3章5節:《術式》実習とアカデミーの闇
神学の講義は最後まで基本的な内容だったけれど、私なりの考えをまとめる上でとても役に立った。
さて、次は《術式》の実習である。
クラスメイトらと共に実技棟の傍にあるグラウンドに移動すると、そこには歴史学の教員――オーラフが待っていた。
予想外の展開に驚き、つい声を掛けてしまう。
「あれ、先生。歴史担当じゃなかったんですか!?」
「自分は《術式》の指導教員も担当しているのでな」
「《術式》が分かるインテリって珍しいですね。こういう、地道な訓練が必要になる技術は避けるイメージがあるんですけど」
「今の時代、知識階級だろうが貴族だろうが力を持っているに越したことはない。王都解放以降、本学院において戦闘関連の実習により多くの時間が割かれるようになったのは知らんかね?」
「あ、そうだったんですね。勉強になります」
「……まあ歴史学はともかく、こちらに関しては冒険者である君たちならば特に問題ないだろう。せいぜい手本になってくれたまえ」
「なはは……頑張ります」
実習内容としては、オーラフが書物を参照して、比較的簡単な《術式》の「全文」を読み上げる。
生徒はそれを暗記し、実践する――といった感じである。
「物体制御の《術式》……《変位》は一ヶ月前からやっている。そろそろ誰か一人くらいは圧縮詠唱に辿り着いてもらわねばならん」
オーラフがそんなことを言うと、生徒たちは額から汗を流しながら頷いた。
《術式》は実のところ、「ファンクション」と呼ばれる専用言語の連なりで構成されており、本来の詠唱文はかなり長いのである。
前世で言うならばプログラムに近く、あんな感じのものを暗唱しなければならないので、一つ習得するのも結構大変なのだ。
しかも、覚えた《術式》を実戦レベルまで引き上げるには、ここから更に「圧縮詠唱」――つまり、一言で《術式》を発動させる訓練も必要となる。
戦場において長々とファンクション全文を読み上げているような時間は与えられないからだ。
生徒たちの様子を見るに、殆どはまだ全文詠唱の域に留まっており、実戦的とは言えない。
だが二人ほど、筋が良いのが居るようだ。
「……《変位》」
誰もが焦りを感じている中、ルアだけは涼しげな顔で目の前の石を念動させてみせた。
オーラフによれば、この技の圧縮詠唱を成功させた者はこのクラスにはまだ居なかったらしいが、ルアに関してはまるで「今まであえてやらなかった」かのようである。
そして、彼女の様子を見てひどく悔しそうにしている金髪縦ロールのお嬢様も、何度か詠唱を繰り返した後、辛うじて同じことをやり遂げた。
ちなみに私は戦闘用に使えると思い、王室時代に習得していたので、しれっとやってみせた。
一方で「特化型」の極みであるリーズは「う~、動きません……!」と唸っている。
自分の身体を高速移動させるのならば誰よりも得意なのに、他の物体だと難しいものなのだろうか。
ちなみに難易度の話をすると、《加速》の方が格段に上である。
あの技は少しでも制御を失敗すれば転倒や衝突などによってすぐに負傷してしまうので、非常に扱いが難しいのだ。
《術式》の中でも訓練段階における死亡リスクがかなり高いものとして知られている。恐らくこの学院では教えていないだろう。
「ふむ。序列入り冒険者なのにこの程度の《術式》も習得していないとは」
オーラフが、《変位》を上手く扱えないリーズの方を見て嫌味を言う。
生真面目な彼女はその言葉を真に受け、顔を曇らせてしまった。
私がリーズをイジるのは良いが、他の者が彼女を馬鹿にするのは許せない。ここは反論しておこう。
「冒険者が全てを網羅する必要は無いんですよ、先生。命懸けの戦いにおいて苦手なことを無理しても仲間の足を引っ張るだけです。従って、得意なことを伸ばすのが基本なんです」
「ほう。では、その者にも『武器』があると? 見せてもらおうか?」
「あ……そういう流れになっちゃうか。ごめんリーズちゃん、何かやったげて」
「え~! 庇って下さったことは感謝致しますが、なんですかその無茶振り!」
ぶつぶつ言いながらも、グラウンドに置かれていた練習用人形から距離を取るリーズ。
何かが始まるのを予感した周りの生徒たちと共に、私は彼女を見守った。
――『《加速》、《衝破》』
リーズが二重に《術式》を唱えたのとほぼ同時。
圧倒的な速度と威力増幅の恩恵を受けた拳が人形の上半分をもぎ取り、空高く飛ばしてしまった。
唖然とする生徒たち。表情こそ変えないものの僅かに冷や汗を見せたオーラフ。
「失礼しました。私はこれしか出来ませんので」
「ふん……実力があるならばそれで良い」
先生はリーズを見ようともせず、先ほど圧縮詠唱を成功させた二人のもとへ向かっていた。
どうやら、彼女が持っている力をよく理解してくれたようだ。
先生を目で追ってみると、一緒に居たルアと金髪お嬢様のうち、何故か後者だけに話しかけていた。
「カーマイン公の娘、フレイナ。君はなかなか素質があるようだから、その調子で頑張りたまえ」
「はいっ! わたくし、精進いたしますわっ!」
先程までの余裕なさげな表情とは打って変わって、得意げな笑みを見せるお嬢様――フレイナ。
性格が悪そうな子だと思っていたが、良くも悪くも単純というか、素直なだけなのかも知れない。
フレイナが称賛された一方で、オーラフはルアに対しては特に何も言うことはなく実習を再開してしまった。
そこは教師として、同じ成果に対しては同じように褒め称えるべきだと思うのだが、何か事情があるのだろうか?
