4章4節:繋がる前世、すれ違う現世
ユウキに導かれるまま城壁に沿って進んでいくと、いつの間にか行き交う正規軍人もたむろする冒険者や傭兵も見えなくなっていた。
相変わらず小雨が降っていて肌寒い筈なのだが、顔が熱くて全くそう感じられない。
「この辺なら誰も来ないから遠慮なく話せそうだな」
「う、うん」
「今回は戦い、挑んでこないんだね」
「そんな気分じゃないだけ。やりたいんなら付き合ってあげるけど?」
「余計なこと言ったね、ごめん。で……やっぱり君の正体って、あのセナちゃんなんだよね?」
「……そうだけど」
城壁にもたれ掛かり、顔も見ずに言う。
すると、彼は感激したように泣き始めるのであった。
「ああ……ちゃんと願いは叶ってたんだ……本当に良かった。ずっと君に会いたかったんだ」
「……私は会いたくなかったよ」
「はは……君らしい返しで安心したよ」
「冗談じゃない。ユウキから逃げたくて自殺したのに」
そんな風に憎まれ口を叩いても、彼は涙を拭って優しく微笑み、私の隣に並んでくれる。
「みんな、すごく悲しんでたよ」
「『みんな』って誰だよ。そんなやつ殆ど居ないでしょ」
「僕。僕の家族。それと、レイジ兄ちゃん」
レイジ。時崎黎司。
懐かしい名だ。というか、言われるまで忘れていた存在だ。
ユウキが「かっこいい」とか何とか言って懐いていた、いわゆる兄貴分というやつだ。
一方で、暴力的な男性が苦手である私は彼のことが嫌いで、あまり関わらないようにしていた。
今となっては私も、彼と同じく野蛮な生き方をしているかも知れないが。
「あいつ、私のことなんか気にしてたんだ。こっちは避けてたのに」
「兄ちゃんは優しいからね。今でこそ僕は《勇者》なんて呼ばれてるけど、兄ちゃんに比べればまだまださ」
「《勇者》と言えば、どうしてきみまで転生したのさ? 私が死んだあと何があったの?」
そう問うと、ユウキは突然、ちょうど今の空みたいに顔を曇らせた。
「僕は何も救えない自分の弱さに絶望してた。力があれば君も、兄ちゃんも、それに世界だって救えたのに」
「え……時崎黎司に何かあったの?」
「……ごめん、やっぱりやめよう。前世のことはあんまり思い出したくない。それよりこの世界の話をしようよ!」
今度はユウキの表情が一転して楽しげになる。
そして彼は、まるで好きなアニメやライトノベルのあらすじでも説明するかのように、転生後の人生について語るのであった。
「最初は平凡な商家の生まれだったんだ。でも、冒険者の話を聞いていくうちに憧れが募って、父さんや母さんを説得して十二歳の時に旅を始めた。今思うと無謀だったなぁ」
「その時って多分、前世の記憶はまだ無かったんだよね?」
「よく知ってるね。もしかしてセナちゃんも何かきっかけがあって記憶を?」
「……うん。それより続き、聞かせてよ」
「ああ。それで、当然なんだけど途中で行き倒れちゃってさ。『このまま餓死するかも』って不安になってたけど、偶然通りかかったアイナに救われたんだ」
「あの緑髪のツンデレ?」
「ツンデレ……かは分かんないけど。あの子、貴族だから大きな屋敷を持ってて、僕は冒険者をやって金稼ぎをする代わりに居候させてもらうことになった」
「ムカつくくらい運が良いね」
「アイナと出会えてホントに良かったと思う。僕を居候させるようご両親に言ってくれたし、剣術とか《術式》を教えてくれたし、一緒にパーティを組んでくれた……家を出てからすごく心細かったから嬉しかったよ」
何だろう。こいつが楽しげに話している姿を見ると、非常にモヤモヤする。
家族から捨てられ、家も失くし、少なくとも最初は生きる為に仕方なく冒険者をやっていた私と比べて、あまりにも恵まれた人生を送っているからだろうか。
