2章10節:乙女の誓い
椅子と幾つかのテーブルが置かれ、拘束された一般市民が転がっている広い部屋で、大柄なその男は、肘掛けに頬杖をついたまま話し続ける。
「名乗っておこう。俺はヴィンセント。誰が呼び始めたか知らんが、裏社会では《黒蛇の暴君》などという名でも呼ばれている。《狩人の刃》という冒険者パーティの長でもある」
「……わざわざご挨拶どーも」
「称賛させてくれ、序列九位《ヴェンデッタ》のリーダー。マリアンナの施した仕掛けに勘付いた上でそれを利用するとは、やるじゃないか」
そう言って、笑いながら拍手するヴィンセント。
一見すると隙だらけではあるが、決して臨戦態勢は崩していない。
話を打ち切ってこちらから仕掛けても、奇襲は成立しないだろう。
ならば、むしろ満足するまで話させてやり、出来るだけ情報を引き出すまでだ。
「『他人の感覚を盗み見する《術式》』なんて聞いたことないよ……きみの相棒であるマリアンナは一体、どこでそんなものを見つけたの?」
「あいつは実験マニアなのでな。俺は専門家じゃないから分からんが、既存の《術式》を多数組み合わせ、試行錯誤の果てに自ら開発したらしい」
それから少しだけ間を置いた後、ヴィンセントは真剣な表情を作って私を見据えた。
「……さて、そんな話はさておき、実は一つ提案があるのだ」
「一応、内容は聞いておくよ」
「単純な話だ。俺と手を組んで、他の冒険者パーティを潰さないか?」
この男は何を言っているのだ? それは実際に取った行動と矛盾しているだろう。
「はぁ。私たちに夜襲を仕掛けておいて、協力の提案とはね」
「その件は悪いことをしたと思っている。あれは単に、この先の部屋で情けなく隠れている『協力者』への義理立てだよ。本気で貴様たちを潰すつもりなどなかった」
「協力者って?」
「……ラトリア王国第二王子、グレアム・フォルナー・ラトリア」
その名を久しぶりに聞いた時、全身が震えた。
驚愕や恐怖の感情ではない、これは「怒りを晴らす理由が出来た」という快感だ。
兄――グレアムは、私や母を迫害した兄や姉たちの中でも、最も直接的な嫌がらせを行ってきた者だ。
日々「父様を誘惑した淫魔の娘」「王族に混じった恥知らず」などと罵声を浴びせてきただけでなく、私の服を脱がして悪戯をしようとしてきた時なんかもあった。
そんなクズが、まさか犯罪組織と繋がっていたなんて。
――最高の展開じゃないか。これで私は、この手で堂々とアイツに復讐出来る!
顔がニヤけそうになるのを隠しながら、ヴィンセントを見て話の続きを促した。
「グレアム王子が商売で多額の儲けを出しているのは知っているか?」
「うん。稼いだお金を王都の復興に充てているんだってね……実際は、稼ぎの多くが遊興や賄賂に消えてるって噂だけど」
「その噂は真実だな。そして殿下は実のところ、奴隷や非合法な薬草、武器などの取引を行っている《エグバート商会》の長でもあるのだよ」
私がここ最近、必死になって追ってきた真実を、彼は事もなげに明かした。
経緯がどうあれ全てが繋がったのは喜ぶべきことであるが、疑問もある。
「そんなこと話しちゃっていいの?」
「構わん。殿下は良き取引相手ではあるが、正直、俺からすればつまらぬ人間なのだよ」
「王子相手に随分と言うね。『もう用済み』って訳?」
「相応の器には思えんからな。王子ともあろう男が大志も何もなく、ただ着飾り暴食をし、女と物に囲まれ、日々の恐怖を紛らわす為の金稼ぎに耽るなど、あまりに小物過ぎる……そして、他の王族共も方向性は違えど、彼と大差ないのだよ」
「……何が言いたいの?」
私はヴィンセントの目的が「序列を上げて冒険者としての待遇をより良くすること」にあると思っていたが、どうやらそんな単純かつ小さな話でもないらしい。
彼は何かを見透かすように、こちらをじっと睨みつける。
「こんな噂は知っているか……『アステリア第三王女は、実は生きている』」
「……下らない与太話だと思うよ」
「だが、『王都占領から生還した』という奇跡が起こらなかったとは断言出来まい?」
「さあ? そんな話を聞かせてどうしたいの?」
「……貴様、『そう』なんじゃないのか?」
この男、もしかして私の正体に気づいたのか?
まさかネルを通じて様子を窺い続ける過程で、全てを察してしまったのか?
