5章1節:希望へ向かう旅路
私――リーズ――は今日も街での聞き込みを終え、夜になっても何ら成果を得られず宿に戻ってきていた。
ライルはまだ出掛けているけれど、私より情報収集に長けたあいつでも、得られるものはないだろう。
リア様とウォルフガング団長がラトリア北部での戦争に参加する為、王都を出立してから三日。
私とライルは必死に呪血病を治す方法を探っていたけれど、そんなものが見つかる筈もなかった。
ああ。私も、きっとライルも、ちゃんと分かっているのだ――「リア様が気を遣ってくれたのだろう」と。
何もしないままネルの死を目の当たりにすれば、沈みきった心はそのまま深淵まで堕ちてしまいかねない。だからあの人は私たちに行動する理由をくれた。
リア様とはそういう御方なのだ。
どこまでも容赦がなくて、明るく笑いながら冷たい目で現実を見ていて。強い復讐心を抱くに至った原因を知っている身であっても本当に恐ろしくなることが時々ある。
それでも根っこの部分は繊細で、偽悪的で、優しい女の子なのである。
「臣下である私たちの方があの子をしっかり支えなきゃいけない立場なのに……情けないわね」
眠っているネルの手を優しく握りながら、彼女を起こさないように小さく呟いた。
今はネルのことを何とかしなければならないけれど、一方でリア様たちのことも心配でならなかった。
王都で噂を聞く限り、レヴィアス公爵――王立アカデミーで出会った少女「ルア」の父親――を中心とした使節団が停戦交渉を行っているお陰か、まだ戦闘は行われていないようだ。
だが、もし交戦が始まってしまったら?
リア様もウォルフガング団長も、私やライルより遥かに強いけれど、こうして離れていれば、どうしても悲観的な考えが脳裏をよぎってしまうものである。
「二人とも無事に戻ってきますように」――そんなことを天神様に祈っていると、宿の扉が開く音がした。
ライルが帰ってきたのだ。
そういえば、リア様たちと一旦別れた直後は、何故だか彼の顔を直視出来なかったな。
きっとリア様が変なことを言ったせいだろう。
ライルが私を女として意識している――そんなまさか!
私たちは「リア様を大切に思い、ウォルフガング団長を尊敬している」ということ以外、何もかも相反していると言える。
だから、いつだって口喧嘩ばかりしていたのだ。
それに加えて、あいつはよく女性にデレデレしている。その中であえて、男に甘い訳でもない私のような女に特別な感情を抱くか?
いや、止そう。このようなことに頭を悩ませていられる状況じゃない。
部屋から出てライルを出迎える。
今朝までの彼はどこか気落ちしている様子だったが、今は随分と慌てているようだ。
私は人差し指を自らの唇に当てて小声で言う。
「あっちの待合室で話しましょ。ネルが眠ってるから」
「あ、ああ。起こしちゃ悪いもんな」
他に誰も居ない待合室で、小さなテーブルを挟んで座る私たち。
「ライル。もしかして何か分かったの?」
「そうなんだよ! あ~、いや、ハッキリ言うと、どこまで信じていいか怪しいもんだが……」
「いいから話して。今はどれほど信憑性の低い情報でも必要だわ」
「確かにな……聞いて驚くなよ?」
ライルは一呼吸置いて、話を続けた。
「……なんでも、《生命詠い》が降臨なさったみたいなんだ」
「は、はぁ!?」
「《生命詠い》のトロイメライ」。
それは「人を蘇らせる力を持つ」といわれる、神話に登場するエルフの女性である。
「天上の世界が生まれし時からこの地を見守り続けているそのエルフは、志を抱く善なる者の死に立ち会い、二度目の生を与える」――それは、教育を受けて天神信仰を学んだ者であれば誰でも知っている伝説だ。
それが真実ならば、彼女のもとにネルを連れていけば健康な身体で再誕させてもらえるかも知れない。
だが、「実際にトロイメライ様に会った」などという話は聞いたことがない。
世間を知る大半の人間は、これが「人々の道徳と信仰心を高める為の方便の一つに過ぎない」ということを内心では理解している筈だ。
それが、現代のこの世に降臨なさっただと? 有り得ない。
