3章11節:王立アカデミーでの決戦
深夜。
私は、慌てて寮の部屋までやってきたネルから伝言を聞いた。
《北ラトリア解放騎士団》はこの学院を占拠しようとしているようだ。
目的は「レヴィアス公爵とルアの公開処刑」、「組織をラトリア王国の正式な騎士団として承認すること」の二つ。
前者はラトリアの民全てに「人間族以外は劣等種として扱うべきである」という意識改革を促すことが狙いであり、後者に関しては公的な組織となって内部から国を変えようとしているのだろう。
「……ってウォルフガング先生が言ってた! つまり『おーらふ』っていう人が悪い人で、このあとすぐに仲間の悪い人たちがここに来るかも知れなくて……あわわ、分かんなくなっちゃった……」
「大丈夫だよ、ネルちゃん。充分伝わってるから」
行動に出る前にネルを待って良かった。
既にオーラフが《北ラトリア解放騎士団》のメンバーである可能性に当たりを付けてはいたが、これで確信を持つことが出来た。
とはいえ、こんなにも時間が残されていないというのは想定外だったけれど。
「本当は接触して探りを入れようと思ってたんだけど、その必要は無くなったね」
「どう致しましょう、リア様」
少しだけ静かに考えて、再び口を開く。
今ならばちょうどネルが居るし、「こういう方法」も可能かも知れない。
「暗殺する。勿論、敵さんの方も色々と対策してるだろうから上手くいかないとは思うけど、どちらにせよ正面から殺しに行く必要はないからね」
「暗殺……ですか。方法は?」
「シンプルに行こう。この寮は屋上に上がれるようになってるから、そこから見つけ次第、私が《権限》で撃ち抜く」
「珍しいですね。いつもギリギリまで力を見せることを渋るリア様が、初撃から惜しげもなく使っていくとは」
「この学院では《変位》を教えてるじゃん? 私の力ってぱっと見、あれと区別つかないからね」
「あ~、なるほど。確かにこの場であれば、リア様の切り札の特性は悟られにくいかも知れません。でも、月が出ているとはいえこの暗さの中で見つけられるのですか?」
「そこはたぶん、問題ないんじゃないかな……ネルちゃん、一緒に来て」
「うん! 私、何かリアお姉ちゃんの役に立てる!?」
「獣人の中でも、きみみたいな猫人種は人間よりだいぶ夜目がきくじゃん? だから敵を探して欲しいんだ」
「分かった! 一緒にがんばろ!」
さあ、急ごしらえではあるが方針は決まった。
不安はない。こんなことは冒険者であれば日常茶飯事だ。
計画が足りていない部分は実力で何とかすればいいし、今までだってそうしてきたのだ。
着替えや武装の支度を短時間のうちに済ませた後、廊下を歩いていると、ルアと遭遇した。
彼女は不安を感じやすい性格ゆえか寝付きが悪いらしく、夜遅くまで起きていることが多いと聞いていた。
多分、トイレにでも行っていたのだろう。
「り、リアさんとリーズさん!? どうしたんですか、剣なんか持って……!」
「ごめん、説明してると長くなっちゃうから。今は何も見なかったことにしといて」
「いや、怖くて気になってしまうんですけど……」
「『学院に悪い奴が居るから倒さなきゃならない』、とだけ言っておくよ。じゃあ、行くからね」
「は、はあ……」
もしかすると聡明なルアのことだから、説明すればすぐに状況を把握し、場合によっては手伝ってくれるかも知れない。
敵の目的の一つは「ルアの処刑」。オーラフに立ち向かうことは彼女にとって自衛でもある。
だが、この子を巻き込みたくなかったのだ。
ここで暗殺に成功すれば、彼女は辛うじて「普通の学生」のままで居られる。それが一番の結末だ。
学生寮の屋上にやってきた私たち。
ネルにオーラフの容姿を伝えた後、かつて映画で観たスナイパーか何かみたいに皆で床に伏せて観察を始める。
そうして、しばらく経った後。
「お姉ちゃん! あっち、見て!」
ネルがアカデミーの裏門の方を指差した。
数人の不審な来訪者とオーラフが何やら話し合っている。
あれは間違いなく、《北ラトリア解放騎士団》に所属する騎士だろう。
あの程度の人数で済んでいるのは、ウォルフガングたちが外で掃討してくれているお陰か。
「さて……どこまでスナイパーの真似事が出来るかな」
独り言をいいながら、戦闘実習で生徒たちに貸し出した長剣を想起していく。
すると、《権限》――《乙女の誓い》の能力によってそれらが召喚される。
訓練用に用意されたものとはいっても真剣だから、当てられさえすれば人を殺傷するのは容易だ。
月明かりを頼りに目を凝らす。
狙いはオーラフと、他の騎士たち全員。
同時に、確実に、一撃で仕留める。
――ここだ!
