15章2節:疼く傷跡
戦争の影響で住人が大きく減少し、すっかり寂れてしまった王城を進む。
向かう先はアルケーの研究室。もともとレティシエルの私室だったものを彼女に貸し与えている。
なおレティシエルは西方大陸に渡り、「アステリア新女王から保護する」という名目で聖団領アレセイアにて匿われているようだ。
実際のところは聖人会代表として本格的に動く為に拠点を変えたに過ぎないだろう。
反対派貴族の中で「レティシエルを擁立して王国を奪還しよう」という案も出ていると聞くが、当の本人にその気がないのだから土台無理な話だ。
研究室に入ると、目の下にクマを作ったアルケーが笑顔で応対する。
「アステリアか。だいぶお疲れの様子だな」
私は辺りにあった椅子を引っ張り、横の机に片肘を突いている彼女の前に座った。
机の上に置かれている紙には《術式》の構成要素であるファンクションが大量かつ乱雑に綴られており、試行錯誤が見て取れる。
「アルケーの方こそ。研究熱心なのは有り難いけどぶっ倒れないようにね。きみは医者でもあるんだから」
「楽しくてやっている事だから問題ないさ。ストレス溜めながら政治をしている君と違ってな……それで、今日はどうした?」
「この前見てもらった傷なんだけど、なんか違和感があって」
そう言いながら、私はドレスの左袖をまくった。
「違和感、というと?」
「急に痺れが走ったり、力が入らなくなったり……」
「ふむ……触っても?」
「いいよ」
アルケーが傷を負った左前腕だけでなく手や上腕もじっくり観察し、触診する。
「見かけ上は完治しているが……ここ、痛みや痺れはあるか?」
「今は特にない……かなあ」
「じゃあここは?」
「へーき」
そういったやり取りを重ねるにつれてアルケーの表情が曇っていく。
彼女にこんな顔をさせるほど深刻な状態なのだろうか。
しばらくしてアルケーが手を離すと、普段は豪胆な彼女が気まずそうに視線をそらした。
「どうしたの? 何か分かったなら教えて欲しいんだけど」
「まだ断定はできんことだが、いいか?」
「もちろん」
「……そうだな。私は医者だ、変に気を遣うべきじゃない」
ため息をつくアルケー。
そんな様子だから、あえて深く考えないようにしていた私でも流石に不安になってくる。
そして、彼女はじっと私の目を見て告げた。
「……君は呪血病になった可能性が高い」
呪血病。格差が蔓延るこの世界において唯一、平等なもの。
老若男女、階級も種族も問わず誰もが発症する可能性を持ち、発症してしまえば最後、苦痛に満ちた死が約束される最低最悪の「平等」。
アルケーという第一人者に診断されたことにより、形なき不安は確かな恐怖へと変わった。
私が、呪血病?
ここがそういう世界だというのは分かっているつもりだった。
この病で仲間を二人も喪っているし、それ以外にもたくさんの発症者を見てきた。痛みから救ったことだって多い。
そもそも私はずっと「一度は死んだ身、いつ二度目の死を迎えてもいい」と思って生きてきた筈だ。
それなのに、どうしてこんなにも怖いのだろう。
「――リア。アステリア。大丈夫か?」
「……あ、あぁ、うん」
アルケーから声を掛けられていることに気づき、笑顔を取り繕う。
「なはは……そっかあ。ウォルフガングとの戦いで《術式》を使いまくったのが駄目だったのかな」
「そこに至るまでにもかなり消耗していただろうしな。終戦後だって殆ど休んでないんだろ?」
「まあ、ね……休んでる暇なんてないから」
アルケーの顔が険しくなる。
「もう少し自分を大事にしろ。それと、今後も《術式》や疑似特異武装は使うな」
「でも、どうせ死ぬんでしょ」
投げやりな言葉が口をついて出てきた。
アルケーが心配してくれているのは頭では分かっているけれど、気にしていられる余裕はない。
「確かに今は治療法がないが、生きていれば変わるかも知れん。いや、君と私で変えるんだろう?」
「そんな簡単なもんじゃないってのはアルケーが一番分かってるはず」
「……まったく。あいつといい君といい、どうしてそうなんだ……」
「あいつ?」
「レイジだよ。他人や世界のことばっかり考えていて自分を大事にできない男だった。今の君にそっくりだ」
「そりゃ不名誉だね」
「だったら少しでも長生きしようとしてくれ」
「分かったよ、分かった」
なんだか面倒になってきたので、私は会話を終わらせて席を立った。
そして「待て」と言うアルケーに「誰にも言わないでね」とだけ返し、研究室を出るのであった。
虚ろな心のまま廊下を歩く。
自室に辿り着く前に脱力してしまい、壁にもたれ掛かって座り込んだ。
目の前に広がる無人の中庭を眺める。
かつてここでウォルフガングやリーズと修行をしたことがあったな。
二人とも、もうこの世には居ないけれど。
ああ、私、死ぬのか。
楽園などというものがもし本当にあったとしても、血で汚れ過ぎた私は行けないんだろうな。
お母様、ネル、リーズ、ウォルフガング。先に行ってしまったみんなと再会することはできないんだろうな。
「……嫌だよ」
独り、小さく呟く。
ドレスにポタポタと涙が落ちる。
私が、前世の自分自身を含むたくさんの人を犠牲にしてきたこの私が「死にたくないから」なんて理由で涙するのか?
あり得ない。そんな筈はない。
モヤがかかった頭で必死に考えて、考えて、考えて、私は己の恐怖の正体を掴んだ。
たぶん私は死そのものを怖れているわけではない。何も成し遂げられないまま消えるのが怖いのだ。
女王になるという夢こそ叶えたものの、それは単に手段を得たというだけ。本当にやりたいことはまだ何もできていない。
世界を根本から作り変える。これを果たさねばセナとしての人生も、アステリアとしての人生も報われない。
そう思うのであれば、情けなく怯えている時間などないだろう。
より急速な改革が必要だ。
私が死ぬ前に、私が居なくてもいい世界にしなければ。
なるべく早く新ラトリア法を完成させて発布する。法を機能させるためならどんな手でも使ってやる。
アルケーには悪いが、これからは更に休めなくなるな。
泣くのは今日で最後にしよう。
私はそう決意して涙を拭い去り、立ち上がった。
その時、廊下の向こう側からライルがやってきた。
なんと間の悪い。
「情報収集おつかれ、ライル」
「ああ……どうしたリア。なんかあったのか?」
「別になんもないよ」
「嘘だな。長く付き合ってればあんたが作り笑いしてることくらいは分かる」
「反対派貴族をどう抑えようかって悩んでただけ。きみが気にすることじゃない」
「リア……」
「成果の報告は後の会議でお願いね。じゃ」
立ち尽くすライルを置いて、私は逃げるようにその場を離れた。
この身体のことは誰にも教えられない。
天神聖団や西方連合、反対派貴族といった敵対勢力については言うまでもなく、仲間であっても「あいつなら何とかしてくれる」という信頼を損ないたくないのだ。
私、リーズと全く同じことをしているな。あの子も左手が壊死する程になるまでずっと発症を隠し通してきた。
あの時は彼女に対して怒ったけれど、そんな資格、私にはなかったようだ。




