14章10節:ずっとあなたが嫌いだった
私に名を呼ばれたルアは、こちらを鋭く睨みつけた。
「《水流》っ!」
城壁の上から動かないまま、挨拶代わりの詠唱を行う。
何の迷いもなくこちらを殺しにくる様はいかにも理性的なあの子らしい。
その方が私としてもやりやすいけれど。
足元が揺らぎ、水柱が現れようとする。
対し、私は一歩踏み出して《加速》を使用する。
次の瞬間、何の前触れもなく進行方向に再び水柱が発生し、私の身体を上方に吹き飛ばした。
ルアは時間を止めて二度目の詠唱を行ったのだ。
勿論、彼女がこういうことをしてくるのは読んでいた。
後方の術士たちに多重防御強化を掛けてもらっているから、想定外の威力の攻撃が飛んでこない限りは耐えられる。
私は吹き飛ばされた勢いを利用して空中を跳びつつ《強健》で身体能力を強化。鋸壁を片手で掴んで全身を引き上げ、そのまま乗り込んだ。
《魔王剣アンラマンユ》を召喚すると、付近の兵士たちは膝をついて重圧に喘ぎ始めた。
ルアも立ってこそいるが苦しそうだ。
「会いたくなかったです、リアさん」
「同じ気持ちだよ、ルアちゃん」
「私の《権限》……《熟考の誓い》の代償は『不殺』。ですが今回ばかりはこの力を失う覚悟で行かせて頂きます!」
「私を殺せるって? やってみなよ!」
そう挑発しながら斬りかかる。しかし、気づけば彼女の姿は消えていた。
代わりに残されていたのは、時間停止中にルアが連れてきたと思しき兵士たちの放った魔弾と矢。
反射的に物理防御の《竜鱗剣バルムンク》と術破壊の《静謐剣セレネ》を召喚し、アンラマンユの威圧効果と併せてダメージを最小限に抑える。
城壁の下を見ると、ルアはゆっくりと空中を舞っていた。どうやら飛び降りたあと《停滞》で自らを減速させたようだ。
アンラマンユの支配を抜けられてしまったが、元よりこれだけで勝てるとは思っていない。
事前の指示通り術士たちは戦場で散開してくれている。今こそ用意してきた策を使う時だ。
私もルアを追うように飛び降りると同時に、彼女の背後に居るアルケーに視線だけで合図を送る。
直後、私とルアだけを囲むようにアルケーたちが防壁を展開した。
「くっ……!?」
ルアが狼狽える。そんな状態であっても水弾を飛ばしてしっかり私の追撃を防いできたが、追い詰めたことに変わりはない。
青白く光る巨大な結界の中、私たちは対峙した。
「これで二人っきりだね」
「なるほど……隔離してしまえば《熟考の誓い》で増援を呼んで包囲することはできず、回避の範囲も制限できると」
「そういうこと!」
「ですが、フレイナと兵士たちがそちらの術士を一掃してくれれば封鎖は破れる」
結界の外にはフレイナの炎や兵の射撃が大量に降り注いでいる。
このうち前者については、じきに動き出すであろうライルたちが引き付けてくれる手筈となっている。
とはいえ後者だけでも決して油断はできない。
この封鎖が崩壊する前にルアを仕留める!
