3章8節:ルアの出自
えっと――どうしよう?
私の心は、コミュニケーションが苦手な中学生でしかなかった頃のそれに逆戻りしていた。
泣きじゃくるルアを前に困惑していると、いじめをしていた少年の一人が傍にやってきて、冷たい目で彼女を見下した。
「……これで君が勘違いをしていたことが分かって頂けたかな? 誇り高きラトリア貴族に、劣等種である獣人など居て良い筈がないのだよ」
いじめを認めるばかりか誇っているかのように語るものだから、つい怒りを我慢できなくなった。
私は立ち上がって、彼を正面から睨みつける。
「『獣人だったら嫌がらせをしていい』って言ってんの!?」
「僕らが間違っているとでも!? 悪いのは産まれたそいつと、『素性の知れない女』にそいつを産ませたレヴィアス公爵だ!」
手が出そうになるのを抑えながら、なんと返してやろうか考えていると、ルアは帽子を拾うなり早足でこの場を立ち去っていった。
今はこんな男よりもあっちが優先だ。
「ごめん、ちょっと行ってくるからこの場はお願い、リーズ先生!」
「え……えぇ!?」
「残りの子と試合して採点してくれればいいから! 怪我だけはさせないようにね!」
「わ、分かりましたっ!」
――はぁ、なんか私らしくないな。
王女時代の私は力を得ることによって、いじめを幾らか抑えつけることに成功した。
その力をルアは既に持っているのだから「誇示する機会を与えてやろう」と思ったのだが、予想以上に彼女の自尊心が低く、裏目に出てしまったようだ。
いや、そもそも、目的の前ではルアなど無視すべき存在でしかないのに、私はなんでこんなに必死になってあれこれ悩んでいるのだろう?
ネルのこともあって甘くなっているのだろうか。
それとも昔を思い出して勝手に自己投影しているのか、或いはその両方か。
ルアは校舎の陰に座り込んだ後、追いかけてきた私を見ることもなく言った。
「……あなたのせいで恥をかかされました。目立ちたくなかったから、人前では出来るだけ本気を出さないようにしてたのに」
まだ目を赤くしている彼女の隣に、二年前みたいに座る。
「ごめん。私も似たような経験してさ……でも剣の腕で黙らせてきたから、きみにもそうして欲しかった」
「あなたのような強者が、その……嫌らがせを? 御冗談を」
「別に私だって最初からあんな風に戦えた訳じゃないよ? 自信を得る為に修行したんだ。きみもそうなんじゃない?」
「その一面があるのは否定しません。首席を維持したいのだって、お父様の為という以上に、なにか実績がないと不安で仕方がないんです」
「なら、それが出来てるんだからもっと自信持ったら良いじゃん」
「そんな簡単な話じゃないです」
「本気のきみ、めちゃくちゃ強かった。首席ってことはそれに加えて学問でもトップ走ってる訳でしょ?」
「ええ、何とか。むしろ貴族としては戦闘能力よりも学があることの方が重要ですし」
「凄いじゃん! きみなら、在学中は同じく首席だったらしいレティシエルなんて目じゃない筈だよ!」
「あはは……なんですかその物言い。私如きと比較するなど、我が国の姫に対して無礼ですよ……」
「私、あいつが苦手でさ……とまあ、それはいいんだけど。やっぱりどうしても不安なのって、獣人だから?」
いかにも不快そうに唇をきつく結ぶルア。
当然だろうが、そこにはあまり触れられたくないようだ。
獣人。
前世のサブカルチャーにおける「萌え属性」としての認識を未だに引きずっているから実感しにくいが、この世界の彼らは基本的に賤民扱いされている。
社会の最底辺層である半魔よりはマシかも知れないが、それでも不遇の種族であることは疑いようもない。
獣人であるというだけでその者を見下す人間は多いし、就ける仕事だって――女ならば売春も選択肢に入るが――大抵は過酷な肉体労働に限定される。
多額の金銭を国に支払って「名誉人間族」になってようやく職業選択の自由を得られるが、そうそう無い話である。
全ての階級、全ての種族が平等にチャンスを得られる冒険者業は獣人にとって人気の仕事ではあるものの、この世で最も実力主義な仕事でもあるから、成功するのはほんの一握りだけだ。
そんな獣人が公爵家の娘だなどということは普通、有り得ないのである。
「確かに獣人差別は根深い問題だよ。きみもいっぱい苦労してきたんだろうなって。でも、少なくとも私は『どうでもいい違いだな』って思ってるし、他にもそういう人は居る筈だよ」
「……それだけじゃないんです」
「え?」
「私は産まれたこと自体が間違いなんですよ……私の『公的な母』のこと、知っていますか?」
ああ、そういえばレヴィアス公爵夫人は人間族だったな。
淑やかな女性として知られているが、一方で、結婚してからしばらく子が出来なかったことから、かつては貴族社会において「妊娠能力が無い出来損ないなのではないか」と罵られていたらしい。
