4章10節:魔将エメライン
一撃で百人を屠った大剣が収縮していく、その一点を私は見つめた。
「ウォルフガング、あいつは私が討つ。邪魔が入らないように周りの奴らを抑えてくれる?」
「承知した。必ず勝ってこい!」
「もちろん! まだやるべきこと、いっぱいあるからね!」
そう言い残して一人、荒野を駆け出した。
右手には《吸命剣ザッハーク》。左手には《竜鱗剣バルムンク》を召喚。
飛来する矢や魔法を防ぎ、立ち塞がる敵ごと斬り払っていく。
そして私は、女魔将エメラインと対峙することとなった。
炎のような赤髪。美しくも険しい顔立ち。手には先ほど振るわれた、黄金に輝く両刃の剣。
「きみがエメラインだね……殺しに来たよ」
「ふむ、お前が私の相手をしてくれるのか。名は?」
今は決して《魔王軍》にとっても楽観視出来る状況ではない筈なのに、その半魔はどこか余裕ありげだ。
「リア。これから死ぬ奴に名乗る必要があるのかは分かんないけど、教えといてあげるよ」
「華奢な小娘が随分と大口を叩く……だがその気概、悪くない。陰で権謀術数を弄するだけのつまらん連中には怒りを感じていたが、お前のような豪胆な好敵手も居てくれて良かった」
「……何の話?」
「まさか気づいていないのか? そちら側の使節を殺したのは我々ではない。お前たちの裏に居る何者かが暗殺し、こちらに罪を擦り付けたのだ」
そう語るエメラインは、心の底から忌々しそうに眉を吊り上げていた。
「ラトリアが自国の使節を暗殺した」――実際のところ、私もその可能性は疑っていた。
真偽の検討などしている余裕が無くなったから考えないようにしていたが、もしこれがラトリア側、つまりは王室辺りによる自作自演なら、彼らは今こそ本気で《魔王軍》とルミナス帝国を潰すつもりなのだろう。
「われわれ《魔王軍》はお前たちに戦う以外の道を与えた。『ラトリア北部領域を解放し帝国側の魔族と共有する』……それが聞き届けられたなら戦争などせずとも済んだし、そうなりかけていたのだ」
「そんな無茶な要求、使節の連中が受け入れても王家が受け入れる訳がないよ」
「であれば素直に『度量がなく魔族と共存出来ぬから戦争で解決しよう』と言えばよいのに、卑怯な手を使って自らを正当化する。そういうところが気に入らん」
「……まあ気持ちは分かるよ。きみの言うことが本当なら、王家の連中はどうかしてると思う」
「それなら、なぜ私に刃を向ける? 直感だが、お前には国や君主に対する忠誠心というものがまるで無いように見えるぞ?」
「簡単な話。『ムカつく奴は全部ぶっ飛ばす』……戦う理由なんてそれで充分じゃない? 王家はクソったれかも知れないけど、きみ達を許す理由にはならない」
私の率直な気持ちを聞き、声を上げて笑うエメライン。
「ふはは! ますます気に入ったよ。結局、お前は戦うのが好きなんだろう? 私とて政治家がこそこそと策を弄しているのが不快なだけで、戦うこと自体は好きなのだよ」
私が「戦うのが好き」だと? ふざけるな。
戦うことそのものを目的化したことなどない――筈だ。
女王まで上り詰めて、この世の悪を駆逐する。それで私の戦いは終わりなのだ。
「……一緒にすんな」
苛立ちを込めてそう吐き捨てると、エメラインは肩をすくめた。
「それは失礼。では、そろそろ始めるとするか……口だけで終わってくれるなよ、リアとやら」
彼女は一転して冷たい表情に変わり、両手で黄金の大剣を構えた。
その様子を見て緊張が高まり、体感時間が加速する。
こいつは恐らく、今まで戦った中でも屈指の力量を持つ武人だ。
だがそれでも、やらねばならないのだ。
これを乗り越えられないようでは「世界そのものへの復讐」など出来る筈もないのだから。
さて。まずはエメラインに対して《権限》の行使を試みたが、予想通り何も起こらない。
彼女が持っているものは聖魔剣の類ということで確定した。
ヴィンセントの時はたまたま適合条件を戦闘中に満たして剣を奪い取ることが出来たけれど、あんなに都合の良いことはそうそう起こらないだろう。
従って、ここはひとまず真正面から斬り合うしかない。
大丈夫。この時の為に、墓標平野での戦いが始まった瞬間から備えをしてきたのだ。
私は右手に握っている《吸命剣ザッハーク》に意識を集中し、蓄積した命の全てを解放した。
膨大な力が全身を駆け巡っていく。
この剣に蓄えられた生命エネルギーは消費せずとも時間が経つほどに霧散していってしまうが、エメライン一人を仕留めるには充分な量が残っている筈だ。
強化が終わるとほぼ同時、一瞬で距離を詰めてきたエメラインが大剣を振り下ろした。
魔法でも使っているのか、或いはオーガの血を引いているがゆえの身体能力なのか、まるで《加速》を唱えた時のような速さだ。
