16章17節【第二部完結】:虚ろなる星空
ライルが玉座の間の跡地に到着した頃には、すっかり日が落ちていた。
数多の星が夜空に輝く。無神経なほどに美しく、疲弊した世界を照らす。
彼はそんな光景には目もくれず、辺りを見回した。
アダムとアイナの死体。
壊れた玉座の傍に座っているレインヴァール。
仰向けになって静かに星空を眺めているアステリア。
ライルは何が起きたかを理解した。まだ戦いが終わっていないことも。
「……あんたかよ。よりによってあんたなのかよ……なぁ、《勇者》!」
《迅雷剣バアル》を構え、おもむろに近づいていく。
「勇者ってのは、弱い奴らを救う為に立ち上がった英雄を殺すもんなのか……!?」
感情に任せて言葉を紡ぎながらも、警戒心は忘れない。
「前々からあんたとは反りが合わないと思ってた。でもさ……立場上は敵同士っつっても、あんたなら何だかんだリアのこと助けてくれるって心のどこかで望んでたんだよ……」
座ったままのレインヴァールに刃が突きつけられる。
彼は反駁するでもなく反撃するでもなく、虚ろな目でライルを見上げて言った。
「僕を殺せよ」
「……はぁ?」
「こんなこと……したくなかった……こんなことをする為に生まれたんじゃないのに……」
涙を浮かべて語るレインヴァール。
ライルは一瞬だけ呆気に取られた後、剣を下ろし、怒りを露わにして哀れな勇者の胸ぐらを掴んだ。
彼の殺意はすっかり苛立ちに変わっていた。
故に、剣ではなく言葉で戦うことを選んだのである。
「あんたの意思なんて関係ねえだろッ! 結果は、現実はこうなった! それだけだろうがッ!」
「君も現実を押し付けるのか」
「『押し付ける』だぁ!? 現実はただそこにあるもんだ!」
「こんな酷い世界は嫌だ……見たくもない……」
「俺だってそうさ! リアだって! だからこそ『現実』っつー最低最悪の敵を真っ直ぐ見据えるんだろ!? よそ見してて戦えるかよ!」
「僕は救いたかっただけで、戦うことなんか望んでなかったんだよ……」
「……話にならねえな。あんた、どうせ金も人脈も腐るほどあるんだろ? そんなに戦いが嫌なら安全圏でひっそり暮らしてりゃいいものを、のこのこ戦場にやってきて無責任に掻き回すんじゃねえ」
ライルはもはや苛立ちも失くし、ただただ呆れ果てた。
レインヴァールを掴んでいた手を離す。
直後、レイシャが瞬間移動で彼の隣に現れた。
右手で短剣を握り、もう一方でレインヴァールの手を握る。
少なくとも彼よりは戦う意思を感じさせる目をしていたため、ライルは剣を構え直した。
「あんたは生きてたか。で、やるのかよ?」
「そっちがレインを傷つけるなら」
「……そんな気は失せちまった」
「だったら、もう終わり。この戦いはレイシャたちの負け……それで、いい」
そう言って、レイシャはレインヴァールと共に消えていくのであった。
安全が確保されるや否や、ライルはアステリアの元へ駆け寄った。
横に座り、泣くのを必死に堪えながらその様子を確認する。
「まだ息があるんじゃないか」と淡い期待を抱き、即座に裏切られた。
遠目には分からなかったが、アステリアの身体がところどころ黒く壊死している。左腕にいたっては完全に朽ちていた。
そのような状態なのに、彼女は穏やかに笑っている。
ライルはアステリアが抱えていたものを知った。彼女がどこか焦っていた理由を悟った。
アステリアとの思い出、そして同じ病で喪った少女たちとの思い出が蘇って、ついには耐え切れなくなり、亡骸に涙を零した。
「リア、ごめんな……分かってあげられなくて……」
もう、何も応えない。
「でもさ、ちょっとくらい話してくれても良かっただろ……なあ、どうして笑ってるんだよ……リアはこの結末に納得してるのか? 呪血病が辛かったのか? それとも生きるのが辛かったのか? 教えてくれよ……」
