3章6節:ルアの正体、リーズの想い
授業の終わりから少し時間が経ち、夕食の時間がやってきた。
先の実習での一件でクラスメイトの印象が変わってしまったようで、誰も私やリーズに話しかけてこない。
「いじめられっ子に関わる面倒くさい奴」だと思われたのだろう。
依頼のことを考えると、あれは明らかに失敗だった気もする。
いじめなど無視すべきだし、実際、今までだって少数を切り捨ててでも敵を確実に討ち取ることを選んできたのだ。
だが、失敗したなら失敗したなりの善後策を講ずるだけだ。
今ならばルアに話しかけられるだろうと思い、一人で退屈そうにシチューを食べている彼女の正面に座った。
ルアは気まずそうに目を泳がせながら、軽く頭を下げる。
「あの……さっきはごめんなさい。気を遣ってくれたのに、あんな言い方して……」
「良いよ。それより挨拶しそびれてたけど、久しぶりだねルアちゃん」
「まさか覚えているとは思いませんでした。私なんかのこと、すぐ忘れちゃったかと」
「も~! 忘れないよ、こんな美少女」
「び、美少女……私みたいなカスの根暗には勿体ないお言葉……」
自虐的な台詞を吐きながらも、彼女は照れつつ上目遣いで私を見てくれた。
た、たまらん!
ネルを彷彿とさせるような、庇護欲を掻き立てられるタイプの可愛げを感じてしまう。
陰気なオーラのせいで人からは気づかれていないかも知れないが、本当にかなりの美少女だぞ、この子。
私が一人で興奮していると、リーズが肩を指で突っついてくる。
「いやいや、浮気じゃないよ!? リーズちゃんも可愛いよ!」
「はぁ? 何の話ですか? リア様はこの方と知り合いだったのですね、と思いまして」
「前にレヴィアス公領に行った時、ビーチでたまたま会ってちょっとだけ話したんだよね」
「ああ、二年前の。それは天神の導きを感じますね」
「そうそう。運命的だよね」
――と話していて、ふと思い至ったことがある。
一つ。ルアは昔からレヴィアス公領で引きこもりとして暮らしているようだった。
二つ。この学院は基本的には王侯貴族の子供しか入学出来ない。
三つ。レヴィアス公爵には子供が一人居るということは噂されていたが、その人物像についての情報は全く出回っていなかった。
「……ねえ、わたし気づいちゃったんだけど、ルアちゃんってもしかしてレヴィアス公爵家の娘!?」
「え? ああ、そうですけど……『クソ根暗の癖に』と思わせてしまったならごめんなさい」
「そんなことないって! 普通にびっくりしただけ!」
レヴィアス公領と言えば、かつては王国圏内においてもトップクラスの経済規模を有していた領地だ。
現在は《魔王軍》による侵攻への対応のせいで没落気味だが、それでも、襲撃を受けてから未だに復興が出来ていない地域に比べれば遥かに繁栄している。
端的に言うと、物凄くお嬢様なのである。
なるほど、内気で自虐的でも、どこか気品を隠し切れていないのはそういうことか。
だが、それなら何故、いじめなど受けているのだ?
確かにレヴィアス公爵は領地を守る為に魔族に迎合したことで貴族社会からの批難を受けたが、それにしたって、あんな分かりやすい嫌がらせをする理由にはならない。
ここに居るのはどんなに腐っていたとしても貴族の子。一定の「矜持」というものがある筈なのだ。
本来ならば数日掛けて様子を見るべきなのだろうが、私がこの学院に居られる時間はそう長くないので、単刀直入に聞くことにする。
「ルアちゃんさ、その家柄でどうしてあんな扱いされてるの? ほら、貴族って良くも悪くも家柄に弱いものじゃん?」
ルアの身体がビクッと震えた。
少し離れた場所で時々こちらを窺いながら「ぼっち飯」をしていた金髪お嬢様、フレイナも目を見開いた。
ん、流石に直球過ぎたか?