反応が間に合わない――が、私の肉体は刃を弾き返した。
「柔肌が外見も構造もそのままに鋼のような強度になって攻撃を防ぐ」という、物理法則に唾を吐きかけるが如き結果。
それを見たエメラインは狼狽えるどころか楽しそうにしている。
「私の《変幻剣ベルグフォルク》を防ぐか。やるじゃないか」
「『変幻剣』……まさか、大きさを変える能力?」
「まさにその通り、至極単純ゆえに私好みな剣だ。『芸がない』と思うかね?」
躊躇う様子もなく自らの剣の能力を明かすエメライン。
今まで見知ってきたどの適合済み聖魔剣よりもシンプルで、汎用性にも破壊力にも欠ける能力。
それが意味するのは、この女が剣ではなく自らの実力でもって戦い抜いてきたということだ。
私は何も言わずに一旦、後退した。
先は不覚を取ったが、今度こそ反応してみせる。
肉体が概念的に強化されているとはいっても、ダメージを受ければ蓄えている生命エネルギーを消費してしまう。この貴重なリソースは可能な限り攻撃に回したいのだ。
再び踏み込みと共に剣撃が迫る。
今度は突きだ。距離を考えれば明らかに当たらない――いや、違う! あの剣の大きさは変幻自在なのだ。
私は反射的に後方に跳びそうになるのを抑え、一旦、ザッハークを放った。
そして《竜鱗剣バルムンク》を縦に持ち、空いた手で刃先を押さえる。
瞬間、剣による刺突とは思えない強烈な衝撃がバルムンクの刃を襲った。
無限大の防御力と《乙女の誓い》。両方がなければ、この一撃で終わっていただろう。
「技巧を凝らしてみたつもりだが、これも対応するとは」
「『射程が読めない剣』……鬱陶しすぎるでしょ」
「お前とて何かしらの聖魔剣を使っている身だろう? お互い様だ」
やれやれ。これでは剣術による真っ当な攻防など通用しないから、遠距離攻撃主体で行くしかないか。
エメラインが攻撃姿勢を取ろうとするより早く、ザッハークを瞬時に呼び戻した上で彼女に向かって駆け出した。
生命エネルギーによって強化されたこの身体は、オーガに匹敵する速度で走行出来るようになっている。
エメラインが長大化した剣を横薙ぎにするが、私はその上に乗り、《加速》を詠唱して飛翔した。
身体強化と速度強化の相乗効果によって矢のような速さで空を裂き、城壁の上に着地する。
間髪をいれず、《神炎剣アグニ》を含めた無数の剣をエメラインの方へ放った。
巻き上がる炎と刃の嵐。
剣は回避出来ても、炎による広範囲の攻撃は回避出来ない筈。
だが、勇猛果敢なる女将軍は髪や肌を少しだけ焼かれながらも、嵐の中を駆け抜けてこちらに向かってくる。
「嘘でしょ……どんだけ頑丈なんだよ……!」
あの女は、ヴィンセントやオーラフといった過去に打ち破ってきた強敵とは真逆のタイプと言える。
味方、或いは特殊な仕掛けや能力を利用した戦術などではなく、純粋な暴力性と極まった武技の権化。
つまり、誤魔化しが利かないから奇跡的勝利も起こらないということだ。
冷静に状況を分析し、使えるものは全て使っていくしかない。
私はエメラインだけでなくその周囲を、見晴らしの良い城壁の上から観察した。
各所で戦闘が展開され、誰もが息つく暇もない様子だ。
ふむ、もう少し時間を稼がねばならないか。
そう考えているうちに、エメラインが跳躍して私の目の前までやってきた。
「ふふっ……やはり、こうして自ら戦うというのは良いものだ。端から『殺すか殺されるか』以外には何もないのだからな!」
「死ぬのはきみの方だって決まってるけどねッ!」
《加速》も織り交ぜて距離を取る私に、生身に追いついてくるエメライン。
私は――全力を出したリーズほどでないにせよ――超高速で歩廊を跳び回りながら、「引き撃ち」に徹した。
だが、エメラインは迫り来る剣をかわしつつ、同時にこちらの加速が止まる合間を的確に見抜いて攻撃してくる。
たった一発でベヒモス数体分の生命エネルギーが持っていかれるほど強烈な剣撃。更に剣がその都度、最適な長さに調整されているので回避も容易ではない。
《術式》と身体強化をもってしても、あいつは速度と力の両方においてこちらを上回ってくるのだ。
何度かの斬り合いの果て、気づけば《吸命剣ザッハーク》に蓄えた命は残り少なくなっていた。
この女が強いことは分かっていたが、ここまでやれるというのは流石に想定外だ。
「はぁ……はぁ……きみさぁ、とんでもなさすぎるでしょ……!」
「もう限界か。降参するならば命までは取らんぞ?」
「誰がッ!」
率直に言ってかなり追い詰められているが、決して希望を失ってはいない。
何故ならば、激しい攻防の中においても私は周囲の状況を観察し続け、勝機を見出していたからだ。