「……でさ。ある日、魔物退治の依頼の過程でたまたま呪血病患者が大量発生している村を通ったんだけど、そこで村の人たちに酷いことをされてたレイシャと出会ってさ」
「あのえっちな格好したツインテエルフか。酷いことって……?」
「奴隷みたいな扱い、っていうのかな。僕はどうしてもレイシャを救ってやりたいと思って、その時に前世の記憶と《権限》……《不屈の誓い》が覚醒したんだ」
「それってどんな力なの?」
私ならば異能の効果など絶対に喋らないので無理を承知で聞いてみたが、ユウキの奴はまるで自慢するみたいに堂々と語ってくれた。
迂闊ではあるが、それゆえに勇者らしい――いや、ユウキらしい。
「『一度見た攻撃が当たらなくなる力』だよ。初見の攻撃には自力で対応しなきゃいけないから、ラノベとかに出てくる無双系主人公ほどのチートは出来ないかな。でも勇者っぽくて気に入ってるよ」
なるほど、以前の戦闘時には当たるように放った筈の攻撃が何故か捻じ曲がっていたが、そういう仕組みだったのか。
つまり、こいつを倒すには大量の「見せていない手札」を蓄えておかないといけないという訳だ。
或いは不意打ちによって初撃で仕留めるか。
何にせよ、「生存」に特化した非常に厄介な能力である。
「いや……充分チートだよ……」
「はは。まあともかくそういう経緯で、僕らはレイシャも仲間に入れて活動してた。まだ序列には入っていないけどそこそこやれるようになってきた辺りで噂を聞きつけたアダムが会いに来て『冒険者を始めたいけどパーティを組む相手が居ない』ってことで仲間に加えたんだ」
「はぁ……なんというか、順風満帆そのものって感じ」
「じゃあ、そう言う君のことも聞かせてくれないか?」
話を振られ、少し考え込む。
当然だが「実は世間的に死んだことになってる第三王女は私です」なんて真実は、幾らユウキ相手でも明かせない。
別に言いたくもない。正直に話せばこいつはきっと私の味方をしてくれるのだろうが、それは飽くまでこいつなりのやり方になるだろう。
大体、こいつに哀れみの目で見られるのが我慢ならない。
私だって、自分を苦しめる理不尽を自ら切り捨てられるくらいには強くなったのだ。
前世みたく、ユウキに「ヒロインを救うヒーロー」面をさせてやるなんてもう御免だ。
「……あんまり話したくないかな。ほら、きみが『前世のことは思い出したくない』って言ってたのと同じだよ」
「僕が聞いてるのは転生後の話だよ。昔のセナちゃんはその……ああいう状況だったけどさ、転生したんならそれも変わって――」
やめろ。それ以上は言うな。
前みたいに怒りに支配されそうになるのを何とか抑えて、ユウキの言葉を遮るように言う。
「こっちは転生してもクソみたいな人生を送ってきたんだよ。それだけは、はっきりと言える」
「……そっか。ああ、もっと早く出会えていたなら……」
ユウキが悔しげな顔をした。
そういえば、前世のこいつは私の目の前ではいつも元気そうにしていたので、こういう顔を見ることはあまり無かった。
こいつもこいつで、転生して本物の「勇者」になってしまったからこそ、プレッシャーに苦しんでいるのかも知れないな。
そんなことを思っていると、急に彼は私の手を取り、真剣な面持ちで見つめてきた。
「そうだ、セナちゃん! 僕のパーティに入らないか? こうすれば、もう君に辛い思いをさせずに済む!」
「え……えぇ!?」
「昔、君は僕のことを『理想ばっか語ってる』って言ったけれど、今の僕には力がある。少しずつでも現実を変えられるんだ。だから……!」
「ちょ、ちょっと待って……!」
私が、《夜明けをもたらす光》に?
