17章1節【最終部開始】:この世は悪意に満ちている【挿絵有り】
これは、僕の一度目の人生の記憶。
かつて「雨宮勇基」という名前を持って「あっちの世界」で生きていた頃の、忘れたくても忘れられない記憶。
セナが自殺してから、僕は部屋に引きこもるようになった。
不幸中の幸いというべきか、僕の親はセナのところと違って優しかったから、何も言わずそうすることを許してくれた。
でも、外に出なければ心が安らぐのかと言えばそんなことはなくて。
来る日も来る日も、気がつけばあの時のことを思い出している。セナの笑顔が頭をよぎる。寝ている間も悪夢となって僕を苦しめる。
「勇者」だったらこの悲しみを越えて前に進めるんだろうな。物語に出てくる彼らはいつだってそうだった。
だけどさ、僕は勇者じゃないんだよ。
セナは僕のことを誤解していたと思う。
いつも前向きで、いじめに遭っても笑って加害者を許し、「人は分かり合える筈」なんて信じて、終わっているこの世界に希望を見出して。
まさしく勇者に相応しい精神性。僕は自分を騙す為に、それを演じていたに過ぎない。
だって、そうしなきゃ何もかも嫌になってしまうから。
ああ、現実っていうのは醜いものだ。本当はセナに言われるまでもなく分かっていた。
この世は悪意に満ちている。社会に繋がればいつだって格差や犯罪、争いの話題を見ることができる。世界がもたらす自然的脅威を前に団結すべきなのに憎しみ合ってばかりのバカな人類を見ることができる。
これらは決して縁遠いものではなくて、たとえば学校にだってその縮図はある。立場の強い者が寄って集って弱い者を迫害し、奴らの親はその罪を隠蔽しようとする。無能の教師たちは強い立場だというのに被害者を救おうとしない。
人類がこんなだから、僕はずっとずっと不安で仕方がなかった。
そして奴らも恐らく、大なり小なり同じ気持ちを抱えている。けれど、奴らは他者の不幸から目をそらし、或いは見下し攻撃することで仮初の安心を得ようと足掻いている。
「自分は関係ない」「不幸せな奴は努力が足りないだけ」「救う価値も同情する価値もない」とか何とか言って、自分の不安を誤魔化す為に世界に不安を拡散している。
そうやって不安が際限なく膨らみ続け、やがては国家規模の戦争になったりするんだろう。
――どいつもこいつも死んじゃえよ。そしたら世界は救われるだろ。
これが本音。
こんなの表に出せるわけがない。だって僕の憧れた勇者は絶望することも、破滅を願うこともないんだ。
憎悪に駆られて全てを燃やし尽くそうとする「魔王」のように生きるのは嫌だから、必死に隠し続けた。
でも、セナが居なくなってからはそうやって自分を騙すのにも疲れてしまった。
結局のところ僕は弱くて、全ては虚しい嘘だから。テレビやインターネットの向こう側で起こる悲劇を無くすどころか、傍に居る幼馴染すら守れない。これのどこが勇者なんだよ。
度々レイジ兄ちゃんが家に来てくれたけど、兄ちゃんを見ていると己の無力さが余計に憎くなるから、会いたくなかった。
だけど、自分の中に一つの「答え」が生まれてからは少しだけ精神が回復して、「会ってもいいか」と思えるようになった。
そう、転生すればいいんだ。
ほら、「異世界転生」ってあるだろ? ここじゃないどこかで生まれ直して、神様から異能を貰って無双して世界やヒロインを救ったりするヤツ。僕の大好きなジャンル。
無力な僕が「本物」になるには、これしかない。
転生者になるにはどうすればいいか。たとえ偽りでも勇者らしく生きていれば神様が報いてくれるんじゃないかと思った。
だから僕は外に出るようになった。大規模な争いや権力者による収奪を止めるのは無理でも、弱者を痛めつける不良みたいな、日常に蔓延る悪と戦うことはできるんじゃないかって。
悪を探し、良心に訴えかける日々を送る。結果はいつだって、僕の身体に傷ができるだけだった。
それでも構わない。負った傷は勇気を振り絞った証だ。転生に至るための鍵だ。
ある日、この活動にレイジ兄ちゃんを巻き込んでしまい、怒られた。
「バカッ! 人には向き不向きってやつがあるんだ。お前は向いてないから、もうこんなことは止めろ!」
向いてない? 知ってるよ。でもやるしかないんだ。
兄ちゃんのことはカッコいいと思っているし、尊敬している。とは言っても、地道に身体を鍛えて喧嘩の仕方を学んだところで救えるものはごく限られている。
ならば政治の道に進む? もっと有り得ない。政治で影響力を獲得できるのは打算的でズルく、共感性のない人間だけだ。
この最低な現実に生きている限り、僕はなりたい自分になれない。だから来世に託す。