「自分一人で勝つのが困難ならば誰かを協力させる」。
今までだって結局はずっとそうしてきたのだから、勝つ為にそれを選ぶことに躊躇なんてない。
この場で最も信用出来る仲間であるウォルフガングには頼れない。彼はまだまだたくさん居る敵兵を掃討し、私に矢や魔法が向くのを防いでくれている。
だから今こそ、《勇者》の力を借りるべきだ。
あいつはここからそう遠くない位置で魔物の軍勢にまとわりつかれていたが、ようやく殲滅が終わりそうだ。
私は城壁の上から飛び降りて、彼のもとへ向かった。
到着するや否や、最後の魔物を《神炎剣アグニ》で串刺しにして仕留め、叫ぶ。
「ねえ、今度はきみが私を助けてよ!」
《勇者》は嬉しげに、力強く頷いた。
「言われなくとも!」
追いついてきた魔将エメラインと向き合う。
彼女は先ほどまでの楽しそうな様子から一転して、少しだけ苛立ちを顔に浮かべていた。
「女同士、誰にも邪魔されず決闘をしたかったものだが……まあ、それも一つの手だろう」
「きみが言ったんでしょ、『殺すか殺されるか』以外は何もないって!」
「分かっている。今のは単なる私の我儘だよ。では再開しようか!」
「来る……ユウキ、気をつけて! あいつの剣は大きさを変えられるんだ!」
「ああ、分かった!」
ユウキが私を庇うように前に出る。
彼がどこまで反応出来るかは分からないが、恐らくこのままではエメラインの正確無比な一撃で斬り伏せられてしまうだろう。
それを防ぐ為、《権限》を用いて《吸命剣ザッハーク》を彼の手もとに移動させた。
ユウキはこちらに何らかの意図があることを察し、その剣を空いた片手で握る。
それと同時、エメラインの大剣が彼を斬り裂いたが、剣から供給される生命エネルギーが盾となってダメージを打ち消す。
そう――《不屈の誓い》に関するユウキ本人の説明が正しいのであれば、これで彼はエメラインが振るう《変幻剣ベルグフォルク》に対して無敵となるのだ。
私はすぐに《吸命剣ザッハーク》を回収し、後方からの支援攻撃に徹した。
想定通り、エメラインの二度目以降の攻撃は「何故か」ユウキに当たらなくなっている。
だが一方でこちら側の攻撃も、高すぎる身体能力によってかわされてしまっている。
エメラインはじきにユウキが何らかの力に守られていることに気づき、先に私を潰すことを考え始めるだろう。
私が《術式》頼りで速度を確保している以上、時間はそう残されていないし、ザッハークに蓄えられた命とて、あと一度でも攻撃を受ければ使い切ってしまう。
ここは賭けに出るしかない。
ユウキの剣とエメラインの剣が何度も激突する。
その様子を窺い、見極め、やがてエメラインがほんの少しだけ体勢を崩した瞬間を見抜いた。
「ユウキ、下がって!」
彼が指示に従うのを確認するよりも先に、私はこの刹那に全身全霊を捧げ、《加速》を詠唱した。
完璧なタイミングで後退してくれたユウキと入れ替わるようにエメラインと肉薄する。
初めて、彼女が焦りを見せた。
とはいえ反応されなかった訳ではなく、振り上げられた《変幻剣ベルグフォルク》に身体を斬られ、ザッハークも吹き飛ばされる。
この攻撃によって蓄積された全ての命を使い果たしてしまったが、それも織り込み済みだ。
「本命はこっちだよ!」
そう言って、エメラインの背後に召喚していた《神炎剣アグニ》を引き寄せる。
これで終わりだ。
「ぐッ……ううッ……!?」
腹部を貫かれ、剣の能力によって臓物を内側から激しく焼かれたエメライン。
はじめは苦悶の声を上げながらも必死に立っていたが、やがて崩れ落ちるのであった。
ユウキが作ってくれた僅かな隙。そして、最後の生命エネルギーを使った牽制。
その両方が合わさって、ようやく必殺の一撃を入れることが出来た。
こうして私は、ラトリアを追い詰めた女魔将への復讐を果たした。
憎きユウキに頼ることにはなってしまったけれど、まあ「状況に応じて他者を利用する」というのも一つの戦闘技術ではあるだろう。
やはりと言うべきか、ユウキはエメラインを殺すつもりはなかったようだ。
立ち上がろうともがき、しばらくして動かなくなった彼女を見下ろし、悲しみと悔しさの入り混じった顔をしている。
ただ、敵の将が辿る末路として「仕方がない」と割り切っている面もあるようで、今度は何も文句を言ってこなかったが。
「……《契約奪取》」
ユウキに聞こえないくらいに小さく呟く。
主を喪った《変幻剣ベルグフォルク》は、《権限》の力によって本来の適合条件――「一定以上の筋力を持っている」――を無視して私の所有物となった。
かつて私が地獄のような苦しみを味わうことになった原因を作った剣を、今度は私が使ってやる。
これも含めて復讐なのだ。