ユウキと馴れ合うのは嫌だったが、それなら話は変わってくる。
冷静に考えれば、これは間違いなく利になる提案だ。
「女王になる」という目標を叶える上で大きな前進となる。
序列一位に加わり、あの《勇者》の仲間として活躍していけば、私の立場は今より遥かに強くなる。
その状態で、自らがアステリア・ブレイドワース・ラトリアであることを公表したならば、もはや私は社会にとって無視できない存在となるだろう。
当然、王家でさえも。
私とユウキは水と油のような関係ではあるものの、目標の為なら一時的にこいつに合わせるくらいのことはしてやる。
仲間の三人がどんな人物か分からないのは課題だが、どの道、利用価値が無くなれば全てを切り捨てることになるので、それまではいつも通りヘラヘラ笑って本心を隠しながら接していればいい。
――そう思った。
だけど、脳裏に浮かんでくるのは願いを叶えた未来のイメージではなく、ずっと支え続けてくれた師匠や一歳年上の友人二人、獣人の少女のことばかり。
だから私は、ユウキの手をゆっくりと振り解いた。
「ごめん。私にも仲間が居るから、さ……」
そう伝えると、彼は一瞬ひどく悲しげな表情を見せながらも、すぐに笑顔を取り繕った。
「……そっか。それなら簡単には抜けられないよな」
「断っといてアレだけど……いいの?」
「勿論、君と一緒に居られたなら嬉しい。でも、あのセナちゃんが『仲間』なんて呼ぶくらいの繋がりがそこにあるっていうなら、それはそれで凄く嬉しいんだよ」
ユウキは自分の思いよりも私の思いを優先するどころか「嬉しい」と肯定し、あっさり引き下がった。
やっぱり、この男の心根は昔から今に至るまでどこまでも《勇者》なのだろうな。
「ホント、ごめんね」
「顔を上げてくれ。殊勝過ぎてセナちゃんらしくないよ。いつもなら『きみなんかと一緒に居たくない』とか言ってそうなもんだ」
「そう言われると思ったのに『仲間になれ』って提案してきたんだ? もしかしてドM?」
「いやいや違うから……たぶん。きっと」
「なんで迷いがあるんだよ……っと、そろそろ定期説明の時間だから私は行くよ」
「ああ、実はまだ僕らも受けてないんだ。というか序列入りは皆まだだと思う。僕らが詰所に入った時にはまだ他の序列入りパーティは見当たらなかったから」
「そうなんだ。じゃあ他の参戦パーティを確認するには良い機会ってことか」
それから、いったん詰所に帰るまでのほんの短い時間だけれど、私たちはかつてのようになんてことない雑談を繰り広げた。
いつも明るくて喋りっぱなしなユウキと、冷たく接しつつも何だかんだ彼を無視は出来ない私。
そんな自分の感情がよく分からないのだ。
私はこいつのことを本当に嫌っているのだろうか?
***
数分後、私たちは説明の場として指定された城門前に集合した。
しとしと降る雨が鬱陶しくて「詰所の会議室を使わせてくれ」と思ってしまうけれど、人数的にそうもいかないのだろう。
実際、この場には先に顔合わせしてきた序列入りパーティの面々だけでなく、有象無象の傭兵団や冒険者パーティもたくさん集っている。
私とウォルフガングは目立たないよう、群衆の後ろの方に移動した。
どちらかといえば背が低い方なので全体を観察することは出来ないが、見える限りでは、さっき会った連中以外に目を引く者は居ない。
ユウキによれば序列入りはどのパーティもまだ定期説明に参加していないそうだから、あれで全員ということになるのか?
色々と考え事をしていると、大きな城門がゆっくりと開いていった。
そこを通ってやって来たのは、馬に乗った男。
短い金髪に筋肉質な体型――間違いなく私の兄、ローレンスである。
どうやら、自ら戦場に出て偵察を行っていたようだ。
彼は同じく騎乗した十数人の部下と共に、私たちの前にやってくる。
人々の間に緊張が走る中、兄は馬の上から見下ろしたまま口を開いた。
「諸君への説明は我が自らしようと思う。以前より懇意にしている序列一位がこの場に居るのでな。では――」
と言いかけて突然、ローレンスが話を中断し、眉をひそめて横を見た。
そこに居たのは、軽薄そうな笑みを浮かべた優男。
燃えるような赤髪を後ろで纏めており、黄金の目は凶暴な魔物のように鋭い。
彼は既に説明が始まっているというのに、「他人にペースを合わせたくない」とでも言いたげに堂々と歩いてくる。
「いやぁ~、昼寝してたらちょっと遅刻しちゃったよ。ごめん、ローレンス殿下」
「……随分と舐めた態度を取ってくれるな。貴様、名は?」
「アレス・クライハート」
その名を聞いた瞬間、ローレンスも含め、この場の誰もが動揺した。
登録パーティ名、《クライハート》。冒険者パーティ序列第二位。
アレスは《紅の魔人》というあだ名でも知られており、見た目は人間と変わらないが半魔である。
そんな彼は、ある意味で第一位よりも特異な存在だ。
なんと、冒険者登録を行ってから今に至るまでたった一人で活動し、この序列まで上り詰めてきたのである。
