17章2節:新たなる《ヴェンデッタ》
燃え盛る屋台、家屋、死体。逃げ惑う人々。響く絶叫。
数刻前まで商人や料理人、行き交う客の声で賑わっていたエストハイン王国の広場は、今や地獄絵図と化していた。
性別も年齢も種族も武装もバラバラな数十人が、怒りに満ちた顔で民衆を斬り、打ち、穿ち、燃やす。
この光景を作り出した、一見すると何の共通点もない罪人たちは、広場の中央に集まって声高に殺戮の動機を主張し始めた。
「いいか、この悲劇はお前らが招いたんだ! お前ら風に言うんなら『自己責任』ってやつだよ!」
「俺たちだって好き好んで殺したくねえよ! アンタらが罪深いのがいけないんだ!」
「本来は社会全体に奉仕すべきなのに弱者を虐げるしか能のない権力者! 金を持っている癖に『貧しいのは自己責任だ』と言って弱者に施さない上流、中流階級の民! 全部ぜんぶ下らないのよ!」
「そうだ! 貴様たちが弱肉強食の摂理を言い訳にして弱者の叫びを潰すのなら、こちらもその摂理に基づいて貴様たちを暴力で鏖殺するまでッ!」
「神はあなた方の傲慢と愚かさを嘆いております。ゆえに裁きが下されるのですよ」
「我々は《ヴェンデッタ》! 神意のままに世界を殺す代行者――」
その時、女の高い声と複数の足音が演説を遮った。
「例のテロ組織……話には聞いておったが、我が国にも潜り込んでいたとはのう。しかし、よりによってその名を名乗るか」
女王レンと側近である死者の軍勢、《黄泉衆》。彼女たちはたまたま付近を移動しており、騒ぎを聞きつけてやって来たのである。
「現れたな、屑め! 貴様のような強欲な指導者ばかり生き残るから神は人類に失望したんだッ!」
「陳情なら然るべき手順を踏めぃ。大体、わらわほど平等主義と現実主義を両立させておる統治者はなかなかおらんと思うんじゃがのう」
「取り立てた血税を弱者に再分配するどころか浪費している奴が何を言う!?」
「国の維持に必要な機構への投資。発展に必要な産業への投資。これらを浪費と捉えるのは浅慮ではないかの?」
「弱者救済を優先しない時点で怠慢に過ぎんのだよ! 魔王ダスクならやったぞ? 女王アステリアならやったぞ? なぜお前たちはやらない!?」
「結果、両者とも破滅した。それが答えじゃ」
「ほざけッ! この不条理な世界ごと死んで詫びろや社会的強者ァァァ!!!」
《ヴェンデッタ》が一斉に疾走し始める。
「自分で戦うのは好かんのじゃが、民の前でサボるわけにもいかんな」
レンは狼狽えない。主の盾となるため前に出ようとした《黄泉衆》を制止する。
「お主らは回り込みに備えよ」
彼女はそう命じ、右手の人差し指と中指を立てて印を作った。
「《燕》」
そのまま手を横薙ぎに振るい、多数の光を放つ。それらは弧を描いて《ヴェンデッタ》だけを狙い撃ちにした。
《ドーンライト商会》が東方諸国でのみ販売している新型の《術式》。
東方の有力者とドーンライトは共に《ヴィント財団》の勢力拡大を警戒し、一度は離した距離を再び縮めた。その成果の一つがこれだ。
今の一撃で《ヴェンデッタ》が十人ほど消し炭になった。それにも関わらず、生き残りは全く臆さない。殺めた民衆どころか仲間や自身の死も当然のものとして受け入れているようであった。
一人がレンを狙って剣を投擲する。
対し、レンは「《虚》」と詠唱。剣が彼女の身体をすり抜け、その背後に居た《黄泉衆》の男に受け止められる。
肉体を損壊させにくい攻撃では、死人に二度目の死を与えることはできない。彼は自らの腹を深く抉ったものを事も無げに抜き、投げ捨てた。
それを見てもなお《ヴェンデッタ》は止まらない。
接敵直前、レンは更に詠唱を重ねる。
「《焔》」
前方に炎の壁が出現、無策で突進してきた者たちを焼き滅ぼした。
炎が消えた頃には、側面から仕掛けようとした残存戦力も《黄泉衆》に一掃されていた。
真っ赤になった石畳の上で倒れ伏している《ヴェンデッタ》の男が、顔だけ上げてレンを睨みつける。
「これで終わりだと思うなよ……同志はまだたくさん居るし、『アレ』さえ手に入れば我々はもっと殺せる……世界に、一矢報いてやれる……」
そう言って、彼は力尽きた。
レンは辺りに敵が居なくなったことを確認すると、深くため息をついた。
「アステリアめ、最悪な置き土産を遺して死んでくれたのう……『他の王族よりはずっと良い』とお主に期待し、担ぎ上げたわらわにも責任の一端はあるのかも知れんが」
――《ヴェンデッタ》。
彼らはアステリアの死後に台頭したテログループであり、宗教であり、社会運動である。
ラトリアでは旧貴族惨殺。ルミナスでは魔族暴行。アレセイアでは巡礼者拉致。西方連合では領主暗殺。そして今回の一件。既に各地で彼らの仕業とされる重大事件が起きており、その存在感は急速に高まっている。
一向に改善されない社会情勢に絶望し、天神信仰にすら不信感を抱いた民衆の間で、いつからか「呪血病や《崩壊の空》は愚かな人類に対する神の裁きであり、神意に寄り添うために社会をリセットすべきだ」という思想が広まり始めた。
「崩壊思想」と呼ばれるこれを実現するという一点でのみ繋がっているのが《ヴェンデッタ》であり、彼らの間に上下はなく、纏まりもない。
組織と呼ぶにはあまりに脆弱で不安定だが、だからこそ瞬く間に世界中に波及したと言える。
もはや人々は生きることに疲れ切っていた。
どうせ辛いだけの人生を続けるよりは全てを巻き込んで滅び、理不尽な世の中を少しでも「平等」にしてやりたい――と、疲労の果てに絶望の底に墜ちた者たちは言い、《ヴェンデッタ》に加わった。
すなわち、この運動の本質は「自分を救わない世界そのものへの報復」であり、神意云々は怨恨を正義に変える手段に過ぎない。
彼らはアステリアの苛烈な生き様にそういった復讐心を重ね合わせ、《ヴェンデッタ》と名乗るようになったのである。




