14章15節:ライングリフとの決戦
見飽きた王城の廊下を血で汚しながら一歩ずつ進む。
「これから全てを塗り変えてやる」という意志だけを頼りに。
そんな私の前に五人の近衛騎士が立ち塞がった。
二人は王都占領前から王族の護衛を務めているベテラン、あとの三人は王室復帰後に出会った私と同世代の若手。
みな見知った顔だったが、こちらは既に恩師すら殺めた身。もはや心の痛覚など麻痺している。
「アステリア殿下……お覚悟を」
私の満身創痍ぶりに罪悪感を覚えたのだろうか。騎士の一人が苦々しげに言い、鉄製のメイスを掲げて走り出した。
もうザッハークに蓄積した生命力は使い果たしているし、《術式》も使えそうにない。疲れ切ったこの身体だけで近接戦闘を行うことは不可能だ。
しかし《権限》による遠隔操作でならまだ戦える。
――アステリア、きみは充分頑張った。後は私がなんとかするから。
自らの半身にそう語りかけ、まだ動く右手に力を込めて《権限》を発動する。
高速で飛翔する剣が若手の騎士たちの心臓を貫通した。
残りの二人はそれを回避するも、肉薄してきたところで私は《魔王剣アンラマンユ》の威圧能力を使用。彼らを叩き伏せ、串刺しにした。
五人の死体には目もくれず、最後の敵が居ることを信じてひたすらに玉座の間を目指す。
なんとか辿り着いて荘厳な扉を開けると、果たしてそこには奴が玉座に腰掛けていた。
「来たか、アステリア」
国王が実権を失った現ラトリアの実質的な統治者にして私の兄、ライングリフ。
こいつを殺せば戦争は終わる。
「私は諦めの悪い性分でな。足掻かせてもらう」
多少、戦闘の心得があると言ってもライングリフは武人ではない。私がこんな状態であっても楽に勝てる筈だし、彼の方もそう認識しているかのような物言いだけれど、声色は妙に落ち着き払っていた。
色々と言いたいこと、聞きたいことはある。
だが今の私には問答をする体力すらも残されていない。一刻も早く始末せねば。
「《霊剣》」
玉座からおもむろに立ち上がったライングリフが詠唱し、緑色に輝くマナの剣を生み出す。
こちらの出方を観察しながらゆっくりと近づいてくる。
私は聖魔剣を操作し、迎え撃とうとした。
しかし、剣が言うことを聞かない。
気付いた時には奴が目の前に居た。
私は途切れゆく意識を覚醒させるため、血が滲むほどに自らの唇を噛んだ。
そして《権限》を再使用。《静謐剣セレネ》を召喚し、振るわれた剣をかき消す。
ライングリフはバックステップで一旦距離を取って剣を作り直し、今度は私の背後に回ろうと疾走してくる。
それを牽制すべくアンラマンユを進路上に突き刺し、重圧を発生させる。
意志の力で耐えたライングリフではあったが、動きが僅かに鈍った。
その刹那に私はありったけの力を振り絞り、杖のようにしていた《虚数剣ツルギ》を振り抜いた。
白刃が煌めき、奴の片足がちぎれ飛ぶ。
同時、支えを失った私も片膝をつく。
立つこともできなくなったライングリフはうつ伏せから一転し、不敵な笑みで天井を眺めた。
「やはり私では勝てんな……あの《剣神》を打ち破ったのだ、当然と言えば当然か」
あの有り様でよく余裕ぶっていられるものだ。
いったい何がこの男の精神を支えているのか。
もしや、まだ切り札があるとでもいうのか?
――と、そんなことを考え始めた時、玉座の手前に緑髪のニヤついた男が現れた。
ライングリフ派の外部協力者にして《ヴィント財団》の長、エルグレン公クロード。
この期に及んで何をしに現れた?
「……やれ! 私ごとアステリアを殺せ!」
ライングリフが叫び、クロードは頷いた。
クソったれ、最悪でも相打ちに持っていけるよう取り計らっていたということか!
そうまでして私を殺したいのか。それほどに私がこの国を支配するのが嫌なのか。
私は咄嗟に《権限》でクロードを射抜こうとしたが、妙なことが起こった。
剣が奴の目の前で止まってしまったのである。
「不可視の壁に阻まれている」という感覚ではない。遠隔操作そのものが上手くいっていないようだ。
そうこうしているうちに予想外の結果が訪れた。
城外でけたたましい爆発音が鳴り響く。少し離れた中心街の方だろうか。
一方、ここでは何も起こらなかった。
私もライングリフも生きている。呆気にとられている。
この場で唯一、状況を理解しているのであろうクロードが楽しげに言った。
「うーん、思ったより威力が出ませんでしたかね? まあ起動したのであれば試験運用としては充分でしょう」
ライングリフの顔が憎悪に歪む。
「貴様……」
「いやあ、すみませんねぇライングリフ殿下。だって『共倒れ』なんて結末、誰も得しないじゃないですか」
クロードは私を見下ろして続ける。
「おめでとうございます、アステリア殿下。厳しい戦いの数々をよくぞ勝ち抜きました。それでは、ボクはこの辺りで失礼いたします」
そして彼の姿は消え去った。
何がどうなっているのか分からないが、少なくともライングリフが裏切られたことは明白だった。
取り残された彼は自嘲気味な笑みを浮かべた。
「やれやれ……こんな結末か。たとえ私が死んでも、お前さえ仕留められれば貴族たちが我が意志を継承してくれると思っていたのだが」
私の方もふっと脱力して、床にへたり込む。
「なんでそこまで……」
「この国を愛している。それ以外に理由が必要か?」
私の問いに、ライングリフは何の臆面もなく答えた。
こいつもルアと同じか。愛するものの為ならば愛せないものを犠牲にしていいと思っている。
二人は単に政略結婚をしたのではなく、心の底から意気投合した面もあるのかも知れない。
「……悔しい?」
「いいや。私はできる限りのことをやってきた。それでも届かず、あのような外様に頼ることになったのだから、所詮そこまでの存在だったということだ」
面白くない。もっと悔しがってくれよ。
ライングリフの呼吸が途切れ途切れになっていく。
放っておいても失血死するだろうが、私が前に進むために、この手で仕留めたかった。
ツルギを取って再び立ち上がると、ライングリフが突き刺すような眼差しを向けてくる。
「貴族はともかく、父上や平民はお前を歓迎するだろう。だが甘えるなよ。女王になるのであれば人生の全てを捧げて責任を果たせ。この世のことなど何とも思っていない者達に主導権を明け渡すな」
彼の口から出てきたのは命乞いでも恨み言でもなく、未来を託すような発言だった。
打つ手がある限りは足掻き続け、何もなくなればあっさりと気持ちを切り替える。ウンザリするほど潔い男だ。
最期の言葉というのはその人物の本質が出るもの。彼はやり方が汚くとも、どこまでも真摯に「古き良きラトリア」を愛し、いま語ったように人生の全てを捧げて守ろうとしたのだろう。
「アステリア! お前の築く社会がどのようなものになるのか……私の思い描いた社会よりも良いものになるのか、地上から見届けさせてもらうぞ……!」
絞り出すように語るライングリフ。
それを聞き終えた私は祈ることもせず、ただ静かに刃を下ろして兄の胸を貫くのであった。
こうして戦争は終結した。
ずっと前から抱いていた夢が叶う時がようやく来たのだ。
動かなくなったライングリフを見てそのことを実感し、緊張の糸が切れる。
直後、視界が真っ暗になり崩れ落ちた。




