16章10節:至高の魔術師
「アルフォンス団長ぉ……!」
右腕を失ったアルフォンスが座り込み、泣き喚く修道術士の少女から《術式》による治療を受けている。
彼自身は元来の精神力とアドレナリン分泌の恩恵で見かけ上は少女よりも平気そうであり、「そう心配しなくていい」と穏やかに笑いかけた。
おもむろに近づくアダムから彼らを守るように、四人の聖団騎士が剣を構える。
「大人しく退け。こちらの狙いはアステリア一人だ。邪魔立てしないのであればお前たちと戦う理由はない」
淡々と言うアダム。
騎士たちは動じない。勝ち目がない敵と相対する恐怖を忠誠心が掻き消しているようだ。
その想いに応えるかのようにアルフォンスは左手で剣を取って立ち上がり、騎士たちの前に出た。
「それは出来ないな」
「幾らお前でもそんな有り様ではまともに戦えんだろう。一体何がそこまでさせる?」
「アステリア陛下は未来を見せてくれた。閉塞したこの世界を打ち破る未来を」
アルフォンスから《光輝剣クラウソラス》を向けられたアダムは、氷のような視線を返した。
「理解できん。お前達の言う『未来』とはなんだ? 既存秩序を根底から覆してまで目指す価値があるものなど……」
「分断、格差、犯罪、戦争、そして呪血病のような悲劇がない世界……なんて言ったら、あなたのような人は嘲るんだろうね」
語った理想論が、予想の通り鼻で笑われ一蹴される。
「もう少し思慮深い男だと認識していたが存外、近視眼的だな。百年も生きられん人間族の限界か」
「ああ。私は今を生きる一人ひとりの不幸に思い悩む、つまらない人間だ」
「いいか、その『未来』とやらが訪れるとしたらそれは人類が滅んだ後だけだ。人が人である限り、今お前が言ったような事象を根絶することはできん。呪血病だって、乗り越えたところで人は結局、別の病や負傷、寿命で死ぬ。無数に在る死因の一つ一つに抗うなど無謀で、虚しいだけだ」
「救うことを……救われることを諦めろと? 前に進もうと足掻くことに意味はないと?」
「そうだ。愚かで弱く、いつか死ぬ為に生まれるだけの無意味な存在。それが生命体の背負いし運命なのだよ。だから……」
アダムが殺気と共に膨大なマナを溢れさせ、人差し指をアルフォンスに突きつける。
「死を受け入れろ」
一言告げると、指先から青白い光弾を放った。
エルフや魔族どころか人間族の間でも《術式》として普及している、ありふれた魔法。
《神理の誓い》で誰よりも高い適性を得ている彼が使えば、それすらも低消耗で《財団》の自爆疑似特異武装に匹敵する威力の攻撃を連発できる最上級魔法と化す。
しかしアルフォンスは片腕で剣を振るい、魔弾を斬り捨てた。
続けざまに撃たれるそれらをバランスを崩しながらも全て打ち消し、少しずつ近づいていく。
「跳ね除けるか。だが、先に力尽きるのは確実にお前の方だぞ」
そう語るアダムの後方に、いつの間にか四人の聖団騎士が回っていた。
アダムがアルフォンスに敵意を集中させている隙を突いたのである。
彼らは加速の《術式》で接近し、アダムの反応が追いつく前に剣で刺し貫こうとする。
「甘い」
あらゆる魔法を使いこなす至高の魔術師は、振り向く必要すらなかった。
「逆転」の性質を持つ結界を自らを覆うように発生させる。そこに踏み込んでしまった騎士たちは己の《術式》がもたらした加速力を逆転され、アダムから遠ざかり建造物に衝突する。
精鋭である筈の部下があまりにも簡単に蹴散らされるのを見てもアルフォンスは揺らがない。アダムが彼らに対応する為、防御行動にマナを割り振った一瞬の時間を利用し、一気に距離を詰めた。
更にはアルフォンスの後ろに居る術士の少女が、強化の《術式》を彼に付与する。
そして魔法切断と距離切断の力を帯びたクラウソラスによる、不可避の一閃がアダムを襲った。
今のアルフォンスたちができる精一杯の抵抗である。
それを、アダムは容易く躱す。
否、アルフォンスが全く見当違いな方向に攻撃していた。
「魔法を斬る聖魔剣。俺にとって天敵なのは確かだが」
「何をした……?」
これには彼ほどの達人であっても動揺を隠し切れず、背後に立っているアダムに問いかけた。
「お前自身を対象としている強化魔法がその剣によって無効化されていないということは、『これ』も通るのだろう?」
反転し、アダムに斬りかかる。だが、もうそこに彼は居ない。
アルフォンスは気付いた――自身が精神干渉系の魔法を受けていることに。
一般的に使用されている気配遮断魔法とは似て非なるものであり、あちらは術者の見え方を捻じ曲げるのに対し、これは敵対者の認識そのものを改変する。
対象は限定されるがそのぶん強力で、例えば「鋭敏な感覚」のような「魔法破壊以外の方法」で抗うのは非常に困難である。
「解呪をッ!」
アルフォンスはどこに居るかも定かではない術士に叫んだ。
命令通り、彼女は魔法の効果を打ち消す《解呪》を唱える。
だが、それは強化の《術式》を解除することも意味していた。
認識が正常化したアルフォンスに無数の魔弾が迫る。
最初の何発かは切り払ったもののすぐに限界を迎え、流れ弾を生まないことを諦めて大きく横に跳んだが完全には躱し切れず、爆発で空に飛ばされる。
「最強」と言われる男と交戦し、重傷を負ったばかりの身体を無理やり動かしているにもかかわらず強化術すら受けられないというのは、彼ほどの強者でも無理があったのだ。
少女がボロボロと涙を流しながら駆け寄り、宙を舞うアルフォンスに防御強化の《術式》を掛ける。
お陰で建物にぶつかって即死することはなかったが、もはや戦えるような状態にはない。
少女は後方支援専門であり全く攻撃能力がなくとも、尊敬する騎士団長を守ろうと、意識を失った彼を庇うように立つ。
「……また邪魔をされたら面倒だ。お前くらいは確実に始末しておくべきか」
アダムはそう言い、無力な少女のことなど全く気にせずアルフォンスに近づいていった。
その時。悲しげなレインヴァールが、アダムの左肩を後ろから掴んだ。
「やめよう。その人はもう戦えないよ」
「だが……」
「僕らの目的はリア一人。そうだろ?」
「……分かった」
アダムはリスクの消去とレインヴァールのメンタルを天秤にかけて後者を取ったのか、あっさりと彼の要求を受け入れ、仲間たちと共に去っていた。
後に残されたのは、必死に回復の《術式》を唱える少女だけであった。




