12章9節:ローラシエルの強行調査
「すいませんっしたぁ!!」
王都での戦いが終わったすぐ後、王宮の会議室にて。
アルマリカは薬師を取り逃がすという失態を演じた《シュトラーフェ・ケルン》の代表としてマリーシエルに報告し、激しい怒りを買った。
深々と頭を下げる彼女を高飛車な王妃が容赦なくなじる。世渡りに長けているこの暗殺者は反論を一切せず、心を無にして応対するのであった。
なお、アルマリカひとりが貧乏くじを引かされているのは、四人――ベルタの言葉は誰にも分からないので実質三人――で話し合った結果「最短で説教を終わらせるにはこれがいい」という結論に至った為である。オーラフはともかく、いつでも飄々としているトリスタンや反骨心の塊であるベルタの存在が無駄に王妃の説教を長引かせることが度々あったのだ。
「あぁぁぁイライラするッ! この無能共! あなた達のようなどうしようもない犯罪者がなぜ生きていられるか、ちゃんと理解してるのかしら!?」
「寛大にして偉大なるラトリア王家のお陰っす!」
「分かっているならどうしてその命を捧げて奉仕しないの!?」
「面目ございませんっ! 全ては我らの無能さ故っす!」
「もういいわ。役立たずは処刑――」
そう言いかけたところで、傍らで静かにしていたライングリフがとうとう見かねて止めに入る。
「もう十分でしょう。例の薬師が誰の手に落ちたかを把握できただけでも彼女らは間違いなく優秀です。それに、王都という場にあっては力を振るうにも一定の配慮が必要となります」
「平民の百や二百、巻き込んで死なせても構わないわよ! ラトリアも、ラトリアの民も私たち王家のものなのよ!?」
自国の民すらも軽んじる発言。これこそマリーシエルの本質であった。この女には私利私欲以外なにもないのである。
ライングリフは内心、頭を抱えながらも微笑を作って母を宥める。
「お母様。焦る気持ちは分かりますが、どうか落ち着いてください」
「落ち着いていられるものですか! 街では既に毒薬の噂が広まっているのでしょう!? このままでは王家の威信が失墜してしまうわ!」
「私が対処いたしますのでご安心を。アステリアが薬師を確保しているのであれば話は早いかと」
「あの馬鹿女が産み捨てた塵を捕らえて、罪を押し付け処刑するのね?」
「いえ、あれでも王家の末席にして英雄ですからすぐに処刑するというのは難しいでしょう。ただ、領地に立ち入って調査をする名目はあります」
「殺し屋を差し向け、この世で最も尊いあなたの命を狙ったという……ああ、なんて腹立たしいの! この手で引き裂いて臓物を抉り出してやりたいわッ!」
「ちょうどローラシエルがブレイドワース辺境伯領の強行調査を行う予定ですので、それに便乗する形で私の部下も送り込み薬師を奪還。噂を払拭するよう彼に脅迫をしましょう」
「……分かったわ。愛しい我が息子と娘を信頼し、任せるといたしましょう」
マリーシエルは不機嫌さを隠さないままにそう言い、会議室を出ていく。
それと入れ替わるようにローラシエルがやってくる。彼女もまた気が立っており、一瞬だけ表情を緩めたアルマリカは再び申し訳なさそうな演技をした。
「お兄様にアルマリカまで。お母様がご立腹のようですが、例の噂のせいですか? あれは一体……」
アルマリカは何も言わず、どうしたものかと苦笑いしてライングリフに視線をやる。
ライングリフとマリーシエルはレティシエルやアステリアが推理した通り、国王の毒殺を狙っていた。
このことをローラシエルは最近まで全く知らなかったし想像もしていなかった。
彼女もライングリフ派かつ父の無力さに失望しているとはいえ、生真面目な性格ゆえにこのようなやり方を認める筈がないため、一連の計画とそれによって生じた事件から遠ざけられていたのである。
だが「王宮に毒物が持ち込まれた」という噂が街で広まり、ついには彼女の耳にも届いてしまった。
