3章9節:歴史研究会
王立アカデミーでの生活を始めてから、早くも一週間が経過した。
私とリーズは文句を言われない程度に臨時講師としての仕事をこなしつつ、生徒や教師らに対して「不審人物、或いはそれと接点がありそうな者を見かけなかったか」という聞き込み調査をしていた。
最重要目標である「《北ラトリア解放騎士団》と繋がっていると思しき人物」は未だに発見出来ていないものの、調査の過程でルアのいじめに関わる事実が一つ判明した。
彼女は二年前に入学してすぐに獣人であることや出自の特殊性が知られることとなり、周囲から冷遇されるようになった。
しかし実際のところ、「物をぶつける」「突き飛ばす」「わざと足を引っ掛ける」など、暴力を伴う分かりやすい嫌がらせを受けるようになったのは入学から一年ほど経ってからのことらしい。
いじめは放っておくとエスカレートするものだから特に理由など無いのかも知れないが、もしかするとその時期に、この学院の環境に何らかの変化が訪れた可能性もあるだろう。
一方でウォルフガング達はというと、どうやら敵の動きを掴んだらしい。
まだ確証は得ていないそうだが、現在、王都に例のテロ組織が侵入し、潜伏しているというのだ。
明らかに、何らかの大規模な作戦行動を取ろうとしている予兆だ。
もしこの学院に彼らの仲間が本当に紛れ込んでいるのだとしたら、連中はいずれ、どこかで合流しようとするだろう。
殲滅するならば絶好のタイミングだ。それに備える意味でも、今は学院内での調査を続けよう。
朝、リーズと共に女子寮から校舎へ向かっていた私は、いじめの現場に出くわすこととなった。
壁際に追い込まれ、帽子を守るようにしゃがみ込むルア。
彼女に蹴りを浴びせ、帽子を奪おうとする数人の生徒。
「リア様、あれは……!」
「はぁ……ホントに懲りない奴ら!」
最初の実習以降、少なくとも私の見ている範囲でルアに対する嫌がらせは行われなかった。
無論、そう簡単にいじめが無くなるなんて甘いことは考えていなかったが、私が居る間くらいは止むと思っていたのに。
一体、何が彼らをそこまでさせるんだ?
獣人であること、そして、魔族に抗わなかった裏切り者であるレヴィアス公爵の娘であることがそこまで気に入らないのか?
ともかく生徒たちに近づいて、怒りのままに殴ってやりたい気持ちを抑えながら作り笑いをした。
「ごめんね~、ちょっと講義の件でルアちゃんに話があるから」
そんなことを言いながら、ルアの手を引いてその場を去る。
いじめをしていた連中は不愉快そうにしながらも、それを止めようとはしなかった。
どうやら私たちに挑戦してでも暴行を続けようという勇気までは持ち合わせていないらしい。
「あの……すみません、ご迷惑を」
共に校舎へと続く石畳の上を歩きながらも、ルアはぺこりと頭を下げた。
「良いよ、『頼って』って言った訳だし。でも、ちょっとくらいやり返したって罰は当たらないんじゃないかな」
「私もそう思います、リア様! 時には力を振るって解決することも必要ですよね!」
意気揚々とガッツポーズをするリーズ。
わりと脳筋なこの子のことだから、私以上に「力でもって立ち向かえ」という思いは強そうだ。
だが、やはりルアは乗り気ではない。
「ごめんなさい……私、そういう後先考えない行動は苦手で」
「後先考えすぎて今の自分を犠牲にするのも良くないよ。理性的なのは素晴らしいけど、どうしても許せないことまで無理して許さなくていい」
「……むぅ」
「あと、人が信用出来ない気持ちは分かるけれど、頼れそうな奴は積極的に利用していくのも大事かなって。特に、大貴族の後継者として生きていくつもりならね」
「そうですよね……忠告、感謝します。確かにリアさんの言う通りで、『強かさ』というやつも必要なんですよね……」
