13章2節:ルアの婚約
ライングリフ達が向かった先は、彼らが普段からよく利用している、派閥幹部専用の会議室であった。
中で待っていたのは白髪だらけの痩せぎすな男と、顔立ちの良い偉丈夫。
それぞれ形式上の王国正規軍将軍であるフレデリックと、実質的にその立場を担っている第三王子ローレンスだ。
「さて。正規軍の状況を確認しておきたいところだが……」
ライングリフが言った後、隣に座るルアを横目で見た。
どこか不安げにしていることに気づき、発言するタイミングを与えようと思ってのことだ。
彼女はその配慮に恐縮しつつも話し始める。
「申し訳ございません、ライングリフ様。フレイナはソドムの部隊に加わる予定なんですよね? 私も同行したほうが良いのではないかと」
「お前は王都に居てもらう。気持ちは分かるがな」
「い、いえ、個人的な理由ではなくて。私はその……自分で言うことでもありませんが、戦力としてそれなりに貢献できると思います」
ライングリフは少し悩む素振りを見せた後、ルアとしっかり向き合うように座り直した。
「うむ。良い機会だし、そろそろ答えを出してもらうべきかも知れんな」
「え、えっと?」
「今回、お前を戦場に出さない理由に関連すること。そう、以前に伝えた婚約話だ。この場で返答を聞かせてくれないか」
「ぁ……」
ルアが目をそらした。
彼女はこの話を持ちかけられて以来ずっと悩み続けてきた。
否、既に心の中では答えを決めている。ただ、それを打ち明けて確定事項にしてしまうことを恐れているのだ。
「もう母もローラシエルも居ない。強く反対する者は居まい」
「そうでしょうか……」
「さあ。時間は充分に与えたつもりだ」
有無を言わせぬ態度のライングリフ。
他の者、特にフレイナはそんな様子を固唾を飲んで見守っている。
しばらく沈黙が続いたが、やがてルアは意を決したようにライングリフの目を見た。
「……はい。レヴィアスの、ラトリアの為に……そのお話、引き受けたいと考えています」
感情を殺し、理性で判断する。ルアがずっと前からやってきたことだ。
ゆえにこの返答は誰もが予想できていたが、それでもフレイナは内心、狼狽えていた。
ずっと未婚だったライングリフの結婚相手が決まったこと、それが好敵手であることを喜ぶ気持ちと、正体不明のモヤモヤが入り混じった複雑な感情。
それを振り切るように、彼女はわざとらしく祝福する。
「当然ですわよね、こんな有り難い話を断る理由なんてありませんもの! おめでとうございます、ルア。あなたが結婚できるかどうか学生時代からずっと心配していたのですけれど……本当に良かったですわ」
他の者達もそれに続く。ローレンスだけは人間族でない者の血を取り入れることに忌避感を抱いていたが、「獣人は繁殖力が高い」「レヴィアスが王国領になる」といったメリットに目を向けて納得を示した。
とはいえ、ルアにとっては決して喜ばしい反応ではなかった。
これは純然たる打算でしかないのに、「喜ばしいこと」だと認識されるのが嫌だったのだ――愛する女の前であれば尚更に。
彼女は空気を変えるべく、話の続きを促すようにフレイナ達からライングリフの方へと視線を移した。
彼もまた打算で婚約話を持ちかけただけで、そこに喜びの感情など微塵も存在しない。断られたら断られたで、何の感慨もなく次の相手を探すだけだろう。
そういう意味では、彼こそ今この場において最もルアが同調できる人物であった。
「承諾、感謝する。それでは、先に伝えた『レヴィアスの兵と物資を王都に送る』という任務と並行して、このことを他の貴族連中に周知させて欲しい」
「それはすぐにやらなければならないことなのですか? 終戦後でも……」
「いや、今だからこそだよ。お前は自尊心に欠けているのが玉に瑕だな。だから自分自身の価値を直感的に理解できないのだ」
レヴィアス公領は人口的にも経済的にもラトリアの中で最大規模であり、ライングリフ派がアステリアと戦争をするにあたって重要な存在だ。
特に、海辺であるがゆえに西方大陸に本拠地を持つクロードとの貿易の拠点となることは大きな意味を持つ。
そして現在はルアがクロードの協力を得たことにより、領地としての価値を損ねていた治安課題も殆ど解決している。
とはいえ、前レヴィアス公に共鳴した穏健派の有力者はまだ残存している。彼らが足を引っ張っているため、ライングリフとの戦略レベルでの連携に遅れが生じているのである。
これを解決できるのがルアとライングリフの婚約だ。
二人がより密接に繋がればレヴィアスのスタンスは明確に定まる。領内の有力者は方針に従うしかなくなるし、飽くまで逆らうのであれば、それはそれで不穏分子として撃滅するチャンスとなる。
