14章13節:ウォルフガングの疑念
私は右手に《吸命剣ザッハーク》を召喚し、蓄積した生命力の全てを取り込んだ。
辺境伯領から出陣して以来、この剣の異能をずっと温存していたのは正解だったな。
ただ、これでも身体能力に関しては良くて五分だろう。
ずっと傍で見てきたからよく知っている。ウォルフガングという男がいかに人間族の限界を超越しているのかを。
次の一手を考える前にウォルフガングが大通りを走り、二の太刀を繰り出してくる。
それを後ろに跳んで躱し、王城の屋根に着地した。
一瞬だけ「案外容易く対応できた」と思ったが、すぐに今のは上方への誘導に過ぎないと気付いた。
ウォルフガングも人間離れした跳躍力でもって上がってくる。
「ライングリフ殿下にも困ったものです。民衆が残っていては戦い辛いというのはこちらとて同じなのに」
彼は脱力したように苦笑いを見せて語った。
「やっぱりあのクソ野郎のせいか。私だって一般市民を巻き込みたくはない、やり合うんならここが良いね」
「……ええ」
肯定しつつも僅かに眉をひそめるウォルフガング。
彼にとってのライングリフは、悪辣ではあってもラトリアを守り抜こうとしている敬愛すべき主だ。「クソ野郎」呼ばわりが気に食わなかったのだろう。
「それでは改めて、参ります」
彼がそう宣言した時にはもう、眼前に居た。
殺気も予備動作も何もない、神速の踏み込み。
ギリギリのところで《竜鱗剣バルムンク》の召喚が間に合い、煌めく白刃を受け止める。
同時に私は《加速》を詠唱し、一気に後退した。
今のはウォルフガングが本気で人を殺す時の動きだ。
冒険者となり暗殺の依頼を受けるようになってから、彼に「真っ当な剣術」を超えた「殺しの技」の教えを乞うたことがある。
稽古の最初の日、彼はあまり気が進んでない様子でこう語った。
「標的に『殺される』と感じさせるな」と。
それを実践している今の《剣神》には妥協も躊躇いもない。
他のみんなが生きているのは単に「死なせずに済むほど歴然たる実力差があった」というだけの話なのだろう。
彼自身も言ったように、殺すつもりでやらねば殺されるのは間違いない。
さて。ウォルフガングの持っている刀のような聖魔剣の異能は分からないが、ひとまず剣術と物理的攻撃を無効化する《権限》――《忠誠の誓い》をどうにかする必要がある。
前者についてはとにかく中距離戦を意識する。まともな斬り合いを制して師を越えたい想いはあれど、今の私は彼の弟子である以上に一つの勢力の長だ。私情を挟んでなどいられない。
後者については《迅雷剣バアル》の電撃や《神炎剣アグニ》の火炎、《魔王剣アンラマンユ》の重圧でダメージを与える。もしかすると《徹閃剣カラドボルグ》で概念的防御そのものを貫くこともできるかも知れない。
私はバアル、アグニ、アンラマンユを上空に飛ばした。カラドボルグは召喚しないでおき、その他の剣は自らの周囲を回転させて盾にする。
ウォルフガングが再び迫る。ザッハークによって強化された身体をもってしても逃げ切れず、《術式》も交えて距離を取る。
「《加速》、《加速》、《加速》、《加速》、《加速》……!!」
詠唱に次ぐ詠唱で夜空を駆けつつ、三本の聖魔剣にそれぞれの異能を纏わせて放つ。
だが、ウォルフガングはその全てを軽やかに躱していく。
無理がある戦い方なのは明らかだった。こちらは体力もマナも残り少ない状況で《術式》に頼ってようやく相手の速度に対応できている。
早く決着を付けねば、先に力尽きるのは確実に私の方だ。
こうなったら剣の異能を最大限引き出すしかない。この辺りはまだ王城周辺、犠牲が出るとしても元々の狙いであるライングリフを含む王族やその関係者だけだ。
三つの剣にウォルフガングを追わせるのを止め、滞空させる。
バアルが嵐のように雷を落とし、アグニが炎を降り注がせ、アンラマンユが押し潰す。
美しい王城が見る見るうちに焼け焦げていく。
王女として復帰してから知り合った同年代の侍女が迂闊にも城外に出ており、焼死したのが視界に入った。
「気に留めるな! 謝罪なんて私が死んでからすればいい!」――そう自らに言い聞かせ、猛攻を続ける。
そこまでしても、ウォルフガングには届かなかった。
彼は避け切れなかった雷撃や炎弾に刃を当て、かき消している。
それだけでなくアンラマンユの重圧も無効化しているようだ。
まさか、あの刀の能力は「聖魔剣の能力の消去」? だとしたら最悪だ。私が持つ最大のアドバンテージを無価値なものにしてしまうのだから。
いや、まだだ。まだ手はある。
私は三本の剣を用いた攻撃により、ウォルフガングの「消去の一閃」を引き出した。
その隙にカラドボルグを手もとに呼び出し、全てを貫く刺突を放つ。
「ローラシエル殿下の剣、やはりあなたのもとに……ですが!」
殺気が読まれてしまったのだろうか。ウォルフガングは斜め前にダッシュする形でそれすらも回避してみせた。
まずい、これでは逆に私の側が刺突を行った隙を狙われる!
浮遊しているバルムンクを取って縦に構え、既に接近していたウォルフガングの横薙ぎを弾く。
咄嗟の防御だったというのもあり、その重すぎる一撃に剣は耐えられても私自身が耐え切れず、ついバルムンクを手放してしまう。
続けざまにウォルフガングが剣撃を繰り出す。
今度は《変幻剣ベルグフォルク》によって防ぐ。
その時、私は目を疑うような光景を目の当たりにした。
ベルグフォルクが、ウォルフガングの刀と接触した部分から折れたのだ。
破片で頬に傷を負いながらも、あの剣が作ってくれた僅かな時間を利用して《加速》で後ろに下がる。
致命傷は避けられたものの、私の心は焦りに満ちていた。
「聖魔剣を破壊するなんて……まさかその剣……」
思わず出てしまった呟き。
ウォルフガングは一旦追撃をやめて立ち止まった。
「いえ、これが持っている力ではありません。ただ脆くなっている部分を叩いただけのこと」
「幾らウォルフガングでも、そんなの……」
「聖魔剣であっても朽ちていくもの。とはいえ通常の剣の強度では到底及びませんから、その意味では聖魔剣の恩恵と言えるでしょう」
無茶苦茶すぎて笑いが出そうになる。聖魔剣を手にした《剣神》が敵に回るというのはこれほどまでに絶望的なのか。
何も有効な策が浮かばず、ただ立ち尽くす。
私の思考が停滞していることにウォルフガングは気付いているだろう。しかし彼が攻撃を再開することはなく、代わりに口を開いた。
私がライングリフのことを「クソ野郎」と言った時に見せたのと同じ表情で。
「ずっと不確かながら疑問に感じていたことがあります。今こうして死闘を行って、それがようやく確信に至りました」
「え……?」
「心当たりがなければ忘れて下さって構いません。アステリア殿下……あなたは本当に『あなた』なのですか?」