剣を弾丸のように放つと、騎士たちは頭を穿たれ、倒れていった。
だが一方で、オーラフの姿は消えていた。
狙いは正確だった筈だが、何らかの術技により回避されたのだ。
そして次の瞬間、奴は私たちの傍に姿を現した。
「暗殺を仕掛けるとは行儀の悪い。やはり所詮は冒険者ということか」
すぐに体勢を立て直し、その偏屈そうな男と相対する。
「無傷、か……まぁ、これで都合良く終わってくれるとは思ってなかったけどさ」
「悪いがね、そちらが来る前から準備は整っていたのだよ……臨時講師どの」
「全部手遅れだったってこと?」
「実はそうでもないのだよ。君たちの仲間によって戦力をかなり抑えられているから、数の力でアカデミーを制圧することは難しくなった」
「じゃ、こっちの勝ちってことで諦めてくれない? すぐに終わらせる為に奇襲したけど、『出来れば生きて捕えろ』とも言われてる。降伏してくれるなら殺しはしないよ」
「諦めるように見えるかね? 物量での制圧が出来ないならば、別のプランを実行するだけだ」
私はオーラフに斬りかかった。しかし、彼は無詠唱で高速移動系の《術式》でも使用したのだろうか、瞬時に屋上からグラウンドの中央に移動してしまう。
そして両手を空に掲げ、別の《術式》を行使すると、広大なアカデミーの敷地を囲うように青白い光の壁が形成されていく。
深夜だというのに、アカデミーはまるで昼間のように輝きに満たされた。
人の出入りを制限する為に展開された、凄まじく大規模な結界だ。
《竜の目》のシスティーナは建造物一つを封鎖する障壁を維持・制御していた強者だったが、オーラフはあれ以上の使い手だとでもいうのか。
それでも、挑むしかない。
依頼だから。相手はテロ組織のメンバーだから。
それもあるが、何より、教師の癖に生徒を差別するなんて恥知らずが過ぎるんだよ。
「リーズちゃん、行こう」
「御意ッ!」
「お、お姉ちゃん! 私は?」
「ネルちゃんは、え~っと……階段で降りてきて! 何か指示を出すかも知れないから、学校の陰に隠れて待機してて!」
「分かった!」
私は「重い剣を持つ」という用途ではすっかり使わなくなった《強健》を唱え、屋上から地上まで飛び降りた。
リーズも《加速》を精密に制御し、私に追従する。
グラウンドに向かっている最中、空間が振動するような感覚を得た。
念話系の《術式》が発動する予兆だ。
あのタイプの技は非常に習得難易度が高いことで知られているのだが、それを結界を展開しながらやり遂げるとは。
――「我々は《北ラトリア解放騎士団》。ラトリア王国の在るべき姿を取り戻すことを目指す戦士たちの集いである!」
オーラフの声が脳内に響いてくる。この声明はかなり広範囲に伝わり、結界の眩い光と共に、眠っていた多くの者たちに最悪の寝覚めをもたらしていることだろう。
――「現在、我々は王立アカデミーの全生徒を人質に取っている。こちらの要求は、レヴィアス公爵とその娘であるルアを国家反逆の罪に問い、公開処刑を行うこと。そして、我々を王国の正式な騎士団として承認することだ。要求が叶えられない場合、我々の意思に同調しない教師や学生を犠牲にせねばならなくなる」
きっと、この言葉をルア本人も、他の生徒たちも聞いている。
最悪の場合、彼らがルアを無理やり捕らえて引きずり出してくる可能性がある。
生徒たちの緊張が限界を迎える前にオーラフを仕留めるしかない。
グラウンドに到着した私とリーズは、目の前の教師を強く睨みつけた。
さっさと斬ってしまおうとも思ったが、一つ、言っておきたいことがあった。
「きみさぁ、先生なんでしょーが! 愛すべき生徒を『公開処刑しろ』とかさ、なんで堂々と言えるわけ!?」
「『愛すべき生徒』は人間だけだ。獣人などという劣等種族、この場に居ること自体が間違っているのだよ。人間だけで社会が成立していた昔のラトリアならばこんなことは無かった筈だ」
「昔の話なんて知ったことか! 私たちは今を生きてるんだよ!」
「そういう者たちは学が足りないから今を生きるしかないのだ。正しく学んでいる者は過去を知り、未来を紡ぐことが出来る。自分が教導している歴史研究会の生徒たちのようにな」
「『洗脳』の間違いでしょ」
「若者を啓蒙することがいかに国益に繋がるかも分からん底辺層が……それで、話はもういいかね? こちらとしては別に、君たちと関わる理由はないのだが」
「こっちにはたくさんあんの! きみのこと、止めさせてもらうよ!」
そう啖呵を切って、予め呼び出しておいた《静謐剣セレネ》を振るう。
だが、やはりオーラフは一瞬で別の場所に転移してしまう。
強度の低い《術式》であるならばこの剣で破壊出来るのだが、有効にせよそうでないにせよ、そもそも命中しないのだ。
リーズも同様だ。最速の剣の使い手でも攻撃を当てられない。
オーラフは高速移動どころの話ではなく、位置を直接指定してワープしているように思える。
「何やら偉そうなことを言っていたが、その程度かね? 所詮は冒険者、武器を振り回すだけの野蛮人ということか」