「……リアさんには関係ないです」
「でも心配だよ。そりゃ『一度会った程度の仲だろ』って言われたらそうなんだけどさ」
「いえ……私のせいで迷惑かけたくないので」
「迷惑だなんて思ったりしないって!」
「う~~……ごめんなさい……」
両手で帽子を押さえ、俯くルア。「どうして良いか分からない」といった具合だ。
どうやら、これ以上は厳しそうだ。
私は「こっちこそごめんよ」とだけ言って、それからは無言で食事を取るのであった。
急ぎ気味にシチューを平らげたルアは、居た堪れなくなったのか、そそくさとカフェテリアから去ってしまった。
困ったな。私も似た境遇だから、非常にやり辛い。
どうしたものかと悩んでいると、フレイナが堂々とした足取りで近づいてくる。
一人ぼっちで学園生活を過ごしているにしては随分と勇ましい御方だ。
そうして傍にやってくるなり、彼女は私をビシッと指差して言った。
「ちょっと! あなた!」
「フレイナちゃんだっけ。なに?」
「ルアのことですわ! 彼女に絡んでどういうつもりですの!? あの子の何なんですのっ!?」
「昔、あの子の地元で一回だけお喋りする機会があってさ。それで、いじめられてるみたいだから心配になっちゃって」
「『友人』という程の間柄ではない、と」
「そういうきみこそ、ルアちゃんの何?」
「わたくしはあの子のルームメイトですわ!」
ああ、そういえば寮生は原則、二人で一部屋を使うという話を聞いていたな。
私とリーズも部屋を共用することになっている。
「ルームメイトか~。じゃあ、あの子の状況について気づいてるんだよね?」
「当然ですわ」
「もしかしてきみもいじめに……」
「あんな姑息な連中と一緒にしないで下さる!? 確かにあの子はあんな性格ですし、それだけじゃなく色々と抱えていますけれど……だからといって嫌がらせをして良い理由にはなりませんの!」
毅然とした態度で主張するフレイナ。
見るからに真っ直ぐな性格だし、きっとこの子は本心からこう言っているのだろう。
ルアと同じく一人ぼっちで居るのは、彼女を擁護する立場であるという以上に、この素直さが原因かも知れない。
「でも、それなら何で助けてあげないの?」
事実を突きつけると、フレイナはさっきまでの勢いを急に失い、しゅんとしてしまった。
「わたくしだってそうしたいですわよ……でも……」
「何か事情があるの?」
「ルアは誰も信用していないんですの。わたくしに関しては出会ったばかりの頃は冷たい態度を取っていたから仕方ありませんけれど、きっと、元からひどく人間不信なのでしょう」
「え、それってやっぱりいじめてたんじゃ……」
「うっ……正直、昔はそう認識されていてもおかしくなかったですわね」
「認めちゃった……」
「無論、複数で寄ってたかって一人を攻撃するという卑劣な行いはしていませんでしたわ! でも、わたくしと同じく公爵家の娘なのに、あんなにもオドオドしているのが気に入らなかったんですの! それに……」
「それに?」
「……いえ、止めておきますわ。あの子があなたを特別に信用しているようには見えませんし、第一、わたくしがあなたを信用しておりませんの」
「は、はぁ……」
なるほど。「ルアを救ってやりたいけど昔は友好的な仲ではなかったから、手をこまねいて見ていることしか出来ない」ということか。
どうにも面倒くさい状況だ。
「どうせアカデミーには短期間しか滞在しないのでしょう? それじゃあ大したことも出来ないでしょうし、あなたは気にしないでいるのが良いですわ」
そう吐き捨てて、フレイナもまた、この場を去っていった。
後には私とリーズだけが残された。
「『気にするな』って言われてもねぇ……」
「ふふっ。リア様って時々、妙にお優しいですよね」
「『妙に』って何だよぉ~。なんか放っておけないんだよぉ~」
「分かります。昔のあなたを見ているようで」
リーズの微笑みが眩しい。
こんなにも自分を大事にしてくれる仲間であり、友であり、姉のような人物に対し、私は時々「いつか自分を捨てるかも知れない」などと考えてしまっている。
多分、ルアと同じかそれ以上の人間不信なんだろうな。
だからこそ、分かるのだ――結局、状況を変えようと思うなら諦めずに心の内側にズカズカと踏み入るしかないのだと。
さあ、明日は私たちの担当講義がある。そこで少しだけ荒療治をしてみよう。
***
夜、私は静まり返った正門手前の広場で待っていた。
貴族学校だけあって、こんな時間でも門の向こう側に衛兵が立っているが、「その少女」は警備網をいとも容易く潜り抜けて私の前に現れた。
「うお~、ネルちゃん凄い! 時間ぴったりに来るなんて!」
「えへへ。知らない大人の男の人、みんな怖いから避けてきた」
「偉い偉い。ま、最悪捕まっても私が話せば解放してくれるとは思うけど、警戒するに越したことはないからね」
「お姉ちゃん達、今日からここで『せんせい』やるんだっけ? 私は学校行ったことないからよく分かんないけど、楽しい?」
「いや~どうかな……そう良いもんじゃないよ」
「そっかぁ」
残念そうにするネル。学校に興味があったのだろうか。
前世の学校生活、そしてこのアカデミーのことを思うと、嘘でも「楽しい」などとは言えなかった。
