14章14節:アステリア(わたし)とリア(わたし)
「あなたは本当に『あなた』なのか」。
それは、この世界に生きる殆ど全ての人間にとっては意味不明であろう問い。
けれども私には確かに心当たりがあった。
すなわち、転生。同じ境遇であるユウキとレイジ以外にはひた隠しにしてきた秘密だ。
まさかウォルフガングはこれに気付いたとでも言うのか?
戦場に静寂が訪れる。
私は逡巡した末、真実を打ち明けることにした。
いつもなら誤魔化していたところだ。だがこの最終局面において、ことウォルフガング相手に不誠実な態度を取ることはできなかった。
「……ねえ。『生まれ変わり』とか言ったら信じる?」
「そう来たか……」
何かを察したのだろうか、ウォルフガングの口調が馴染みのあるラフなものに変わった。
それを喜ぶべきか悲しむべきかは分からない。
「私の中には『生まれる前の私』が居るんだ。こことは全く違う世界で全く違う人生を歩んでいた私が……なんて、嘘くさいよね」
「……あり得ない話ではないな。天神信仰にはない考え方だが、死後の世界があるなら生前の世界があってもおかしくはない」
「こんな話はどうせ誰も信じない」という前々からの懸念に反し、ウォルフガングはあっさりと真実を受け入れた。
天神信仰に理由があるというよりは、それほど私に対して違和感を抱いていたということなのだろう。
「なはは……私、そんなに変だったかな」
「王都占領の日を境に変わったとは思っていた」
「無理やり成り代わったとかじゃなくて、ちゃんと『アステリア』の想いに共鳴して、合意を得た上で融合してるんだけどね」
「なるほど。実際、さっきまで確信は得られなかったよ。王都占領や以降の過酷な日々がお前をそうさせたという可能性を拭えなかった。たぶんリーズやライルも同じで、だから触れなかったんだろう」
「……私のどこがおかしかった?」
そう聞くと、ウォルフガングは視線を空に向けて懐かしむように語り出した。
「喋り方。あの子は丁寧で穏やかな口調だった」
「そうだね。私が『クソ野郎』って言ったときに顔をしかめてたのはそういうワケか」
「戦い方。その《権限》は強力だが剣士としての在り方を否定するものだ。それにも関わらず、お前はごく短期間で適応した」
「まともに戦ってたら生き残れなかったから」
「時々、他者どころか自らの人生すら他人事として俯瞰しているかのような視座が見えることがあった」
「……」
何も返せない。
それは私にとって最もクリティカルな指摘であった。
他人事だから自らを「可愛い」と言える。
他人事だから「自分は幸せにならなくてもいい」と思える。
他人事だから皆が生きるこの世界を勝手な激情でメチャクチャにできる。
他人事だから嫌いでもない、見下してもいない誰かを犠牲にするような戦術が選べる。
私は、違う。本質的には誰とも分かり合えない。
別にそれで構わないと思っていたし、そういう覚悟で転生をしたんだ。
なのに何故、言葉にされるとこんなにも寂しいのだろう?
目を合わせるのが辛くなって俯いていると、ウォルフガングが優しげな調子で「前を向け」と言った。
「ああ、別に憎む気持ちはないんだ」
「……でも、ウォルフガング達からしたら私は大切な人を修羅の道に招いた存在でしょ?」
「お前が違う世界とやらでどういう生涯を歩んできたかは分からんが、苦しんでいる人々の為に怒れる繊細な心根の持ち主なのだろう。当時の殿下も思うところがあってそんなお前を受け入れ、『リア』となった。それが分かれば充分だ」
ウォルフガングは再び剣を構え、「ただ……」と続けた。
戦闘態勢。だが彼の表情は先程までの「峻厳な騎士団長」ではなく、厳しくも優しく剣術指導を行ってくれた「剣士アステリアの師」のそれであった。
「もう少し、あの子の才能を信じてやったらどうだ?」
「剣術の……」
「そうだ。あの子は《剣神》などと大仰な名で呼ばれている俺なんぞよりもずっと天才だよ」
つまりは「真っ向勝負を挑んでみろ」って?
冗談じゃない、そんなやり方じゃウォルフガングどころかこれまで戦ってきたどの強敵にも勝てやしない――と考えたとき、胸の奥が痛んだ気がした。
私はいかに《権限》を操り、聖魔剣の異能を組み合わせ、仲間を利用して敵の弱点を突くか、そればかりを計算してきた。
アステリアは今でも母を守れなかったあの日の無力感に苛まれているから。
でも、それではあまりに彼女が報われない。
必死に努力してきたあの子を信じ、頼ってやれるのは私だけではないのか?
