17章3節:ラトリア共和国
リアの死から二週間後。
俺――ライル――はレヴィアス県行きの馬車に揺られながら、決戦前のことを思い返していた。
ある日、唐突にリアの私室に呼び出され、こんなことを告げられた。
「ライル。この戦いでもし私が死んだら王国としてのラトリアは終わり、共和国に生まれ変わる」
「王制は廃止ってことだからな。正直、あんたが死ぬだなんて考えたくはないけどよ」
「私だって。でも……そうなるかも知れない」
「かも知れない」。いま思えば誤魔化しだったんだな。亡骸の様子から考えるにあの時点でもう呪血病は発症していただろうから、リアには確実な死が見えていた筈だ。
「だから、今のうちに決めておく。ライル、きみにラトリア共和国の初代大統領になって欲しい」
死を覚悟し、残された俺たちよりもずっと早くにその先を見据えていたからこそ、そんな大事なことをあっさりと言えてしまえたんだろう。
もちろん俺は困惑したさ。リアの正気を疑ったさ。
大統領。王族も貴族も権力を持った聖職者も居ない社会における最高指導者。単独で全権を持つわけじゃないとは言っても、実質的には女王の後継者だ。
俺みたいな、ちょっと運に恵まれただけのありふれたコソ泥上がりが得ていい地位じゃない。
「……本気なんだな? からかってるわけじゃねえよな? 冒険者だった頃のノリでさ」
「もうああいうのは卒業したよ」
「俺は為政者をやれるような器じゃない。他に適任は幾らでも居るだろ。領主経験があるルアとか、リーダーシップがあるリルとか」
「確かにあの子たちは優秀だよ。でもね、きみにしか無いものもある」
「そんなもん……」
「クソったれな現実の中で、きみは物事を簡単に割り切らず、たくさん悩んで迷って、それでも最終的には前に進んできた」
「ただ小心者なだけだ。評価するようなことじゃねえって」
「むしろ本当の強さと優しさを持ってる、って私は思うよ。『決断』ってのは苦しいものじゃなきゃならない。優しいきみなら、その苦しみを忘れないまま歩み続けられる」
「『苦しみ続けろ』ってことかよ。ひでぇな、あんたって奴は……」
「昔からそうだったじゃん。でも大丈夫、きみはひとりじゃない。支えてくれる仲間が居る」
俺は臆病だから、快諾できず苦悩に沈み込んだ。
この場から逃げても俺なら罰せられないだろう、なんてことも考えた。
だけど、最終的にはこう言ってしまうんだ。
「……分かったよ。やればいいんだろ。あんたが期待してくれるなら応えないわけにはいかねえや」
俺ってやつはいつもそうだ。
俺はリアやさっき名前を出した連中のように豪胆じゃない。以前、アルマリカに指摘された通り、傷つくのや死ぬのが怖い。大切なものを喪うのも怖い。それに人を傷つけるのだって嫌だ。
ただ生きたいだけならこういったことを避けられる、もっと楽な道はある。そっちに行きたい感情もあるっていうのに、何だかんだ辛い道を選んでしまう。
王都占領の時にリアを助けた。心の奥底では「儚い希望だ」と感じていてもネルをアレセイアに連れて行った。呪血病だったリーズに想いを伝えた。王室に復帰したリアのもとに戻り、側近となった。ウォルフガング先生に立ち向かった。
全くもってらしくない。でも、そうしなければ絶対に後悔しただろう、とも思っていて。
だから俺は、リアの重たすぎる願いを聞き入れたんだ。
そしてリアが居なくなり、俺はあの子の葬儀を行ったその日のうちに大統領に就任した。
過去に思いを馳せるのを止める。
馬車がもうすぐ目的地であるレヴィアス県に着く。近づくほどに緊張による震えが増してくる。
大統領就任以降、主に国内の立て直しのため、早くもウンザリするほどの量の仕事に追われていたが、これから行うことは今まで以上に失敗が許されない。
そう、亡命貴族との和平交渉だ。
リアが死んでから奴らとの戦闘は殆ど発生しなかった。せいぜい小規模な部隊が独断と思しき動きで散発的に攻めてきた程度だ。
奴らにはもう投入できる戦力がないんだろう。だが、それはラトリア側も同じ。
ここで戦争を終わらせねばこの国はいよいよ崩壊してしまう。
***
似合わない貴族風の正装を纏い、交渉のテーブルにつく。
ラトリア陣営の参加者は俺とルア。反対側に座っているのは四人の亡命貴族。
加えて、聖人会のレティシエルが中立性を示すかのように長机の短辺側に座っている。
彼女は二勢力間の事前のやり取りを仲介してきた。これがなければ会談は成立しなかっただろう。
レヴィアス県を会場として指定したのもこの女。亡命貴族にとっては敵陣に当たるため最初は渋っていたようだが、リアを殺して実質的な決着を付けたのも会談まで漕ぎ着けたのも聖人会だから、結局誰も逆らえなかった。
予定通り終戦に至ったら、「和平の立役者」として持て囃されるのは俺たちでも貴族たちでもなく聖人会だ。
レティシエルはたぶん最初から、こうしてどちら側にも影響力を行使できる上位の立場になることを狙っていたんだ。
とにもかくにも会談は始まった。
分かっていたことだが、亡命貴族どもは明らかにラトリア新政府を舐め腐っている。
確かにリアは死んだ。その他の人的・物的損害も目を覆いたくなる程だ。だが、向こうだって相当な被害が出ているはずだし、レティシエルによれば頼みの綱であった《ヴィント財団》は軍事支援から手を引いたそうじゃないか。
この東西戦争、どちらも勝ったとは言い難い。
それなのに、奴らはまるで勝利を収めたかのように無茶な要求をぶつけてくる。
亡命貴族を含む反アステリア勢力の帰還を許し、安全を保障すること。
新ラトリア法の撤廃と、王制を中心とする旧体制の復古。どうやら亡命貴族の一人にしてフォルナー家の傍流である男が王座に就くつもりらしい。
それから、戦争賠償金の支払い。
当然、俺もルアも一つだって譲るつもりはない。
それから丸一日、侃々諤々の言い争いを続けた。
そうして最終的に出た結論は、「一時休戦」。
俺たちは一歩も退かなかった。亡命貴族側も要求が無理筋であることは理解していたのだろうが、プライドと強欲さが妥協を許さなかったようだ。
奴らはこの国を諦める形で終わらせるのを嫌がった。しかし戦い続けることもできないから、休戦という落とし所を仕方なく受け入れた、といった感じだ。
そういうわけで、戦争を完全に終結させることはできなかった。
亡命貴族の代表はいかにも不快そうに俺と握手をしながら「元下層市民と裏切り者の獣人風情が随分と強情だ」なんて捨て台詞を吐いていたが、こっちだって納得できるもんか。
とはいえ、これ以上何も奪われずに一時であっても和平を勝ち取ったのなら、及第点と言っていいのかも知れないな。