アステリアとレインヴァールの縁を知らないライルには、笑顔の理由が、最期に彼女が何を思っていたかが見えてこなかった。
仲間のことが、妹分のことが分からない。それがたまらなく辛くて。察せられない上に「話してもいい相手」にもなれなかった自分の無力さに腹が立って。
だが、ライルがレインヴァールのように自己否定の渦に呑まれることはなかった。
涙を拭い、立ち上がる。アステリアから託された未来の為に。
その時、先王バルタザールとトロイメライが地下室の階段を上がってきた。二人の護衛を任されていたルアとフレイナも慌ててそれに続く。
目の前の惨状にトロイメライ以外の三人は息を呑んだ。
「あんたら、まだ避難してなかったんだな」
「アステリアはッ!?」
ライルの疑問を無視し、バルタザールが娘の安否を聞く。
ライルが静かに首を横に振ると、父は崩れ落ちた。
「そんな……『今度こそお前を置き去りにして逃げぬ』と誓ったのに……!」
「遅いんだよ、今更。最初からあんたがそうしてれば……」
元来、アステリア以外の王族を嫌っていたライルが不躾な言い方をするが、バルタザールにはそれを咎めるほどの余裕もない。
「みな去ってしまった……エルミアもマリーシエルも、アステリアもライングリフもローラシエルもグレアムもローレンスも。レティシエルも私やラトリアには何の興味もないだろう。私は、全てを喪った」
「あぁ、その通りだ」
「このまま、怯えと悲しみだけ抱えて虚しく生き続けるくらいなら……」
バルタザールが、辺りに転がっていた木片を手に取った。
ルアとフレイナが狼狽える中、ライルはそれを剣で弾き飛ばす。
彼がバルタザールを見下ろすその目に、慈悲は一切宿っていない。
「リアはな、殺されても文句言えないあんたを生かしたんだぞ。だったら生きろよ。生きて、見届けろよ」
「残酷なことを言うものだ……」
「残酷で当然だろ。これは『復讐』なんだから」
ライルはそう言い放ち、トロイメライの方を向いた。
「リアのこと、送ってやってくれよ」
「元よりそのつもりでした。この方は私に……いえ、たくさんの人々に希望を見せました。その生き様、まさしく『英雄』と呼ぶに相応しいでしょう」
「……なぁ、地上でリーズやウォルフガング先生、ネルと再会できるかな?」
「ええ、彼女がそれを希えば」
「そっか……良かった」
ライルは力なく笑う。
そして今、初めて星空を見上げた。
虚ろで、残酷で、それでも微かな希望を感じさせる空を。
《アド・アストラ》――「星の彼方へ」。その名に相応しく在れるように、と誓って。
*****
地上。神々の住まう、偽りの楽園。
純白の部屋の、同じくらい真っ白な円卓には十二の席がある。
着席している十人は、いつにも増して剣呑な空気を漂わせている。
眼鏡を掛けた神経質そうな男、ハウラスが、主神アレーティアを睨みつけた。
「貴様の作ったアダムは死に、理亜とフィーネが姿を消した! 奴らは……」
「……そういうことだろうね。残念だけど」
「だから言ったのだ! 災いの芽は早いうちに摘んでおくべきだと!」
「それは結果論というもの。私は彼女たちを信じたかった……とはいえ、こうなってしまった以上はやむを得ない」
ハウラスの苛立ちの矛先が、今度は金の長髪の女神、エレナに向く。
「貴様も貴様だ! なぜ『力』を自ら覚醒させたルアとやらを裁こうとしない!? あれは我々だけの特権だ!」
「大丈夫です。あの子は『時間遡行が《権限》の恩恵だと思っている』。再びあれを使うことはないし、できないでしょう」
「だとしてもリスクはある! 貴様がやらないなら我々が……」
