16章8節:王都決戦
戦争は序盤に築いた我が軍の優勢を維持したまま進んでいる。
レヴィアス県や王都北での勝利が響いたのか、敵軍の士気が下がりつつあるようだ。
しかし、このまま上手くいくなどと甘いことは考えていない。
私の前には二つの大きな問題が立ちはだかっているからだ。
一つは私自身の健康状態。
まだ人前では辛うじて「ただ疲れているだけ」のフリができているが、呪血病は着実に進行しており、手袋に覆い隠された左手の先は既に黒く壊死している。《乙女の誓い》の重量軽減効果のお陰で一応は剣を握ることができる程度であり、もうこの左手でウォルフガングに教わった剣術は振るえない。
この戦争が終結する前に私が死ねば、これまでの努力も犠牲も水の泡になってしまう。
今のところ亡命貴族たちは戦意こそ低下していても敗北を認める気まではないようで、《ヴィント財団》や聖人会に必死に助けを求めている。
その聖人会こそがもう一つの問題である。
先の継承戦争でクロードと聖人会はライングリフを切り捨てた。恐らく、もともと有力者であったあいつが戦勝によって絶対的な権力を獲得するのを嫌ってのことだろう。
となれば、この局面における私の勝利を許す筈がない。
絶対に奴らは私を殺しにくる。できる限りの対策はしておかねば。
まずはルアとフレイナを呼び戻す。
相手は《権限》持ちの集団である聖人会だ。戦術をこねくり回して勝利を掴むことは不可能と断言していい。同じ《権限》持ちをかき集めて真っ向から勝負するしかない。
レヴィアスの防衛については《竜の目》と現地の兵、それから滞在中らしい帝国軍の部隊に任せる。ならず者まで無差別に戦力に加えていた魔王戦争以前はともかく、今の帝国兵なら下手なことはしないだろう。
更なる備えとして、王都中に《術式》のトラップを付与しておく。これは特定の人物が範囲内に侵入すると爆発する、対象限定機能を持った地雷のようなものである。
ちなみに制作者はアルケーだ。殺しの《術式》、それもトラップという卑劣とも取れるものを作るのはモチベーションが湧かないようだったが、最終的には私が手段を選んでいられるような状況にないことを汲み取ってくれた。
無論、これで聖人会を倒せるとは思っていない。奴らのことだからこんな策はあっさり踏み躙り、私のもとへ到達するに決まっている。
だが、気休めに過ぎないとしても打てる手は打っておきたかったのだ。
そして、10月末。
ついに決戦の日が訪れた。
***
王城。
上階に居るフレイナを除き、決戦に臨む我が軍の最重要戦力が一通り集まった玉座の間に、連続的な爆発音が響く。
仕掛けたトラップが次々と発動しているようだ。
私たちはとうとう聖人会がやって来たのだと理解した――トラップが、それを知らせる以外に何の役にも立たなかったことも。
奴らを退ければ流石の亡命貴族たちも負けを認める筈だ。
ここが戦争の結果、或いは私の人生の結末に直結する正念場というわけである。
「あいつら、トラップを踏み抜きながらこっちに来てる……?」
傍らに居るライルが不安そうに呟く。
「ん。『痛くも痒くもない』ってことみたい」
「クソッ! やっぱ無茶苦茶だな……!」
それから少しして、傷だらけの騎士が駆け込んできた。
「アステリア陛下! 序列第一位と第二位が現れました! 現在、近衛騎士団と交戦中ですがすぐに突破されてしまうかと……!」
彼は焦りと苦痛のあまり跪くことさえ忘れたまま報告した。
ここに来ているのはユウキ達とアレスか。今回ばかりは非戦闘員の護衛に人手を割いていられないということなのか、レティシエルとクロードは居ないようだ。
「……ありがとう。あなたは今すぐ医務室で治療を受けて下さい」
「お役に立てず申し訳ございません」
私の命令に対し騎士はそう返して、血を流しながら来た道を戻っていく。
「地獄など見慣れている」とでも言いたげに虚ろな表情をしているトロイメライ以外の全員が眉をひそめた。
医務室にはアルケーが居るが、彼女でもあれは救えないだろうな。
「陛下、どうするんですか……このままだと近衛騎士たちが皆殺しにされてしまいますし、戦う意志のない民間人はほぼ避難済みとはいえ建造物の被害も拡大しますけど……」
ルアが厭味ったらしく言う。
私の理性は、少しでも勝率を上げるための非情な判断を行った。
「私たちはここで待つ。奴らをなるべく消耗させた上で戦うべき。それに、たくさんの仲間を巻き込まないよう注意しながら戦うのは効率が悪い」
「つまりは捨て駒ということですか?」
「違う。そんな言い方するのは私だけじゃなく、望んでこの作戦に参加してる彼らのことも馬鹿にしてるよ」
「……実は帝国軍の一件であなたに対する印象を改めたのですが、そういう部分は変わりませんね」
広い玉座の間が狭苦しく感じられるような、剣呑な空気が流れる。
やがて緊張に耐え切れなくなったのか、ライルが沈黙を裂いた。
「リア……俺だけでも加勢していいか? やっぱり放っておけねえよ」
私はじっとライルの目を覗き込んだ。
どこか遠くを眺めているかのような目。
知っている。リーズが死んだ直後や、私が女王になったばかりの頃の彼は大体いつもこうだった。
「自棄にならないで。きみじゃアイツらには勝てない。そんなこと、きみ自身が一番分かってる筈」
