16章7節:聖人会の意向
聖人会のメンバーが円卓を囲んでいる。
ラトリア王国正規軍への敗北、帝国の介入、そしてアルフォンスという最高クラスの戦力の裏切り――不測の事態が続き、今この部屋に居ない法王は憤死しかねない勢いで怒り狂っている一方で、クロードとレティシエルはさして気にすることもなく談笑していた。
「聖騎士殿にはフラれてしまったみたいですねえ」
「ええ、残念です……まあアルフォンス様の《権限》があれですから、覚悟はしていたのですけれど」
レティシエルの《寵愛の誓い》は彼女を積極的に愛さずとも、一度でも目的を共有し協力した時点で対象となり、彼女を拒絶することができなくなる。
この洗脳じみた力から逃れるには、それこそアステリアのようにレティシエルという女の全てを根本から否定するほどの憎悪を抱いていなければならない。
レティシエルのことをそれほど知らないアルフォンスは不信感こそ抱いているもののその域には至っていないため、本来であればたとえ聖団に失望しても聖人会から離反するようなことはできなかった筈だが、彼は《公正の誓い》で己に掛けられた魅了を打ち消したのだ。
「ボクは、生真面目な彼のことですからあなたの力を退けたとしても聖団ごと見限ることはないと思っていましたよ。よほど失望が大きかったのか、それともアステリア様には何か人を狂わせるものがあるのか……」
「あの子だって腐っても王族、ということでしょう」
西方勢力にとって不都合な展開すら楽しんでいるかのような二人の態度。
それに嫌気が差したのか、普段以上にしかめっ面をしているアダムが口を挟んだ。
「……奴のことはもういい、敵に回ったのであれば殺すだけだ。それより今後の侵攻計画はどうする、クロード」
「どうする、と言われましても。レヴィアスを落とすのは厳しそうなので、これまで通りの細々とした進軍しかできませんよ。いやぁ、まさかあの情勢の帝国が助け舟を出してくるとは……」
「兵の在庫は?」
「まだまだ有りますよ。でも肝心の亡命貴族の方々が《滅殺公》敗死の報せを聞いてだいぶやる気失くしちゃってるんですよねえ。彼らが『無能な老いぼれ』と軽んじていた将軍に負けた、というのもあるんでしょうが」
「権力の上にあぐらをかき、ただ搾取して生きてきた者達の限界か」
「辛辣ですが仰る通りかと。ボクにずっと支援して貰える前提で『《財団》の戦力のみで牽制を続け、その間に本隊は態勢を立て直すべきだ』なんて言い始める輩も現れているようですし」
「そうなってしまうと奴らの主導では勝てんな」
「ええ。大量生産された消耗品と言えども資産は資産、当事者の癖に自ら戦うことから逃げようとしている連中にウチの兵を提供したくはありませんね」
「しかし黙って引き下がるわけにもいかん。アステリアは秩序の敵だ、それこそ魔王すら超える程のな。俺としては絶対にこのタイミングで始末しておきたいが……」
アダムがレティシエルに目をやる。
彼女は「うーん」と考える素振りを見せた後、再びクロードに話しかけた。
「……戦争、終わらせてしまっても大丈夫ですか?」
「ええ。新型疑似特異武装のデータはもう必要量を得られましたし、単純な利益で言っても想定を上回りました。今後、より多くの金が動きそうでワクワクしてますよ」
その言葉に不愉快そうに反応したのはレインヴァールだ。
「君は金の為に戦争を激化させるような関わり方をしたのか……?」
「商人とはそういうものでしょう? あ、誤解しないで下さい。これは飽くまで『もっと効率的に稼げる世界』にする為の必要経費であって、ボクはアステリア様のように世界を壊す気はないので」
クロードは悪びれもせず言った。
「こ、効率的って……」
「勇者殿は『相互確証破壊』という概念をご存知ですか?」
前世で聞き覚えがあるものの、当時から政治に関心がなかったレインヴァールは黙り込んだ。
代わりにレティシエルが答える。
「《術式》が公表されたばかりの頃から理論としては存在していたと聞きます。当時の技術ではそれを実現できるほどの大量破壊をもたらす《術式》は作れなかったみたいですが」
