12章5節:アステリア女王陛下に栄光あれ
アルケーに《術式》の開発を依頼した後、私はすぐに次なる行動に移った。
《アド・アストラ》を王都に向かせる。並行して、聖団領アレセイアの担当者に聖人の招集を要請する。
それから一週間ほど空けて聖人会の合議が開かれた。
私が聖人たちに求めるのは当然「ラトリア王国正規軍が不当に支配しているソドムへの再介入」だ。
しかし結果から言えば、これは失敗に終わった。
予想通り、ライングリフに裏切られてソドムの支配権を独占された形になるレンが真っ先に賛同の意を表した。
次にライングリフ派を牽制したがっている様子のレティシエルやアダム。加えて「前のような刺激的な戦いをまたしたい」と楽しげに語るアレス。
ここまでは良かったが、その他の面々が乗り気ではなかったのだ。
まずライングリフ派の四人が反対した。
冷静なルアや打算的なクロードはともかく、フレイナとウォルフガングの歯切れが悪かったのは、彼らも内心、発案者自らソドム合意を反故にするような行為に正当性などないと理解しているのだろう。
とはいえラトリア貴族と近衛騎士にとっては自らの仕える国と王族の利益が最優先だし、政治的優位というより経済的優位を重視しているクロードもまた、世界覇権に最も近いライングリフとの協調路線を取るのは自然な流れだ。彼らが賛同してくれることはハナから期待していなかった。
次に反対意見を述べたのはアルフォンスだ。
いわく「人道的な危機が発生していない以上はまだ静観すべきだ。むしろ無統治状態が長引くことでソドムに住む人々が暴徒化するという危険性を考えれば、ラトリアによる支配は一定の妥当性を認めざるをえない」、と。
ライングリフ派の増長は聖団にとっても許し難い筈だが、彼は飽くまで「治安維持」という観点に絞った主張をした訳である。
そして最後は、ユウキがさんざん悩んだ末に反対した。そうなると彼に合わせるだけのレイシャも反対に回る。これで向こう側が多数派となってしまった。
「下らない政治のせいで無駄な争いが生まれるのはうんざりだ。アルフォンスも言ってたけどさ、誰も傷ついてないならそれで良いじゃないか」
私とアダム、レティシエルが説得しても、彼はそういった意見を変えなかった。
結論としてはアルフォンスと同じだが、こいつの場合は公正さを追求した上での答えというよりも単に「目の前の苦しんでいる個人を救う」という大義名分がないまま戦うストレスから逃げたがっているだけなのだろう。
だから「下らない政治」「無駄な争い」などという甘えた言葉が出てくる。
私だって好きで政治なんかやっていないし、好きで争いを起こしたがってなんかいない。ただ、こうしなければ世界を蝕む癌を根本から取り除くことは出来ないのだ。転生前の、あのクソったれな世界でも笑っていられたユウキには分からないだろうな。
頭に血が上って、しかし「こいつは前々からそういう男だ」と諦め、私は否決をしぶしぶ受け入れた。
まあ分が悪いことは最初から明らかだった。気持ちを切り替えて別の案件を進めよう。
皆が帰っていく中、私は怒り心頭に発しているレンに声を掛けた。
「……大丈夫?」
「んなワケなかろう! ライングリフの奴め、舐め腐りおって! その上、聖人会も肝心な時に使い物にならんと来た!」
「なはは……レン様にちょっとお願いしたいことがあったんだけど、今は話聞いてもらえない感じかなぁ」
遠慮がちに言うと、レンはまだムスッとしながらも応対してくれる。
「いや、お主の頼みなら聞いてやるぞ。今回の件に関することか?」
「それとはまた別。実は領地運営の資金に困っててさ……」
「大した産業のないド田舎じゃからのう。戦前の規模感ならまだしも、今のように難民を受け入れてやっていくほどの力はなかろうて」
「正論をありがと。でも仕方ないでしょ、他の誰も彼らを引き取ってくれないんだから」
「責任感のない差別主義者ばかりのラトリア貴族はそうじゃろうな。むしろここまで持たせたお主はようやっとる。で、わらわはどうしたらいい? 金が必要なら無利子で貸してやってもよいが」
「ううん、『稼ぐアテ』はすぐに用意できそうだから、レン様にはそれに一枚噛んで欲しいってところかな」
「ほう……?」
「準備ができたらエストハインに行って詳しい話をするよ。その時はまたよろしくね」
「ふむ、いったい何を企んでおるのか……まあ楽しみにしとるよ」
そう言った後、レンは会議室から去っていった。
私が彼女に依頼しようとしているのは、アルケーが開発する《術式》の流通に関する助力だ。
あの商材を我がブレイドワース辺境伯領の力だけで流通に乗せることが出来たなら良かったが、現状、商業界における私と領地の影響力は皆無と言っていい。
無論、王女という立場を利用してそこを強化するような時間も暇もない。
だから既に構築された販路を利用しようという訳である。
これは復古派――《ドーンライト商会》を東方社会から排斥しようとしている派閥――に属するレンにとっても都合の良い話だろう。
さて。ここでやるべきことは終わったし私も帰ろうか――と思ったところで、なにやらずっとこちらの様子を窺っていたレティシエルが私の名を呼び、ゆっくりと歩いてくる。
憎き姉と二人きりで向き合っているというのはとても気分が悪い。私は吐き気を堪えながら愛想笑いをした。
一方、人前ではいつもヘラヘラ笑っているあいつが珍しく真剣な表情をしている。
「あの……なんでしょうか」
「アステリア、私と共同戦線を張りませんか?」
「……え?」
あのクソ姉が自ら私に協力を求めるだと?