ずっと足元を見て歩いていたルアだが、やがて真剣な表情で正面を見据えた。
あと一週間で私たちは学院から去ることになるが、それからも強く生きてくれると良いな。
***
午後の授業を終えると、すぐに調査に乗り出した。
これまで通り不審人物に関する目撃情報の収集も行ったが、もう一つ。
今朝の出来事も踏まえ、ルアに対して嫌らがせを行っていた生徒たちの共通点を洗った。
無論、ルア個人の為というのもあるが、どうも「ルアのいじめ」と「テロリストの潜伏」という二つの出来事の間には、因果関係があるような気がしてならなかったのだ。
そして調査の結果、主犯格――周りを扇動していじめに協力させていた生徒は、全員が「歴史研究会」という部活動に所属していることが分かった。
翌日の放課後、私はリーズを連れて歴史研究会が使用している会議室を訪れた。
追い返されることも想定していたのだが、意外にも生徒たちは堂々と迎え入れてくれた。
「君たちは臨時講師の……ここに来たということは、人間族として持っているべき正しい歴史と認識を学びに来たんだね? 歓迎するよ!」
会議室に足を踏み入れるや否や、奥に座っている会長と思しき少年はそう言った。
手前の長机を囲っている十人ほどのメンバーが、こちらの思惑を探るようにじっと見つめてくる。
それなりに広い部屋だというのに、とても息苦しい。
生徒たちの視線もそうだが、書物やどこかに貼る為に用意されたと思しき紙が机の上や床に大量に散乱しているのだ。
張り紙には「ラトリアを劣等種から解放せよ!」「古き良き時代を取り戻す為、ラトリアの民は武器を取れ!」などと、過激なメッセージが書かれていて不気味だ。
なんとなくここがどういう場所かは一目で理解出来たが、探りを入れる為に無知を装ってみる。
「えっと……実は色んな部活動を見学しててさ、よく知らずに来たんだ。ここって何をしてるところなの?」
「この世界の正当な歴史を学んで人々を啓蒙すべく、オーラフ先生の指導のもとで研究や講演などの活動を行っているんだ」
「へ、へぇ……あの先生か~」
オーラフ――《術式》および歴史の授業を担当していた教師だ。
ラトリア王国絶対主義者。ルアが嫌がらせを受けているのに、見て見ぬ振りをした男。
ああ、良いぞ。話が繋がってきた。
「君は、魔族に迎合した無能であるレヴィアス公爵の娘を庇ったと聞いている。それがいかに愚かな選択であったかを教えてあげよう」
「も、もしかして酷いことされちゃう!?」
「僕らを野蛮人と一緒にするんじゃない。冒険者とはいえラトリアの民ならば、何が正しいかを言葉で伝えれば理解出来る筈。そう、今はただ無知なだけなんだよ」
私たちはそれからしばらく、研究会メンバーによって思想を豪雨のように浴びせられた。
「人間以外の種族は社会に寄生するだけの屑だ!」
「他の種族を弾圧しない領主はラトリアへの反逆を企てているかも知れないから、排除せねばならない!」
「《魔王軍》とルミナス帝国に勝つには、まず国内の『害虫』を取り除かねばならない!」
それらの主張にいちいち反論しそうになるリーズを目線と表情だけで何とか宥めつつ、話を聞き終える。
結論をまとめると、彼らは「人間族の立場が絶大であり、国としても強く豊かだった頃のラトリアを取り戻したい」という願いを抱いて活動しているようだった。
ルアに嫌がらせをするのも、王立アカデミーという「人間の貴族の為の場」に相応しくない獣人を排斥――つまりは自主退学させる為であり、これは「正義と秩序を守る為の戦い」なのだと。
そう、少なくともいじめの主犯格である彼らは、自分が正しいことをしていると本気で信じているから、私たちを招き入れたのだ。
その思想、その有り様、まさしく《北ラトリア解放騎士団》のようではないか?