「あの子を害するつもりなら、私はあなた方と敵対せざるを得ませんが」
エレナが柔和な雰囲気を保ちながらも敵意を露わにする。
ハウラスは目を逸らし、舌打ちした。
小柄な少女、クラムメルクが、場違いなほど明るい声色で言う。
「ねぇねぇアレーティア! また『せんそう』するんだよね!?」
「うん、向こうがその気みたいだから。但し、天上大陸はなるべく巻き込まないようにしよう。これは私たちと、あの二人の戦争だ」
「もうお姉さんたちのこと殺していいんだ! やったぁ~!」
クラムメルクは楽しげに、己の尻についている狐を思わせる尾を揺らした。
それから少しして。
クラムメルクに加え、赤髪の女レーナフェルトと軍服の男ヴァルターが、荒れ果てたビル群を歩いていた。
三人はアレーティアの命令で、失踪した理亜とフィーネを捜索している。
辺りに生息する魔族や魔物は彼らが何者かを知っているのか、それとも本能的に恐怖したのか、みな慌てて逃げていく。
そんな中、一部の恐れを知らぬ愚か者たちが獣のような笑みを浮かべ、三人の前に現れた。
様々な種の魔族が合わせて二十人ほど。
「……餓鬼どもが。死にたいのか」
淡々と呟くヴァルターに対し、レーナフェルトは不敵に笑いかける。
「良いじゃないか。殺害衝動を発散する為であっても無抵抗な人間を殺すのは気が引けるんだろう?」
「心と知性を忘れて弱肉強食の自然に還った『これ』を人間と思ったことはない。こんなもので飢えが満たせるか」
「なんでもいいよ! クラムたちのこと傷つけようとする悪いヤツらは殺しちゃえ!」
クラムメルクの言葉に従い、ヴァルターは一歩前に出る。
そして、この世界の文明にはまだ存在しない筈の機構を持った武器――アサルトライフルを構えるのであった。
*****
――あれ?
思考が巡る。消えた筈の意識が蘇っている。
もしや奇跡的に助かったのか?
いや、全く痛みを感じないのはおかしい。致命傷を負ったし、呪血病だってかなり進行していた。アルケーの《術式》でも完全な鎮痛は不可能だろう。
私の人生は間違いなく終わった。終わってしまったんだ。
ならば私は今、どこに居る?
目を開ける。眩しい光が広がる。
私は、学校の教室に立っていた。
「……え?」
嘘だろ。まさか、何もかも御剣星名が見た夢だった?
そんなことがあっていい筈がない。あの世界での経験が、努力が、築いた縁が全て嘘だったなんていうのは嫌だ。
と、焦りながら周囲を観察して、それが杞憂であったことにすぐ気づいた。
ここは確かに教室だが、私の知っているそれよりも僅かに広く、机や黒板といった構成要素も少しずつ異なっている。
生徒がみな少しだけ大人びているし、制服も違う。
一体どこの学校なのだろうと思いつつ、ふと窓を見ると、そこには前世の私ではなくドレス姿の「アステリア」が映っていた。
明らかに浮いている容姿にもかかわらず、生徒たちは私が存在していないかのように振る舞っている。
或いは実際、存在していないのか?
何も分からない。分からないけれど、少なくとも言えることは、孤独だった。
私を存在させてくれる他者を求め、昼休みを自由に過ごす生徒ひとりひとりに視線をやる。
でも、少しも知らない人ばかりで。
息苦しさに耐えられず座り込みそうになったその時、窓際の席から空を眺める一人の女の子に目を引かれた。
どこかで見た覚えがある。
ああ、そうだ。この人は――。
これにて第二部「剣の王女の英雄譚」は完結です!
最終部「いつか生まれる星へ」をお楽しみに!
最終部突入ということで、連載再開まで少々お時間を頂きます。
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