突然かつ予想外の展開に動揺するも、じっとレティシエルの目を見て続きを促す。
「今回の『諸外国を無視してソドムを占領する』というご判断に限りませんが、ライングリフ兄様のスタンスが間違っているように思えてならないのですよ、私は」
「覇権主義、ですか」
「ええ。今は人道的危機がなくとも、いずれは大陸全土を巻き込んだ……それこそ魔王戦争よりも悲惨な争いの火種となりかねません。なにせラトリアがその他の勢力にとって共通の敵になるわけですから」
言っていることは至極まともだ。言っているのがコイツなのが気になるところだけれど、私はひとまず首肯した。
その反応を見たレティシエルは僅かな沈黙を挟んだ後、こう切り出すのであった。
「私は母国を今はなきルミナス帝国のようにしたくはありません。ですから……兄様を失脚させましょう。現在のラトリアを突き動かしている覇権主義を止めるにはこれしかありません」
「……本気ですか、姉様」
「もちろんです」
「何が目的なのですか?」
「世界の秩序のため。他に何か必要でしょうか? それに、あなただってそのつもりなのでしょう? 協力しない理由はない筈です」
レティシエルの視線は揺るがない。
何がこいつにここまで強い意志を抱かせているんだ? 女王という重責を背負いたがるほどの動機とはなんだ?
誰からも愛され、何不自由なく生きてきたこいつには私が抱いているような復讐心なんてあるまい。ましてや本気で「世界の秩序のため」などと考えるタイプでもない。
レティシエルが何を望んでいるのか、いくら考えてもまるで見えてこない。
ただ、私にこの話を持ちかけた理由は分かる。要は対ライングリフ派戦線の矢面に立たせようというのだろう。
安全圏から人を操って敵対者を攻撃する、それがレティシエルという女だ。
そして、私が王家を憎んでいるがゆえにこの提案を呑む価値があるということも、加害者の一人だからこそよく理解している。
自分が植え付けた負の感情すらも利用するなんて悪辣の極みだ。
ああ、分かったよ。今は貴様に利用されてやる。だがライングリフ派を倒すまでの間だ。いずれ貴様も潰す。
この女がどういった想いでどんなことを為すかに関係なく、過去に犯した罪を赦す日は来ない。来てはいけないのだ。
私は憎悪の刃を一旦は心の奥底にしまい込み、差し出されたレティシエルの手を取った。
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アステリアの要請によって会合が開かれてから少し経ち、四月中旬となる。
その日、王都の広場でライングリフが演説を行おうとしていた。
彼が大きな演説台の陰、聴衆からは見えないところで苦笑いをすると、隣に立っているローラシエルが首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「やはり魔王戦争終結直後から聴衆の数が少しずつ減っている。正直、残念な気持ちだよ」
「そうでしょうか? 私の目からは変わりないように見えますが……世の中が落ち着いて政治に関心を持つ者が減ったということでしょうか?」
「それも少しはあるだろうが、終結以前と比べて私たちラトリア王室と《夜明けをもたらす光》の繋がりが薄れているというのが理由として大きいだろうな。今や共に演説台に立つこともなくなってしまった」
「あの四人……特に《勇者》殿は大衆受けがよろしいですものね」
「ああ。加えて、いつの間にか個人的に彼らを取り込んでいたレティシエル、それとアステリアが独自に人気を獲得しつつあるのも問題だな」
「……お兄様。やはり妹たちは……」
何かを言いかけるローラシエル。それを無視し、ライングリフは登壇する。
彼はソドム支配の正当性や、ラトリアの輝かしい未来について力強く語りながらも、心の内では妹たちについて思いを巡らせていた。
――レティシエルやアステリアは間違いなく王位継承候補の座を掠め取ろうとしている。
前者に関してはまだ対処する必要はないだろう。今のところ彼女は偶像としての人気があるに過ぎない。政治の場で期待できるものがなければ、衆愚はともかく父や諸侯が自分を差し置いて女王として擁立することはなかろう。
一方でアステリアはその血統の弱さゆえに、かえって反ラトリア覇権主義の旗頭となりうる存在である。そして、罪悪感に囚われている今の父が彼女を認める可能性は十分にある。
ソドム統治軍を利用して間接的にアステリアの力を削ごうとはしたが、その程度では足りない。もっと直接的な手を講じる必要があるか。
そう結論付け、演説のほうも締めくくろうとしたその時であった。
「ラトリア王国に、『アステリア女王陛下』に栄光あれぇぇぇぇ!!」
そんな叫び声と共に、群衆の悲鳴が響き渡った。
一人の貧相な服装をした男が半狂乱で剣を振り回し、人々を斬殺しながらライングリフめがけて走っているのだ。
「賊!? 殺しても構いません! お兄様を死守なさいっ!」
ローラシエルの指示に従って数人の近衛騎士が一斉に男に肉薄し、剣で刺し貫いた。
騎士たちによって血まみれの死体が運ばれていく。それを演説台から冷たく見下ろすライングリフ。
これまで何度も暗殺のターゲットになってきた彼は人並み外れた胆力を獲得しており、もはや命を狙われても動揺しなくなっていた。
今はそんなことよりも男が叫んでいた「アステリア女王陛下」という言葉に意識を向けている。
「……なるほどな。恐ろしいことを考えたものだ」
ライングリフはそう呟き、鼻で笑うのであった。