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13章10節:洞穴の奥へ

 ウォルフガングは《財団》の手配した高速船に乗って西方大陸に渡った。

 到着したのはかつてリーズたちが訪れた港町であったが、当時よりも建造物や行き交う人々の密度が増しており、のどかだった景色はすっかり様変わりしていた。

 魔王戦争終結後、東西間の貿易がより盛んになったことを受け、この町の統治者でもあるクロードが発展させたのである。

「巡礼路」と呼ばれるアレセイアへ向かう街道は、昔も今も同程度に賑わっている。

 トロイメライは現在もアレセイアに滞在していることが多いが、大衆の前には姿を現さないため伝説のエルフとしての聖性が維持されているようだ。

 彼女が死者を蘇らせないことが知れ渡り始めて幻滅した者も居るとはいえ、元より天神信仰は「地上という楽園での再誕」を至上の救済とみなす来世利益的な思想であるから根本が揺らぐことはないのだ。


 ウォルフガングは巡礼路を一瞥したあと、《財団》の職員から貸与された馬を用いて異なる方角へ走り出した。

 向かう先は南。可住地面積の少なさが問題視される天上世界において未だ全く開拓されていない、不毛の荒野と山脈だけが続くエリアである。

 山脈は東西大陸を繋いでいるが、非常に急峻であるのに加えて魔物も多く生息している。大陸を渡るためにあえてそこを通ろうとするのは、ごく一部の物好きな冒険者くらいだ。

 しかし、そのような何もない地方に行きたがる者はウォルフガング以外にもかなり見られる。

 殆どは彼と異なり徒歩で、やせ細っており服もみすぼらしい。肉体の一部を喪っていたり、どす黒く変色している呪血病患者も居る。

 彼らが目指すのはウォルフガングと同じく救済の洞穴である。

 彼以外の誰もが死という解放を求め、最後に残った精神力を振り絞って歩を運んでいた。

 アレセイアで《崩壊の空》が発生し、「原因は呪血病患者なのではないか」という言説が広まったことで、彼らは以前にも増して肩身が狭くなった。

 そのため、こうして死を望む患者は年々増加傾向にある。

 魔王戦争が終わったところで世界は救われない――そんな絶望に満ちた現実を突きつけるような光景が、そこにはあった。


 ウォルフガングが進むにつれ草原は暑苦しい荒れ地となっていき、途中で行き倒れてしまった、或いは魔物に食われた死体が目につくようになった。

 飢餓や渇き、痛みの中で死んでいった彼らは、望んでいた死を得られたにも関わらず苦悶の表情を浮かべている。

 ウォルフガングはその一つ一つから目をそらさず、心の中で来世での救いを祈るのであった。


 やがて山の麓に形成された暗い大穴、救済の洞穴に到着する。

 ウォルフガングは馬を降り、ランタンを手にして内部に入っていく。

 そこに集っている者は先ほどまでとは一転して、みな穏やかな顔をしていた。

 争いの続くこの世界において彼らのような弱者の居場所はここにしかない。ここに来ればもう差別されない。ここに来ればもう苦しまずに済む。

「彼らにとってはこれが唯一の救いだ」と理性では分かっていても、胸が締め付けられるような気持ちになるウォルフガングであった。


――呪血病。リーズの命を奪った病。こんなものがなければ世界はもう少しマシになったのだろうか。

 或いは人が人である限り何も変わらないのだろうか。

 いや、世界を変える為の行動をしていない自分に何かを言う資格はない。

 自分は健康な身体を持っていて、その使い道も決めているが、「未来に希望を見出すことに疲れてしまった」という点に関してはここに居る者達と同じだ――


 そんなことを思いながら洞窟で横たわる人々を眺めていると、その中には見覚えのある者が居た。

 帝都侵攻の際、連合軍から離脱しようとしてレティシエルに説得された傭兵の男だ。

 彼はウォルフガングと目が合うと疲れた笑みを浮かべた。


「おぉ、恵まれた近衛騎士長サマが何の用だ? ここはあんたみたいな男が来るところじゃねえぞ」

「事情があってな。そういうお前はまさか……」

「あ、俺は呪血病じゃないぜ? これからそうなるんだが」

「自ら死を選ぶか。ここまでの旅の中で『もう少し生きてみよう』という気にはならなかったのか?」

「俺は獣人な上にこんなんでな。傭兵できなくなっちまったら他に仕事がねえんだわ」


 彼はそう言って、肘の先から喪われた右腕を見せつけた。

 帝都侵攻の時、敵に斬り落とされたのだという。しかしラトリアは一切の支援を行わず、かといって復職も叶わず、進退窮まってついには死を選ぶことにしたそうだ。

 この男は傷痍兵の処遇問題の被害者の一人である。

 ウォルフガングはこういった者達の支援を提言したこともあったが、正規軍人や貴族の多くが乗り気でないことも、ライングリフが彼らの反感を買ってまで保護政策を推進するつもりがないこともよく知っている。

