12章2節:二重の悪夢
気がつけば私は学校の教室に居た。
王立アカデミーではなく前世で通っていた中学だ。
窓に映る自らの姿もあの頃のようになっている。伸び切った茶髪に少し隠れた目は虚ろで、制服は体育の授業を受けている間に捨てられた時のものなのか土で薄汚れている。
これが時折見る悪夢だとすぐに気がついた。
「早く起きなければ」と必死に念じるも、かつて抱いた怒りや恐怖が意識を過去に強く縛り付けている。「この想いを忘れるな」と言わんばかりに。
ふと見上げると、机の周りにはかつて私に嫌がらせをしていた主犯格の女たちが立っていた。
「てめーの昼飯捨てといたから。コンビニ弁当なんだし別にいいっしょ」
「あはは、コンビニ弁当ってウケるわー! ただでさえ片親なのに母親からも嫌われててかわいそ~」
「こんな引きこもり確定のクソ根暗、嫌われて当然でしょ。ウチが親ならぶっ殺してるわ」
「分かる―。将来結婚してさ、んで子供産んでこいつみたいに育ったら絶望するわ。こうならない為にもちゃんとあたしや子供のこと愛してくれる男と結婚しなきゃねー。もちろんイケメンで金持ちなのは絶対で!」
「ギャハハ! 雨宮とかどう? 将来有望かは分からんけど顔は良いよね」
「キモい冗談やめてよ。あんな偽善者くさいの無理だわ~」
夢の中で飽きるほど聞いた会話だ。それなのに、当時と同じく煮え滾るような憎悪を抱いてしまう。
なんで私がこんなに怒らないといけないんだよ。こいつらどうせ私が死んでからそう経たないうちに何もかも忘れて幸せな人生を送ってるぞ。
苦しんで、自殺して、また苦しんで、それからもずっと頑張ってきた私のことなんか気にもせず当たり前のように暮らしてるぞ。
こんな不平等が許せるもんか。お前たちも私と同じように死ね。
怒りに囚われた私は《権限》で聖魔剣を召喚しようとした――が、呼びかけに応じるものはない。
これは夢であると同時にどうしようもない現実の再演だ。《権限》も聖魔剣も《術式》もなければ武術も使えない。
二度目の人生で得てきた「現実に抗う為の武器」の全てを剥奪された私は、目を閉じて世界を拒絶することしかできなかった。
次の瞬間。再び目を開けると女たちは消えており、代わりにラトリアの王族や諸侯が居た。
狭苦しい教室は広々とした宴会場に変わっていて、自分の髪もピンク色になっている。
今度は王都占領以前、会食に参加した時の思い出か。
王族にとって会食とは権威を誇示するためのパフォーマンスの一環であり、出てくる料理こそ転生後の世界における最高級であるものの、そこに楽しみは一切ない。
この日もまた、針のむしろの上で味の分からない食事を無理やり流し込んでいた。
そんな中、新たに運ばれてきた料理に手を付けると、口の中に鋭い痛みが走った。
よく見ると細かい金属片が幾つか混入しているではないか。
悪戯なんてものじゃない、明確な殺意を感じて背筋が凍った。
こういう陰湿なことをするのは大抵レティシエルか王妃だ。もし何かあったら実行犯である給仕か料理人あたりに罪を擦り付けるのだろう。
私は周りの連中が怪しんでいるのを無視し中庭まで行って、口内のものを血と共に吐き出した。
それから慌てて戻ると、エルミアお母様が心配そうに声を掛けてくる。
「アステリア、大丈夫……?」
頷くことしかできなかった。口が痛くて話せないし、何よりこの場で事を荒立てたくなかったから。
黙り込んでいる私を王妃は冷笑し、ローラシエルは罵った。
「急に離席するなんてマナーのなっていない子だこと! もっとしっかり教育なさいエルミア。これでは王家の恥さらしだわ」
「何とか言ったらどうなのよアステリア。やっぱりあなた、下賤な血が混じったせいで何か心の病を患って生まれたんじゃない?」
声を上げて笑うローレンスとグレアム。「まあまあ。周りの方々も見ていますから」と諫めるフリをするレティシエル。ただ冷ややかにこちらを眺めるライングリフ。王妃や「何事か」と訝しむ諸侯の顔色を窺う父。
当時の自分はまだ前世の私と統合しておらず、内気で自罰的な少女に過ぎない。
ゆえにこの件を母にもウォルフガングにも打ち明けられず、一人で惨めに枕を濡らすばかりであった。
私は「……はっ!」と声を上げて飛び起きた。
朝、場所はラトリア王都のホテル。額には嫌な汗。間違いなく「今の」現実であることにほっとする。
同時に、こんな悪夢に苛まれている自分の弱さにうんざりする。
だって、あの頃の私はもう居ないのだ。今は武力も権力もある。何より戦う意志がある。
それなのに王家の連中どころか前世の下らない奴らにすら恐れをなしている。
後者についてはもうどうしようもないが、前者はやはり破滅させるしかない。あいつらが誰にも裁かれることなくのうのうと生きていていい訳がない。
さて。聖人会によるソドム介入が終わった後、私はこの件について父に直接報告すべく王都に移動した。
その後、ライングリフが演説を行うというので聴いてみたら、奴は「王国正規軍が空白地帯となったソドムの管理を引き継ぐ」などと語ったのである。