「今『有り得ない』って思っただろ? 顔を見りゃ分かるぜ」
「だって、こんなこと言うのは不信心かも知れないけれど、伝説は飽くまで伝説よ?」
「俺も同じ考えさ。神様……伝説の存在……そんなもん、結局は『人生が報われない』という不安から逃れる為の空想だ。現実を救ってくれやしない」
「あなたは私以上にそういう考えよね。でも、それならなぜ話したの?」
「同じことを言ってる奴が何人も居たんだ。その中には地元で噂を聞いて、救ってもらう為に王都まで旅をしてきたって奴も多かった。要するに、これは一箇所から広まった話じゃないんだ」
「……待って、トロイメライ様は王都に居るってこと!?」
「そうじゃなくて、どうも聖団領アレセイアに居るらしいんだ。あいつらは王都を経由して港のあるレヴィアス公領に向かおうとしてたところだった……って訳だ」
聖団領アレセイア。ここから海を越えた西側の大陸にある、《天神聖団》の総本山。
私は騎士見習いになる直前に、一度だけ両親や兄と共にあそこまで巡礼したことがある。
確かに、王都からアレセイアまでの道のりとして最も代表的なのは「レヴィアス公領まで行って船に乗せてもらい、西の大陸まで移動した後は『巡礼路』と呼ばれる陸路を進んでいく」というものだ。
「なるほどね……特定個人が意図して広めた噂とは考えられないのと、場所が場所だから『もしかしたら』ということもあるかも知れないと」
「もちろん、くだんねーデタラメである可能性の方が高いとは思ってるよ。でも……」
「もう、あまり時間は残っていないものね」
「ああ。賭けてみるしかない」
「そうと決まれば明日の朝、すぐに出られるようにしなきゃ……」
「まあ待てって」
さっそく部屋に戻って出発の準備をしようと思ったが、ライルに制止される。
「何よ。アレセイアは決して近くはないのよ? のんびりしている時間なんてないわ」
「いやいや。それは同意なんだが、ネルも連れて行くんだろ?」
「当然じゃない。トロイメライ様に『王都まで来て下さい』なんて言う訳にもいかないし、そんなに時間を掛けていたら間に合わないかも知れないわ」
「だったら、ちゃんとネルに説明して合意を得てからにしようぜ。あいつは残りの時間を穏やかに過ごすことを望むかも知れないが、アレセイアに向かうならそうもいかねえだろ」
「でも、そんな余裕は……」
「もう少し頑張ってみるか、最後くらいはここで一緒に、平穏に生きるか。それは本人が決めることだろ」
「……ええ、そうね。少し気が急いていたかも知れない」
「全く……リーズらしいぜ」
***
翌朝、私は目を覚ましたネルに対して説明をした。
もしかしたら命を救えるかも知れないから、共にアレセイアまで旅をして欲しいこと。
でも、上手くいく可能性は非常に低くて、これが人生で最期の旅になってしまうかも知れないこと。
病が進行した身体に無理をさせず、ここで平穏に過ごす選択肢もあるということ。
それら全てを率直に伝えた。
「……行きたい。もっと、みんなと一緒に居たいから」
ネルの返答に迷いはなかった。
厳しい環境の中でずっと、精一杯生きてきたが故の意志力だろうか。
片腕だけでなく片脚も喪い、全身を激痛に苛まれていてもなお、この子は未来を見ることを諦めていなかったのである。
ならば、その想いに全力で応えてやらねば。
私たちは貸付をしている商人から旅費を引き出し、旅に必要な最小限の物品を揃えた後、宿を出た。
ネルは既に歩けなくなっているので、ライルが背負っている。
呪血病であることが分からないようにネルを布で包んでいるものの、腕と脚が一本ずつ欠けているとどうしても違和感が出てしまうようで、人々が好奇と恐怖を眼差しを向けてくる。
それが不快で仕方がなかった。手を差し伸べる気がないのならば、せめて何も見なかったふりをして、そっとしておいてくれ。
精神的苦痛に耐えながらも街中の駅まで歩き、料金を支払ってレヴィアス公領へと向かう馬車に乗り込んだ。
こうして、微かな希望へと向かう旅が始まるのであった。




