16章1節:壊れゆく心
「亡命貴族たちが西方連合や聖団と結託し、我々に戦を挑もうとしています。諸外国どころかこの国の中でも『降伏すべき』という論調が現れていますが、ラトリアは決してそのような惰弱な道を選びません!」
王都の広場。先日、運営を再開したばかりの冒険者ギルドの前で、アステリアは演説を行っていた。
汚れ傷ついたドレスを身に纏ってもなお可憐さと力強さを損なわぬその姿に民衆は息を呑む。
とはいえ彼女のカリスマ性は、「急速に体制を崩壊させた女王」という印象を拭い去り、民衆の全てを無批判な同調者に変えるほど万能なものではなかった。
勇気を振り絞って上げられた反対の声が幾重にも重なっているし、それには加わっていないものの不愉快を隠さない者や、アステリアを怖れてか形だけの迎合をしている者が数多く見られる。
「人類」の為に立ち上がった女王の心と「人々」の心は、かくも大きくすれ違っていた。
そんな演説の様子を、外套で身を隠した男女が物陰から窺っている。
《夜明けをもたらす光》のレインヴァールとアイナである。
今や冒険者パーティというよりも聖人会の一員として人々の前に姿を現すことが多くなった彼ら。当然、ラトリア新政府との関係は穏やかなものではないが、それでも二人はアステリアの意向をその目で確かめておきたかった。
レインヴァールは知りたがっている。前世の恩人を殺して王女に戻り、戦争を起こして女王に成り上がり、独裁者となった幼馴染が何を思っているのかを。
アイナは考えている。アステリア一派には与しないが反対派の武力侵攻にも加担しない中立系貴族の娘として、ラトリアの民を守る為に何ができるのかを。
二人は結論を出そうとしている。「秩序を破壊した魔王」或いは「閉塞を打ち破らんと足掻く英雄」、両極端な印象を併せ持つアステリアが、果たして本当に倒すべき相手なのか否かを。
「王都が再び戦場となる可能性は高い。『恐ろしい』と感じるのであれば今すぐにでも避難しなさい……ですが少しでも『正義を守ろう』という意志があるなら、どうか私に力を貸して頂きたい! 武器を取って共に抗う、物資を提供する、やり方は問いません。この戦いに勝つ為にあなた方の力が必要なのです!」
アステリアが気迫の込もった呼びかけを行うも、彼女の期待通りの反応をする者は一部だけであった。
所詮、大衆が求めているものは「理想の未来」などではなく「今日の衣食住と安全」なのである。
「そういう御方なのは分かっていたけれど、やっぱりアステリア陛下は本気で勝つつもりみたいね。それこそ、国民をどれだけ犠牲にしてでも」
アイナが眉をひそめ、レインヴァールにのみ聞こえる声量で呟く。
「どうして皆そんなにも戦いたがるんだよ……戦って、それで何が生まれるっていうんだ。今を生きる人の命よりも大事なものなんてないだろ」
心根の優しさゆえに現実を受け止められない勇者は、彼にとっての現実の象徴である女王から視線を逸らした。
アイナが諭すように語りかける。
「そう思う人は多くないわ。ちょっと街を出れば亡骸が見られるほど死が溢れてる社会で命の価値を重んじるのって難しいことよ。陛下はそれを変えたいのかも知れないけれど、結局は死の氾濫に加担してしまっている」
「アイナは『リアが悪い』って考えてるのか?」
「もちろん反旗を翻した上流階級や彼らを煽った西方勢力にも罪はある……いえ。私を含め、責任ある立場なのにこうなる前に穏当な方法で社会を改善できなかった者全てに罪があるわ。ただ、陛下の急進性がこの流れを招いたことは否定できないんじゃないかしら」
政治に疎く、「大義の為の犠牲」を許容できる質でもないレインヴァールには何も言い返せなかった。
しばらく静かに演説を眺めていた二人であったが、そろそろ終わりかというところで突然、異変が起きる。
「もういい! どれだけ自分を正当化しようが貴様が魔王の再来なのは揺るぎない事実だ! ここで討ち倒す!」
聴衆の一人がそんなことを叫んで懐から短剣を取り出し、周囲の人々が喚く中、壇上のアステリアに向かって走り出したのである。
一般的な平民らしい服装をしたその男を前にしてアステリアが一瞬だけぎょっとしたのを、レインヴァールは見逃さなかった。
アステリアの目が、彼のよく知る「いじめを行った生徒たちを見る、恐怖と憎悪に満ちたセナの目」と重なったからだ。
アステリアは咄嗟に《権限》で剣を放ち、迫り来る男の喉を貫いた。
「政敵の貴族どころか平民すら何の躊躇いもなく手に掛けるとは! 『自分以外の全てに価値はない』、これがアステリアの言う『平等』の真実か!」
群衆の中の誰かが声高に訴える。それを契機に、混乱は暴動へと発展した。
アステリアに同調する者が批判的な者を殴り、殴り返される。
どちら側でもない者まで暴力の応酬に巻き込まれていく。彼らは激怒し、主義主張など関係なく無差別に暴力を振りまく。
「何とかしないと……!」
物陰から身を乗り出そうとするレインヴァール。
しかし、彼の手をアイナが掴む。
「待ちなさい! 出ていってどうするのよ!」
「とにかく止める! 僕が言えば皆やめてくれる筈だ!」
「私たちの立場を忘れたの!? 余計に混乱を招くだけよ!」
「で、でも……!」
「陛下と近衛騎士ならすぐに治められる。そう信じるしかないわ」
そして、アイナは半ば強引にレインヴァールを連れてその場を離れるのであった。
*****
私は近衛騎士を集めて機械的に鎮圧の命令を出しながらも、ひどく動揺していた。
馴染みのある広場が血に染まっていく様を壇上から見下ろす。
やってしまった。
殆ど反射的に剣を抜いていた。
あの目だ。己の愚かさを棚に上げ、理解できない者を敵視するあの目。
前世で散々見てきた。「気に入らない」と思いつつも泣き寝入りするしかなかった。
だが今の私はあの頃とは違う。そういう奴らと戦える力がある。だったら報復すべきだろう。
「もっと良い対応があった筈だ」――そんなことは誰に言われるまでもなく理性で分かっていたけれど、疲れ切った心では、前世に由来する惨めな悔しさを抑えることができなかった。
あの男が単なる英雄気取りの平民なのか、それとも潜伏していたテロリストや《財団》辺りのスパイなのかは分からない。
いずれにせよ私は「平民を殺した悪しき女王」と認識されるに違いない。
普通に考えれば先に女王の命を狙った方が悪いに決まっているが、もはや常識が通用しないほど私の評価は落ちてしまっているのだ。
これでは民衆の協力を充分には得られまい。
何もかもが嫌になりそうだけれど、嘆き悲しんでいる時間はない。
敵はすぐにやってくるだろうし、私の命だって多分、そう長くはないのだから。




