14章11節:老いてなお最強
「すまん……これ以上は持ちそうにない」
ルアを気絶させた私のもとにアルケーが歩いてくる。
結界の維持や、自身と友軍の防護で大量のマナを消費したのだろう。顔色が悪く、今にも倒れてしまいそうだ。
彼女は《術式》を発明した偉人ではあっても肉体的にはただの人間族である。それにも関わらず相当な無理をしてくれた。
「ありがとね。もう野営地に戻っていいよ」
「そこの女公は?」
「何人か兵を付けるから連れ帰って。時間を止めて逃げられないようキツく拘束しておいてね」
「分かった。私にここまでさせたんだ、どうか勝ってくれよ」
苦しげな笑顔を見せるアルケーに頷きかけ、私は正門に向かった。
フレイナの砲撃が止み、ルアも確保したことで、急転直下で我が軍は優勢となった。
正門から現れた近接防衛部隊は私が蹴散らし、射撃部隊を術士たちが落としていく。
それほど経たないうちに敵軍は戦線の維持が困難と判断し、撤退していくのであった。
展開だけを考えれば計画通りの勝利と言える。しかし失ったものは想定以上に多い。
部隊は半壊。術士にいたっては3割が死亡、6割が負傷やマナ欠乏で戦闘続行不可能ときた。
ライル側の状況にもよるが、王都内部の実効支配はほぼ不可能と思うべきだろう。
となると私の勝ち筋は「ライングリフを速やかに討ち、バルタザールを手中に収めて私こそが後継者だと認めさせる」、これしかない。
ライングリフは恐らく、司令官として王城でどっしりと構えている。愛国心と気概で民衆を惹きつけることで国王を差し置いて実権を握ってきた以上、かつての王家のように自分たちだけで逃げることはできない筈。
いよいよ最後の戦いだ。
内部がどういった布陣になっているのか。ウォルフガングやクロードはどう動くのか。聖人会は再び介入してくるのか。
不確定要素は多いけれど、臆せず突き進む以外にできることは何もない。
*****
王城周辺の屋根の上を跳び回り、フレイナを追うゲオルクとリル。
フレイナは既に鉛弾を撃ち尽くしており、時折振り返って後ろに炎弾を放っているが、身軽な二人には命中する気配がない。
盾役の正規軍人や近衛騎士が一方的に数を減らされていく。
「もうっ! しつこいですわね!」
そんな状況に業を煮やしたフレイナは、一旦立ち止まって近くに居る者たちに指示を出した。
「あなた達は竜人の方へ! 残りはここで護衛を!」
十人ほどの騎士が《術式》により疾走し、ゲオルクに集まる。
また、同数の兵がフレイナを全方位から囲むような陣形を取る。
彼女はそのままゲオルクを狙い、炎弾を連射した。
銃口から射出されたそれらは味方を透過し、ゲオルクに命中するかのように思われた。
だが彼は屋根を拳で破壊し、民家の中に落ちることで回避する。
そこに住んでいた夫婦は、怯えながらも子どもを隠すように部屋の隅に逃げ、ゲオルクに護身用の短剣を向けた。
「おっと、悪いな。修繕費なら後で『女王サマ』に請求してくれよ?」
ライングリフが民間人を避難させなかったことに内心驚きつつも、そんなことを冗談めかして言うゲオルク。
民家を出て見上げると、リルがフレイナの前に現れ、挑発的な笑みを浮かべていた。
フレイナが炎弾を撃つも、それは《幻影》によって生み出された虚像に過ぎなかった。
ゲオルクはリルが作った隙を活かして地上から接近。大きく跳んで兵士の一人を下から両断した後、フレイナをめがけてアスカロンを振り下ろした。
フレイナが冷や汗をかく。彼女を守っている兵士にゲオルクの一撃を止められるほどの力はない。
しかし大剣がフレイナの頭を割ることはなく、代わりに金属同士が衝突する甲高い声が鳴った。
空中で弾かれたゲオルクは大通りに着地する。
彼の前に現れたのは――
「ついにお出ましか、《剣神》」
老いてなお最強の剣士、ウォルフガング。
その右手に握られている銀の片刃剣は、一見するとアスカロンよりも遥かに細く頼りないが、ゲオルクすらも心の奥底で怖れを抱くほどの威圧感を放っている。
フレイナはこの上なく信頼できる助っ人の登場に感激し、頭を下げた。
「感謝いたします、ウォルフガング! 帝都侵攻の時から世話になりっぱなしで申し訳ありませんわね」
「気にするな……お前たちはフレイナを塔の上に送ったら、城壁を越えてきた敵の迎撃に当たってくれ。護衛は私ひとりでやる」
ウォルフガングは近衛騎士と兵士の方を見回し、命令した。
