13章5節:魔族の正体、楽園の真実
アルケーの口から語られた真実は、私を驚愕させるには充分すぎるものであった。ライルやリルも同様の反応をしている。
アウグストとチャペルは既に全てを知っているのか、過去を想うように遠い目をするのみであった。
かつてのアルケーは、まだ公になっていなかった《術式》を用いる医療を提供していたため「魔女」と呼ばれ迫害されていた。
そういった理由から東方の街で暴漢に襲われていたところを、商業で成功を収めながらも前世みたく「人助け」をしていたレイジに救われたようだ。
彼が天神と接触して《権限》――《絆の誓い》を与えられたことを知り、共にその能力の研究を始め、いつしか恋人のような関係になっていった。
やがて《権限》の存在から天神の実存を確信したアルケーは「呪血病について知る為に『天神が居る』とされる地上に行ってみたい」と考えるようになる。
レイジはその願いに応じ、《絆の誓い》を利用した転移の《術式》の開発に協力した。
それが完成すると、彼らは「しばらく戻らない」という覚悟でレイジの所有する《ドーンライト商会》に《術式》を商材として託したうえで、地上に転移するのであった。
二人が地上で見たものは天神聖団が語るような楽園などではなく、見たこともない意匠の建造物の残骸が散乱し、半ば自然に還っている終末的な光景だった。
そこには今で言うところの魔物、「人間」を自称する魔族が居て、食べ物も飲み水も限られる世界でひたすらに奪い合い、殺し合いながら辛うじて種を存続させていた。
そして呪血病――魔族が「存在崩壊」と呼ぶ現象もあったのだという。
天上大陸も酷い世界ではあるが、どうやら地上はそれすらも超える本物の地獄らしい。
誰もが弱肉強食という原始的な摂理に支配され、社会を復興させることも出来ずただ無為に生と死のサイクルを繰り返す。
なるほど、確かに天上の方がまだマシと言わざるを得ない。少なくとも人間族の王侯貴族や平民であれば幾らかまともに暮らせるのだから。
しばらく地上を探索したアルケーとレイジは、後に《魔王軍》の幹部となるリゼッタ、孤独に「飲み食いに困らない地上文明の復活」を目指していたオークの男、ヴォルガスと出会う。
二人を仲間に加えて旅をすることになったが、その果てに掴み取ったのは「地上全域でマナ欠乏が起きており、食料生産を行うことは困難である」という残酷な事実だけであった。
絶望の淵に追い込まれたヴォルガスは「同じ人間」である筈なのに自分たちよりも恵まれている天上人を憎むようになり、天上大陸に魔族の国を建てることを提案する。
レイジはこれに賛同し、進展のない旅を一旦終わらせて天上大陸に帰還した。
その後、レイジは《ドーンライト商会》の力を活かして東方の僻地に村を作り、そこに魔族を移住させていった。
最初は平和的に事を進めており、スローペースながらも上手くいっていたそうだが、ある日、悲劇が起きる。
ドーンライトの伸長を怖れたエストハイン王国議員、今で言う「復古派」が人間族至上主義系テロリストを誘導し、村の民を虐殺させたのである。
これ以降、レイジは魔族を救う為であれば戦争も辞さないと考えるようになった。
かくして「魔王ダスク」と《魔王軍》は誕生したというわけだ。
そう。私にとって「歴史上の出来事」以上のものではなかった「商会員虐殺事件」は、一人の男を狂わせ、魔王戦争を生じさせるきっかけだったのだ。
そこには今も続いている組織間対立や種族差別があった。
やり方を間違えたレイジ。彼らを怖れるあまり《魔王軍》が生まれる遠因を作ってしまったエストハインの復古派。「地上の復興を諦めて天上に移住する」という発想を最初に行ったヴォルガス。
後の世界でその煽りを食うことになった私としては「どいつもこいつも愚かだ」と言わざるを得ないが、それでも、彼らの苦しみを、恐怖を、怒りを全否定することは出来なかった。
「……とあれこれ話しはしたが、要は『呪血病のことも地上のことも殆ど何も分かってない』ってことさ。結局、神サマとも出会えなかった。もっと深い情報を期待したのであれば謝るよ」
アルケーが長話を締めくくる。過酷な思い出を振り返って悲しむでもなく怒るでもない、彼女らしい淡々とした語り口であった。
「いや、驚きっぱなしだったよ。まず『魔族が地上から来た』ってのも、こうして当事者から聞くまでは半信半疑だったし」
「私からしたら、世間的には戯言扱いされていることに納得できんな」
「地上に行って確かめる術をきみ達以外は持ってないし、宗教的にも否定されてるからねえ……」
