18章14節:フィーネとトロイメライ
「弦義?」
フィーネが可愛らしく小首を傾げる。
弦義はきょとんとするばかりで、久しぶりの対面だというのに言葉を紡げないでいる。
ずっと眠っていたフィーネが目を覚ましただけでも衝撃的なのに、どういうわけか口調が一変していたのだから無理もない。
いや、口調だけではない。さっきの仕草もそうだし、纏う雰囲気自体だってどこかフィーネらしくない。
たとえるなら、私たちの知るフィーネが「月」だとしたら、今の彼女は「太陽」だ。
その明るさで人を惹きつけ、時には焼き焦がしてしまうような――まさしく、一ヶ月前にこの世を去った真白のように。
「……フィーネ、なんだよな?」
長い沈黙の後に弦義が絞り出したのは、そんな言葉だった。
フィーネは気まずそうに目をそらしながら笑った。
「うん、フィーはそのつもり。でも『違う』って言われたらそう、なのかも?」
「あんた、そんなんじゃなかっただろ。まるで……」
「『真白ちゃんみたい』?」
弦義はハッとなった。フィーネの方からその名を出してくるとは思わなかったのだろう。
「この一ヶ月間、完全に意識を失っていたんだと思ってたが……」
「……ごめん、上手く説明するのは難しいけど。まず、フィーの意識は確かに《トロイメライ》の動作を司ってる。『今でも』ね」
「今でも? あんたはこうして話してるじゃないか」
「今のフィーは弦義たちの知ってるフィーが創り出した、新しい人格なの」
「新しい、人格……」
「肉体を動かすフィーと、システムを動かすフィー……うーん、こっちは『管理人格トロイメライ』って呼んだ方が分かりやすいかな……その二つに分かれてるんだ」
弦義はただただ困惑している。
一方で私はと言うと、この特殊すぎる状況をすんなり理解できていた。
「トロイメライ」は弦義たちにとっては機械でも、私にとっては人格を持った存在だからだろうか。
トロイメライ。穏やかで、浮世離れした性格で――
そんな、まさか。
外見は全然違うし、あっちの方はもっと絶望感のようなものを漂わせていたけれど。
フィーネ。システムの管理人格。
君が、君こそが「あの」トロイメライなのか?
だとしたら。
――いいや、やめよう。仮定に仮定を重ねても仕方がない。
どうせ一切の干渉を許されていない身なのだ、結論を出すことを急ぐ必要はない。
私は幾つか浮かんできた恐ろしい発想を払拭し、目の前の出来事に集中することにした。
しばらく考えてなんとか理解が追いついたのか、弦義が口を開いた。
「なんて言ったら良いのか分からんが、あんたの方にも以前の記憶は完全に在るんだな?」
「うん、フィーはフィーだから。《秘蹟》はトロイメライのものだから、もう使えなくなっちゃったけどね」
「ならどうして……その……変わったんだ?」
「フィー、すごく辛かったんだ。でも、ずっと辛そうにしてたら自分も弦義たちも苦しめちゃうから。明るくて前向きな真白ちゃんみたいになりたいな、って思ったの」
弦義が涙をぐっと堪えたかのような顔をした。
あの日、「自らを犠牲にトロイメライを稼働させる」という重い決断ができた程度には強いフィーネでも、家族と友を喪った痛みを簡単に忘れることはできないはずだ。
そう考えると、彼女があえて「違う自分」を得て過去に耐えようとしたことに合点がいく。
それが弦義にとっても救いになるのかは疑問だけれど。
「弦義、だいじょうぶ?」
「あ、ああ……」
ふと、フィーネが片手を差し出して気恥ずかしそうにした。
「なはは……ずっと引きこもってたから立つの、しんどくて」
真白を思わせるその笑い方。
弦義はついに耐え切れなくなった。でも涙を拭って、下手くそに笑って。
「おかえり、フィーネ」
彼は、彼女の手を取るのであった。
***
フィーネは弦義の手によって辛うじて居住可能になった研究所跡で生活するようになった。
弦義は相変わらず、いつだって彼女に寄り添っている。
無論、ただ想い人との日々を楽しんでいるだけではなく、襲撃に備えて新たな剣を創ることも欠かさない。真白に代わってそれらに名前を付けるのはフィーネだ。
多くの剣が生まれた。その中には私が知っているものも幾つかあった。
中でも私を驚愕させたのは、美しい白銀の刀。フィーネが「弦義みたいだ」と言って与えた名は――《虚数剣ツルギ》。
そう。ウォルフガングが適合し、私が奪った、あの聖魔剣だ。
宿りし能力は「刃に触れた秘蹟を斬り裂く」。今ならば「秘蹟」という言葉の意味が分かる。
弦義は真白や研究所を守れなかった悔しさをバネに、武器を増やすだけでなく己の技術も高めた。
フィーネが目覚めてから、《秘蹟》関連組織と《秘蹟》反対派、双方からの小規模な襲撃があったが、弦義はたった一人でそれらを退けた。
そんな生活を送っているうちに二人は自然と友人以上、恋人未満のような関係になった。
端から見れば互いに好意を持っているのは明らかだ。
とはいえ弦義はなにか負い目を感じているようだし、フィーネは自らの感情に気付いていない、といった感じで現状、進展は見られない。
***
フィーネの目覚めから一ヶ月後。彼女が「学校に行ってみたい」と言い出したため、弦義はそれに付き合うこととなった。
彼らにとって久しぶりの学校はひどく陰鬱としていた。
リヒト症候群による長期欠席者は増え続けているし、そうでない者も自分が次の発症者になることを怖れている。或いは、病と戦争で不安定化していく社会そのものを。
二人で廊下を歩いていると、見知らぬ生徒と共に屋上に向かう理亜が彼らの視界に入った。
後を追い、話を盗み聞きする。
私も常に理亜を見守っているわけではないので知らなかったのだが、どうやらその生徒は軽度のリヒト症候群を発症した為にいじめを受けており、理亜がそれを止めたということらしい。
彼女は絶望を抱えた生徒に「一緒に世界を変えましょう」と甘い言葉を掛け、今、また新たな「駒」が生まれた。
理亜はもはや日常に帰る気などないが、こうして手下を増やすために今でも学校に通い続けているのである。
異能と希望を得た生徒と入れ違いに、弦義とフィーネが屋上に出る。
理亜は久しぶりに友と再会しても表情一つ変えなかった。
「二人とも久しぶり。フィーネ、目覚めたのね」
「……うん。フィー、システムを動かしながら生きる方法、見つけたから。理亜ちゃんこそ元気?」
「ええ。それにしても『フィー』って……なんで真白の真似事なんかしてるの」
フィーネが心情を打ち明ける。彼女とは別の意味で「真白」を継いだ理亜としては思うところがありそうだが、やはり無表情のまま「……そう」とだけ呟いた。
ふと、弦義が声を掛ける。
「……理亜。あんた変わったな」
「世界を救わなきゃならないから。その為に必要なことはなんだってする」
理亜は「能動的に一般人を戦いに巻き込んでいること」を咎められると思ったのか、二人に背を向ける。
「フィーネ。真白の望んだ形ではなかったんだろうけど、正直、システムを動かすことを選んでくれたあなたには感謝してる」
「理亜ちゃん……」
「もちろん私だって失敗するつもりでやってるわけじゃない。でも万が一ってこともあるから」
顔も見ないままそう言い、去っていった。