とはいえ、まだ断定するのは早いだろう。
生徒たちは単に過激思想の影響を受けただけかも知れないからだ。
人というのは基本的に、本人が思っているほど「自分の考え」というやつをキープ出来ない。
冷静に考えると無茶苦茶なことでも、力強く主張されれば正しいことを言っているような気がしてしまうのである。
つまり疑わしいのは、彼らを教導しているオーラフの方だ。
まだ憶測の域を出ないが、彼は恐らく一年ほど前に《北ラトリア解放騎士団》に加入し、思想を先鋭化させていったことで生徒たちを扇動するようになったのだろう。
そして結果的にルアへのいじめが行われるようになった――という感じではないのか。
或いは、彼自身が裏でいじめを指示している可能性すらも存在するが。
本当にあのテロ集団のメンバーであるのならば、それくらいのことはやりかねない。
部室を出た私は、すっかり日が落ちて暗くなった廊下を歩きながらリーズに伝えた。
「……ネルちゃんの定期報告を聞いたら、オーラフと接触してみよう」
「え、深夜にですか?」
「事と次第によってはその場で戦闘になるかも知れないからね。ほら、生徒が周りに居たらやりにくいでしょ」
「あ~……リア様はやはり、あの男が黒幕だと?」
「十中八九ね。リーズちゃんも心の準備をしておいて」
*****
それとほぼ同時刻。
ウォルフガング、ライル、ネルの三人は情報収集の末に《北ラトリア解放騎士団》の潜伏拠点の一つを割り出し、潜入を試みようとしていた。
そこは中心市街地から離れた、王都の中では比較的閑散としている住宅街にぽつんと立っている屋敷。
以前から王都内部に居た組織の協力者が、拠点として提供しているものだ。
裏口の前には衛兵が居たが、ウォルフガングが仲間を呼ぶ間も与えず瞬時に気絶させた。
彼らは拠点を壊滅させるのではなく、ひとまず情報だけを得ようと考えていた。
現状、騎士団側の動きが分からないので、下手に騒ぎを起こすと余計な被害を出したり、或いは逃亡される恐れがあるからである。
「俺はここで待機している。ライルには潜入を任せるとして……ネル、本当にお前も行くのか?」
「うん。私も役に立ちたい!」
「あ~、いや、気持ちは分かるんだが……」
ネルを危険にさらしたくないという思いから、彼女に屋敷の探索を任せるのを渋っているウォルフガング。
そんな彼の肩を、ライルが軽く叩いた。
「若い奴ってのは年長者から信じてもらって、頼られて、対等な存在として見てもらいたい時もあるもんだ。先生はちょっと過保護だぜ」
「ううむ……まあ、ネルの天才的な隠密センスはよく知っているしな……分かった、任せたぞ。お前は《術式》が使えないから、危なくなったら叫ぶなり何なりしろ」
「分かった、がんばる!」
ウォルフガングは二人を見送ると、路地裏の壁にもたれかかった。
「過保護、か……若者の気持ちを察するのは難しいな。子供が出来ていたらまた違ったのかも知れんが」
かつてこの男には妻が居たが、子供を得ることはついぞ無かった。
彼はしばしば、その「生まれなかった我が子」のイメージを、自分より遥かに若い仲間たちに重ねている。
貧困層に生まれた為に地獄のような幼少期を過ごすことになったライルやネル。
両親を呪血病で喪ったリーズ。
そして、愛情を持って接してくれた唯一の肉親を目の前で惨殺されたアステリア。
ウォルフガングは、彼らの父親のような存在になってやりたいと思った。
一方で「飽くまで仲間として対等に見るべきだ」という、矛盾した考えも持っている。
少し前まで一人で依頼を受けるようにしていたのも対等な存在として彼らを自立させる為であったのだが、不器用さゆえに「仕事に同行させないのは信頼されていないからだ」なんていう不安を与えてしまってもいる。
それが分かっても、どう接するのが正解かまではまるで分からないのが、長い時間を戦場で過ごしてきたウォルフガングという人間なのだ。
齢六十八にして、まだまだ気苦労が絶えない男である。
それから少し経って、ライルとネルが何事もなく戻ってきたのを見て、彼は胸を撫で下ろした。
「先生! ネルがすげぇもん盗ってきたぜ!」
「なんかすごい『さくせんけいかくしょ?』なんだって! 私にはよく分かんないけど、騎士さん達が大事そうに持ってたからつい……」
出会った時と比べたらマシになっているとはいえ、未だにネルの窃盗癖に悩まされているウォルフガングだが、今は素直に褒めておくことにした。
「作戦計画書……やるじゃないか、ネル! ちょっと貸してくれ」
受け取り、ライルと共に内容を確認する。
一通り読み終えたライルは、随分と動揺した様子であった。
「マジかよ……時間が殆ど残されてないのもヤバいが、それ以上にこの作戦内容……王都でここまで大々的に動くって正気じゃねえ。捕まったら八つ裂きレベルっすよこれ」
「普通はな。恐らく、王家は恩赦を出すだろうが……」
「そういや、『国の方は本気で潰す気がない』って話を依頼受諾の時にしてましたね」
「ああ。だが俺たちは別に、政治家共の意図を汲む必要はない。こちらは飽くまで冒険者として、依頼されたことを完遂するだけなんでな……さあ、迅速に行動するぞ」
《北ラトリア解放騎士団》の作戦内容は「主力メンバーがオーラフと合流し、王立アカデミーを占拠する」というものだった。
目的は「レヴィアス公爵とその娘であるルアの公開処刑」ならびに「《北ラトリア解放騎士団》の正式な騎士団としての認可」という二つの要求を行うこと。
決行は、今日の深夜だ。