それに従い、彼らは散り散りになっていく。
「……では行くぞ、《竜の目》のゲオルク」
ウォルフガングが踏み出したその時、気配遮断状態のリルが背後から短剣を突き刺そうとした。
彼女の姿が見えているはずのゲオルクすら気づかなかったほどの隠密性である。
だが、ウォルフガングは振り向くこともせず左手でリルの腕を掴んで目の前に引きずり出した。
短剣が彼女の手から落ちる。
リルは死の恐怖を前にして震えながらも必死に笑みを作った。
「アステリア様と妹の恩人であるあんたと、こんな形で会いたくなかったニャ」
「『妹』、その顔と立ち回り……なるほど、そういうことか。できることならゆっくり話したかったよ」
「察しが良くて助かるニャン……ってことで命だけは助けてくれないかニャ?」
「ハナから殺す気はないさ」
ウォルフガングはそう言って、リルの腹部に打撃を入れた。
意識を失った彼女を物陰に優しく下ろすと、次はゲオルクに視線を向ける。
彼の全身に緊張が走る。「なぜ殺さなかったのか」などと聞く余裕もない。
そして《剣神》は駆ける。
ゲオルクが初太刀をアスカロンで受け止める。
思いのほか軽い一撃。好機と思い、逆に押し切ろうとしたが、ウォルフガングはあっさりと後退する。
その後も幾度となく交差し、ゲオルクはやはりウォルフガングの剣が重さ、速さ共に「自分よりも劣っている」と感じた。
「《剣神》がこの程度である筈がない」と不可解に思う。
事前にアステリアから聞いていたウォルフガングの《権限》について考えると、その違和感は更に膨れ上がった。
《忠誠の誓い》の効果は「物理的な攻撃の遮断」。回避を捨てて全力で攻めに行くことで価値を発揮する能力なのに、彼は消極的な戦い方を続けている。
「手を抜いてるのか? いや、この男に限ってそんなわけ……」
ゲオルクは決断した。「ウォルフガングが回避に専念しているのであれば、いっそのこと無視してしまおう」と。
彼の任務はフレイナの妨害であって、ウォルフガングを引きつけることではない。
牽制のためにアスカロンを大きく振ってウォルフガングを退かせると、彼は塔の上に戻ったフレイナを見据えた。
――それこそがウォルフガングの狙いであった。
彼は「ほんの一瞬、意識をフレイナに割いた」というだけの隙を突き、ゲオルクに肉薄する。
「なにッ!?」
加速系や転移系の《術式》でも使ったのではないかと錯覚させるほどの速さであった。実際には人間離れした鍛錬の成果だが。
ゲオルクは困惑しつつもすぐに気持ちを切り替え、横薙ぎの一閃を繰り出した。
しかし、先程までとは次元が違う重さの剣撃によりアスカロンは弾かれ、宙を舞う。
同時、ウォルフガングは片足を上げ、ゲオルクを蹴り飛ばすのであった。
何度か石畳を跳ね、転がっていく。
内臓を損傷したゲオルクは夜空を見上げながら、《剣神》という名の意味を実感した。
「相手の強さに応じて持ち主を強化する」というアスカロンの異能を知っていたウォルフガングは、あえて手を抜いたあと一気に力を解放することで強化速度を上回ったのだ。
当然、そのようなことは圧倒的な力とそれを巧みに制御する技術の双方がなければ成し得ない。
血を吐き、意識を失ったゲオルク。
少しの静寂の後、ライルと数十人の兵士がそこに駆けつけた。
ゲオルクとリルがフレイナを妨害している間に門を突破したのである。
二人を送り届けたルルティエが東門の戦線に戻り、支配下にあるドラゴンを犠牲にして強襲を仕掛けたことが功を奏したようだ。
なお、今ここに居ない兵はライル達を送り出すために敵を抑えている。
「リル! ゲオルク!」
ライルが呼びかけるが、返事はない。
彼は二人を負かした恩師と対峙し、悲しげな目をした。
「ウォルフガング先生! もうやめてくれよ……あんたみたいなまともな人がなんでライングリフなんかに仕えてるんだよ!」
「ライル……これが俺の生き方なんだ」
ウォルフガングが剣を突きつけた。
「戦わなきゃ駄目なのかよ……」
「戦場に立ったからにはそんな泣き言は許されん! 敵よりも主や仲間を想え! リアの決意を共に背負ってみせろ! いいな!?」
叱咤されたライルは、ゆっくりと《迅雷剣バアル》を構えるのであった。
「今はお前がそれを使っているのか」――という言葉をウォルフガングは飲み込んだ。
ライルの繊細な心が過去に押し潰されてしまうと、そう思ったから。




