17章8節:今ここにあるラトリア
オーラフが懐から宝玉を取り出す。これが大量破壊の疑似特異武装か。
「なぜ」――というのは聞くまでもないな。
形はどうあれラトリアという国を愛している男だ、王都がこの前の事件のように焦土になるのは避けたいだろう。
「どうやって知った?」
「まず、聖人会の情報網により《ヴェンデッタ》の襲撃計画を察知した。あの破滅しか頭にない連中を王都に入れるべきではないと思い内部に潜り込んで調査した結果、例の兵器の存在を知ったというわけだ」
なるほどな。《ヴェンデッタ》は組織としては脆弱だ。諜報なんて出来そうにないこの男でも計画を掴んでさえいれば入り込むことは容易いか。
しかし、聖人会の情報網となると。
「あんたが手を貸してくれたのはあの女の意向に沿ってのことか?」
「いや、完全なる独断だ。第二王女殿下……レティシエルは関係ない。王都壊滅の可能性があることを報告したのに、あれは不干渉を宣言したのだ」
「へえ。意外だな」
独断というのもそうだが、オーラフにしては不躾な物言いをする。
精神干渉ができると思われるレティシエルに逆らえた者はそう多くない。特にこの男なんて王族を敬愛していただろうに。
思案していると、オーラフは普段以上に眉間にしわを寄せて言った。
「自分は気付かなかった。気付けなくされていた。あの女は、曲がりなりにもラトリアを守ろうとしていたアステリアよりもずっと悪質だとな」
「やっぱりレティシエルは人の心を……どうやって振り払ったんだ?」
「特別なことは何もしていない。どうやらあの力は敬意や好意、仲間意識を上回る違和感や敵愾心を抱いたときに自然と外れるようだ」
「俺もリアも全く掛からなかったからそんな気はしてたが、思った通りか」
愛すべき祖国に大量破壊兵器が持ち込まれようとしていても対処しようとしなかったこと。法王になって権力を得ようとしていること。その辺りでレティシエルに対する敬意が崩れ、洗脳を打ち破ったんだろうな。
それからオーラフは少し考え込んだ後、ルアに向き合った。
「実はここに来た理由はもう一つある」
「私に何か関係が?」
「うむ……自分は君に決闘を挑む」
「……え?」
困惑するルア。俺も同じ反応をしてしまった。
「応じないのであればこの兵器は君たちに譲らんぞ。無論、こんなものを使うつもりはないが、政府で管理していないと不安だろう?」
「ま、待って下さい! どういうつもりですか!?」
「自分は……迷っている。レティシエルの支配を脱してから、変わってしまったこの国とどう関わるべきか、どう生きるべきか分からなくなった」
この頑固な男から「迷っている」という言葉が出てくるとは。
所属していたテロ組織は潰れた。王族の殆どが死んで、生き残ったのは疲れ切った老人と国を捨てた第二王女だけ。亡命政権も頭にあるのは自分たち貴族の安全と利権だけ。
流石にここまで拠り所を失ったらこうなるのも無理はないか。
「自分の人生を変えた君との再戦の果てに何かが得られると……そう思ったのだ」
ルアが困り顔で俺を見る。
言いたいことは分かる。「それどころじゃない」、だろ?