どうも、この扱いはよくあることのようで、ルア本人は表情一つ変えずに受け入れているが。
その後、しばらくは平穏に実習が進んだが、ふとルアの方を見ると異変が起きていた。
《術式》によって操作された小石がどこかから飛来して、彼女に当たっているのだ。
ルアは痛がって、頻繁に詠唱を中断し場所を変えているが、それでも小石が飛んでくる。
《術式》を使っているのは数人の貴族の少年たちであり、どう見ても故意でやっていた。
そう――これは明らかな「いじめ」だ。
学校ならどこでもこういうことがあるとは思っていたが、まさか、こんな貴族学校にすらいじめがあるとは。
打算的な思考の上では「無視すべきだ」と分かっていた。臨時講師としても、学院に潜むテロリストを引きずり出す冒険者としても、今は変に事を荒立てるべきではない筈だ。
だが、元・いじめ被害者だった身としてはどうにも我慢ならず、少年たちのもとへ詰め寄った。
「きみ達、ルアちゃんに嫌がらせしないでよ」
「ああ、済まない。ちょっと《術式》の制御に失敗し、間違って当ててしまったようだ。後で謝っておくよ」
「嘘つかないで。『間違って当てた』なんて感じじゃないでしょーが!」
「な、なんなんだ君は! 冒険者の癖に! だったら《術式》の達人であるオーラフ先生に聞いてみればいい。故意ではないことを理解してくれている筈だ」
そうだ、オーラフは何も言わないが、この酷い有様を見てどう思っているんだ?
「ねえ、先生。ルアちゃんが嫌がらせをされてるんですけど」
「何の話だ?」
「見れば分かるでしょう! 止めさせて下さい!」
「単なる事故だろう? 生徒たちもそう言っている」
――は? なんだそれは?
私は「いつもヘラヘラ笑っている陽気で適当な少女」の皮を完全に脱ぎ捨て、彼を下から睨みつけた。
「連中は嘘を吐いてますし、大体、故意だろうがそうでなかろうが注意すべきです。教師として当然でしょう」
「黙れ。まともな学歴もないであろう冒険者風情が生意気に『教師のなんたるか』を説くな」
「そんなことはどうでもいいんです。現にあの子が嫌がらせをされて困ってるんであって――
そう続けようとしたが、当の本人であるルアが私の制服の袖を掴んで制止した。
「あの……もういいです。止めて下さい」
「でも、あいつらきみのことを……!」
「余計なお世話です」
困った。そう言われてしまうと動けなくなる。
私もそうやって、何かと気にかけてきたユウキを冷たくあしらい続けたからだ。
とはいえ、見て見ぬ振りも出来ないだろう。
確かに、今ここでどうにかしようとするのは、本人からしたら気まずいかも知れない。
それなら後で、余計な人間が居ない状況の中で話を聞いてみることにしよう。
ああ、嫌だ嫌だ。前世の不快な記憶が頭を過ぎってしまう。
いじめはそれを実行した生徒たちに罪があるのは勿論のこと、それを見て何もしない大人たちも悪なのだ。
全く。オーラフは「厳しいだけで生徒思いな教師かも知れない」と思ったが、とんだ見当違いだったようだ。