「流石はラトリアきっての才女、よく勉強していらっしゃる。そう、敵の根拠地を壊滅させるに足る圧倒的な破壊力を持つ攻撃手段による報復が二勢力間で互いに、確実に行える状況が整えば、そこに本格的な潰し合いは生じなくなります」
「そして《財団》はその『手段』の提供とメンテナンスの権利を独占すると共に、報復の確実性を維持する為の交渉においてイニシアチブを発揮すると」
「やはりレティシエル様は察しが良い……レインヴァール様、ボクはむしろ世界を『平和』にしたいんですよ。適度な殺しや破壊は金になりますが、過剰になると需要の発生源そのものを一掃してしまいますから」
クロードの語った野望に、レインヴァールは怒りどころか恐怖すら覚えた。
前世でもうんざりするほど見てきた、富の為なら幾らでも人を傷つけ、騙し、利用する傲慢な「大人」たち。
その典型例を目の前にして、彼の心は「世界」という親友を殺めた闇に抗えない、無力な少年だった頃に戻ってしまったのである。
「そこまでして金を稼ぎたいのか……」
「『金はあればあるほど良い』、普遍的な感性だと思いますが。浮世離れしておられる勇者殿には理解できませんか?」
「ああ、理解できない。金より大事なものなんて幾らでもある」
「例えば、ですが……飢え死に寸前の乞食、仕事を失い生活補助も受けられなかった傷痍兵、適切な治療を施せれば治った筈の病で子供を失った夫婦なんかの前でもそう言えますかね?」
クロードの指摘に反論できず、静かに目をそらすレインヴァール。
これ以上彼のやる気が削がれないようにと思ってのことか、或いは単に苛立ちが限界に達しただけなのか、アダムが話を打ち切った。
「いいか、クロード。今はたまたま方向性が合致しているだけだ。やり過ぎればその時はお前が消される側になる、とだけは言っておこう……それで、レティシエル。『そういうこと』で良いのだな?」
「はい。そろそろ私たちの出番かと。皆様、アステリアを討伐しましょう」
レティシエルは、端的に聖人会の実質的な代表としての結論を述べた。
実際に武力介入を行う、戦闘能力を持つ聖人や協力者たち一同に緊張が走る。
その中で、アレスだけが場違いなほどに明るい笑みを浮かべている。
「ようやくか! 開戦からこの時をずっと楽しみにしてたんだ!」
「お待たせしてしまい申し訳ありません、アレス様」
「良いさ。前みたいに殺し合いの邪魔をしないなら、だけどね」
「ご心配なく、今度は水を差すような真似は致しません」
楽しげな《紅の魔人》とは反対に、《勇者》は頭を抱えて苦悩している。
正義はどこにあるのか。誰に付いていくのが「善いこと」なのか。
アステリアは空虚な理想を掲げているだけの単なる暴君なのか。
「どんな人でも話せば分かってくれる」――そんな幻想への憧れを抱いて生きてきた少年は、誰も正解を教えてくれない現実の中で惑うことしかできなかった。
レインヴァールが横目で隣に座っているアイナの顔を見る。
「私は戦うわ」
「とっくに決めてた、って感じだな」
「前に王都に行った時にね。陛下の理想には共感できる部分もある。実際、上流階級の一部はその立場を利用して非道な行いを繰り返してたし。それでも彼女の強引なやり方を認めることはできないわ」
「……そっか」
「ねえ。事情は分からないけれど、あなたにとってあの方は友人なのよね?」
「うん」
「何が民衆の為になるか考えた上で……やっぱりあの方を信じるっていうのなら、それも一つの正しさだから、私は有りだと思うわ」
アイナは絶対的な正解など存在しないことを理解しながらも、道を選択していた。
レインヴァールはその心の強さに敬意を抱きつつ、今度はレイシャに「君は?」と問う。
「レイシャは政治とかよく分からない。あの人が良い女王様なのかどうかも。でも……あの人は怖いから」
「怖い、か……アダムは……」
「改めて聞くまでもないだろう。俺はアイナのように選択肢を与える気はない、お前も来て《勇者》としての責務を果たせ」
彼はアステリアと同じくらい大切な三人の仲間の答えを反芻し、そして、ようやく決断した。
「……分かった、僕も行くよ。でもあの子を死なせるつもりはない。真意を問い詰めて、必要なら戦って止める。それだけだ」