ネルに対して「実は王女であった」などと明かしてはいないが、確かに彼女が見ている範囲で行われていた仲間たちとのやり取りに、そのヒントが無かったとは言えない。
だが、まともな人間ならば誰しも笑い飛ばす程度の噂だ。
それくらいに王都占領とは悲惨な出来事であったのだ。私が本当に「奇跡的に」生き延びた身だからこそ、よく分かる。
焦りを感じ始めるが、表向きは平静を装って受け答えを続ける。
「なはは。私が、あのアステリア王女だって? つまんない冗談はやめてよ」
「人を見る目には自信があるんでな。こうして目の前で見て、会話してみて確信も抱けた。容姿も雰囲気もすっかり変わってはいるが、奥底には『誰よりも高潔』と謳われた第三王女の気品が感じられる」
「……仮にそれが本当だったとして、きみは何が望みなのさ」
「序列を駆け上がると共に、貴様を王女として擁立し、王室に復帰させる。そして貴様を女王に仕立て上げ、俺はその協力者となってラトリア王国を支配する」
人間族の文明圏の中心であるラトリア王国を乗っ取ろうとは、単なる犯罪組織のリーダー如きが随分と大きく出たものだ。
だが、「下らない妄想だ」と一蹴出来ない自分もどこかに居た。
そんな気持ちを押し殺し、少なくとも今はこの男を否定する。
何を喋ろうが、どうせ殺さねばならない相手なのだ。
「そんなこと出来ると思ってるの? まずアステリア王女は王族から嫌われてて、とっくに除名されてるってのは有名だよね?」
「無論、現段階では不可能だろう。だが現在の冒険者序列一位は王室と接点があり、何なら婚約話が出ているなんて噂もある。そこに王の血を引く者が加われば連中の側も無視出来まい」
「本気でやるつもりなんだ」
「当然だろう。どうだ、興味はないか? 貴様は他のつまらん王族共と違って魅力的な女だ、仲間として良い付き合いがしたいものだが」
ヴィンセントは私に手を差し出した。
その手を取るのも、一つの「世界を変える為のルート」だろう。
だが、私は改革者である前に復讐者だ。
「……ふふっ。『面白いこと言ってるな』とは思うよ」
「それでは……」
「でも無理。だって、きみは私をあまりにも怒らせ過ぎたんだから。私たちを襲撃したことだけじゃない、きみ達はたくさんの罪なき人を巻き込んで傷つけた『悪』なんだ」
「『悪だから』などという非生産的な理由で拒絶すると? 間違っているな、この世は『奪う悪』と『奪われる善』の両者があって成り立っているものだ。秩序とは、世界とはそういう風に出来ているものなのだよ」
なるほど、この男はそんな弱肉強食の動物的原理を信奉しているという訳か。
「この世は奪い合いにおいて、より上位に立つことが全てだ」、と。
――下らない。
随分と長話をした。もうそろそろ良いだろう。お前の理屈ごと、この場で斬り伏せてくれる。
私は近づいてヴィンセントの手を握る代わりに、剣を突きつけた。
「別に間違っててもいいよ。私は善の道にも悪の道にも縛られない、『外道』だから」
「悪を為しながら、悪の道をも否定するか。交渉が成立しない愚かな生き方とは思うが、その突き抜けた愚かさには惹かれるものがあるな……殺さねばならんのが惜しいよ」
そう言うと、彼はようやく席から立ち上がり、傍らに置いてあった剣を取った。
蛇のようにうねった黒と赤の刀身を持つ長剣だ。その異様な外見、そして「私の《権限》が反応しない」ことから、聖魔剣であるのは間違いない。
互いに殺意と共に剣を向け合い、かくして決戦は始まった。
ヴィンセントは体格の良い男であるとはいえ、人間族としては異様なまでに高い身体能力を有している。
一度の踏み込みによって周囲に転がっている拘束された人々を吹き飛ばしながら十メートル以上を駆け抜け、その剣撃は石の床を派手に砕いていく。
特に肉体強化系の《術式》を使っておらず、かといって理性を犠牲にして薬物による強化を行っているようにも見えないが、あの力は鍛錬によるものか、それとも剣の能力だろうか。
術技の詳細が分からないので回避を最優先し、防御は無限の耐久性を持つ《竜鱗剣バルムンク》でのみ行う。
その間にも《静謐剣セレネ》による斬撃を繰り出すが、軽くいなされてしまい、牽制にもなっていない。
本当ならば《神炎剣アグニ》の能力を利用した「引き撃ち」――後方に向かって回避しながらの射撃を行いたいのだが、これは周囲の人質を巻き込んでしまうため非常に危険だ。
そんな私の葛藤を察したのか、剣で幾度となく斬り結びながらもヴィンセントが挑発してくる。
「……もっと冷酷な女かと思いきや案外、甘いな。まだ切れる手札がある筈なのに、余計な遠慮が見られる」
「別にッ! 全力出すまでもない相手ってだけだよ!」
「ほう……? だったらこれはどうだ?」
そう言うと、彼は後方に飛び、傍らに置かれていた小さな円卓を掴んで放り投げた。
一瞬、《竜鱗剣バルムンク》で斬り払って防御しようと考えたものの、嫌な予感がした私は咄嗟に後ろに跳び、距離を取った。
――「《爆ぜろ》」
