12章7節:制裁の四
戦いの火蓋はオーラフの《発破》によって切られた。
空中から幾つかの炎弾が降り注ぐ。その密度や一つ一つの威力は最小限であったため、ライルとリルはそれぞれ左右に跳んで容易く回避した。
とはいえ、こんなものは牽制に過ぎない。《術式》による広範囲攻撃を主体とするオーラフが全力で戦えば周辺の家屋や一般市民も無事では済まないため、彼は他の三人の援護に徹しようと考えたのだ。
「ベルタ、男の方をやれ!」
「△死D$L0!」
オーラフの指示を言葉では強く拒絶しつつも、真っ直ぐライルの方に突進していくベルタ。
それを読んでいたライルは以前、リルを撃退した際にも用いた電気の壁を発生させる。
だが、止まらない。白銀の鎧は《迅雷剣バアル》の雷光の中にあっても全くダメージを受けておらず、お返しと言わんばかりに拳撃を飛ばしてくる。
「おいマジかよッ……!」
反射的に前に出るライル。拳で頭部を粉砕される結末は回避できたが、今度はそこにトリスタンが薬瓶を投げ込む。
「《発破》ッ!」
ライルは詠唱し、それを跡形もなく焼き尽くす。なお、中身は吸引すれば数秒で内臓が壊死する有毒の粉末であった。
致命的攻撃の連続を凌ぎ切って安堵したのも束の間、気づけばアルマリカが家屋の上で弓を構えていた。
《隠匿》に熟達したライルですらも今の今まで彼女が移動していたことを察知できなかった。素人であればそのまま訳も分からず射殺されていたところだろう。
こういった意識の埒外に潜む技術こそ、冒険者や暗殺者などの界隈で「《千影》のアルマリカ」と呼ばれ恐怖されている所以である。
状況の把握こそ出来たものの、身体が追いつかず回避行動に移れないライル。
彼は死を覚悟しようとしたが、しかし矢が放たれることはなかった。
短剣を持ったリルがアルマリカに肉薄し、射撃を中断させたからだ。
彼女が奇襲を察知できたのは獣人としての直感、盗賊としての経験、そして感覚強化《術式》である《鋭敏》の賜物だ。逆に言えば、そこまで重なってようやくアルマリカの《隠匿》に対処できるのである。
「今のはヒヤっとしたっすよ!」
「チッ……やり損ねたニャ」
屋上から飛び降りたアルマリカとリルが睨み合う中、トリスタンが感嘆する。
「おや、これは凄まじいですね。《千影》の気配遮断を貫通した上、自らもそれに匹敵する気配遮断を行うとは」
「なんでこうなるっす……楽な仕事だと思ってたのに……」
「嘆いている場合か。人数的には勝っているだろう」
オーラフの指摘に対し「そうは言ってもねえ」と消極的な反応を見せるアルマリカ。
そんな態度に彼はため息を吐きつつも意識をリルに向け、《水流》を詠唱する。
それを聞いたリルは隣のライルに視線をやった後、小さく「《幻影》」と呟いた。
直後、彼女の足元から強烈な勢いで水が吹き出す。
しかし、そこに居たのは既に幻だけだった。
分身したことに気づいたベルタがもう一方のリルに迫る――が、それもまた虚像。
本人は気配遮断によって認識されないままにベルタから距離を取って、盾役である彼女が味方をカバーできない位置関係を作ったのである。
そうした上でリルは短剣を勢いよく投てきする。狙うは四人の中で最も防御能力が低いトリスタン。
リルが接近してくると考えた彼は薬瓶を足元に落とし、自らには無害な毒霧を発生させようと構えていたが、完全に意表を突かれてしまった形となる。
トリスタンに代わって対応したのはオーラフだ。
「《逆転》……!」
彼が詠唱したのは、最有力の盗賊として何度も過酷な戦いを乗り越えてきたリルにとっても未知な《術式》であった。
それもそのはず。《逆転》はつい最近、《ヴィント財団》が発売したばかりの代物である。
ドーンライト製の《変位》や《停滞》を無断で解析することで作られたその《術式》の効果は、「運動の反転」。
リルの投げた短剣が不自然に転回し、速度を保ったまま持ち主に牙を剥く。
「ニャニャニャっ!?」
動揺しつつも咄嗟に身体を逸したリルだったが、短剣が左腕を掠った。
血が流れ、ズキズキとした痛みを感じている。
ごく軽傷とはいえ戦況が不利なのは明らかであった。しかし、彼女は不敵に口角を上げていた。
「あ~~~!!」
アルマリカが、「先程まで」薬師の男が縮こまっていたところを指差して叫ぶ。
その様を見てリルは内心「ざまあみろ」と毒づくと、気配遮断をして戦場から一目散に逃げ去るのであった。
そう、分身を活かした派手な立ち回りは全て陽動だ。
《シュトラーフェ・ケルン》とまともにやりあっても勝てないと踏んでいたライルとリルの狙いは、はじめから「隙を作って薬師を連れ出す」という一点だったのだ。