私は先日行われたこの演説ではじめてソドムが実効支配されたことを知った。
ライングリフは恐らく統治軍が負けることも、統治軍なき後のソドムの管理体制がすぐには再構築されないことも分かっていた筈。しかし、それにしたって物理的に無理がある素早さだ。
一瞬「ブラフではないか」と疑ったが、いたずらに敵意を買うような嘘をつくとも思えない。
まあどんな仕掛けがあるにせよ、この戦いは奴の一人勝ちで終わってしまった。
もちろん諸外国は今後、彼の独断を強く批難していくだろうが、「統治軍の失態」という大義名分がある以上は手が出せない。
大陸北部に実質的な領土を獲得したライングリフは、それを足がかりに旧ルミナス勢力圏の領地や小国の征服、統一を進める。そしていずれは東方諸国、西方連合、聖団領も。
私はこの状況に強い焦りを感じている。悪夢を見たのはきっとそのせいだ。
***
身支度を整えて王城にやってきた私は偶然、ウォルフガングと再会した。
以前の戦いでは敵陣営に居た訳で、気まずくはあったが辛うじて平静を装う。
一方、彼の方は何事もなかったかのように微笑んでいる。私と同じく思うところはある筈で、それを隠し通せるのはたぶん年の功というやつだ。
「騎士たちの訓練終わりってところかな? 近衛騎士団長に戻って張り切ってるのは分かるけど無理しないでね」
「これは俺を見捨てなかった王家への感謝と償いでもある。死ぬまで老骨に鞭を打ち続けるさ」
「償いって……命令違反したことの?」
「ああ。自分が間違ったことをしたとは全く思っていないが、それは主君の命令に背いていい理由にはならん」
「そっか。生きづらいね、倫理的な正しさと社会的な正しさが一致しない世の中って」
「本当にな。こんな年になっても悩みは尽きんよ……それで、国王陛下に?」
「うん。今どこに居る?」
「自室でお休みになっている。俺も同行しよう」
「私があいつに何かするって思ってる?」
「いや。だが宮廷内にはそう考える者も居る。彼らにつけ入る隙を与えない為に一応な」
「……分かった」
ウォルフガングの言葉が本心なのかは分からないが、とはいえ事実として突然、王家に戻ってきた私を快く思わない者は少なくない。
私は素直に彼を伴って父の個室に入った。
ベッドの上で弱々しく笑う父の姿はあまりにも情けなくて見るのも嫌になる。
燃え盛る復讐心に冷や水を浴びせられたようだ。
母が死んだのも、私が国を追放されたのもこいつのせいなのに。
「アステリアか……壮健で何よりだ」
「……ええ。今日は流刑地ソドムの件について報告に参りました」
「ああ、お前の領地が統治軍の攻撃を受けたという話か。レティシエルから聞いている」
「そうでしたか」
「こんなことになって本当に済まなかった。ソドム合意に関わった者たちに代わり謝罪する。彼らには私みずから注意したいものだが、どうも体が言うことを聞かなくてな……」
「いえ、お父様はきっとソドムの状況をご存知ではなかったのでしょう? 仕方のないことです」
「そう言ってくれると助かる……しかし、お前たちがそれぞれの立場で活躍し、事態を収拾してくれたのは素晴らしい。後継者がみな優秀なのは嬉しいことだ、親としても王としてもな」
「なにを寝ぼけたことを」と言ってやりたい気持ちを抑え、私は首をかしげる。
「どうした? 腐敗した統治軍は既に聖人会によって処罰され、今は正規軍が責任を持って収容者を保護すべく出向いているとライングリフは言っていたぞ。何も問題なかろう」
ライングリフのことを信じ切っている父。
私は自分の考えを告げるべきか否か数秒迷って、結局は言うことにした。
「それが問題なのです。統治軍の中心に居たのはいわゆるライングリフ派の貴族……彼らが私の領地を攻めたところまで含めて全てお兄様の計画通りとしか思えません」
「アステリア! お前まで家族を否定するようなことをッ!」
「しかし……」
「これ以上言うなら出ていけッ!」
さっきまで穏やかだった父が急に声を荒らげたかと思いきや、今度は悲しげに俯くのであった。
聞く耳を持たないか。ならばもう話しても意味がない。
「エルミアは優しく包容力のある女性だった。彼女の血を引くお前もそうであってくれ……もう家族で疑い合うのはたくさんなのだ」
そのお母様を死なせたのは誰だ? 王家を正常な家族にする努力を怠り、強い者の顔色を窺ってばかりいたのは誰だ?
お前が王妃や子供たちの態度を否定し、お母様と私を同じ家族だと認めていればこうはならなかっただろう。
もう何もかも手遅れだ。王都占領のあの日、全ては壊れてしまったんだよ。
怒りが再燃したのを感じ取ったのか、ウォルフガングが「この辺りで」と口を挟んでくる。
私は深呼吸をした後、一言「ごめんなさい」とだけ残して退室した。
クソ親父は救いようがないほど愚かだが、次期国王を決める権利を持っているのと私の存在を受け入れているという意味で利用価値がある。
ここで無駄に言い争っても仕方あるまい。