冒険者は仲間が居なければ必然的に、情報収集、交渉、潜入、直接戦闘など全てを自分一人でこなさねばならないし、それが無理ならば受ける依頼の種類を極端に制限せねばならなくなるから、普通ならば非効率そのものだ。
しかしこの男は、ただ圧倒的な強さでもって少数の困難な依頼――そのどれもが戦闘主体のものであるらしい――を確実に成功させ、評価値を稼いできたという。
「個人戦闘力であれば第一位の各メンバーよりも上」と目されることもある、正真正銘の怪物である。
ユウキ達が来ているだけでも大幅に総合戦力が向上しているというのに、まさか、こんな奴まで今回の戦いに参加していたとは。
飄々とした態度で遅刻してきた化け物に対し、ローレンスは努めて平静を装った。
「クライハートか……噂は聞いていたが、こうして会えたのは初めてだな。噂に違わぬ活躍をしてくれるのであれば、多少の無礼には目を瞑ろう」
「お、流石は王家きっての武人。話が分かるねぇ。言われずとも全力で暴れるつもりだから安心してよ」
「ふん……さあ、話の腰を折られたが、改めて諸君に現状と今後の動きを伝える」
そう言った後、彼は少しだけ間を置いて続けた。
「現在、レヴィアス公爵を中心とする何人かの貴族と、ルミナス帝国および《魔王軍》側の交渉人が、敵側の拠点で停戦交渉を行っている」
穏健派の貴族たちが動いているという話は聞いていたが、その中心はレヴィアス公爵、つまりルアの父親だったか。
まあ、彼はラトリア貴族でありながら領地内での戦闘を避ける為に魔族を受け入れた程の平和主義だから、不自然な話でもないか。
「停戦交渉など下らんと我は思うが、最長であと十日ほどは待ってやることになった。ライングリフ兄様の頼みなのでな」
ラトリア王国第一王子、ライングリフ・フォルナー・ラトリア。私より十四も年上の兄。
まだ次期ラトリア国王は決定していないものの、現状では最有力候補とされている男だ。
奴を端的に表現するならば「ラトリアを世界最強の覇権国家にしようと目論む煽動家」である。
その圧倒的なカリスマは、明らかに現国王である父よりも王都の民を惹き付けている。
しかし、そんな強硬的な男が、停戦交渉を待つように指示を出すだと?
なにか胸騒ぎを感じる。
「期限までに状況が変化しない場合、我々は問答無用でルミナス帝国側の陣地に侵攻することになる。知っての通りだが、ここで戦う以上、あまり悠長にしていられんのだ」
それは一見、拙速なようでいて、実に理にかなった考えだ。
私たち人間族は他の種族と比べて、戦闘能力を《術式》に依存している部分が大きい。
獣人やオーク系魔族などのように膂力がある訳ではなく、エルフや悪魔系魔族などのように《魔法》――《術式》よりも高効率でマナに干渉して物理法則を捻じ曲げる生得的能力――が使える訳でもないのだから。
そして、マナが希薄なこの地に長居していればいずれマナ欠乏を起こし、《術式》を封じられることで大幅に戦力が低下してしまう。
従って、交渉ではなく交戦によって勝利することを前提とするならば、可能な限り早く動いた方が良いのである。
「……さて。もし侵攻が開始された場合、諸君に任せたいことは単純だ。われわれ王国正規軍よりも先行し、こちらの邪魔にならないよう留意しつつ、各自の判断で遊撃してもらいたい。その方が諸君には合っているだろう?」
「ははっ。そうそう、ボクらにはそういうので良いんだよ」
何故かアレスが楽しそうにしているが、他の大半の冒険者や傭兵たちは露骨に不安を見せ始めた。
敵をかく乱する前衛。
私たち序列入りのように戦い慣れているならば機動力を活かして充分にその役割を果たせるだろうが、今回初めて戦闘に参加したような連中は単に「捨て駒にされそうになっている」と感じていることだろう。
いや実際、素人が前に出たところで矢と術の雨によって蜂の巣にされるか、オークやオーガ、トロールなどの力押しによって肉塊に変えられるだけである。
このようなことはローレンスも理解している筈だ。
「我々に諸君の多様な戦闘技術を全て把握し、適切な命令を行う余裕はないのだ。従って、このような単純な指示にならざるを得ないことをどうか許して頂きたい」
もっともらしく語っているが、言い訳にしか聞こえない。
「役立たず共はせめて肉の盾になって死んでくれ。そうすれば報酬を出さずに済む」という本音が透けて見える。
「話は以上。次の指示があるまでは待機していてくれ。それでは、解散」
部下と共に去っていくローレンス。
冒険者たちの不安などまるで意に介していないようだ。
やれやれ。戦闘が始まったら私が真っ先に斬り込んでやるしかないか。
別に、積極的に素人共を助けてやるつもりはない。
赤の他人のことなんてどうでもいいし、戦場に望んでやってきた以上、あとはもう実力勝負の自己責任だから、彼らは覚悟を決めるべきなのだ。
でもそれはそれとして、自分の戦いのついでで拾い上げられる命があるのならば拾ってやりたいと、私は思うのである。