ヴィンセントの詠唱と共に円卓が爆裂し、破片を撒き散らす。
すぐ傍で床に伏していた人質が爆風で焼かれ、破片でズタズタに引き裂かれ、即死した。
もし素直に防御を試みていたら、同じように即死はしないまでも、刀身でカバーし切れない部位に重傷を負っていただろう。
「なるほど、それで《蒼天の双翼》を殺したり、部下を口封じしたんだね」
「良いだろう? 全てを無駄なく活用出来る、俺好みの技だ」
話しながらも、彼は攻撃の手を休めない。
近づけば私の剣術と真っ向からやり合える、圧倒的な膂力による斬撃。
離れれば起爆攻撃。
ヴィンセントが投げてくるのはテーブルやその残骸だけでない。最低なことに、この男は人質の身体すら爆弾として利用出来るのだ。
その残酷さに怒りが噴出しそうになるが、必死に冷静さを保ち、思考を回して敵の手札を分析する。
彼の剣の方はまだ分からないが、あらゆるものを爆弾に変える攻撃の方は恐らく未知の《術式》の一つだ。連発していても未だに疲労が見えない辺り、この一つの技を相当に極めてきたのだろう。
非常に強力ではあるものの、私を直接起爆して殺さない辺り、「一度は自分が直接触れたものでなければならない」という制約があるように見える。
逆に、宿への襲撃時に彼自身がその場に現れていないのにも関わらず部下を殺したことから、一度触れさえしてしまえば離れていても起爆出来る可能性が高い。
つまり、この場にまだ十人以上残っている人質はみな、もはや救えないと思うべきだろう。
さて、ヴィンセントが正体不明のパワーとスピードで私の剣術に対抗出来てしまっている以上、こうして真正面からやり合っていては防戦一方になる。
幸い、私は少なくともネルの前で一度も「本気」、すなわち《権限》や各種聖魔剣の能力といった「手札」を見せていない。
従って私が取れる勝ち筋は、一瞬の隙を突いてまだ見せていない手札を切っていく、連続的な不意打ちである。
とはいえ相手はかなりの実力者だ、そんな隙を自然と見せてくれるものでもない――だから、こちらから作りに行く。
何度か剣をぶつけ合った後、私はこれまで通り斬撃をかわして後方に跳んだ。
すると、ヴィンセントは人質の首を掴んで投げつけようとする。
それよりも早く私は《加速》を詠唱し、「自ら爆弾に突っ込む」という愚行にも見える動きを取った。
「気でも狂ったか……《爆ぜろ》ッ!」
ヴィンセントは盾にするように人質を掲げ、起爆しようとした。
これまでの攻防から察するに、あの技による爆発は彼自身を傷つけないので、このようなことが出来るのだろう。
――だが、何も起きない。私が人質になっている使用人の女性に内心、謝罪をしながらも、彼女を犠牲にすることを選んだから。
私の《静謐剣セレネ》は彼女ごとヴィンセントの腹部を貫く。
この聖魔剣の能力は「《術式》の破壊」。そして、人体を斬ればそこに付与された《術式》も斬ることが出来るのだ。
「これで勝った」と確信し、私は駄目押しで《神炎剣アグニ》をヴィンセントの背後から出現させて焼き殺そうとした。
だが、様子がおかしい。
普通はこんな風に胴体を貫かれれば死ぬか、そうでなくとも痛みで怯む筈だ。
しかしヴィンセントはまるで平気そうな顔をして血を滝のように流しつつ、自身の身体を刃から引き抜いた。
「……まともじゃない」
ついそんな言葉を吐きながら、《権限》の使用を中断して距離を取る。
気がつけば、彼の腹部の傷は塞がっていた。
「まともじゃないのは認める。本来ならば死んでいたところだからな」
そう語りながら、彼は手に持っている禍々しい聖魔剣で、傍らに倒れていた人質を突き刺していた。
「それの能力……まさか、人の命を吸って……!」
「《吸命剣ザッハーク》。持っている能力は想像の通りだ……しかし、やはり優れた戦闘力と洞察力を持っているな。協力出来なかったのが惜しいよ、本当に」
そしてヴィンセントは剣を振るい、刺さった亡骸をこちらに放ってくる。
その攻撃こそ何とか回避するも、状況は最悪だった。
彼が異常なまでに優れた身体能力を持っているのは、あの剣によって命を吸い、人間一人のものを超える存在強度を有しているからだろう。
ここに居る一般人たちは人質でもなんでもない。
全てはヴィンセントという悪が略奪する為の「資源」でしかなく、命どころか亡骸まで利用され尽くしてしまう。
どれだけ打ち合ってもあちらは体力を回復出来るから、こちらが先に力尽きてしまう。
これを打開する方法は一つしかない。この悪辣な男もそれを理解している。
彼に勝つには、この場に居る人々を早急に皆殺しにするしかない。
だが理性では「どうせ彼らはもう救えない」と分かっていても、今はまだ生きている罪のない人間の命をこの手で奪うことには罪悪感を伴う。
「……クズ野郎め」
「思想こそ違うかも知れんが、貴様も同じだろうが」
反射的に否定しかけて、すぐに気づいた。
――ああ、この男の言う通りかも知れないな。
私は何を今更、善人ぶろうとしていた?
