12章1節:不和の種
「共同統治は失敗だった。今後はわれわれラトリアが統制された軍を用い、責任を持ってソドムを管理しよう」
ライングリフはラトリア王国正規軍に流刑都市ソドムを実効支配させた後、すぐさま王都で演説を行った。
主張したのは自らの正当性だけではない。
腐敗したソドム統治軍に罰を与えた聖人会への感謝、そしてソドムの実情を知らなかった忠臣、つまりルア達が彼らの活動を妨害してしまったことへの謝罪。
嘘で彩られた言葉は、彼の巧みな弁舌とカリスマ性に熱狂する聴衆にとっての真実となった。
その日、偶然にも王都に来訪していたアステリアは、民に紛れてこの演説を聴き、強い怒りと焦りに囚われるのであった。
ライングリフが王宮の豪奢な会議室に戻るや否や、クロードから拍手でもって迎えられた。
他にこの場に居るのは虚ろな目で床を見つめているルア、そんな彼女を心配そうに眺めるフレイナ、アステリアを想って複雑な表情を浮かべているウォルフガング、不満げなローラシエルだ。
「いやあ……ボクも手伝わせて頂いたとはいえ、やはり殿下は素晴らしい。乱世において求められるのはあなたのような強い指導者です」
「あまり買い被るな、クロード殿。これも皆の協力あってこそだ」
ライングリフはルアに向かって穏やかに笑いかける。
「言っただろう。『そう心配するな』と」
「……ええ」
ルアもまた笑顔を見せた。疲れを含んではいるが本心からのものだ。
彼女はもともと神経質であるのに加え、「聖人会の撃退」という最高の成果を出せなかったこと、アステリアと完全に仲違いしてしまったことを引きずっている。
だがライングリフの言葉により、ほんの僅かでも不安を忘れることができた。
一方でローラシエルはまだ腑に落ちない様子である。
「……ローラシエル、お前もだ。私を信じろ」
「それはこちらの台詞です、お兄様」
「私がお前を信じていないと?」
「なぜ私にお考えを話して下さらないのですか。ソドム合意だって、最初からこの展開が狙いだと分かっていれば私も安心して協力できたのに……」
「原則、情報というものはそれが必要な人間にだけ伝達すべきだ」
「私は必要なかったというのですか」
「飽くまでこの件に関しては、な。お前が役立たずと言っている訳ではないから、そこは誤解しないでくれ」
「……そうですか、分かりました。お気遣い感謝いたします」
本心を偽り、納得した風に言うローラシエル。
ライングリフは気難しい妹の扱いに困って溜め息をついた後、再びルアと向き合う。
彼女は緊張で畏まった。
「それはそうと……話は変わるのだが、すぐにでも検討を始めてもらいたいから、今この場で伝えておく」
「は、はい。なんでしょう、ライングリフ殿下」
そして、この場の誰もが予想だにしなかった発言をするのであった。
「ルア。私と婚約して欲しい」
唐突すぎる出来事に皆が驚き、目を見開いた。
ライングリフだけが至って冷静である。男が女を口説く態度ではない。「ただ必要だからそうした」、彼からはそれ以上の想いが感じられない。
ルアの額から滝のように汗が流れる。
以前の縁談のような不快感はない。ライングリフの視線は性的な感情を全く含んでいないから、同性愛者である彼女にとって苦痛な想像を強いられることもなかった。
ただ「公爵かつ名誉人間族とはいっても、不義の子にして獣人である自分如きが」「次期国王と目される男から」このような申し出を受けたという事実にひどく困惑しているのである。
「あ、あぁ……あの……本気、でしょうか?」
「冗談で振り回すほどお前のことを軽んじてはいない」
唖然とするルア。
代わりにクロードが口を開く。
「殿下と言えばあらゆる婚約話を断っていることで有名ですが、まさかあなたの方から話を持ちかけるとは! それもルア様に!」
「結婚に値する女が居なかったからな。だが苦難を乗り越え、レヴィアスも立て直しつつある今のルアにはその価値を見出している」
「なるほど、家柄が良いだけのつまらない女たちには興味がないと」
「個人的な興味ではなく、共にラトリアを導く存在として充分な地位と能力があるか否かの話なのだが……まあ、そういう解釈でも別に構わん」
感心しているクロードをよそに、突然フレイナがルアの手を握った。
愛する少女の温もりを感じ、鼓動を高鳴らせる。
ルアは「このまま『いや、この子は自分のものだ』と言って欲しい」と願った。
しかし、正しく「貴族」であるフレイナが彼女の望む言葉を投げかけることはなく。
「こ、光栄なことじゃありませんの! ライングリフ様との婚約なんて望んでお受け出来るものじゃありませんわよ、ねえ……!?」
フレイナは笑った。どこかばつが悪そうに。
なぜそのような表情をしているのか、彼女自身にも分かっていないようだ。
普段は人の本質を見抜くのが得意なルアの方も今は混乱し切っており、ただ突き放されたように感じることしかできなかった。
そして、これに納得がいっていない者がもうひとり居た。
階級と血統、種族の差を「守るべきラトリアの伝統」として何よりも重視するローラシエルである。
「……いくらお兄様の考えでもあり得ません!」