――待てよ? レヴィアス公爵も人間族なのだから、それはおかしい。
「まさかルアちゃん、きみって……」
「私は不義の子なんです。お母様は実際、妊娠出来ない身体でしたから」
「だからレヴィアス公爵は、獣人族の愛人か何かを孕ませたってこと?」
「獣人って妊娠能力に長けてますからね。お母様の件で人間族に対して不信感を抱いていたのでしょう」
「……そっか。そりゃ貴族からしたら後継者はどうしても必要だもんね」
なんて境遇だ。レヴィアス公爵は娘がどんな扱いを受けることになるか分かっていただろうに。
ルアは長いこと引きこもっていたそうだが、納得だ。こんな生まれならば幾ら努力をしたところで自尊心を得ることは困難だろう。
理不尽すぎて頭に血が上りそうになる。
とはいえ、公爵の行いを否定することは出来ない。
「どうせ不幸になるならば産むのは残酷だ」なんて言うのは、「産まれたのが間違いだ」と嘆きつつも精一杯、頑張って生きているルアを否定することになるからだ。
私に出来るのは、今の彼女を抱きしめて肯定してやることだけだった。
「ちょ、ちょっと! リアさん!?」
「きみは何も悪くないよ。悪いのは、きみを受け入れられない世界だ」
「そんなこと言ったって、何が出来るんですか……」
「私が女王になって、この世の理不尽を全てぶち壊してやる」――なんてこと、少なくとも今はまだ言えない。
代わりに、照れて顔を赤くしているルアの手を握ってやる。
「まあ……ここに居る間は適当に頼ってよ。ヤな奴ぶん殴ったら流石に追い出されるから無理だけど、文句言ってやるくらいは出来るから」
「……ふふっ。リアさんってホントに変な人ですね」
「惚れた?」
「変な人すぎて正直怖いです……」
「なはは、辛辣だなぁ!」
「でも、あなたが優しさを持っているというのは伝わってきました」
***
少し大変なことになったものの、リーズの協力もあって、何とか最初の授業を終えることが出来た。
あの時は「やってしまった」と思ったが、ルアと話す機会を得られたから結果的には良かったのかも知れないな。
昼休みに入って生徒たちがグラウンドを去る中、借りた武器をリーズと共にかき集めていると、フレイナが寄ってきた。
相変わらず堂々としたぼっちだ。これだけ自信に溢れている人物なら、遠慮せずにもっとルアとも絡んでやれば良いのに。
それが難しいほど、かつての不仲さが後を引いているのだろうか。
「あなた、あの子と話したんですの?」
「うん、全部聞いた。生まれのこととか」
「ルアが自分から話したんですのっ!? 珍しい……皆、あの子の境遇については噂で知っただけで、ちゃんと話したのは恐らくルームメイトであるわたくしくらいでしたのに」
「『獣人だから劣ってる』とかそういうの、私にはよく分かんない。だからこそ少しは心を許してくれたんじゃないかな」
「はあ……『冒険者は獣人と接する機会が多いから比較的、慣れ親しんでいる』とは聞いたことがありますけれど」
「きみはどうなの? 昔は冷たくしてたみたいだけど」
「わたくし達ラトリア貴族はより優れた存在として、獣人を管理すべき立場にあると……今でもそう思っていますわ」
腕を組みながらそう言い放ったフレイナだが、声色はどこか弱々しい。
幼い頃から刷り込まれてきた「人間族として持っているべき差別意識」を崩し得る存在と出会い、困惑している段階――と言ったところだろうか。
「……でも、劣った存在である筈のあの子は、他の誰にも負けない実力を持っていましたの」
「凄いよね。学才だけじゃなく戦闘センスもある」
「それが嫌だったんですの! 獣人如きに負けるのが不快で、努力して、努力して、それでも絶対に能力テストの順位では二位にしかなれなくて」
「万年二位のライバルってやつ?」
「そうですわよ、どうせ万年二位ですわ! わたくしをそんな立場に追いやったライバルがああも卑屈なのが許しがたいんですの!」
「あ~、なるほどねぇ……」
友達なのかそうでないのか、なんとも言えない関係の二人だが、戦闘中の連携は完璧だった。
それだけフレイナはルアのことをよく見ていたし、ルアもまた、このお嬢様を気にしていたということか。
なんだ、本当は私がどうこうする必要なんてなかったんじゃないのか?
私は少しだけ笑って、フレイナの目を見つめた。
「貴族のしがらみとか色々あるとは思うけど、そこまでルアちゃんのことを想ってるなら支えてあげなよ」
「べ、別にそんなのじゃありませんわ! 単に見てて苛立つ女というだけで……!」
「会ったばかりだから単なる直感だけど、きみはバカなくらい正直な人に見える。ほら、ルアちゃんの実力をちゃんと認めてる訳だし」
「バカって、冒険者風情がなんて言い草ッ……!」
「だからさ、周りの目なんか気にせず自分の信じる道を行ったらいいよ」
「偉そうに……ま、まあ忠告として聞いてあげないこともないですわ。わたくしに感謝なさい!」
「はいはい、あんがと」