ヴィンセントのような私利私欲ではないとはいえ、既にたくさん殺してきたじゃないか。たくさん見捨ててきたじゃないか。
だから、今までもこれからも何も変わらない。「やるしかない」なら躊躇わずやるだけだ。
私は、意地でも全てを救おうとあがいて、結果的に手遅れになって後悔し続ける「勇者」のような存在ではないのだから。
心の中で冥福の祈りを紡ぎながら、《権限》を発動した。
恐らくヴィンセントが持つ手札は既に読み切った。
後は私の全力をもって、この男の全力を叩き潰すのみだ。
過去を巡る。
王都の武器屋で売られていた剣。この屋敷の外の衛兵たちが持っていた剣。マリアンナの夫が持っていた剣。
剣が存在する記憶を想起した刹那、それら全てがこの会場内に出現する。
これが私の持つ《権限》――《乙女の誓い》の真骨頂。
「剣に愛される能力」とは要するに「剣の所有権を変更出来る」というものだ。
適合済みの聖魔剣は本来の所有者との結びつきが強いため、「私の方が剣の愛を得るに相応しい」と実力をもって分からせなければ奪えない。
だがそれ以外の全ての剣は、私の記憶に存在する限り、手もとに呼び出してコントロール出来るのだ。
あまりにも「搦め手」に寄った能力であり、強力だが弱点も多いので、出来る限りその全容はひけらかさないようにしていた。
だが、嫌でもこの場に居る者たち全てを殺さねばならなくなった以上、力を最大限発揮することを厭う理由はない。
「ごめん」
そう一言呟き、私は剣の雨を人質たちに降らせた。
偽善でしかないけれど、可能な限り苦しませないように制御しながら。
「はは、貴様の方が余程に狂っているな。その謎の力もそうだが、尊い命をこうも躊躇いなく無駄に出来るその意志! 趣味は合わんが、ますます気に入ったぞ!」
ヴィンセントが私を両断するべく疾走する。
それに対し、こちらは呼び出した多数の剣を降り注がせるが、何本か喰らいつつも彼は止まらない。
凄まじい気迫だとは思うが、既に私の勝利は決まっている。
彼の持っている剣に、ある変化を感じたからだ。
人質たちを死なせたことがトリガーになったのか分からないが、どうやらアレは私のことを好いて、認めてくれたらしい。
――「《契約奪取》」
刃が触れる寸前にそう小さく呟くと、ヴィンセントの聖魔剣は一切の切れ味を失い、私の腰に優しく触れて動きを止めた。
「なにッ……!?」
今までずっと余裕を見せていたヴィンセントが、初めて動揺する。
これこそ、《乙女の誓い》の最も強力な運用法――聖魔剣の奪取。
私は今までもこうして、使い手から剣の愛を略奪してきた。
自分のモノにしたことで理解出来たが、《吸命剣ザッハーク》の適合条件は「残酷な殺戮者であること」だった。
経緯や本心はどうあれ、今の私は確かにそんな存在だろう。
「その子、私が使ってあげる。だから安心して死んで」
命を吸うおぞましき魔剣が反転する。そして、さっきまで持ち主だった男を貫いた。
「グハァッ……!?!?」
腹に突き刺したままグリップを握った途端、全身を力の奔流が駆け巡る。
まるで、目の前の男に命を略奪された者たちの怒りが渦巻いているみたいだった。
「きみ達の怒りも連れていくよ」
そうして、私は魔剣を引き抜いて思い切り振り下ろし、略奪に生きた男を両断するのであった。




