで辛うじて成り立っているのです。あなたがしっかりしなくては……」
「本当にお願いしますよ、公爵代理!」
人々に問い詰められて頭をペコペコと下げているのは、レヴィアス公爵の娘――ルアではないか。
よく見ると彼女の目の下の隈が酷いことになっている。
ひとまず話が終わり、群衆が散っていったのを見計らって、私は声を掛けた。
「ルア! まさかこんなに早く再会出来るなんて!」
「リーズさんと、そちらはライルさんとネルさんでしたか」
「……もし時間があれば休憩ついでに少し話さない? かなり疲れてるみたいで不安だわ」
「分かりました。ちょうどこれから屋敷に帰るところでしたので一緒に来ますか? ああ、必要であれば泊まっていってもいいですよ。もちろん無料で」
ルアの申し出に対し、ライルが「お嬢様の屋敷に泊まれるなんて!」と露骨に喜んだ。
迷惑を掛けるのが申し訳ないので遠慮したい気持ちもありつつ、実際のところ嬉しい話であるのは間違いない。
ここは素直に世話になろう。
「じゃあ悪いけれど、お願いするわ」
「ええ。それでは行きましょう」