アルケーは深々とため息をついた。
天神聖団がどこまで知っているのかは分からないが、なんにせよ地上信仰を穢す主張を受け入れることは出来ないだろう。仕方のないことだ。
「君は私の話を信じてくれるのか?」
「うん。真実だとしたら色んなことがしっくりくるからね。出来ればこの目で地上を見てみたくはあるけど……たぶん無理なんだよね?」
「ああ。レイジが居ない今、あの《術式》は発動させられない。相当な人数の術者を用意できればまた状況は変わってくるがね」
「今はいいよ。で、質問なんだけどさ」
「ふむ?」
「魔族は自分たちのことを『人間』と認識してたんだよね? どういうことなんだろ?」
「『私たち天上人と何が違うのか』という話か?」
「うん」
「見当もつかんな。ヴォルガスは『俺たちのご先祖様は見た目のせいで天上の民として選ばれなかったんじゃないか』なんて言ってたが、書物の断片によれば昔の地上人はいわゆる魔族的な特徴など持っていなかったらしい」
「へぇ……今居る魔族は親の特徴を継承してるんだろうけど、じゃあ最初の魔族はどうやって生まれたんだろうね」
アルケーが「さあ?」とでも言いたげに肩を竦める。
まあ、そんな大事なことが分かっているなら彼女の方から話してくれるか。
「うーん。あと何か引っかかってることってある?」
「……そういえばレイジが地上の書物の中にあった『20』という数字を気にしていた覚えがあるな」
「20?」
「あいつは『出版年なんじゃないか』と言ってた」
「天暦20年、かな。その頃の史料って全然存在しないとは聞くけれど」
「ああ。それこそ《生命詠い》でもなければ当時のことは分からんだろう」
《生命詠い》のトロイメライ。
彼女が伝説の通り天上大陸が生まれた時から生きているのであれば、確かに最も真実に近い存在と言えるか。
それを素直に語ってくれるとも思えないが。
そもそも彼女が何を考え、何を目指しているのかすらよく分からない。
結局、地上は楽園なんてものではなかったわけだけれど、では彼女のもたらす「来世」とは一体なんなのだろう。
――と考え、私はぞっとするような仮説に辿り着いた。
まさか魔族とは天上人の転生した姿なのではないか?
この世界の人々は死後、救済されるどころか異形化させられた上で地獄に送られてしまうのではないか?
もしそんなだったらネルも、リーズも――
「どうしたアステリア。顔色が悪いぞ?」
「いや、ちょっと怖いこと考えちゃっただけ。気にしないで、何の根拠もない仮説だし」
「あ、ああ」
アルケーを少し困惑させてしまった。
そこにライルが、迷うような素振りを見せながらも話しかける。
「なんつーか、あんたらにもしんどい事情があったんだなって」
「そうだな、本当に大変だった……とはいえ私はレイジに惚れた弱みで付き合ってただけなんだがね。あいつや地上世界の悲惨さを知っている魔族一世はもっと辛かっただろう」
「……だからって、あんたらがしてきたことを許すのは無理だけどな」
「構わないよ、こちらにも非があるのは事実だしな。決戦の時、私たちを強く批難した君がこうして理解を示してくれただけで私としては充分に嬉しい」
アルケーから笑顔を向けられてばつが悪そうにするライル。
そんな彼の肩にリルがそっと手を置いた。
「ま、悪人だって大抵は悪いことしたくてしてる訳じゃないって話ニャンね。リルはそういう世界で生きてきたからよく分かるニャ」
「……かもな。俺だってガキの頃は食うもんなくて盗みとかやったし」
「君たちは優しいな。割り切れないこともあるだろうに。これも主の人徳のおかげか?」
アルケーが茶化すので、私は少し気恥ずかしくなって頬を掻いた。
「やめてよ。そんなこと思ってない癖に」
「本音なんだがなあ。諦めたもの、文字通り斬り捨てたものも多いのだろうが、だからといって良い部分が全くの無価値になるということもないだろう」
「……きみにとってのレイジがそうだったように?」
「まさしくな。それで、質問は以上か?」
「うん、ありがとね。現段階で分かってること、分からないこと、整理できたよ」
アルケーの話を聞いて、改めて「まずは女王にならなければ」と思えた。
多くの人間を動かせる権力を手にして、レイジとアルケーだけでは成し得なかった大規模調査を地上で実行する。
恐らく呪血病の正体と治療法を探るにはこれしかない。
――ねえ、神様。
きみ達は地上になにを隠しているの?
人類に一体なにを求めているの?
なぜ私やユウキ、レイジを転生させたの?
心の中で問いかけたところで、何の答えも返ってこなかった。
 