まあウィロは倒したし、大量破壊兵器も止まった。後は俺らが急がずとも各所に配置した戦力だけで何とかなる。オーラフもそれが分かっているから挑んできたんだろうさ。
「こりゃ付き合ってやるしかなさそうだぜ?」
ルアは頷き、再びオーラフの方に顔を向け、そのまま距離を取った。
「……分かりました。でも、今の私は加減できませんからね。もう不殺に拘る必要はなくなりましたし、それができるほど強くもないので」
「なんだと? それは《権限》を喪ったということか?」
「ええ、東西戦争で」
「ふむ……構わん、殺すつもりで来なさい。そうでなければ意味がない」
二人は戦闘態勢を取り、
『《変位》ッ!』
同時に行ったその詠唱を合図に、決闘は始まった。
両者ともに周囲に散乱している瓦礫や木片の制御権を奪い合い、飛ばし合う。
ルアはその中から自身に命中しそうなものだけを見抜き、減速と遠隔操作の組み合わせでオーラフのもとへ送り返す。だがオーラフもそれらを逆転させる。
物理的なやり取りの合間にオーラフは《発破》も挟み、ルアの頭上から炎弾を降り注がせる。ルアは《水流》や《凍結》、《防壁》を使って防いでいく。
目を見張る怒涛の攻防。俺からしたら興味深いのは、これだけ激しい争いをしながらどちらも一歩たりとも動いていないところだ。
攻撃も防御も《術式》だけで完結させられる高位術士同士の対決においては、下手に避けたり回り込んだりするよりは次に放たれる《術式》を読むことに専念した方が良い、ということだろうか。
となれば、勝敗を決める要因としてはまず《術式》の発動失敗。それが生じなかった場合は――
オーラフが顔を歪め、額から汗を流した。
一瞬だけ奴の攻勢が止まる。
その隙をルアは見逃さない。
「《停滞》!」
付与する対象はオーラフ。
奴は減速させられ言葉を紡げなくなり、一切の詠唱を封じられた。
ルアはおもむろに奴のもとに近づき、宣言した。
「誇るつもりはありませんが……一応、私の勝ちでよろしいですか」
そう、オーラフの敗因はマナ欠乏だ。奴はここに到るまでにも戦いを重ねてきた筈。そうでなかったとしても若いルアの方がマナ容量は大きいだろう。
オーラフがゆっくりと頷くと、減速が解除された。
「……《権限》が無くても君は強いな」
「先生のお陰です。あんな形でもちゃんと授業には参加させてくれたじゃないですか」
「ふん、わざわざ追い出さなかっただけだ」
「だとしても私が学ぶべきことを学べたのは事実ですから。さて、結論は出ましたか?」
「……うむ。理想を……虚しい未練を捨て、君たちにラトリアを託す。自分はただ去るのみ。君の成長を見て、そうすべきだと悟った」
オーラフはほんの少しだけ悲しげに語った。
「古き良きラトリア」への執着。そんな己も他人も不幸にするだけのものを捨てられて良かったな――なんて思えるほど俺は鈍くない。
自分を置き去りにして世界が変わっていくのって怖いよな。息苦しいよな。
俺が「ラトリアの旧体制なんてクソだ」と考えているのは今でも変わらない。だけど、色んなものを失ってきた人間としては、そういう気持ち自体は理解できるよ。
「……あの、ライルさん」
ふと、ルアが声を掛けてきた。
「オーラフ先生のこと、教師として雇いませんか?」
「……本気で言ってんのか?」
予想外の提案。ルアのいたって真面目な顔を、他ならぬオーラフが訝しげに見る。
確かに教師不足は喫緊の課題だ。この男の知識や技術だけに着目すれば、喉から手が出るほど欲しい人材だ。
だが、こいつは少なくともついさっきまでは過激思想の持ち主で、教師として有り得ない振る舞いもしたわけで。その一番の被害者がルア、あんたなんだろ?
「先生がラトリアを想っていることは疑いようもありません。その気持ちと能力をぜひ教育の場で今度は正しく使って欲しいです。責任は私が負いますから」
「だがよ……」
「酔狂だな。自分は君を差別し、君を追い込む思想を流布し、あまつさえ学び舎をテロの場にしたのだぞ?」
俺の言葉を遮り、オーラフが自ら罪を掘り起こす。
ルアはそれを聞いても迷わない。
「ええ。でも人は変われるんです。大事なものを抱いたままでも」
「自分はそれほど器用ではない」
「そう思い込んでるだけじゃないですか? まずはやってみてください。一緒にラトリアを立て直しましょう」
「今のラトリアは……」
「すぐには好きになれないでしょうね。私だって亡き陛下のやってきたことを全肯定はしていませんよ……それでも、ここはラトリアです。今、ここにあるものだけが私たちの現実なんです」
オーラフはしばらく逡巡した。
しかし熱のこもった説得が効いたのか、首肯するのであった。
「……分かった。そちらの大統領が許すのであれば、やってみよう」
「良いぜ。俺よりもあんたを知ってるルアがここまで言ったんだ、俺も信じないわけにはいかねえ」
「ありがとうございます、ライルさん」
ルアがぺこりと頭を下げた。
さて。これで良かったのかは分からないが、ともかくこの場は片付いた。
まだ交戦しているところもあるだろうから加勢に向かおう。
――と、そう思った時。突然、身体が震えた。
体力が尽きたわけじゃない。風が冷たかったわけでもない。
本能的な恐怖を呼び起こすような「何か」が迫っている。
そう感じたのは俺だけではなかった。騒乱が一瞬にして静寂に変わる。ここから見える範囲の誰もが敵と戦うことをやめ、空を仰いでいる。




