13章20節:第三王子ローレンス
最初に動いたのはローレンスだった。
重量感のあるランスを両手で構え、石畳を砕くほどの勢いで踏み出す。
市街戦である為かいつものように騎馬を使っていないが、それにも関わらず凄まじい速度のランスチャージを仕掛けてきた。
対し、私は聖魔剣とロングソードを槍衾のように展開する。あの手の攻撃を牽制するならこれが一番だ。
しかしローレンスは足を止めない。
左右に浮遊させていたロングソードを集中させるも、奴を刺し殺すどころか剣の方が砕け散っていく。正面には一般的な武具を凌駕する強度を持つ聖魔剣を固定していたが、こちらも傷こそ付いていないものの払い除けられる。
私は自軍に回避を命じつつ、殆ど反射的に横に跳んだ。
結果、対応が間に合わなかった後方の兵の何人かが刺し貫かれ、或いは大通りの脇の家屋まで吹き飛ばされて死んだ。
「どうしたアステリア、『自分さえ生きていれば部下が幾ら死んでも構わない』といったところか? 使い手がこの程度では姉様の剣も報われんな」
突撃を終えて反転したローレンスが憎悪と侮蔑に満ちた声色で言う。
私は舌打ちしか返せなかった。
いざという時に多くの味方を守る術がない。それは、単独であったり少数精鋭で戦うことが多かったがゆえの弱点であった。
いや、あんな挑発に乗るのはやめろ。持っていない手札のことを考えたって意味がないんだ。
私は一掃されるのを避けるために「散開して!」と叫んだ。
指示通り仲間たちが左右に散り散りになると、正規軍人たちもそれを追った。
「ではもう一度行くぞッ!」
先と同じように構えながら宣言するローレンス。
直後に再び迫るランスチャージ。狙いは私ひとり。
ライル辺りのようにブラフをかますでもなく、馬鹿正直に次の行動を宣言するか。
敵味方が入り乱れているならともかく、私とローレンス、それ以外で分断されている現状においては何のメリットもない。単身での近接戦闘をまともにしたことがないのだろうか。
だが尋常ならざるパワーの前ではそんな理屈はねじ伏せられるばかりで、私はやはり避けることしか出来なかった。
「英雄扱いされて調子付いたのかも知れんが貴様は所詮、女だ! 女に軍を率いる能力などあるものか!」
「いちいちうるさいんだよ……」
煽るローレンスに対し、そう小さく呟きながら次の手を考える。
奴は――無詠唱の達人でないとするなら――《術式》を全く使っていないのに人外じみた膂力と速度、防御力を発揮している。
中でも防御力が厄介だ。《静謐剣セレネ》、《徹閃剣カラドボルグ》、《魔王剣アンラマンユ》といった、一般的な防御系の術であれば貫通できる聖魔剣にも耐えている。
恐らくはあの槍が何か特殊な力を持続的に発生させているのだろう。
《術式》を併用しないところから考えると、あれは通常の特異武装ではなく《術式》によって異能を再現した疑似特異武装かも知れない。
つまり、力を使い続ければいつかはマナが底を突くのではないか。
そうなると、ローレンスをこのまま引き付けつつも仲間たちと連携して取り巻きを撃破していくのが今できる精一杯か。
正直、あまり取りたくない作戦である。「敵は戦力の追加投入ができる」という想定が正しいのであれば、殲滅も決して楽ではない。
時間を稼がれれば稼がれるほどこちらの人数は一方的に減らされてしまう。
要はライルとリルがいかに早く転移手段を潰せるか、全てはそれに懸かっているのだ。
とはいえ他に策がないのもまた事実。これで行くしかあるまい。
私は《竜鱗剣バルムンク》と《魔王剣アンラマンユ》を除いた全ての剣を仲間のもとへ送った。
彼らは宙に浮遊する剣が勝手には動かないことを確認すると、こちらの意図を汲み取ってそれを手に取るのであった。
こうして味方の戦闘力を底上げすることも出来るというのが《乙女の誓い》の強みだ。
もちろん全員が精鋭とは言えない以上、同じ戦場に居るのであれば私が直接、剣を操って支援する方が安定してそれらの性能を活かせる。
だがパワーもスピードもあるローレンスのチャージを避け、周囲の状況を観察して劣勢になっているところを見極め、その上で遠隔操作までするというのは現実的ではない。
相変わらず得意げなローレンスは、先ほどよりも勢いが控えめな代わりに、より速い突きを連続で繰り出してきた。
全てを避け切ることは出来ず、度々バルムンクで防御している。