今、ローラシエルの心は家族を信じる気持ちと疑念でひどく乱れている。
そんな妹を落ち着かせるように、ライングリフは穏やかな声で語りかけた。
「アステリアが王家の評判を下げる為に広めたデマだろう。『何の罪もない』薬師の拉致までするというのはなかなか手が込んでいるがな」
「アステリア……! やはり何もかもあの女が悪いんですのね!」
「母にも言ったがどうにかする算段はつけてある。お前もそう心配するな」
それから、彼はローラシエルの調査隊に自身の部下を同行させること、その部下が薬師を奪還したのち、彼に「デマ」を収めさせることを説明した。
しかし、聞き終えたローラシエルはどこか納得いっていない様子である。
「……調査だけでなく救出も私が行うのでは駄目なのでしょうか?」
「そういった任務に適した人員を用意できるのであればな。お前がアステリアを引き付け、その間に私の部下が救出する……この方が効率的とは思わないか?」
しばらく黙り込んだ後に首肯するローラシエル。人脈という面で兄に勝ち目がないことを彼女はよく理解しているので、疑う気持ちがあっても提案を受け入れざるを得ないのだ。
妹の反応にライングリフはひとまず安心する。もし薬師がローラシエルの手に落ちれば、ふとした会話から彼女が真実を知ってしまう可能性がある。ひいては余計な正義感を暴走させて敵に回りかねない。
ローラシエルはラトリア王族としての「善」に忠実であるあまり融通が利かず扱い辛い――そんなことをライングリフは常々感じているので、仲間として信頼していないのである。
「……そういえばお兄様。ソドム制圧の際に使ったという、あの『宝玉』は?」
「ああ、いつでも再使用できる状態だ」
「助かりますわ。空洞域周辺の魔物は昔と比べて激減したとはいえ、部隊を引き連れていくとなればどうしても時間が掛かってしまいますから……と、用件は以上です。準備が整い次第、またお伝えします」
「よろしく頼む」
去っていくローラシエル。
アルマリカは今度こそ気を抜いてソファに倒れ込んだ。
「はぁ~、あの二人と居ると疲れるっす」
「母もローラシエルも感情的という意味では似た者同士だからな」
「見た目もそっくり、典型的な高飛車奥様とお嬢様ですしねえ。それで、ウチらも調査に同行すればいいんすか?」
「お前たちは王都で待機だ。今回は他の人員に任せる」
想定していたのとは違った返答だったが、アルマリカは特に驚くこともなく聞く。
「働かなくていいのは嬉しいっすけど……どういうことっす? 人数が多いに越したことはないじゃないっすか」
「……何となく察している筈だ。今回の件、恐らくレティシエルが我々と敵対する形で介入している。単独で動いているのか、アステリアと繋がっているのかまでは分からんが」
「うーん、どうなんすかねえ」
「お前たち、レティシエルにもいい顔をする為に手を抜いただろう?」
「ギクッ……もしかして怒ってるっす?」
「いや、母のようにみっともなく責め立てるつもりはないよ。お前たちがそういう立ち回りをしてくる可能性を考慮した上で仕事を任せたしな」
「もしかして忠誠心を試されてたっす?」
「薬師を確保するという任務、私としては成功しようが失敗しようがどちらでも良かったのでな。そういう機会にさせてもらった」
「やっぱり殿下も殿下で本気じゃなかったんすね~。そんな気はしてたっすけど。てことは今回の人選も『どっちに転んでもいい』感じなんすね」
「正規軍から何人か、それなりの手練れをな……が、今のアステリアを敗北させるには不十分だろう」
「はあ……もしかして殿下の本当の狙いは……」
ライングリフの真意を察したアルマリカに、彼は淡々と返す。
「表向きの筋書き通りに行くのであればそれでも構わないがね」
「いや~、相変わらず性格悪いっすね! アンタを暗殺しようとして失敗した時のことを思い出すっす!」