「……分かった」
私はそう言って《権限》による遠隔操作を解除し、《魔王剣アンラマンユ》を右手に、《神炎剣アグニ》を左手に呼び戻した。
遠隔操作は負担が大きいため、手持ちの剣を振るうことに集中できればそのぶん近接戦闘の精度は上がる。
そうは言っても私の強みである中距離戦を捨てるというのは愚行そのものだ。
「本当にこれでいいのか」と理性的な自分が主張する。
だけど、ここはもう理屈じゃないんだ。
「剣の王女アステリア」を敬愛したウォルフガングの想いに応えてみせよう。
「それでいい。では行くぞッ!」
再びウォルフガングの踏み込み。
速い。でも視える。
彼が手を抜いたのではない。私自身の処理速度が高まっている。
ウォルフガングの斬撃。今度は剣で受け止めず、退きもせず、前に跳んで躱す。
ウォルフガングが後退すると読んだ私は反転すると同時に《加速》を詠唱、予想通り斜め上に跳んだ彼を追い詰める――が、彼は空中で王城の塔を蹴って横にダッシュした。
私も再度、《加速》を使って方向転換する。
王都占領の時にも行った二段加速。あの時はマナ欠乏ですぐに動けなくなってしまったが、私だって成長しているのだ。
今度は私が追う側で王城上空を跳び回る。
無我夢中で斬っては避けられ、斬られては避ける。
互いに超高速移動を行いながらの接近戦。今は全ての攻防が不思議なほど正確に視えている。
私は死闘を繰り広げながらも師との訓練の日々を想起していた。
――あの人に追いつきたい。何も持たない、形だけの王女に過ぎなかった私に「剣」という存在理由をくれたあの人に。アステリアの物語はきっと、そこから始まったのだ。
ウォルフガングが屋根の上に着地する。
私は加速して追い抜き、背後からアグニを振るう。しかし、彼もすぐに反転してこちらよりも素早く刀を振り下ろしてきた。
ここで回避に走るようなら私の剣は永遠に彼に届かない――そう考えた私は、ほんの刹那でも時間を稼ぐためにあえてアグニをそのまま衝突させた。
纏った炎がかき消され、ずっと昔から愛用していた剣が無情にも砕け散る。
それだけではない。聖魔剣一本を犠牲にしてもなお《剣神》の斬撃の勢いを殺し切れず、左腕に白刃が触れて血まみれになる。
だが、死んでいった者達の苦しみを思えばこの程度は何ともない。
私はまだ動く右腕に目一杯の力を込めて、叫んだ。
「ウォルフガングーーーー!!」
ただ無心で魔王の剣を突き出し、そして。
師の胸を深々と貫いた。
ウォルフガングが崩れ落ちる。
私はしばし呆然とした後、自分が何をしたのかを理解し、彼の顔がよく見えなくなった。
「なんで……なんで力を使わなかったんだよ……」
そう、先程までは剣士として師を越える一心で戦っており考慮していなかったが、本来は物理的攻撃の全てを跳ね除ける彼に刃が刺さることなど有り得なかった筈だ。
困惑する私に対し、ウォルフガングは穏やかに打ち明けた。
「実はな、先の会話の最中に《権限》を喪ったんだよ」
「え……?」
「あれの代償は『忠誠を尽くすこと』。だが、俺は忠誠心を忘れてしまっていた。お前の師として……いや、ひとりの剣士として戦っていた」
「そんな……」
なんだよそれ。結局、全力のあなたを越えられなかったということじゃないか。
脱力し、座り込む。
そんな私の頭をウォルフガングは力なく撫でる。
前世でもこの世界でもまともな父親のもとに生まれなかったからか、そこに父性という得難いものを感じて余計に涙が溢れてきた。
「老いぼれのお節介だ。ちゃんと食べろよ。ちゃんと休めよ。ちゃんと仲間を頼れよ」
そう言って、彼は息をしなくなった。
ああ、戦いが始まる前に言おうとして止めたのは、そういうことだったんだ。
ウォルフガングは敵となっても、疑念を抱いても、ずっと私を案じてくれていたんだ。
酷いよ。私の違和感に気づくほど勘の良いあなたなら、優しさこそが私を最も苦しめることくらい分かってる癖に。
心が折れそうになって呆けていると、ぽつぽつと雨が降ってきた。
涙を洗い流してくれるそれは、今の私には有り難い。
「……《契約奪取》」
小さく呟き、ウォルフガングの刀の所有権を獲得する。
その名は《虚数剣ツルギ》。
宿りし能力は「刃に触れた秘蹟を斬り裂く」。「秘蹟」が何を指すのかはよく分からないが、先の戦いから考えるに《権限》や特異武装の異能のことだろう。
なお、本来の適合条件は「最強の剣士であること」だ。真の意味でこれを満たせる時は、もう来ない。
ツルギを支えにして立ち上がる。
屋上から降りようとして足を滑らせ、転げ落ちる。
痛い。もう嫌だ。このまま意識を失ってしまいたい。
いや、寝ている暇はないぞ。この戦いはまだ終わっていないんだから。
傷だらけでマナも欠乏している自らの身体を気合で叩き起こし、引き摺り、私は王城へと入っていった。