速度重視と言っても威力は充分で、物理攻撃の一切を防ぐ筈のバルムンクが折れてしまうのではないかと思うほどの衝撃が全身に伝わってくる。
まさかローレンスがここまでやれるとは思わなかったな。
ただ、これまで戦ってきた数々の強敵を思えば絶望的という程ではない。
牽制攻撃を織り交ぜつつひたすら回避と防御を行う。
「及び腰だな! 我を倒すのではなかったか!?」
ローレンスは尊大な態度を崩さないながらも、少しずつ焦りを見せ始めた。
そんな主の様子に危機感を覚えたのか、数人の兵がこちらに向かってくるが、孤立している今ならばアンラマンユの威圧能力が使える。
接敵しようとした兵士たちが不可視の壁に衝突したかのように弾かれていく。
攻城戦の時と同じく戦闘不能に追い込むほどの威力は発揮できていないものの、近づかせないことは出来るようだ。
最初こそ動揺させられたが、散開後は戦況が安定していた。
ただし好転しているわけでもない。
予想通り、敵を倒しても倒しても帝城方面から続々と増援がやってくる。
向こうも軍勢の編成が追いついていないのか逐次投入する形にはなってしまっているが、こちら側が一方的に消耗させられているのは確かだ。
不利を承知でこのまま持ちこたえてみるか。それとも別の勝ち筋を見出すべきか。
ローレンスの刺突を躱しながらそんなことを考えていると、突然、震動と共に何かが崩れるような轟音が響いた。
方向は東、正門から見て右手だ。
そちらから正規軍人がやってきて、一旦距離を取ったローレンスに報告する。
「殿下! 魔族どもに東の城壁が……!」
「なんだと!? 醜い劣等種どもめッ!」
「い、如何いたしますか!?」
「転移してきた兵を東に送れ! なんとしても挟撃を防ぐのだ!」
どうやら魔興旅団が予想以上に頑張ってくれたようだ。プレッシャーを与えるどころか本当に城壁を突破してしまうとはな。
ローレンスが冷や汗を拭ったのが見えた。指揮官である彼の心情に共鳴するかのように敵軍全体が狼狽え始める。
もしや、今なら行けるか?
私は頭上にアンラマンユを放り投げ、威圧の能力を発動させた。
すると私を狙っていた兵士たちが顔を歪めて苦しみだした。
充分とはいかないまでも、これまでよりはアンラマンユの力が通るようになっている。
「……何となく分かったよ。その槍の力は『士気に応じた身体強化を自分や手下に付与する』ってところかな? いや、それだけじゃなくて士気を増幅する能力も備わってるんだろうね」
「だったらどうした!? 誇り高きラトリア王国正規軍を舐めるなァー!」
どうやら読みは当たったらしい。なるほど、威勢だけは良いあいつにピッタリの武器だ。
激昂したローレンスが迫ってくる。
攻撃の威力、正確さこそ変わらないものの、奴の体力は明らかに失われつつある。
一気に低下した軍勢の士気を回復するために疑似特異武装の出力を上げたのだろうか。当然、そんなことをすればマナ消費も早まる。
そうこうしているうちに敵の増援が来なくなった。
流石はライルとリル。魔興旅団が作った好機を生かし、転移手段を破壊してくれたようだ。
「貴様のせいだ! 貴様が戻ってきたせいで俺たち家族は……ッ! 王都占領の日、貴様が大人しく死んでおけばこうはならなかったんだよ!」
もはや指揮官としての口調も忘れてまくし立てるローレンス。
ああして罵倒することで何とか士気を保っている、といった具合だ。
「あの時のウォルフガングは正気を失っていたんだ! 売女やその娘なんて見捨てていれば良かったのにな!」
「いい加減にしてよ。何の不自由も悩みもなく生きてきた兄様ごときが、私たちを救いに来てくれたあの人の決意を馬鹿にしないで」
スルーするつもりだったが、お母様とウォルフガングを侮辱されたのでつい言い返してしまった。
「黙れよ悪魔がァァァァ!!!」
怒りを銀の槍に乗せた、全力の突撃。
私は僅かに身体を逸らし、バルムンクを横薙ぎに振るう。
肉を斬った感触がした。
ローレンスは揺らぎに揺らいでおり、もはや愛用の槍からの加護は消え失せていたのだ。
振り返ると、右腕を失い腹部も半ばまで裂けたローレンスが息絶えていた。
女、しかも散々見下していた妹に負けたことは認め難いかも知れないが、まあ戦場で死ねたという意味では本望だろう。
憎き家族を殺したのはこれで三人目。今回も達成感や高揚感といったものは特に無かった。