無論、ネルがちゃんとした教育を受けて、真っ当な生活が出来るならば夢のようだが、ここは現実である。
この世界における学生は中流以上の階級が主であり、彼らは大抵、獣人に差別意識を持っているから、それこそ私が前世で経験したものよりも更に苛烈な迫害を受けるだろう。
加えて呪血病患者となれば、希望など持ちようもない。
可哀想ではあるが、ここはそういう世の中なのだ。
私はネルが他の者に見られないように注意しつつ、借りている寮の部屋へと向かった。
部屋に入るや否や、中で待っていたリーズがネルをぎゅっと抱きしめた。
「ネル! 大丈夫? 一人で夜道を歩くの怖くなかった!?」
「怖かったけど、大丈夫だよ。人に見つからないようにするの得意だから」
「でも大変だったでしょう? ほら、ここなら他に誰も来ないから休んでいっていいわよ」
「うん!」
リーズと隣り合ってベッドの上に座るネル。種族も見た目もまるで違うが、どこか姉妹のようだ。
さて、ネルにアカデミーに来るよう頼んだのは状況報告をしてもらう為なので、まずはその話をする。
ネルによると、どうやらライルおよびウォルフガングと共に街を回って情報収集を行ったものの、特に目ぼしい情報は引っかからなかったらしい。
やはり例の騎士団については学内を当たるしかないのだろうか。
とはいえ、私たちも今日はそちらの依頼に手が回らなかったのだが。
一通り話を聞き終えて三人で雑談する中、ネルがふと、こんなことを言った。
「ウォルフガング先生、『まず二人だけでも学生として普通に生きることを考えてみて欲しい』って言ってた。お姉ちゃん二人ならまだ学校に馴染みやすいから、って」
「も~、あのおっさん。また余計な気を遣って……」
「リアお姉ちゃんとリーズお姉ちゃんは学校、嫌?」
「少なくとも私は嫌いだし、大体、そんなことやってる暇はないんだよ」
「そうですか? 私はこんな風にあなたと学校生活を送れたら良かったと思ってしまいます」
リーズが、別のベッドの上に座っている私に向かって微笑みかけた。
――ああ、そうか。
そういえば、リーズもかつて「貴族の娘としてアカデミーに入学する予定だった」と語っていたな。
「……ねえ。私は後悔も何もないけどリーズちゃんはさ、こんな生き方をすることになって後悔してない?」
五年間、ずっと巻き込んできた訳だから今更過ぎる話だが、何となく気になってしまった。
私に気を遣ってか本心からかは分からないものの、リーズは笑みを崩さず優しい言葉を返してくれる。
「いえ、心配なさらずとも大丈夫ですよ。リア様と共に居られることが一番の幸せですし、学校に憧れはあるものの、やがて誰かの妻になるだけの貴族の娘として生きることには疑問を感じたからこそ騎士見習いになったのですから」
「……そっか。それなら良かった」
「それに、私の家は『あの件』で没落していて、学費を出す余裕もなくなってしまいましたし」
リーズが悲しげな顔をして、横に居るネルの顔を見つめた。
事情を知らないネルはきょとんとしている。
確かに、この子の前で話すことではないかも知れないな。
リーズの両親は、まだ幼い彼女が騎士見習いになってしばらく経った頃、二人とも呪血病でこの世を去ったのだ。
今は年の離れた彼女の兄が当主として没落からの立て直しを図っているが、なかなか難しいようである。
この問題は経済的、社会的にリーズを追い詰めただけに留まらず、心まで蝕んでいる。
呪血病は一般的に、「早くに発症させた者の子供は同じ運命を辿りやすい」とされている。
それを周囲の悪辣な連中から言われ続けた為か、彼女はあまり分かりやすく表には出さないものの、常に怯えを抱えているのだ。
私はどうせ、一度死んだ身である。
今の人生なんて、言ってしまえば「ボーナスステージ」に過ぎないと思っているし、この精神性こそが私の最大の武器であるとも感じている。
もちろん簡単に死ぬ気はないけれど、たとえば明日、突然死んだところで、なんだかんだ結末に納得してしまうのだろう。
だが、人生が一度きりだと捉えている他の者たちは違う。
その人生の先が短いかも知れないというのはきっと、相当な絶望感だろう。
「……みんな、苦労してるんだなぁ」
そんな、何ら具体性のない台詞が口からこぼれ出た。
心なしか、私の周囲にはそういう人間が集まっている気がする。
こちらの思いを読むように、リーズが柔らかい笑顔を取り戻して私を見た。
「リア様。あなたにはそういう人間を惹きつける魅力があると思っています」
「そうかな?」
「少なくとも私は、あなたがラトリアの王女であるという以上に、あなただから付き従っているのです」
「なはは……ありがと」
絶望、或いは憤怒を抱いている人間にとってのカリスマ。
きっと誰よりも人を信用していない私が本当にそんな存在なのだとしたら、何とも皮肉な話である。
私たちはそれから少しだけ平穏な時を過ごした後、ネルを外まで送ってから早めに眠ることにした。
教育の為、そしてルアの為、明日は学生たちを「分からせて」やらねばならない。
何度も修羅場を潜ってきた私に彼らが追いつける筈もないだろうが、それでも、しっかり休んで備えておくことにしよう。