リルはしばらく走ったところで薬師を連れたライルと合流した。
彼はリルを見て申し訳なさそうに言う。
「陽動を押し付けちまって悪いな……」
「気にすんニャ。すばしっこさとズルさだけ極めてきたリルの方がこういうのは向いてるニャンね」
リルが負傷していることに気付いたライルは、包帯を取り出して彼女の腕に巻き付けた。
少し照れくさそうに感謝するリルに頷きかけると、彼は怯えたままでいる薬師の方に向き直った。
「さて。この辺りならしばらくは追ってこないだろうし、休憩がてら話しても良さそうだな」
「き、君たちはあの連中とは違うのか!? 私をどうするつもりだ!?」
「少し落ち着いてくれ。一つずつ順番に説明するから……まず、俺たちはアステリア第三王女の部下だ」
「アステリア様が!? どうして私を……」
「俺たちと一緒にブレイドワース辺境伯領に来て欲しい。理由は色々あるが……少なくともあんたを裁いたり陥れたりするようなことはないと保証する」
「ライングリフ派を失脚させるため」と正直に告げるのは流石にまずいだろうと考え、言葉を濁すライル。
そんな彼を薬師は訝しむような目で見た。
「……私が何をしてしまったのか知っているのか」
「俺らはな。でも望んでやった訳じゃないんだろ?」
「当然だ! だが……一介の薬師に過ぎない私如きが逆らえるような状況ではなかった」
「ならウチの姫様にもそう言ってくれ。話せば分かってくれるから」
「本当か……? 戦争を終わらせた英雄である一方でかなり苛烈な性格とも聞いているが……」
「怖いところがあるのは事実だが、皆が抱いてるであろうイメージよりはだいぶ優しいぜ、あの人」
「は、はあ……」
まだ決心がつかない様子の薬師にリルが語りかける。
「察してるだろうけど、さっきの連中……《シュトラーフェ・ケルン》はライングリフ派の差し金ニャ。冒険者パーティと言いつつも実質、王家の私兵なので有名だからニャ~」
「なんなんだそのふざけた口調は……いや、今はどうでもいいか。冒険者界隈のことは知らないが、このタイミングで私を追ってくるということは君の言う通りなんだろうな」
「あんたを捕まえた後は秘密裏に口封じか、全ての罪を押し付けて処刑……何にせよ良い未来は待ってないニャ」
「……ああ」
「あんただって危機感を覚えたから逃亡したニャンね? 大丈夫、リルたちが守ってやるニャ。独りで逃げ回ったってどうにもならないからリルたちに賭けてみるのが賢明じゃないかニャ」
「しかし何のメリットがあってそんなことを……ま、まさかアステリア様は王家の主流派を打倒しようと……?」
「それについては回答を控えさせてもらうニャ」
「……まあ連中が間違いを犯してるっていうなら、とりあえずその点については正すべきだろ。結果的にどうなるかはさておき、な」
ライルがそう補足したのが効いたのだろうか。薬師は少し逡巡しつつも、最終的には首を縦に振った。
「……分かった。君たちを信じてみよう」
少し離れた道端で、《シュトラーフェ・ケルン》は薬師の捜索を諦めたかのように立ち止まっていた。
「いやあ。これは任務失敗ですか」
笑いながら言うトリスタン。「王妃様からは怒られちゃうっすかね~」と返すアルマリカ。
壁に背を預ける二人からはまるで真剣味が感じられないし、ベルタもまた座り込んで休憩している。
ひとり険しい顔をしているオーラフだけが未だ任務を継続する意思を持っていた。
「何を呑気にしている! そもそも君ならばあの男の気配を察知できた筈だろう、アルマリカ!」
「気配遮断の技術とそれを看破する技術はまた別物っすから~」
「……手を抜いたな?」
「う~ん……ほら、ウチらって一応『王家』と繋がってるわけじゃないっすか。辺境に飛ばされたアステリア様はともかく、レティシエル様への忖度は必要じゃないっすかね?」
「それに、僕らだってオーラフさんと同じなんですよ。確かに全力でやれば勝てたでしょうが、その場合は民間人にも相応の被害が出ていました。もちろん薬師も無傷でライングリフ殿下に引き渡すことは出来なかったでしょう」
実際、トリスタンが主張した通りの理由で自らも全力を出さなかったオーラフは反論できず、ただ不愉快そうにアルマリカを睨んだ。
「つか頑丈なベルタっちを除けば市街で正面切って戦うのに向いてないっすよね、ウチら。そういう人選をした時点でライングリフ様は本気じゃなかった……そうは思えないっすか?」
「それ以上は不敬に当たるぞ」
「事実に基づいた考えなんすけど……拗らせた愛国者は面倒っすねえ。ともかく、ここは大人しく引き下がるっすよ」
「……不本意だがな」