ライングリフの指摘を受け、「確かに今しかない」と考え直すルア。
「お前が《権限》を持つ優れた術師であることは認めるが、それ以上に重要拠点を担う領主なのだ。戦いと政治、どちらを優先すべきかは分かるだろう」
「はい、ライングリフ様」
「……先は誤魔化していたが、本音としてはやはりフレイナが心配かね?」
図星を突かれて何も言えなくなっているルアに、フレイナが厳しい顔つきを見せる。
「しっかりなさい! まだ領主見習いのわたくしと違って、あなたは唯一無二の存在ですの! 子供も兄弟も居ないあなたの身に何かあったらレヴィアスはどうするんですの!?」
ルアは「私にとっての唯一無二はあなたなんですけど」という言葉を飲み込み、ただ不満そうに俯いた。
そんな彼女に、今度は優しく笑いかける。
「今や誰もがあなたの意志と努力と功績を認めている筈。無理して自ら戦場に赴くことに拘る必要はもうありませんわ。人嫌いなあなたは苦手でしょうけど、政治の場で頑張りなさいな」
「……分かりました。しかしそうなると、現状のソドムの戦力に少々不安を感じてしまいます」
フレイナの気遣いに感謝しつつ、ライングリフの方に向き直って疑問を呈するルア。
それに答えたのはローレンスであった。
「兄様、俺もソドムに行くよ。アステリアが来る可能性が高いんだろ?」
「現地の正規軍の指揮官はフレデリックということになっているが、交代したいと?」
「ああ。こいつには任せておけない」
フレデリックはその提案に怒るどころか安堵した。
かつて優秀な将であったこの男はラトリア北方戦争の失敗で心を打ち砕かれ、すっかり責任回避的になってしまっているのだ。
もっともライングリフは「臆病者には臆病者の強みがある」と語り、その性格と戦術に一定の評価を与えているが。
「今回は前のソドムのようにはいかん。最悪、死ぬことになるぞ? ローラシエル、そして恐らくグレアムも殺ったアステリアが本気で私たちを打倒しに来るのだからな」
「女如きに負けるつもりはない。万が一そうなったとしても、死ぬ覚悟はずっと前から出来てる。ラトリア男児たるもの、国を守る為に戦って死ねるなら本望だ」
ローレンスの物言いに眉をひそめるルアとフレイナ。
二人は彼の男尊女卑的な価値観を嫌っていた。
《術式》が発明されたことにより、少なくとも「戦果」という分かりやすい評価基準における性の実際的な格差は埋まったが、人々の認識が刷新されるには至っていない。
特に、血族の繁栄を何よりも重んじる貴族社会においては。
ローレンスほど極端な人間は減少しつつあるものの、このようなマッチョイズムは未だ旧態依然としたものとは言えないのである。
ライングリフは成長しない弟に呆れながらも頷いてみせた。
「……分かった、お前を信じよう。フレデリック、代わってくれ」
「え、ええ。承知いたしました」
ローレンスは得意げな顔になると、フレイナの方を見て言う。
「ということになった。全て俺と正規軍で何とかしてやるから、貴様はルアのように大人しくしていればいい。女が出しゃばると邪魔なんだよ」
「は、はあ……」
「いいか、戦場は男のものだ。女は家でひっそりと子を産み育てるのが仕事なんだ。それを果たせない役立たずのまま死ぬことは許さん」
眉間にしわを寄せるフレイナ。直情的な彼女は王子が相手であってもとうとう我慢できなくなり、口を大きく開いた。
「殿下っ! お言葉ですけど、さっきから男だの女だのと……」
そこにライングリフが割って入る。
「ローレンス。大切な仲間にまでそういった認識を向けるのはよせ」
「だが兄様、女が戦場で目立つなんて……」
「まず訂正しておくが、ルアに出撃を控えさせるのは女だからではない。優れた指導者として為すべき仕事があるからだ。そしてフレイナは優秀な戦士だ。見下すのではなく強みを活かせるよう連携してみせろ。それが出来んのであれば今の話は無かったことにするぞ」
厳しく言われ消沈するローレンス。
少しの間、重い沈黙が流れたあと、ライングリフは彼に微笑みかけた。
「お前もまた有能な指揮官だ。その強みを忘れず、仲間との連携が出来ればアステリアに負ける道理はない。言った通りにやってくれるな?」
「っ……! ああ! 俺、頑張るよ!」
敬愛する兄の励ましにより、一転して明るさを取り戻す。
ローレンスはもともと分かりやすい男だが、今は特に意気込んでいた。
「アステリアを倒す」ということだけを意識していれば、姉の死や母の処刑、毒殺未遂疑惑について考えを巡らせずに済むからだ。