「お前を引きずり出す為の犠牲になってもらった近衛騎士たちには申し訳ないことをしたと思っている。だが、そうでもしないと《千影》には勝てなかった」
「必要なら躊躇いなく犠牲を払える……そういうところが性格悪いし怖いんすよ」
「良心などという足を引っ張るだけのものはとうの昔に捨てたからな。この国を、この世界を導いていくにあたって必要なことだ」
「流石、次期国王候補は言うことが違うっす。応援してるっすよ~、ライングリフ様が一人勝ちしてくれたらウチらも『与する相手』が分かりやすくなって助かるっすから」
「その時が来るまではせいぜい大人しくしてくれると有り難いな……日和見主義でさえなければ有用なお前たちを失いたくはない」
*****
ライル達から状況報告を受け、薬師を私の屋敷で保護することになって三日ほど経つ。
その日の深夜、物音がしたので飛び起きてみると、メイド服姿のチャペルが何やらそわそわしていた。
「……え、なに? 夜這い?」
「ふざけている場合ではありませんよアステリア! 大変です! 大変なんです!」
「んむむ?」
「監視兵の方が言っていました。帝都からこちらを目指して重武装の部隊が進軍しているって!」
「え、ええ……!? 誰が? 規模は?」
「率いているのはラトリア第一王女ローラシエル。規模は千人前後とのこと……!」
暗殺教唆疑惑によって私の立場が弱くなった今、ライングリフ派がブレイドワース辺境伯領を攻めてくる――それ自体は予想していた。
しかし幾らなんでも行動が早すぎる上、兵の練度にもよるがこの田舎村を蹂躙するには十分な戦力も用意してきている。
ソドム方面から、あのローラシエルが来るというのも意外だ。
以前のソドム制圧時の迅速ぶりと併せて考えるに、奴らは聖人会が使っている転移の宝玉の性能向上版のようなものを握っており、王都とソドムの間を瞬時に行き来できるのだろうか?
それにしても、なぜライングリフやローレンスではなくローラシエルなのだろう?
いや、そんなことを考えるのは後回しでいい。
戦闘はほぼ確実に起きる。疑惑があるとはいっても私は王家の人間であり、いきなり攻撃することは出来ないのだが、とはいえ奴らは「疑惑について調査するため」という大義名分を掲げて領地に立ち入り薬師を確保しようとするだろう。当然、それを受け入れる訳にはいかないから武力をもって拒絶することになる。
戦うことが分かり切っているならこちらから仕掛けたいところだが、侵略の正当性を自ら強めてしまうのは避けたい。
今、出来ることはとにかく防御を固めることだけだ。
幸い、我が辺境伯領は土地の広さという点で恵まれているので包囲は困難だし、ローラシエル側としては「調査のため立ち入りを要求したが抵抗を受けたのでやむなく交戦することになった」という体裁を取る必要があるから、攻撃開始の指示がすぐに行き渡るよう、部隊はまとまっていなければならない。
となればこちらも戦力をソドム方面にある程度集中させていい、ということになる。
ただ別働隊が戦闘によって生じた混乱を隠れ蓑にして薬師の強奪、もしくは暗殺を狙ってくる可能性も無視できない。そのため屋敷周辺をライル、アウグスト、アルケーを中心とする少数精鋭部隊に防衛させる。私が皇帝家親子とアルケーを確保していることを知られてはいけないから、彼らには「敵が来たら一人も生かして帰すな」と言っておかねば。
ああ、そういえばチャペルはこの状況下で唯一、先制攻撃が出来るじゃないか。魔物を不自然でない程度に支配し、進軍中の部隊を小突いて士気を下げてもらうとしよう。
「……よしっ! 方針は決まった! とりあえずチャペルちゃんは皆を叩き起こしてきて!」
「は、はいっ……!」
ただでさえ苦しい状況に追い打ちを掛けるような事態。
しかし私は今、不安よりも高揚感を強く感じている。
だって、ローラシエルがわざわざ真っ向勝負を挑みに来るというのであればむしろ好都合ではないか。
グレアムの時とは違い、正々堂々と憎き王族を捻り潰せるのだから。