12章4節:逼迫する財政状況
ブレイドワース辺境伯領に帰ってきた私は現状を確認するため、ソドムにライルを派遣した。
彼によればソドムは兵士たちが完全封鎖しており内部に忍び込むことは出来なかったそうだけれど、とりあえず今は「ラトリア王国正規軍による実効支配」が事実であったということが分かれば良い。
私は「どう立ち回るべきか」と疲れ切った脳を必死に働かせ、しかし良い考えが思い浮かばず自室のベッドの上で死人のようになっていた。
そもそも前世の私はただの女子中学生に過ぎなかったし、転生後だって政治をちゃんと学ぶ機会などなかった。この状況はいくらなんでも荷が勝ちすぎる。
「……なんて言い訳してても駄目だよね。自分で選んだことだし」
独り、そう呟いて消極的な思考を強引に払拭する。
無理でも何でもやるしかないんだ。走り続けねば、私の目指す「誰も知らないセカイ」どころかこの場に留まっていることすら出来ないのだから。
まず、早速ウォルフガングの言いつけを無視する形にはなるが聖人会にソドム再介入を要請してみよう。
同時に私兵部隊《アド・アストラ》から何十人かを王都に派遣する。具体的には部隊の幹部的な立ち位置となっているライルとリル、それからリルに付き従う元盗賊団員、私が正式に雇用した元・高ランク冒険者だ。
彼らにはライングリフ派を牽制するためのスキャンダルを探させる。必要になれば、既に当事者として抱えている切り札――「私とお母様はかつて王家から追放された」という事実をも公表する。
ギャンブルじみているし、それ以上に人の足を引っ張るだけのやり口なのが気に入らないが、今はこんな方法でも頼りにせざるを得ない。
武器を持った敵の前では愛や正義を説く言葉など何の役にも立たないのと同じように、卑怯者にまともな手段で立ち向かっても勝ち目はないのだ。
ただ、聖人会への介入要請もライングリフ派に対する牽制も無視される可能性が高く、その場合は批判覚悟で武力介入も検討せねばならない。
それに備え、従来以上に戦力の徴募に資金を割く。
しかしここで問題となってくるのが、現在、我が領地の財政が逼迫状態にあるということだ。
先日のソドムの一件に伴って難民が大量発生しており、その対応で相当なコストが掛かっている。これで徴募なんてしようものならすぐに財政破綻してしまうだろう。
かといって難民をまとめてシャットアウトする訳にもいかない。
これには人道的な理由だけでなく「人手不足を補いたい」という打算もある。領地を維持する為の労働者や衛兵はまだまだ必要だし、有能な者は《アド・アストラ》に加わって対外的な作戦に参加して欲しい。
また、排斥された難民が徒党を組んで略奪や殺しを行うリスクもある。保護していれば真っ当に生きられた筈の人間がただ「生きるため」という理由で悪をなすようになるのだ。
難民への対応をやめられないのであれば、何とかして金を稼ぐしかない。
そして私は一つの案をひねり出すと、ベッドから飛び上がってアルケーの個室へと走った。
「おや、アステリアか。私の部屋に来るなんて珍しいな」
「新しい《術式》作って! 売り物にするから!」
開口一番、私はそう告げた。
これは前々から考えていたものの実行できなかったことだ。
「アルケーが実は生きており、アステリアのもとに居るのではないか」と疑われては面倒なので商売に彼女を利用するのは避けていたのだが、今の時代、《ヴィント財団》という《ドーンライト商会》とは無関係な組織も独自に《術式》や疑似特異武装を開発している。
もはや《術式》は独占的な技術ではない――そういう社会になりつつあることを思えば、「優秀な《術式》研究者を雇い入れて新しい《術式》を独自開発させました」という方便もなんとか押し通せるかも知れない。
「お、おぉ……?」
困惑するアルケー。私は焦りを抑える為に少し間を置いた後、再び話し始めた。
「政治に関わってなくても何となく察してると思うけど、ウチはいまお金に困っててさ」
「これだけ難民を手厚く保護していれば、まあそうなるだろうな」
「そこで、きみに販売用の《術式》を作って欲しいってわけ。金稼ぎの為に動くのはモチベーション上がんない?」
「いや、君は人を救う為に金を使っているのだからそこに悪感情はない。どちらかといえば作らなきゃならん《術式》の内容が気になるな。君がよく使っている《加速》みたいな戦闘用の《術式》は正直言うと飽きているんだ」
「大丈夫。きみは『人々の生活水準を上げる為に《術式》を公表した』って言ったよね。だから生活に直結するものを作ってもらおうかなって」
私がそう言った途端、さっきまで退屈そうにしていたアルケーの瞳に強い意志が宿ったような気がした。
彼女は腕を組んで楽しげに唇を吊り上げる。
「ほうほう、良いじゃないか。なにか具体的な案はあるか?」
「たとえば食品保存に特化した保冷の《術式》なんかは需要ありそうだよね。もちろん『仕組みが簡単でマナ消費量も少ない』って条件付きでね。適性の高い人しか使えないようなら既存の術の下位互換になっちゃうから」
「なるほど……機能性ではなくコストの低さを重視した凍結系の《術式》か」
「そう。これが普及すれば主に貧困層の間で蔓延している食中毒が減らせるし、飲食の幅を広げられる。近くに業者が居なくても干してない肉を食べられるんだ……というかアルケーって長生きしてるんだし、こういうの考えたことはないの?」
「いや、実はある。ただその時には既に《魔王軍》の一員になっていてな。世間に広める手段がないということに気付き断念して以降はすっかり忘れてしまっていた」
「ドーンライトは? 実質、下部組織みたいなもんだったんでしょ?」
「いやいや。レイジが設立したのもリゼッタが潜り込んでいたのも確かだが、あれは飽くまで独立した商業組織だ。損になることはしないよ」
「っていうと?」
「彼らは《術式》の専門家、いわゆる術師というやつと利権的な繋がりがある。適性が低い大衆でも扱えるような《術式》は販売し辛い背景があるのさ」
「あ~……《術式》の本家本元だしそういうこともあるよねえ」
「しかし、今は彼らに頼らずとも君がプロモーションしてくれるのだろう、王女様?」
私は胸を張ってみせた。
取り繕うのが上手くなっただけで本当は未だ内気で人嫌いな自分がどこまでやれるのか、怖くて仕方がない。だがこちらから話を持ち掛けているのだし、なによりずっと消沈していたアルケーがついにやる気を見せてくれた。
不安を表に出すのはこの人に失礼というものだ。
「任せてっ!」
「頼りになるな。王族でありながら冒険者という過酷な道を歩んできたのは伊達ではないか。分かった、君の要請に応えよう」
その答えを聞いて内心ほっとする。ひとまずはすんなり話がまとまってくれて助かった。
以前の対話でも分かったことだが、やはりアルケーは気分屋で適当な性格であると同時に意外なほど人間想いでもある。
それだけに、魔王ダスクに協力していたのが非常に惜しい気持ちだ。
歴史の「if」なんて考えても意味はないけれど、この人がもし正しい道を歩めていたならば、少なくとも今よりはずっと生きやすい社会になっていただろう。