「先にも言ったがルアは実力者だし、前レヴィアス公の汚名をしっかり雪いでくれた。過去にはレヴィアスの者が王族と結婚した例もあるから家柄的にも申し分ない」
「それでも獣人と結婚するだなんて! 王家に穢れた獣の血を入れるおつもりですか!? アステリアという捨てるしかなかった存在を生み出したお父様の間違いを繰り返すというのですか!?」
「……ルア本人の目の前だ。その辺りでやめておけ」
「お母様が、貴族たちが、民が……何より偉大なるラトリアの歴史が許す筈がありません」
それからローラシエルは「みんなどうかしてる」と吐き捨て、会議室を出ていった。
ライングリフは肩をすくめた後、ウォルフガングに「愚痴の相手になってやってくれ」と言って同行させた。
廊下を苛立たしげにずかずかと歩きながら、ローラシエルはいま最も信頼できる人物である近衛騎士団の長に本音をぶちまける。
「魔族は悪。半魔は屑。呪血病患者は社会の膿。獣人とエルフは劣等。下層市民は無能。ゆえに我々は彼らを支配し生き方と死に方を決めてやらねばならない」――それで何も間違っていない筈なのに、みな無駄に話をややこしくしたがる。兄もまたその一人である。
もしかしたら父のように考えを変えてしまったのではないか、アステリアを擁護しているのではないか。
そういえばレティシエルも最近おかしい。聖人会などという活動に傾倒してラトリアの足を引っ張っている。
こんなややこしいことになったのは全てアステリアが戻ってきたせいだ。あのような不和の種が生きているから、一つにまとまって国を発展させていける筈だったラトリアの王族は今のようになってしまった。
弟のグレアムについても世間的には《狩人の刃》が殺したということになっているが、本当はあの出来損ないの妹がやったに違いない。
全部ぜんぶ、何もかも奴が悪い。
ああ、誰かアステリアを殺す機会を自分に寄越せ。領地に対する査察でも何でもいい。奴のところに突入することさえできれば後は「事故で運悪く」死んだことにできるのだ。
必死にまくし立てるローラシエルを宥めるウォルフガング。
彼女の抱える不安に理解は示しつつも、アステリアを含めて王族を平等に敬愛している彼は無難な慰めを言うに留めていた。
――「王族同士が真っ向から衝突する時が来るかも知れない。そうなったら自分は誰を守り、誰に剣を向けるべきなのか」と思い悩みながら。
一方その頃、未だ黙り込んだままのルアに対しライングリフはこんなことを言った。
「ああ……私はお前に女としての興味など抱いていないよ。お前の気持ちが私に向くことはないというのも理解している」
「……え?」
自身の「性」を看破されて強く動揺するルアをよそに、ライングリフは淡々と続ける。
「表沙汰にしないなら恋愛でも遊びでも好きにやってくれていい。私はお前の才能とレヴィアスの未来に投資したいだけだ。王家との結びつきが強まれば求心力も高まるから、そちらにしてもメリットのある話だろう?」
彼にとって結婚というものは徹頭徹尾、政治の為の道具のひとつでしかない。
だからメリットがデメリットを上回れば獣人とも結婚する。損害に繋がらない範囲でなら自由を認める。妻になったからといって欲望を向けたりもしない。
ライングリフという男は計算高く冷徹であっても私欲にまみれた悪党ではないから、決してこの約束を反故にはしないだろう。
ルアの理性はそう考え、「ラトリアとレヴィアスの為、この『契約』を今すぐにでも引き受けるべきだ」と結論付けた。
だが実際の彼女は、愛する少女を横目で見ることしか出来ないでいる。
ふと二人の悲しげな視線が交わり、すぐに別々の方向にそらした。
ライングリフはその様子を前にして「やれやれ」とでも言いたげに鼻で笑う。
「出来るだけ早く答えをくれると有り難い。話は以上だ。では私は行く。クロード殿もあまりプライベートを詮索しないようにな」
「おや、あなたにそう言われてしまったら仕方ありませんねえ」
会議室を出てひとり廊下を歩くライングリフ。
そんな彼の前に妹のレティシエルが現れる。
彼女はさっきまで二人の父であるラトリア国王の寝室に居たようだ。
「父がまた体調を崩したのか」
「ええ。いつものように母様に看病をお願いしようと思っていたのですが、なぜだか嫌がっていて」
「高圧的な母には以前から辟易していたからな。あれと接するのに疲れてしまったのだろう。母にも困ったものだ……もう少し父の心を満たしてやれたならエルミアなど必要なかったろうに」
何気なく言ったライングリフを、レティシエルは自らの唇に指を当てて上目遣いで見る。
「ん~、本当にそれだけなのでしょうか。もっとこう……本能的な恐れのようなものを感じているように思えたのですけれど」
「人間、死が目前に迫ってくるとそういう感情に囚われることもある。哀れだな」
答えを聞いたレティシエルはいかにも退屈そうに口を曲げた。
「……はあ。ええ、仰る通りです」
「お前もあまり心労を掛けるようなことはするな。お前は聖人である前にラトリアの王女だ。家族とこの国のことを第一に考えなくてはならん」
「ご忠告痛み入ります、兄様」