 ゆえに黙り込むことしか出来なかった。

 

「生きてても良いことなんかないぜ。身体も心も痛めつけられて、飢えて、いつか死ぬだけだ。だったら早く、ラクに終われたほうがずっと良い」


 男は残った左腕で、骨の山の上に眠る三つの死体を指差す。

 

「ほら、あの家族は息子が呪血病になったから一家みんなで地上に逝くことにしたのさ。『弱い身体に産んじまったせめてもの償い』ってな。あ~、俺も『獣人に産んでごめんなさい』って謝って死んでくれる親が欲しかったなァ」

「……救われんな」

「いや見てみろよ。みんな生きる苦しみから解放されて安らかに笑ってるだろ? クソみてぇな世界から出られるっていうんならそれは幸せ以外の何物でもねえ。なあ、あんたもしばらくここに居たらどうだ?」

「俺は遠慮しておこう。まだやるべきことがあるんでな」

「ケッ。本当に恵まれたジジイだぜ、どうせそう長くない癖に。好きにしろ」


 ウォルフガングが死を拒絶すると男は不愉快そうに顔を歪め、それ以上は何も言わなかった。


 男から離れ、洞窟内部を進んでいく。

 やがて感じたことのない気怠さが身体を襲うようになり、ウォルフガングは「ここに長居するとそれだけで呪血病になる」という話は本当なのだと確信した。

 奥に行くほどにその倦怠感は強まり、生者の数も減っていった。

 そして死体すらもなくなった時、ついに明確な脅威がウォルフガングの目の前に現れた。

 

 ランタンの光に照らされてもなお影のように黒い、蠢く何か。

 それらが空洞内でひしめき合い、出現と自然消滅、もしくは共食いを繰り返している。

 見る者に本能的な恐怖を感じさせる異質感。クロードは「見たこともない種の魔物が居る」と語っていたが、これは単なる魔物などではない。

 ウォルフガングは想起する。

 もしやリーズたちの言っていた、《崩壊の空》から生まれし漆黒の獣なのではないか。

 となると、この洞穴から生まれた《黒竜》も――


 そう思い至ったと同時、獣が一斉にウォルフガングに襲いかかる。

 並の戦士であれば絶望する間もなく黒い塵に成り果てる状況だが、ここに立っているのは《剣神》だ。

 彼はランタンを持っていないほうの手で抜剣、一閃して全てを薙ぎ払った。

 しかし獣の軍勢は再び奥から湧き出てくる。

 ウォルフガングはすぐに「ここで戦っていても消耗するだけだ」と気付いた。

 《黒竜》が特異な個体だったというだけなのだろうか、いま戦っている獣の耐久性や速度は《剣神》からしてみれば一般的な下級の魔物と大差ない。

 だが、とにかく数が多すぎる。

 彼は自ら漆黒の海に飛び込み、邪魔な個体だけを的確に斬り伏せながら全速力で洞穴を駆け抜けた。

「化け物どもの湧く根源には何かあるのではないか」と信じ、分かれ道ではあえて獣の多い方へと向かう。


 そうして辿り着いた最奥はこれまでよりも広い空間になっており、壁面の殆どがどこか宇宙を思わせる闇に覆われている。

 ウォルフガングはここに到るまで――漆黒の獣に通用するかが分からない《忠誠の誓い》には頼らず――全ての攻撃を回避していたが、それでも洞穴に漂う不可視の瘴気は着実にダメージを与えてくる。

 彼は尋常ではない頭痛と吐き気に見舞われ、倒れそうになりながらも必死に顔を上げる。

 そこには、求めていたものがあった。まるで彼と出会う時を待っていたかのように堂々と。

 床の中央。銀の刃に黒の柄の、妙な形状をした片刃剣が刺さっている。もしアステリアがこの場に居たら「刀に似ている」と語ったであろう。

 あの剣は何なのか。

 この不可思議な場所は何なのか。

 それを考えている余裕はもうない。

 魔法や疑似特異武装の類を戦闘で一切使わない、つまり能動的にマナを消費することがないウォルフガングであっても、すぐにここを脱出しなければ呪血病を発症してしまう。

 彼は全方位の闇より飛来した獣の群れを吹き飛ばしながら、もはや「自分に適合する聖魔剣であってくれ」と祈ることもせず無心で剣をめがけて疾走し。

 そして、手に取った。

 

「……《虚数剣ツルギ》」


 ウォルフガングが思考の中に響いたその剣の名を呟く。

 剣は、新たなる使い手を歓迎したのだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 2話続けてのウォルフガング回でしたねー。アステリアやほかの若いキャラには出せない味と重みでした。主人公の敵なのだと知りつつも、つい応援したくなっちゃいますね。
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