「じゃあその野蛮人に、使ってる技について講義してくんないかな先生っ!」
「お断りする。小娘よ、何でも教えてもらえると思わんことだ」
心の底から鬱陶しそうに言いながら、オーラフは発火の《術式》――《発破》を詠唱する。
無数の炎弾が空から降り注いでくる。
だが、凄まじい速度で戦場を駆け巡るリーズには当たらないし、私も《静謐剣セレネ》によって切り払うことで無効化出来ている。
相手の攻撃力自体は今のところ、大したことはないのだ。
ただ、こちらの攻撃も通らないのが問題である。
私たちはオーラフを無力化しないといけないのに対し、あちらは外の貴族連中や近衛騎士団が交渉人を送ってくるのを待っているだけでいい。
なるほど、元より時間さえ稼げればいいのだから、それに特化した戦術を取っているという訳か。
しばらく進展のない攻防が続いた。
結界のせいか、外から増援が来る気配はない。
ただただ、少しずつこちらの体力が削られていく。
術師を相手にする時のセオリーの一つとして「彼らは《術式》に頼り切らない戦士ほどの継戦能力を持たないので、牽制攻撃を続けて消耗状態にしてやればいい」というものがある。
しかし、オーラフは大規模な結界の《術式》、攻撃系の《術式》、無詠唱だが恐らくは転移の《術式》も同時に使用しているのにも関わらず、まるで疲労している様子が見られない。
明らかに普通ではない。あんな風に《術式》を運用出来るのはエルフや魔族の中でも最上位クラスの者だけだ。
なにかトリックがあるに違いないが、特異武装や疑似特異武装のようなものを持っているようにも見えない。
――本当にそうか?
「そちらが来る前から準備は整っていた」とオーラフは言っていた。
アカデミーの教員だからこそ出来る準備を考えてみる。
もしや、彼自身が特別な物品を携帯しているのではなく、この学院に何かが設置されている?
そう思い至った時、事態が一変した。
学生寮の方から、ひどく狼狽した様子のルアが逃げるようにして走ってくる。
彼女を守るようにフレイナが長剣を構え、武器を持って襲い掛かってくる他の生徒たちを退けている。
フレイナは戦おうとせず怯えてばかりのルアの態度に苛立っているようで、激しい口調で責める。
「もうっ、何やってるんですの!」
「私は戦いたくなんかないんです!」
「あなたが狙われてるんですのよ!? あなた自身が抵抗しないでどうするんですのッ!?」
「だ、だって……私が処刑されれば全部丸く収まりますから……」
「このバカ! 腰抜けの雌猫!」
「はぁ!? なんで私より成績が下のあなたにそこまで言われなきゃならないんですか!?」
「事実でしょう!? 貴族ならばわたくしのように毅然としていなさいな! 気に入らないことは堂々と拒否してやりなさいな!」
「無理ですめんどくさいです怖いです! もう、どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんですかぁ……!」
まずいな。歴史研究会のメンバーがすぐにルアを追い詰める為の行動を開始したのか、思った以上に事態の進行が早い。
ルア本人がどういうつもりでこの場に臨んでいるにせよ、これではオーラフの目的の一つが果たされてしまう。
彼女は「崇高なる学び舎に迷い込んだ獣」として生徒たちの前で捕らえられ、それを人質として公爵がおびき出され、最終的には親子まとめて消されることになるだろう。
「こっち来ちゃ駄目! どっか、えーっと、分かんないけど隠れられる場所に逃げてッ!」
ルアに向かって叫ぶが、彼女は完全に取り乱して自棄になっている。
「わ、私だって逃げたいです! でも『お前が死ねば全部解決する』って皆が言ってくるから!」
いつもの帽子越しに彼女の頭を軽く叩き、フレイナが叱った。
「いたっ。何するんですか!」
「わたくしたちはあの男と戦いに来たんですの! いつまでも腑抜けてないで、しっかりなさい!」
フレイナはオーラフを倒すつもりで居るようだが、無理な話だ。
幾ら彼女たちが優秀な生徒であるにせよ、私たちでも苦戦しているこの状況に対して有効な手を打てる筈がない。
オーラフの側もそう思っているのか、余裕を感じさせる態度でルアに迫った。
リーズに貸しているもの以外の全ての聖魔剣を召喚して放つが、転移によって簡単にかわされる。
「自分から来てくれたことに感謝する、ルア。どうやら最低限の責任感は持っているらしいな」
周りの生徒たちが「獣人など居てはいけなかった」「この学院から出て行け」「反逆者の娘め」「オーラフ先生が正しい」などとルアに向かって罵る。
フレイナの奮闘も虚しく、当の本人はすっかり絶望し、地を眺めていた。
そんなルアに、オーラフが手をかざす。
拘束の《術式》が掛けられようとしている。
――だが、予想に反して何も起きない。
誰もが困惑した。
生徒たちも、フレイナも、オーラフも、五年ほど冒険者として戦い続けている私やリーズですらも。
さっきまで絶望し、全てを諦めていた筈のルアが、まるで《術式》を回避したかのように私の傍に転移してきていたからだ。