私は「《加速》!」と詠唱し、突進する――フリをした。
「させませんっ!」
ルアが時間停止を行い、無詠唱で私の目の前に水柱を生じさせる。
しかし、今のはブラフである。実際には後退して聖魔剣を放っている。
ライルお得意の欺瞞詠唱、「詠唱をしながらも実際には《術式》を発動させないテクニック」に興味を持ち、自分でも訓練したことがある。それを実戦で試してみたというわけだ。
そしてルアは自らの水柱によってこちらの動きが見えていない。
これは貰ったか――などと思ったのも束の間。
私は背後に瞬間移動していたルアに水塊で撃たれた。
吹き飛ばされた先で結界を透過してきたフレイナの炎にも当たり、地面に叩きつけられる。
今ので防御強化の効果がかなり減衰してしまった。まともに食らえるのはあと一、ニ発といったところか。
アルケーたちも自分の身を守らねばならないから、安易に再エンチャントを命じることはできない。ここは心理戦を制して自力で避け切るしかない。
剣を支えにして立ち上がる。
「あなたならそういう手を打ってくると思っていました」
「インチキ能力持ってて読み合いまでできるとか……」
「リアさんの方こそ。この上なく嫌な敵です」
「そりゃどーも!」
一旦、思考リソースの全てをルアに割り振る。
仲間だとか作戦だとか、他事を考えていて勝てる相手じゃない。
右手に刃のサイズを変えられる《変幻剣ベルグフォルク》、左手に空間貫通の《徹閃剣カラドボルグ》を呼び出す。
どれだけ距離を詰めても一瞬で逃げられるか後ろを取られるため、非近接戦闘を意識した構成の方が良いだろう。
アグニやアンラマンユといった攻撃範囲が広い剣の遠隔操作で行動を制限しつつ刺突を放つ。
同時にルアの視線や動きから次の一手を読み、時間停止を利用した急襲を辛うじて躱していく。
そんなことをしているうちに状況が変わった。
ライルたちが本格的に動き出したようで、フレイナの火炎が止んだのだ。
「フレイナ!? まさか別働隊を……」
「あの子に延々と撃たれてたら城門を突破する前にこっちが疲弊しちゃうからね」
これで結界を収縮することにより一網打尽にされるリスクは減る。
戦域が狭まれば狭まるほどルアは不利になる。
「追い込んでっ!」
命令を叫ぶと、術士たちがゆっくりと前進し始める。それに伴い、彼らの両手から発生している光の壁もこちらに迫ってくる。
彼らは敵兵に狙われて次々と倒れていくが、すぐに別の者が結界を張り直し、一秒たりとも隙間を作らない。
「あなたという人は……!」
ルアが目を見開き、怒りを露わにした。
「なんとでも言いなよ! 私は全ての犠牲を背負ってこの国の女王になってやる!」
こちらの《加速》とルアの時間停止。瞬時に先を読み、即座に対処する目まぐるしい戦闘を繰り広げながら怒りをぶつけ合う。
「私、ずっとあなたが嫌いだったんですッ!」
「こっちの台詞!」
「あなたみたいに責任を負わず好き勝手生きてる一部の天才が、私みたいな凡人の努力を踏み躙るのが許せない!」
「悪いか!」
「ずっと大変な想いをしてきたのは分かります。でもあなたは結局、王女に戻ったじゃないですか! だったらその責任を果たすべきでしょう!? しがらみの中で正当な努力をして社会を変えることだってできた筈!」
「それじゃ遅すぎる! このクソったれな世界では毎日毎日、救えた筈の人間がたくさん死んでるんだ!」
「だから独善的なやり方で性急な革命を為すと!? やはりあなたは無茶苦茶な人です……羨ましいくらいに!」
「だったらルアちゃんも自由になりなよ!」
「本当にそれで守りたいもの全部守れるっていうなら! でも現実はそんなに甘くない! 責任を果たさない者は何もかも奪われていくんです!」
「じゃあその現実も変えてやる! 死ぬほど臆病なきみが安心して、好きに生きられるようにしてやる!」
そんな言葉が口をついて出てきた。
私は何を言っているのだろうか。今の今まで、ここでルアを殺すつもりでいたのに。
「え……?」
その時、ルアの動きが止まった。
ほんの一瞬。彼女ほどの熟練者かつ通常の戦いであれば立て直せる範囲のものだ。
だが結界によって戦場が非常に狭くなっている今、これは致命的となる。
アンラマンユを手元に呼び戻し、一気に距離を詰める。
重圧を与えて回避行動を取りづらくした上で首を断つ――のではなく、腹部に思い切り拳を入れた。
「ぐふッ……!?」
女の華奢な手とはいっても私はウォルフガングから格闘術を教わっていたから、それなりに威力が出る。
ルアは激痛に顔を歪めて嘔吐し、気を失うのであった。
結界の収縮による行動制限。そしてルアが僅かに見せた隙。そういった外的要因が重なった結果の勝利であり、個人の実力で言えば彼女の方が上だったろう。
何が「凡人」だよ。私より余程に天才じみている癖に。
この子はどれだけ強くなっても、どれだけ成り上がっても劣等感を拭えなかった。
自身が不遇を経験しながら不遇な人々に寄り添えなかったのも、その劣等感から来る自己責任論が原因だろう。
謙虚さは必要な時もあるけれど、行き過ぎれば己ごと他人を追い込む罪深いものとなってしまうのだ。
それにしても、私も甘いな。
捨て去った筈の和解の可能性をこの期に及んで見出し、ルアを生かしてしまうなんて。
まあいい。生きているなら生きているで利用させてもらうだけだ。
この場における戦いはまだ終わっていない。急いで正門を制圧しよう。