そう願い、兄ちゃんの注意を無視して活動を続けた。ただ僕が痛い目に遭うだけで何も変えられない、無駄な抵抗を。
それが結果として最悪の事態を招いてしまうことも知らずに。
また別の日。僕は「犯罪グループが薬物の取引をしている」なんて噂がある街に出向いた。
そして実際、その現場に遭遇した。
スーツを着た、自分よりもずっと体格の良い男たちが数人。こっちは貧弱な子供ひとり。
でも、それは臆する理由にならない。勇者は悪に怯えない。
僕は力なき善を叫ぶ。
「どうして金なんかの為に人を不幸にできちゃうんだよ! あなた達にだって良心はあるんだろ!? 本当は『酷いことしてる』って理解してるんだろ!? 今すぐ反省して、犯罪を止めるんだ……!」
想いは届かない。ここは現実だから、人の悪性が揺らぐことはない。
犯罪者の一人が刃物を取り出し、襲いかかってくる。
その時、レイジ兄ちゃんが現れた。
兄ちゃんはやっぱり強くて、素手で刃物を簡単に弾き飛ばしてみせた。けれど、幾ら喧嘩が強くても限界はある。
別の男が焦りからか銃を取り出し、兄ちゃんを撃った。
僕は怖くなって、銃弾を受けてなお立ち塞がって守ろうとしてくれた兄ちゃんを置いて逃げ出してしまった。
「どうしてッ! どうしてええええええッ!!!!」
「助けてくれ」なんて頼んでいないのに。僕は死んでもいいのに。
「自分のせいで兄ちゃんが撃たれた」という現実から逃げるように走る。
走って走って、ひたすらに走って家に辿り着いた。
暗くて孤独な自室に戻った瞬間、絶望と憎悪が一気に押し寄せてくる。
勇気を打ち砕いて、偽りの希望すらも掻き消して。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。僕は魔王になんてなりたくない。
なのに全てが憎くてたまらないんだ。壊したくてたまらないんだ。
この感情から解放されるにはどうすればいい? 勇者のままで居るにはどうすればいい?
――そうだ、もう自分の手で死んでもいいんじゃないか? 僕は充分頑張って、苦しんだんだから。
溢れる涙を拭いもせず、いつか使うかも知れないと用意していたロープを取り出す。
そして、自らを終わらせた。
死の苦痛や恐怖と共に最期まで残ったのは、悔しさだった。
神様。どうか僕を本物にしてよ。
無力な正義に価値がないっていうなら、僕を最強にしてくれよ。
そうしたら、僕の大好きなアニメに登場した勇者のように生きられる筈なんだ。
気がつくと、僕は真っ白な世界に立っていた。
目の前には長い銀髪の女の子。
現代風の服装とはまるで異なる身なりで、美しい髪も相まって「この子こそが僕を転生させてくれる女神なのだろう」と確信した。
「雨宮勇基。あなたは『世界を変えたい』と本気で願う?」
女神は無表情でそんなことを聞いてくる。
僕の答えは既に決まっている。
「うん。生まれ変わってさ、今度こそ真の勇者になって皆を救いたい」
「たとえ力を得たとしても、人間というものは思い通りにならないことが多い。それでも絶望せずに向き合い続けられる?」
「絶望ならもう充分したよ。だから、大丈夫」
「……分かったわ、雨宮勇基。それならば、あなたに遠い世界での二度目の人生を与えましょう」
「あぁ……良かった。やっぱり君が僕を転生させてくれるんだね」
「ええ。あなたはこれから『現代なんてまだ優しかった』と思うくらいの地獄に向かうことになる……本物になる為の力と共にね」
「ありがとう。ようやく夢が叶うんだ、精一杯頑張るよ」
「その道には辛いこと、苦しいこともたくさんあるとは思うけれど、どうか自分を信じて生き抜いてみて……それじゃあ、行ってらっしゃい」
そうして、僕は生まれ変わった。
女神の言った通り、この世界は地獄だ。
文明レベルの低さは仕方ないとしても、種族を問わず大半の者は物語の登場人物みたいに優しくはない。いつだって限られたリソースを醜く奪い合い、憎み、見下し、虐げ、殺し合っている。前世と何も変わらない。
でも、今度の僕は強い。だから変えられる――そう思っていたのに。「力さえあれば絶望なんて怖くない」と思っていたのに。
大切な仲間を喪い、大切な友達を殺してしまった僕は、希望を見失いかけている。
かつては確かなものだった光がぼやけ、闇に掻き消されそうになっている。
「正義」とは、「善」とは何なのか。僕は何をすればいいのか。どこに向かえばいいのか。
分からないから何もできなくて、前世と同じことになっていて。
このまま迷い続けていれば、いずれ光は僕の心から消え去るだろう。
その時、「絶望しないこと」が制約である《不屈の誓い》もなくなって、僕は何者でもなくなる。
だから、そうなる前に誰か道を示してくれよ。