現実を突きつけるような言い方が刺さったのか、ライルが無念そうに俯く。
申し訳ない気持ちになってくるけれど、このくらいは言わないと大人しく引き下がらないだろう。
ライルを死にに行かせるわけにはいかない。
彼には私の死後にやってもらわねばならないことがあるのだから。
「……では我々ならば構わないか?」
ライルに続いてそう言ったのはアルフォンスだ。
彼だけでなく、周りの聖団騎士と術士たちも闘志を漲らせている。
「私の聖魔剣……《光輝剣クラウソラス》は開けた戦場でこそ活きるし、他の者達もその方が戦いやすい。理由としては不十分だろうか?」
あまり気は進まない。だが、感情論ではなくメリットを提示されれば申し出を受け入れざるを得ない。
私は少し悩んだ後、「分かった、行って」と告げた。
アルフォンスは頭を下げると、傍らに立っているトロイメライに視線を向けた。
「感謝する。トロイメライ様の護衛として何人か残しておくが、もしもの時は守ってくれれば有り難い。この方は聖団の再建に不可欠だ。そして、あなたが新秩序を築きたいと思うのであれば民衆の信仰と向き合うことは避けられない」
「……うん。任せて」
戦後のことまでは保証できないけど、きっと私が死んでも皆が何とかしてくれる。
退室していくアルフォンスたちを見送った後、私はトロイメライと護衛の騎士を地下に連れていき、王都占領のトラウマを想起させる、あの脱出路を案内した。
そんな中、トロイメライと二人っきりになったタイミングで、彼女はか細い声で話しかけてきた。
「アステリア」
「どうかした?」
「己の肉体について誰にも伝えていないのですね」
見透かすような言葉を突然掛けられてドキっとしてしまう。
そのことはアルケー以外誰も知らない筈だ。
「なんでそれを……いや、きみだったらそういうの、分かっちゃってもおかしくないのかな」
「ええ。私には人の心を読む力があるのです」
「なるほどね。それで《権限》の持ち主を特定できたんだ……で、何が言いたいの?」
あまり感情を感じさせないトロイメライだが、今の彼女の瞳には珍しく熱意が込もっているような気がする。
「あなたは死を怖れている」
「何を言い出すのかと思ったら……そりゃ誰だって死ぬのは怖いでしょうが」
「いいえ、昔は違った。現世に絶望し、己の命に執着しなかった……私と同じ」
王立アカデミーでのリーズとの会話を思い出す。
確かに当時の私は「一度死んだ身だから死なんて怖くない」と考えていた。
一体どうしちゃったんだろうな。
「あなたはこの世界に価値を見出したのですよ」
トロイメライが私の思考を読み、答えを示した。
心の何処かでは気づいていたはずなのに、認めたくなくて封印し続けていた真実を。
そう。私はいつの間にか、あんなにも嫌いだった世界を愛してしまっていた。
大切な人々との縁を紡いでくれた世界を殺すのではなく、救いたいと思ってしまった。
だからルアに「愛ではなく怒りで動いている」と指摘されたとき、私は彼女を――否、自分自身を憎んだのだろう。
「復讐」という存在理由を否定する勇気を持てない自分に苛立ったのだろう。
「……酷いよ。こっちはもうすぐ死ぬってのに」
「ごめんなさい。でも、私はそんなあなたに希望を感じたのです。それを伝えたかった」
優しく微笑むトロイメライ。
何故だか分からないが泣きたくなった。
その時、衝撃音と共に地下室全体が激しく震動する。
トラップのそれよりも遥かに近い。
どうやら新手が現れ、城を攻撃しているようだ。
「行ってくる。トロイメライ様はここに居て! 上がヤバそうだったらアルケーたちやバルタザールも連れて逃げて!」
私は気持ちを切り替え、返事も待たず階段を駆け上がっていった。
急いで玉座の間に戻ると、ライルが慌てた様子で話しかけてくる。
「第一位、第二位とは別の方向から砲撃を受けてる! 王城がぶっ壊されちまう!」
砲撃。《財団》辺りの新戦力だろうか。
何にせよ放置はできない。
誰を対応に向かわせるべきか考えていると、再びライルが提案した。
「俺が調べに行く! 《権限》持ちとガチでやり合うのは無理でも、こっちなら良いだろ?」
彼の目は先程までのそれとは違っていた。しかし不安なものは不安である。
ライルも何だかんだ強くはあるが、敵だって「《権限》持ち以外は取るに足らない」などということは決してない。
却下すべきか否か。その答えを出す前に、リルが話に入ってきた。
「行かせてやってニャン。地味な仕事はリルに任せてさ」
なんだよ、皆して好き勝手言って。
――ああもう。仕方ないなあ!
「分かった! 分かったから!」
「リア……!」
「生存を最優先すること! ライル、きみには戦闘よりもずっと重要な役割がある……戦いで己の価値を証明しようとする必要なんてないんだからね」
「ああ! 言われなくても危なくなったらすぐに逃げるさ! 俺の逃げ足の速さはよく知ってるだろ?」
「その癖、変なところで強情なのもね!」
「へへっ」と笑うライル。調子が戻ってきたようだ。
繊細な彼の場合、緊張し過ぎるよりはこれくらいの方が上手くいくだろう。冒険者時代だってそうだった。
さあ、みんな上手くやってくれよ。
私は玉座に座り、仲間たちの健闘と無事を祈るのであった。




